81 食欲を節することのできない人は、仕事のルールを守ることもできなかろう。
82 酒、たばこ、麻薬、覚醒剤に、はまり込む人は、どぶの中を革靴で歩いているに等しい。
【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】
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7月7日は70周年を迎えます。主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
7/5(日)~7/7(火)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/5(日)~7/7(火)は、連日13
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
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さて、ここからは、仏教精神に立ち返るべく、教典『大悟の法』から第三章の「仕事能力と悟り」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■『大悟の法』第3章「仕事能力と悟り」
3 頓悟禅(とんごぜん)の問題点
○禅の悟りのなかにある「論理のすり替え」
【※頓(とん)=時を移さずその場で。立ちどころに。とみに。臨機に。「頓智(とんち)・頓才・頓死」特に仏教で、修行の階梯(かいてい)を経ずただちに悟りを開くことに言う。
漸(ぜん)=だんだんに進むこと。度合がしだいに加わって進むこと。特に仏教で、程度の低い教えから程度の高い教えへと漸次に導いていくもの。】
頓悟禅(とんごぜん)は慧能から始まっていますが、慧能の悟り自体は必ずしも彼独自のものとは言えません。祖師である達磨自身にも、そういうところがありました。
達磨がインドから中国に来たとき、のちに二祖となった慧可(えか)が、「心が乱れてしかたがないので、どうか、師よ、私の心を安んじでください」と言ったところ、達磨は、「その迷っている心を取り出してみよ。おまえさんのために安んじてあげよう」と言いました。慧可が、「心を探してみたけれども、見つかりません。出せません」と言うと、達磨は、「私はおまえの心を安んじ終わったぞ」と言ったのです。
このような問答がなされたことが遺っていますが、ここにも微妙なすり替えがあります。
「心を取り出してみよ」というのは、心というものを、物質的、物体的な比喩に切り替えて言っています。「心を出してみよ」と言って、「出せません」と言われると、「では、心を安んじ終わった。悩みは解決したぞ。出せない心なら、悩むはずはないではないか」という言い方をしているわけです。
しかし、これは本来の悟りの姿ではないと思います。達磨は、ここで一つの論理のすり替えをしています。
釈尊ならば、「あなたの心のここに問題がある」ということを、言葉ではっきりと言ったはずです。しかし、達磨はこれが言えなかったのです。
禅宗は、このあたりから始まっているので、必ずしも慧能だけの問題とは言えません。禅の悟り自体に、そういう、すり替えの部分がかなりあるのです。
以後、この頓悟禅の流れでは、たとえば、祖師西来(そしせいらい)の意、つまり、「達磨大師がインドから来た意味はどこにあるか」と問われると、「庭前の柏樹子(庭の柏の木だ)」と言ってみたりします(『無門関』第三十七則の趙州和尚〔じょうしゅうおしょう〕の応答)。あるいは、仏教の大意を訊かれたら、「一指頭禅・いっしとうぜん」といって、指を一本、すっと立ててみたりします。何を訊かれても、指を一本立てるわけです。(天竜和尚とその門下の倶胝和尚・ぐていおしょう〔『無門関』第三則に登場〕が有名)。
そのように、「言葉で表せないものだ」ということを一生懸命に主張するのです。
確かに、言葉で表せないものもあることは事実ですが、釈尊が、説法によって悟りを表し、人々を教化したことは事実です。したがって、言葉で表せるもののほうが、真理を弘めるという点では、やはり優れているのです。
言葉に表せないものもありますが、それを、「言葉に表せなくてよいのだ」というように解釈したならば、それは大きなすり替えであり、低い次元の悟りであると思います。
【大川隆法『大悟の法』第三章「仕事能力と悟り」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。教典『仏陀の証明―偉大なる悟りの復活』を引用しながら、ともに八正道を深めてまいります。経典をお持ちでない方は、是非拝受ください。【税抜き1942円】
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○八正道は解脱に到るための方法論
本章では、『仏説・正心法語』のなかの「解脱の言葉『仏説・八正道』」を解説します。
