(6/1-2) 【阿羅漢への挑戦】152―61『仏陀再誕』を読む―足ることを知る―『反省の原理』④正業―『真説・八正道』自分の自由になる時間を将来への投資に充てる―『漏尽通力』人生の転機

『仏陀再誕』

66 ある時、守銭奴が川に金貨を落とした。彼は、水に潜って、金貨をふところに集めたが、重さのあまり、浮き上がれなかった。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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■何を祈るべきか

「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―

このように祈ることが大事です。

【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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ここで、心の浄化である反省についての基本を深めるために、1988年10月2日に説かれました「反省の原理」を学びます。本経典は『幸福の科学の十大原理(下巻)』に収められています。経典をお持ちでない方は、とても大切な教えが凝集されていますので、上巻と下巻あわせて、お近くの支部や精舎、全国の書店にてお求めください。【税抜1800円】

悟りとは実に厳しいものである。しかし、この厳しさを経て得た「悟り」こそ、真の「幸福」であるのだ。
人間とは実に、霊的なる存在である。この地上を去った時、あの世に持って還れるものは「心」しかない。ゆえに、心の幸福であるところの「悟り」こそがすべてなのである。霊性を開発し、真なる目覚めを体験せずして、今の自分を幸福だなどと思うな。それは迷妄そのものである。
私が、ここに全人類に告げる『悟りの原理』こそが、永遠の真理として語り継がれるものなのだ。ここに永遠の仏陀の声が記されているのだ。

聞け、この獅子吼を―。【悟りの原理「まえがき」】
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■『反省の原理』
4真説・八正道
④正業

さらに「正業」というものを挙げてあります。

職業を持っている人にとっては「正命」とも似た部分があるでしょうが、これは、「職業というもの、仕事というものを考え直してみたことがあるかどうか」ということであります。

たいていの方は惰性のなかに生きていて、「自分は、たまたま、学校を卒業して、こういう会社に勤めている。そして、日本では定年まで勤めるのが普通であるから、このような仕事をしている」と言っているかもしれません。

けれども、みなさんは、「一生のうちで職業に従事する時間がどれだけあるか」を考えたことがあるでしょうか。成人してよりこのかた、三分の一、あるいはそれ以上の時間を費やしているのです。

それを単にその日のパンを得るためだけに使っていいのでしょうか。単に月給を得るためだけに働いているのではありませんか。実は、そこにこそ他者との能動的なるかかわりがあるのではないですか。そういう展開があるのではないですか。

みなさんが今日命を失うとして、「振り返ってみて、やっておきたかったこと」は、本当はこの職業のなかにあるのではないですか。そのなかに自分という命を投入していこうとしなかったことに関して、恥ずべきところがあるのではないでしょうか。自らの魂を埋め込んでいかなかったことに対し、悲しくは思わないでしょうか。

職業というのは、仕事というのは、二つの面において大切な価値があります。

まず、「これがユートピア建設の基地である」ということです。そこを起点として大きな社会変革が起きてくることを、環境が変わってくるということを知らねばならないのです。

また、職業はさらに次なるものを我々に与えんとします。それは、「我々の悟りを高めるための材料」として立ち現われてくるということであります。

それは、「愛の発展段階説」で言うならば、「生かす愛の実践の場を与えてくれている」ということなのです。この「生かす愛」は、その実践の場がなければ、発揮することができないのです。私たちは、「職業を通して悟りを高める機会を与えられている」ということに関し、感謝しなければならないのです。

「自らの悟りを磨いていく場としての仕事がある」ということ、これを知らねばなりません。この方向において、人を生かしていく道は無限に近く、無限の道が広がっているのです。

たとえ、社長となって、数千人、数万人の社員を養う身となっても、自分のその職業における進歩、進化は、その数千、数万の人に止まるものではないのです。

さらに、会社を超えて、日本に、世界に影響を与える予知があるはずであります。

「生かす愛もまた、その悟りの次元のなかで無限の広がりを持っている」ということを、みなさんは知らねばならない。「生かす愛」のなかにおける無限の広がりこそが、みなさんの魂の足腰を鍛え、器そのものを広げていくことになるのです。

