(5/27-2)『真説・八正道』失意のときには教訓を学び、得意のときには努力を積む―『釈迦の本心』悟りの効果

『真説八正道』を読む

60 ある時、仏像盗んで、売り飛ばした男が、ワニの姿に変えられて、その皮からハンドバックが作られるところを目撃した。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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■何を祈るべきか

「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―

このように祈ることが大事です。

【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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ここで、心の浄化である反省についての基本を深めるために、1988年10月2日に説かれました「反省の原理」を学びます。本経典は『幸福の科学の十大原理(下巻)』に収められています。経典をお持ちでない方は、とても大切な教えが凝集されていますので、上巻と下巻あわせて、お近くの支部や精舎、全国の書店にてお求めください。【税抜1800円】

悟りとは実に厳しいものである。しかし、この厳しさを経て得た「悟り」こそ、真の「幸福」であるのだ。
人間とは実に、霊的なる存在である。この地上を去った時、あの世に持って還れるものは「心」しかない。ゆえに、心の幸福であるところの「悟り」こそがすべてなのである。霊性を開発し、真なる目覚めを体験せずして、今の自分を幸福だなどと思うな。それは迷妄そのものである。
私が、ここに全人類に告げる『悟りの原理』こそが、永遠の真理として語り継がれるものなのだ。ここに永遠の仏陀の声が記されているのだ。

聞け、この獅子吼を―。【悟りの原理「まえがき」】
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■『反省の原理』
3「内なる仏性」を顕現せよ
〇「祈り」による光とは違い、「反省」による光は自らの内より発する

そして、私はここに次なる事実をお教えしなければならないと思います。

みなさんは、「光」というものは外から来るものである、他力によるものである、そのようにお考えであることが多いのではないでしょうか。「高級霊の力によって、光というものが与えられるのである。それによって、救いも与えられるのである」と考えがちでありましょうし、事実、そうしたものもあります。

「愛から祈りへ」という本のなかで、私は数々の「祈りの方法」「祈りの言葉」をお教えしております。そうした「祈りの言葉」を口に出して読んでいるということは、みなさん一人ひとりが一つの「霊的震源地」となって、高級霊界に黄金の橋が架かっていくことになるのです。

それによって、いろいろな指導霊たちが力を加えてくることがあるでしょう。そのような経験をされることでしょう。

けれども、あえて、私は、「祈りの原理」に先立って、「反省の原理」を説いた理由の一つとして、「光は外からくるものだけではない」ということを言っておきたいとのです。

釈迦が説き来たった反省という教えの根本は、「光は内から出てくる」という考えであり、このことを教えんとしてやっていたのであります。

幸福の科学で、瞑想というものを多少なりとも実修された方は、「満月瞑想」という修法(満月を心のなかに思い描く修法)を経験されたことがあると思います。この「満月瞑想」は、瞑想であって単なる瞑想ではないのであります。それは一つの「反省を突き詰めた姿」であることを、みなさんは知らねばなりません。

私自身、自らを振り返るということがあります。自らを振り返り、自己の内を観ていったとき、心の奥に沈潜していったとき、そこに私は一つの自己像を見ます。その私は「肉体を持っている私」ではありません。それは、ちょうど金色の仏像の如く見えるのであります。そして、その金色の仏像は、その内から、ちょうど「丹田」といわれるあたりより、明らかに光を発しているのです。

「この満月瞑想の姿は、実は反省の完成された姿でもある」ということを、みなさんに知っていただきたいのです。

みなさんは、こころのなかに去来したいろいろな思いを、一つひとつ反省していくことと思いますが、そうして定に入っていったときに、このような自分の姿が見えてこなければ、その反省は完成していないということなのです。

反省が完成したときには全身から光が出ます。これを「オーラ」という言葉で呼ぶこともありましょう。「後光」ということもありましょう。

しかし、それは単に外面的なる後光ではなく、霊的な目で見て、全身が金色の像になっていなければならないということなのです。そして、その内から強烈な光が四方八方に散乱していなければならないのであります。

ここに私は祈りとは違った光が存在することを感じるのです。祈りの光ははかなる上空から降ってきます。しかし、反省による光は自らの内から発するのです。

これを視たときに、知ったときに、私たちは『新・心の探究』(幸福の科学出版刊)その他の書籍で説かれている「心の構造論」の意味がわかるのであります。

私の理論書には、「私たちの心はタマネギ型に幾重もの層からなっていて、一人ひとりの人間が、心の中に、四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、九次元、十次元という領域をタマネギ状に持っている」と書いてありますが、それがまさしく真実であるということを、みなさんは知るに至るのです。

心の中核、中心の部分には、実相世界へと通じ、さらには人霊を超えた世界に通じる核の部分があるのです。「人格霊としては、八次元、九次元が最高領域である」というような話もありますが、私たちのなかには、これを超えた十次元、十一次元、あるいは、さらにそれ以上の光が注いでくる部分があるのです。