これは長い経文ですが、毎日、反省に入る前にこれを読誦し、八正道を一つひとつ点検していくとよいと思います。
特に、この経文は八正道の一つひとつが説法のかたちで書いてありますので、よく分かるのではないかと思います。
「解脱の言葉」と頭についているように、八正道は、まさしく解脱という目的のためにつくられたものです。
八正道は正見から正定までの八個で成り立っていますが、この前提には、正信、すなわち「正しい信仰」というものがあります。
そして、それに基づいて、正見から正定までを順番に反省していくと、やがて、正解脱、すなわち「正しい解脱」に到ります。
もちろん、八正道を行じて、正智、すなわち「正しい智慧」を得て、その結果、「正しい解脱」を成す、というように考えてもけっこうです。
結局、八正道は、智慧を得て解脱するための方法論であり、そのための順序を示していると考えてよいと思います。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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■解脱の言葉「仏説・八正道」
亭亭(ていてい)たる
菩提樹の下
坐りたる
釈尊は
黙(もだ)し 動かず ただ独り
明けの 明星 瞬(またたき)きて
大悟の 時を 告げ知らす
外道(げどう)の 邪説 真ならず
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■Words of Emancipation-Buddha’s Teaching: The Eightfold Path
Seated beneath the high, towering Bodhi Tree
Shakyamuni was all alone
Silent and motionless
The morning star twinkled
And announced the time
Of his great enlightenment
Teachings other than the way of Buddha
Are wrong
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これは、菩提樹の下で、釈尊が禅定を組んでいた時の風景を語っているのです。
「悟りを開くまでは、もう動かないぞ」と、釈尊はずっと座っていたということです。
・・・
そして、ある時、明けの明星が瞬くころに、釈尊は大きな悟りを得たのです。
当時、釈尊は新進気鋭の宗教家であり、まだ名を成していませんでした。世間では、バラモン教のような古い教説を説いている人もあれば、さまざまな新しい宗教を説いている人もあり、あちこちにいろいろな修行者がいて、誰がほんとうの救世主的存在になるか、わからない状態でした。
そして、「仏陀」という言葉には非常に重い響きがあって、みんなが仏陀を求めていましたが、「仏陀のような人」というのは聞いたことがあっても、「真に仏陀になった」という人のことは、まだ誰も聞いたことがありませんでした。
しかし、釈尊には、「自分が今、その仏陀になった」と実感した時があったわけです。・・・
当時は、六師外道(ろくしげどう)など、多くの教祖がいて、いろいろな教義を説いていました。しかし、それらは邪説であって真ではないということです。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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「仏説・八正道」の冒頭は美しい言葉によって、2600年前のお釈迦様の大悟の瞬間の情景がありありと描かれています。ゴータマ・シッダールタが仏陀になった歴史的瞬間です。
六年間にわたる難行苦行の間には、当時のさまざまな宗教指導者の門をくぐり、教えを請いましたが、直ぐにそれらの教えを習得してしまったので、教義の内容に満足できず、独り座禅を組んでおられていました。
その末に「四諦・八正道」の悟りを開かれると同時に「これまでに学んできた教えが正しくない」との確信に到ります。これが釈尊の大悟の瞬間でした。それまでの六年にわたる苦行を通して、世にはびこる自由修行者の邪命説法の教えが間違えであることを知り、外道邪命の生き方を正法による仏法真理によって、人々を救済することをお釈迦様は決意されました。四諦の道を認識して、八正道を実践することこそが、正しき心の探求の大切な修行課題です。共に、学びと実践を深めてまいりましょう。
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○「六師外道」(ろくしげどう)とは
ゴータマ・シッダッタ(釈迦)とおよそ同時代のマガダ地方あたりで活躍した、釈迦に先行する6人の在野の思想家(サマナ)たちを、仏教の側から見て異端だと見なし、まとめて指すための呼称です。