「霊的な高さ」とは別に、「魂の大きさ」というものがあります。「悟りは高くなくとも、魂の器が大きい」ということはあるのです。それだけ大きな包容力を持った人生観は、それだけ多くの「生かす愛」の実践をしていなければ、決して生まれてこないのであります。

【大川隆法『幸福の科学の十大原理(下巻)』第4章「反省の原理」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第6章「正命」
3未来へ投資するライフスタイル
〇自分の自由になる時間を将来への投資に充てる

もう一つは、「生き方のライフスタイル」そのものです。これ自体について検討する必要があると思います。

あなたが、今、理想とするライフスタイルは、どういうものでしょうか。これを考えてほしいのです。「何をもって理想とするか」「どういう生き方ができていけば自分としては本望なのか」というように、一日二十四時間という考え方を、もう少し中長期的な観点から眺めてみるということです。五年、十年、あるいはもっと大きな範囲のなかにおいて自分の生き方を決めていくことも、正命のなかに入っていると思います。

そうして、実は、このライフスタイルのなかで特に重要なのは、自分の自由になる部分です。自由になる部分の時間の使い方を、特に考えていくことです。

二十四時間のうちには、生活必要時間があります。また、仕事上、どうしても必要な時間もあります。これらを取り除いた残りの、自分にとって自由になる時間を使って、未来を設計していくことです。これは一つのプロジェクトです。自分の人生の計画設定であり、そして、その実践です。少なくとも、このライフスタイルにおいて、何らかの理想を持つべきであると、私は考えます。それをただ漫然と過ごしてはならないと思うのです。

自分のライフスタイル、生活のパターンを築き、その生活パターンのなかに、将来の自分への投資に当たる部分を必ず盛り込んでいくことです。将来的に自分にとってプラスになることを盛り込んでいくことが大事であると思います。いつ、どういう環境が現れても、自分が有為な人間として、また、優れた人間として、役に立てる人間として、人に喜ばれるような人間として生きていけるための資産を、生活設計のなかでつくっていくことです。これが大事ではないかと思います。

このなかには、もちろん、読書をするというようなこともあるでしょうし、音楽を聴くということもあるでしょう。あるいは、身体を鍛えるということもあると思いますし、カルチャーセンターのようなところに通う人もいるでしょう。いろいろ考え方はあるでしょうが、「未来への投資」という観点から考えてみる必要があります。

【大川隆法『真説・八正道』第6章「正命」218pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第4章 政治と経済 
○足ることを知る