その奥の奥の一点は、究極においては、大宇宙のはるかなる奥にいる神へと通じているのです。この事実を知ったときに、われわれは、「内なる光を求める」という方法が存在していることを知らねばならないと思います。

【大川隆法『幸福の科学の十大原理(下巻)』第4章「反省の原理」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第5章「正業」
10仕事のなかにおける常勝思考
〇失意のときには教訓を学び、得意のときには努力を積む

もう一つは、「仕事の場においては、無限に学ぶという立場を忘れてはならない」ということです。

仕事の場で思いのままにならないことはいくらでもあるでしょう。それは、みなさんにとって不本意なことであるかもしれません。自分としてはベストの仕事をしているつもりであるのに評価を受けられない。あるいは邪魔が入るということはあるでしょう。

ただ、一つの考えどころであると思うのです。いろいろな挫折や妨害、失意の環境が現れたときには、常に、「そこで自分は何を学ぶか」ということを考えなければなりません。そこには必ず学ぶべきことがあります。これは見落としてはならない重要な点なのです。

「この世に無駄なものは一つもない」と思えば、うまくいかないときにおいても、「これは何かを自分に教えようとしているのだ」という観点から見たときに、納得するものが必ずあるはずです。そして、そこから得られたものは、必ず、次なるチャンスに生かされることになっていきます。そのことを決して忘れてはなりません。

さらにもう一つ、正業で気をつけなければならないことは、仕事においての成功の段階にあるとき、発展の段階にある時に考え方です。

これについても、私はすでに何度も述べていますが、「失意のとき、挫折のときよりも、むしろ成功の時のほうが難しい」ということです。これについては、何度も何度も繰り返して述べています。それは、人間はどうしても自分がかわいいがために、安易なところで満足をし、出来上がってしまうところがあるからです。

したがって、「上向きだと思うときに、もう一度、足場を固めていく」「人から褒められれば褒められるほど、謙虚な姿勢を強めていく」という考え方が大事です。そして成功したと思ったら、その瞬間から「次なる努力の場面が始まるのだ」「これからが新しいスタートなのだ」という考え方を、決して忘れないことです。

こういう考え方が「常勝思考」といわれる考え方なのです。「失意、挫折のときには必ず教訓を学ぶ。そして、得意のときにはさらに努力を積んでいく」というのは、絶対に誤らない生き方です。

「自分は神のご加護を得、守護・指導霊たちの力を得て、これほど成功しているのだ」と思うのなら、「この期待に応えて、よりいっそう頑張ってみよう」と思わなければ駄目です。逆に、「これは自分の力なのだ。当然のことだ」と思い始めたら、そこであなたの魂の向上は止まると思ってください。

〇チャンスが与えられるほどに、次なるステップを目指す
チャンスが与えられれば与えられるほどに、次なるステップを目指して頑張らなければいけないのです。ここが踏ん張りのどころです。このときに踏ん張らなければ、小成にすぎません。小人物で終わりです。必ず、次のステップへ行かなければならないのです。そうした有利な環境が出てきたときに、「よし、これに応じなければ、いけない。これに応えて、もう一段大きな仕事をしてみよう。みんなの役に立ってみよう」という気持が出ず、そこで出来上がってしまったら、もうそれまでなのです。

一年間を振り返ってみても、仕事の面において、自分の不遇な部分」「不幸な部分」「挫折部分」というのは、おそらくあったでしょう。そときに、あなたはどう思ったでしょうか。教訓を学びえて、次なる準備ができたでしょうか。

また、得意のとき、あなたはどうだったでしょうか。得意のときに、「まだまだ、こんなものであってはいけない。これはほんとうの自分の力ではない。多くの人の光によって、力によって、現在の自分があるのだ。もっともっとお返ししていかなければならない」と考えられたでしょうか。それとも、そうした立場が与えられたことを当然だと思ったでしょうか。

【大川隆法『真説・八正道』第5章「正業」198pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第3章 愚か者となるな 
○妬(ねた)むな
また、嫉(そね)んではならない、妬(ねた)んではならない。
このようなことも心しなければならなない。
決して、他の者を嫉み、妬んではならない。
修行者にとって、これも大切な教えだ。
あなたがたは修行しているうちに、
他の人のよき評判を聞き、
他の人の心境が進んだことを聞き、
そして、知らず識らずのうちに妬みの心が出てくることがあるだろう。
嫉(そね)みの心が出てくることがあるであろう。
しかし、負けてはならない。
このような嫉みや妬みを心にためて生きるということは、
愚かな生き方であるということを知らねばならない。
そのような心を持ってはならない。
優れたるものと出会ったならば、
優れたるものを愛し、
優れたるものを敬愛せよ。
優れたるものを敬(うやま)え。
優れたるものを敬うことによって、
あなたがたも、はじめて優れたるものに近づかんとしているのだ。
優れたる者を敬うことによって、
あなたがたの進歩への、第一歩を踏みしめているのだ。
修行者にとって、妬みの毒ほど恐ろしいものはない。
十年、二十年の修行も、
この妬みの毒によって、一瞬にしてあぶくのごとく消えてゆく。
妬みがよくないのは、それが何人も幸福にしないからだ。
妬まれた相手をも幸福にせず、
妬んだ自分自身をも幸福にしないからだ。
それは、心の調和を乱し、心の安らかさを乱す。
それが悪であることを知ったならば、決して妬んではならない。
敬愛せよ。優れたるものを愛せよ。
才ある者を愛し、経験ある者を愛し、叡智ある者を愛せ。
それが大事なことだ。