古代インドには様々な思想家、諸教派が存在したが、その中でも有数の教派を、仏教側から見て、まとめて指すための呼称、総称である。仏教の視点であるので、仏教以外の宗派の教説を異端だと見なし「外道・げどう」と呼んでおり、仏教を「内道・ないどう」と呼んでいます。
釈迦の時代のインドの都市では、商工業者たちが貨幣経済によって栄え、ギルドのような組織を作って経済的な実権を握り、それまでの祭祀を司るバラモン、政治を握るクシャトリヤが社会を支配する旧体制は崩れ、物質的な豊かさと都市文化の爛熟で自由享楽的な空気になっていました。
バラモン教ヴェーダ学派を否定する自由な思想家が多数輩出し、ヴェーダの権威を否定する諸学説を提唱して盛んに議論していました。時代の変革で生まれた新興勢力に支持されたのが、こうした反ヴェーダ思想であり非正統バラモン思想の自由思想家たちです。その中には六師外道と呼ばれた思想家だけでなく、釈迦も含まれます。六師外道と呼ばれた思想家たちの思想は、新しい時代の新しい思想の動きであり、その影響下でジャイナ教・仏教の思想と活動が生まれていきました。
原始仏典ではその諸学説を六十二見にまとめ、その中で主要なものを「六師外道」と総称しました。波斯匿王【はしのくおう・コーサラ国の王で息子にジェータ太子とヴィドゥーダバ太子があり、娘の勝鬘夫人(シュリマーラー)は勝鬘経の主人公】は、仏教が六師外道と呼んだ思想家を年長者と呼び、対して釈迦を年少者と呼んだ。後に、各六師にそれぞれ16人の弟子がいるとし、これらを総称して「九十六種外道」とも言うようになりました。
○釈迦在世時の外道の代表六人
1 プーラナ・カッサパ(Purana Kassapa )無道徳論、道徳否定論。
殺人や盗み、虚言などの悪行も悪をなしたことにはならず、祭祀、布施、修養、真実を語ること、感官の制御(ヨーガ)、自制などのいかなる善行を積んでも善をなしたことにならず、善悪いずれの報いも存在しないとした。釈迦と同時代人で、奴隷の子であったという。
2 パクダ・カッチャーヤナ(Pakudha Kaccayana)要素集合説、七要素説。
人は地・水・火・風の四元素と、苦・楽および命(霊魂)の七つの要素の集合により構成されていると考え、霊魂の独立性を認めない。七要素は作られるものでも他を作るものでもなく、不変不動で、互いに影響はない。よって世の中には、殺すものも殺されるものもなく、聞くものも聞かれるものもなく、知るものも知らしめるものも存在しない。宇宙あるいは人間が多元の要素の集合で構成されているという積集説(アーランバ・ヴァーダ)、唯物論的思考の先駆。
3 アジタ・ケーサカンバリン(Ajita Kesakambalin)唯物論、感覚論、快楽主義。
プーラナ・カッサパのような道徳否定論者の思想には、程度の差はあれ、ウパニシャッドに説かれるアートマンを否定し、霊魂と身体の不可分年子の霊魂の非存在を主張する唯物論的な思考があるが、ケーサカンバリンはそうした唯物論者の代表である。人間は地・水・火・風の四元素から成り、各元素は独立して実在し、死によって人間を構成していた四元素は各元素の集合へと戻り、ゆえに人間は死ぬと空無となり霊魂も何も残らない。来世もなく、善の報いも悪の報いもなく、よって宗教も道徳も不要である。現世の快楽・享楽のみを説く。
4 マッカリ・ゴーサーラ(Makkhali Gosala)アージーヴィカ教(邪命外道と呼ばれた)。運命決定論(宿命論)。
パクダ・カッチャーヤナの七要素に虚空・得・失・生・死を加え、生きているものはこの一二要素から構成されるとした。得以下の六要素は、それぞれの作用を原理化したものである。一切の生き物は輪廻の生存を続けるが、輪廻から抜け出せないものも、そこから解脱するものも、すべて無因無縁であり、自己の意志による行いは何一つない。一切はあらかじめ決定されており、定められた期間は流転する運命である。八四〇万大劫という計り知れない年月の果てに苦しみの終焉に達するまで、どのような修行をしても解脱することはできない。よって、道徳を否定し、宗教を無用とする考えが含まれる。
5 サンジャヤ・ベーラッティプッタ(Sanjaya Belatthiputta)懐疑論、不可知論。
真理をあるがままに認識し説明することは不可能であるとする不可知論である。問いに確答せず、つかみどころのない議論を行った。抜け出すことの困難な形而上学的な難問を議論することの意義を問う判断中止(エポケー)の態度表明といえる。
6 マハーヴィーラ(ニガンタ・ナータプッタ Nigantha Nataputta本名ヴァルダマーナ)
ジャイナ教の開祖。相対主義、苦行主義、要素実在説
【「Wikipediaウィキペディア」より引用】