また、あなたがたは適材適所という言葉を聞いたであろう。
適材適所ということは、
その人の器、その人の才能、
その人の能力に合った立場につけるということだ。
この適材適所という考えが、なかなかわからなく、
また、なかなか肯定しがたいことのように思われるかもしれない。
その多くは、欲望が強いがために、
自ら自身を正しく評価できないことにある。
人は、その器相応に使われてこそ、
はじめて喜びを得るのだという事実を知らなければならない。
鋸(のこぎり)には鋸の幸福がある。
鉋(かんな)には鉋の幸福がある。
鑿(のみ)には鑿の幸福がある。
それを忘れてはならない。
鋸(のこぎり)は木を挽(ひ)くのに役に立つであろう。
木を上手に挽くのは鋸(のこぎり)の喜びであろう。
しかし、木を平らかにするのは鉋(かんな)の喜びであろう。
また、木に溝をつけるのは鑿(のみ)の喜びであろう。
この鋸(のこぎり)と鉋(かんな)と鑿(のみ)という違ったものは、
それぞれが尊いのだ。
それぞれが尊く、どれも無くてはならないものなのだ。
なのに、世の人びとが鋸(のこぎり)こそ素晴らしいと言えば、
だれもかれもが鋸(のこぎり)になろうとする。
世の人びとが鉋(かんな)こそ素晴らしいと言えば、
こぞってみんな鉋(かんな)になろうとする。
しかし、世の中にはいろいろな人がいて、
それぞれの持ち場で働いているからこそ、
世の中がますますよくなってゆくのだ。
あなたがたは、ともすれば、
目立つ鋸(のこぎり)という仕事を目標とするかもしれない。
しかし、鋸(のこぎり)の役割ができるためには、大きな力がなければならない。
大胆で、決断力に富み、迅速で、
そして仕事が速くなくてはならないだろう。
そうした性格の人は、鋸(のこぎり)の役割を担(にな)うのがよい。
しかし、一方では、几帳面でサービス精神に富み、
そして多くの方々に気配りができるような人がいるであろう。
こうした方がたは、
鋸(のこぎり)という役割は必ずしもその性分には合わないのだ。
そういう人びとは鉋(かんな)としていかに艶(つや)を出すか、
いかに滑らかに仕上げるかということを努力すればよい。
それが、本来の自己を生かす道であるのだ。
また、専門的にのみ生きている人もいるであろう。
狭く、細く、しかし力強い仕事をしたいと願う人もいるであろう。
これは、鑿の仕事であろう。
小さなところを削り、彫り、そして役に立つ。
これが鑿(のみ)の仕事だ。
こうした専門的な仕事を軽蔑する人もなかにはいるかもしれない。
あるいはそうした仕事についていて、
自ら自嘲的になっている人もいるかもしれない。
しかし、このような仕事はあるのだ。
鋸(のこぎり)によってしては、ほぞをつくることは難しい。
鉋(かんな)によっても、ほぞをつくることは難しい。
鑿(のみ)によってこそ、ほぞはつくることができるのだ。
このように、
それぞれ適材適所ということがあることを忘れてはならない。
さすれば、ある者は社長となり、
より多くの困難、波風に遭(あ)うかもしれないが、
その社長業を、自らがこなさなければ、
幸福でないと思うのは間違いかもしれない。
地位の上にある人、下にある人、
それはあくまでもこの世的なる序列であって、
それが真実の仏の序列ではない。
それぞれ、適材適所ということが実現されて
はじめてすべてのものがよくなってくるのだ。
決して、欲望の自由を満たすことが、素晴らしいことではないのだ。
みんなが社長になりたいからといって、
すべての人を社長にしていては、
その会社に働く人たちは、次々と失業して、
そして大いなる苦難をなめるであろう。
社長になるべき器があってこその社長であるのだ、
ということを知りなさい。
さすれば、自らの分相応に生きていることを決して悔いてはならない。
もちろん、経営する立場に立つ者は、
人事は公平にしなくてはならないであろう。
また、雇われる側にあっても、
公平な処遇をされることを願うことは正しいことであろう。
しかし、どうか私の語った鋸(のこぎり)、鉋(かんな)、鑿(のみ)の例を思い出してほしい。
それぞれの持ち場に使われてこそ、役に立つのであり、
そして喜びがあるということだ。
間違った場所で使われて、真の喜びはないということなのだ。
このことを、よく知りなさい。

足ることを知るということは、決して消極的なることではない。
足ることを知るとは、己(おのれ)を知ることになり。
足ることを知るとは、己(おの)が力量を知ることなり。
足ることを知るとは、己が才能を知ることなり。
足ることを知るとは、己が生きる場を知ることなり。
己が生きる道を知ることなり。
己が死に場を見つけることなり。
これ、足ることを知るという。

【大川隆法『仏陀再誕』第4章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力』
『漏尽通力』改訂・新版へのまえがき

約三十二年前、著者三十一歳の原著は、『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』の基本三部作に続いて書かれた。だが時代を超越しすぎていたため、いったん絶版状態にしていた。

しかし、現今、高度な霊能力の諸相について語った書物は実に貴重であるので、改訂・新版として復刻すべきだと考えた。神聖な「霊言」を汚す者さえ出てきたことも理由の一つである。

伝統的な解釈では、漏尽通とは六大神通力の一つで、煩悩を滅尽する力とされていた。「有漏(うろ)」「無漏(むろ)」という言葉もある。「漏」とは、煩悩、欲望のことである。

しかし、菩提樹下で釈尊は悟りと同時に「三明」を得たとされている。その一つが「漏尽」である。だが、その時、釈尊は断食を中断し、中道に入ることを決めている。そして村娘スジャータ―の乳がゆのお布施を受けている。