才能ある者を愛し、経験ある者を愛し、
また智慧ある者を愛する心なくば、
三宝を敬うということもまたできないであろう。
師を愛し、師の教えを愛し、
師のつくられた団体を愛することもできないであろう。
さすれば、今世において
魂の修行はまた難しくなるということなのだ。

○愚痴るな
怒りはだめだと言った。
妬みもまたいけないと教えた。
そう、そうして次にあなたがたが、
そこから去らねばならないものとして、愚痴がある。
愚痴は、自らの欲望が満たされないときに出てくる。
そして、不平不満となってまわりに広がってゆくものだ。
愚痴の心も、修行者にとっては、
闘わねばならない、大変な修行の徳目である。
この愚痴の心はなぜ出るか。
愚痴の心、それは自ら自身の力のなさに起因している。
自ら自身の自己信頼のなさに起因している。
あるいは、疲れた時に愚痴が出ることもあるであろう。
それは、人間の常である。
しかし、疲れたるときに愚痴が出ると思ったならば、
むしろ、沈黙せよ。
愚痴が出る時には、沈黙し、深呼吸せよ。
そして、そうした思いからいち早く離れることを努力せよ。
愚痴もまた、これは毒である。
これは、ちらかったゴミのように、まわりを害し、不浄とする。
愚痴を言う人のまわりには、
たちまちゴミ捨て場が出来上がってしまう。
その出した愚痴はいったい誰が片づけるのか。
その出したごみはいったい誰が清掃するのか。
そのようなことをしてはならない。
清掃する人なくば、愚痴を出した人自らが、
そのゴミを引き受けねばならない。
そのゴミの片づけをしなければならない。
ゴミを片づけることができなければ、
いつまでもごみためのなかに生きてゆくしかない。
これが、愚痴の恐ろしさであるのだ。
愚痴出(い)でんとするならば、まず自らの心を励(はげ)ませ。
自らの心を励まさねばならない。
自分自身は、もっと優れたる者ではないのか。
自分自身は、仏の光を受けてつくられたる者ではないのか。
自分自身は、仏の生命をその内に宿す者ではないのか。
もっともっと光強く、自分自身を励ませ。
さすれば、愚痴は遠ざかってゆくであろう。

【大川隆法『仏陀再誕』第3章「愚か者となるな」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第6章 人間完成の哲学
5 悟りの効果

前節では、「心という、展望台にある望遠鏡のレンズを合わせ、さまざまな距離にあるものを見る」ということを、悟りの方法としてとらえました。

それでは、悟りの効果とは、どのようなものなのでしょうか。悟ることによって、どうなるのでしょうか。悟りにはいかなる功徳があるのでしょうか。こうした疑問が湧いてくることでしょう。

悟りには、主として三つの効果があります。

第一の効果は、自己の認識力が高まることによって、この世的な悩みや苦しみ、不安などを解消できるということです。認識力の増大によって、さまざまな悩みを一掃することができるのです。

第二の効果は、より多くの人のために貢献できるということです。自分や世界を知れば知るほど、ほんとうの意味で、人びとを幸福にし、素晴らしくしていくための方法が分かります。悟りには、人格を向上させると同時に、多くの人びとを益するための影響力が増すという効果があるのです。

第三の効果は、悟りそのものに付随するものとして、幸福感があるということです。この幸福感は、収入が増えたり、地位が上がったり、人にほめられたりといった、この世的な幸福感とはまったく違ったものであり、たとえようもない喜びです。真理を悟ったという喜びは、人間の魂が味わうことのできる最大の快楽でもあるのです。

こうした喜びが人間には与えられています。この喜びを知らなくては、人間として真に生きているとは言えません。悟りは、人間として生きていく途上で仏から与えられる最大の贈り物です。この喜びを知らなければ、ほんとうの人間とは言えないのです。

このように、悟りには、第一に、認識力の拡大によって悩みを解消し、第二に、他の人を益することができる範囲が広がり、第三に、悟りそのものに付随する最高の喜び、幸福感を享受できるという、三つの素晴らしい効果があるのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第6章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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46 学生としての勉学やスポーツ、大人としての社会への還元について振り返ってみよう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

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