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幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。それが、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つからなる仏へ道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。
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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第2章「無常の風」
〇「老」と「病」の苦しみ
赤ん坊として生まれて、しばらくは親の愛を受けてかわいがられ、だんだん子供として成長してゆきます。しかし、いつしか親も死に、やがて社会に投げ出され、苦労をし、年を取ってゆきます。
この老いてゆく苦しみというのは、四十を過ぎると身に沁(し)みてわかるようになってきます。まるで坂道を転げ落ちるように、一年一年、自分が枯れてゆく感じがわかります。そうしてはじめて、無常という言葉が、しみじみと滲(し)みわたるように分かってくるようになります。
女性の多くはこの苦しみを味わっています。桜の花にも似て、若く美しい時期はごくごく短く、次第しだいに、毎日毎日、鑿(のみ)で削られるように年齢が皺(しわ)となって現われてくるのです。この老いてゆく苦しみは、女性には、男性以上に年々厳しいものとなって、覆いかぶさってくることでしょう。
しかも、若い頃に、それほど「蝶よ花よ」とちやほやされたかといえば、そうではなくて、青春期には、またそれなりの苦しみが伴っているものです。
老いていくということに抗しうる人はいません。どのような身分の人でも、どのような大金持ちでも、どのような学歴の人でも、等しく人は老い、等しく人は死んでゆくわけです。
昔の中国の秦の始皇帝は、父子の仙薬を探すために、方士の徐福(じょふく)に伝説の蓬莱山(ほうらいさん)に向けて探検の航海を命じました。しかし徐福は、不帰の人となりました。そして始皇帝自身も五十歳まで生きることができませんでした。
また、北魏の道武帝や太武帝、唐の高祖や玄宗たちは、財力にものをいわせて不老長寿の薬を調合させようとして、同志たちに煉丹を行わせましたが、丹薬服用のために、かえって生命をちぢめる天子も少なくありませんでした。丹薬の主要な材料の辰砂(しんしゃ)が水銀と硫黄との化合物であり、有毒だったからです。
このように人間は、若く長く生きたいと思いつつも、その思いは成就せず、無常の風に吹かれて、やがて老いてゆくものなのです。
そして、人生の途上には「病」というものが必ず待ち受けています。
「病などない」という教えもあります。確かに霊的な世界では病はないかもしれません。あの世では完全な生活を送ってはおります。しかし、地上に降り、肉体に宿って生活をしてゆく以上、病というものは必ず起きてくるものです。
それには二つの原因があります。肉体そのものの不調ということもあれば、精神の不調から肉体に支障をきたすこともある。この二頭立ての馬に乗っているような人生ですから、両方の馬が機嫌よく働いているうちはよいのですが、どちらかが具合が悪くなりますと、馬車が進まなくなってきます。
しかし、百年前も、五百年前も、千年前も、二千年前も、病人がいない時代はなかったし、病人がいない国もありませんでした。そうであれば、人間というものは時おり病にかかるものであるということを、一つの法則としてよく知ったうえで、それを乗り越えてゆくことも大事でしょう。
【大川隆法『宗教の挑戦』第2章「無常の風」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。
エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。
【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。
■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】
■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える
■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする
信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え
戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。
これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史
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