つまりこの世的欲望を完全になくすことではなく、この世的欲望に振り回されることなく高度な霊能力を使いこなせることこそ、漏尽通であり、「世間解(せけんげ)」という立場、「智慧」の立場とも両立すると考えられる。これは本来の仏陀による新説である。新刊に際し、原著を講義した、第七章も追加したことを附記(ふき)しておく。

二〇二〇年 四月 十日
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法

〇まえがき
本書『漏尽通力』は、霊能力の諸相をふまえながら、現代的霊能力の極致、窮極の霊能者の姿とは何かを説き明かした理論書です。釈迦には六大神通力がありましたが、人類史上、他の宗教者と比較しても、最大の霊能力だと目されるのがこの漏尽通力です。伝統的には欲望を滅尽させる能力ですが、入滅のすすめと、とられかねません。私としては、錆(さび)をつくらず光り、かつ、切れ味のよい日本刀のような、生き年の霊的生活を生きる能力だと思います。

すなわち、巨大な霊能者でありながら、通常人と全くかわらない生活をし、「平凡のなかの非凡」を実践してゆく能力です。

現代人にとっての「悟り」とは何かを考えてゆく際にも、この漏尽通力のあり方は、まさに黄金の鍵の役割を果たすものと思われます。この点からも本書は真理探究者にとっては必読の一書となることでしょう。

一九八八年 三月
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法
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■『漏尽通力』第1章 霊的人生観
1 人生の転機

人間は、それぞれに「自分の生きがい」というものを探究して生きているわけですが、その人生の途上において、さまざまな転機に見舞われることとなります。

そうした場合のいちばんの大きな転機として、やはり、「宗教的な出会い」というものが待ち構えているように思います。宗教的な出会いとはいったい何かというと、「この世ならざるものとの接触、遭遇」ということです。

どんな人間であっても、必ずそういう時期は来るものです。

例えば、幼少時には、「病気をする」ということがあるかもしれません。あるいは、片親がなくなるとか、両親の別離であるとか、こういうことがあるかもしれません。

小学校のときには、いじめに遭うとか、中学校のときには、クラブ活動で挫折をするとか、高校進学のときには、進学で悩むとか、こういうことがあるかもしれないのです。

それから、高校卒業に当たっては、「就職の道を選ぶか、大学進学を選ぶか」で悩んだりしますし、大学に進学するにしても、「どの学校に行くのか」で悩んだりします。たいていの場合、第一志望のところにはなかなか行けなくて、自分の意図とは違うところに進学していきます。

このほか、大学に入ってからも、なかなか学業についていけなかったり、留年あるいは中退をしたりすることもあります。

就職のときにもそうであって、進学のときと同じように、第一志望のところに入ることはなかなか難しく、いろいろなところで就職の面接試験を受けても、一次選考や二次選考を通ったのに、三次選考で落ちたりすることがよくあるわけです。

また、思い通りの会社に就職できたとしても、そのなかにおいて、さまざまなつまずきが待ち構えていることはよくあります。自分より早く同期のものが出世したり、思わぬことでビジネス上の失敗をしたり、過労がたたって病気をしたりすることがあるわけです。

最初は注目されていたエリートが、思いもよらない失敗によって、左遷されたり脱落していったりすることがあります。

また、まったくの問題外で、ライバルとは見られていなかった人が、意外に力を伸ばしてきて、どんどんと上に上がってくることがあります。場合によっては、自分の後輩が自分の上司になることもあるのです。こういう衝撃があります。

会社のなかでもそういうことがありますが、これ以外にまた、個人的事情として「結婚」という問題があります。結婚は一つの関門であって、これも人生の一つの試練であろうかと思います。会社の選択と同様、配偶者の選択も決定的です。

「人生には三つの関門がある」と言われます。「進学」「就職」「結婚」の三つです。

この書物を読んでおられる方の大多数は、「進学」という問題をすでに終えられているでしょう。また、学生ではない方々の大部分は、「就職」という問題も終えているでしょう。そして、何割かの方は、「結婚」という問題に対して、いろいろな悩みを持っておられるのではないかと思います。

この「配偶者の決定」に際しても、やはり、人はいろいろと悩みます。
この世的には、いろいろな結婚コンサルタント会社があって、両家の条件をいろいろと出しては話をすることがあります。

男性から女性に対する希望であれば、やはり、容姿が端麗(たんれい)であるとか、最低でも短大を出ているとか、ご両親が健在であるとか、一人娘ではないとか、そういう条件がつくことはよくあります。あるいは、性格がいいとか、尽くすタイプであるとか、料理が上手であるとか、花嫁学校に行っていたとか、こういう条件を付けることもあります。

また、女性から男性に対してであれば、年収がいくら以上であるとか、次男坊であるとか、三男坊であるとか、親と別居できるとか、身長が百七十センチ以上あると、体重は何キロを超えていないとか、こういう条件があるかもしれません。

そういうときにも、この世的にいろいろと選択をしながらも、やはり、どこかで「神縁」というようなものを感じ、人間ならざる第三者の働きを考えます。具体的には、「守護霊あるいは指導霊たちが何かをやってくれているのではないのか」「生まれてくる前の縁があったのではないのか」ということを考えるに至るのです。

たいていの人間は、神や仏を無視し、霊的なものを無視するにもかかわらず、進学のときや就職のとき、結婚のときには、そうしたものに関し、何らかの感じを受けるわけです。

結婚に際しても、「赤い糸で結ばれている」という話を耳にします。若い女性たちの場合、ほとんど、そうしたことを信じていて、「八割、九割以上の人は赤い糸を結ばれていて自分の約束した相手がいるのではないのか」というように考えることがありますが、これなども、やはり、霊的な人生観を得るための一つのよすがになっているということが言えるでしょう。

結婚のあと、子供ができても、また、神秘的な感じを受けることがあります。子供というものは、「つくろう」と思ってつくれるものではなく、子供ができると、「授かった」という不思議な感じを受けるものです。

また、不幸にして離婚を経験される方もいますし、片方との死別もあるかもしれません。

こういう、人生のいろいろな流れのなかにおいて、人間はさまざまな転機を経験していきます。その転機とは、結局、どういうものかというと、一つの選択肢であるわけです。「右にすべきか、左にすべきか。あるいは、まっすぐに進むべきか、退くべきか」という転機が必ずあるのです。

これは決して優れた人にだけにあるのではありません。どんな人にも人生の転機は何度も何度もあります。「そうした選択肢を、そのつど、どう選ぶか」によって、結果的に、振り返ってみると、その人の人生はずいぶん変化しているものです。

これは迷路を歩いているのと同じであって、「右にするか。左にするか」を間違うと迷路から出てこられませんが、うまく選択すると迷路から出てこられます。

このように、結果的には、「右にするか、左にするか」という判断で人生は変わってくることがあるのです。

こうした「人生の転機」に当たって、人は、ともすれば、易をやってみたり、姓名判断をやってみたり、四柱推命をやってみたり、星占いをやってみたりと、さまざまな「この世ならざるもの」へ、すがろうとする思いを持ちたがるものです。「人知を超えたもの」に頼ろうとするわけです。

結婚の問題にしても、「Aさんと結婚するか、Bさんと結婚するか」という問題で心揺れたりすることがあります。こういうときに占いに走り、易者に見てもらったりして、「どちらの方が縁が深い」とか、「こちらであれば失敗する」とか、こういうことを言われ、信じる人もいれば、余計に迷ったりする人もいます。いろいろなことがあるわけです。

結局、人間は、原則を自分で考えていこうとするけれども、「より一歩先が見えることがありえないか」という希望も抱いているわけです。それはなぜかというと、やはり、誰もが「つまずきたくない」という気持を持っているからです。

半年後、一年後、三年後、五年後、十年後、のことは、なかなか人間にはわかりません。分からなくて、自分の認識を超えた領域であるからこそ、「他のもの、人知を超えた偉大な存在の計らいが、何か得られないか」ということを考えるわけです。

こうした「人生の転機」こそ、やはり霊的人生観への目覚めの契機ではないでしょうか。そのように私は思うわけです。

【大川隆法 『漏尽通力』第1章「霊的人生観」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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40 自暴自棄になってはいけない。今まで生かされて来た奇跡を思おう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き

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