(6/2-1)【基礎教学通信】153【6月2日】『解脱の言葉「仏説・八正道」』を読む5四諦・八正道―八苦―『大悟の法』仕事能力と悟りは連携する―『宗教の挑戦』観の転回と幸福

『解脱の言葉「仏説・八正道」』

1 愛の原点は、何かをおねだりすることではない。

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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7月7日は70周年を迎えます。主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

7/5(日)~7/7(火)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/5(日)~7/7(火)は、連日13 
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
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さて、ここからは、仏教精神に立ち返るべく、教典『大悟の法』から第三章の「仕事能力と悟り」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■『大悟の法』第3章「仕事能力と悟り」
4 仕事能力と悟りは連携する

一般に、「勉強をして教養を積んだ人ほど、悲観的になる」と、よく言われます。

それはなぜかというと、勉強をして物事をよく知ると、「人はいかに多く間違いを犯すか」ということが分かってくるからです。「実人生、実社会において人はいかに多くの間違いを犯すか」ということ、あるいは、「欲のために身を滅ぼした人が、いかにたくさんいるか」ということを、知るようになるのです。

そのように、人の悪というものを知るようになるため、「教養がつくと悲観的になる」と、よく言われるわけです。

ところが、教養の浅い人は、非常に早く出来上がってしまうことが多いのです。

これは、宗教の世界においても、よくある話です。

教団の初期のころで、法がまだそれほど進んでおらず、本も少ししか出ていないようなときに、たとえば試験などで、百点なり九十何点なり、非常に良い点数を取って、「自分は非常に優秀である」と思い、出来上がってしまう人がいます。

ところが、毎年毎年、新しい法が出てきて、法がどんどん積み重なり、増えてくると、当然、頭に入らなくなります。そのため、一度、百点を取ったとしても、「もう自分は悟ったのだ。自分の悟りは一番なのだ」と思っていると、その一、二年後に早くも転落が始まるのです。

社会的に見て、この世的な勉強や経験部分を十分に詰めていない人ほど、ちょっとしたことで、すぐに出来上がってしまう傾向があります。

しかし、世の中をよく知っている人は、「たとえ、試験などで百点を取ったとしても、それは必ずしも仕事ができることを意味するわけではない」ということを知っているのです。

一ヵ月ぐらい頑張り、本を何回も読んで丸暗記し、一時的な詰め込みで百点を取れたとしても、それで天下を取ったように思ってよいかと言えば、そうではないのです。その試験では確かに頑張ったのでしょうが、一か月後に試験をしてみたら、もう忘れているということもあります。

そのように、一時的な詰め込みでやった場合、それについては、一定の実績は出ますが、それ以上のものではないのです。

仕事能力と悟りは連携しているものなので、この世的な能力も磨き続ける必要があります。この世的な知識や経験も大事にしなければいけないのです。(完)

【大川隆法『大悟の法』第三章「仕事能力と悟り」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』はこのように続きます。
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我に 今こそ 確信あり
人生 まさに 四苦 八苦
欲望の 瀑流(ぼうる)の 中を
泳ぐなり
されど 不動の 境地あり
この悟りこそ 真理なり
正しき 悟りは 八正道
苦・集・滅・道 沈思して
四諦の 道を 究むべし
解脱の 道を 進むべし

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Now I am firmly convinced
That life is nothing but the Four Pains
The Eight Pains
It is like swimming
Across a violent river of desire
But you can achieve a steadfast state of mind
This enlightenment is the Truth
The right way to enlightenment
Is the Eightfold Path
Contemplate and pursue
The Four Noble Truths
Suffering, its cause, its extinction
And the Path
And walk the path to emancipation

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〇八苦
要するに、「悲しみや苦しみの原因は、実は真理の目が開けていないところにあるのだ」ということが言いたいのです。四苦八苦の苦しみとして、「生・老・病・死」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「愛別離苦(あいべつりく)」「求不得苦(ぐふとっく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」とありますが、結局、「人生における四苦八苦の苦しみというのは、真理の目が開けていないがゆえの苦しみです」と言っているのです。

これは、正直に言って、その通りだと思います。たまたま、「自分はまだ若いし、しかも結婚したばかりなので、幸福だ」という方もいると思います。あるいは、「会社に入社したばかりで幸福だ」「課長に昇進したばかりで幸福だ」という方もいると思います。しかし、長い目で何十年か見ると、やはり、苦しみから逃れることはできないでしょう。

昇進の喜びがあっても、仕事で息詰まる苦しみが当然出てくるでしょう。結婚の喜びがあっても、やがて家庭不和の苦しみが来ることもあるでしょう。悲しい別れもやって来るでしょう。愛した子供であって、誰もそれを否定できません。ここまではっきりという宗教家は、他にはいないのです。

「怨憎会苦」(おんぞうえく・嫌な人と会う苦しみ)も、否定できないでしょう。そうした苦しみというのは現実にあります。どこへ行ってもあるはずです。

「愛別離苦」(愛するものと別れる苦しみ)もあります。

「求不得苦」(ぐふとっく・求めても得られない苦しみ)は、おそらく万人が万人、あるはずです。みなさん全員に、求めても得られない苦しみはあります。何もかも思いのままの人生というようにはいきません。

たとえ、思いのままの人生が展開し、願った通りの人生が現れたとしても、そのあと幸福かどうかということがあります。

たとえば、同期の人たちよりも早く出世して、収入も多く、「出世頭だ」と思っていたら、突如、ピストルで撃ち殺されるような支店長もいます。地位あるがゆえに狙われることだってあるのです。

ですから、「自分としては、これが理想だ」と思っていた人生が、その通り実現した時に、自分がいま予想しているものではない事態が、待ち構えていることだって、当然あるわけです

そうした予期せぬ不幸や悲しみは、人生のあちこちにあるものです。しかし、それを、突如として襲った不幸と考えても無駄です。人生はそのような不幸に満ちているものであり、不幸は襲ってくるものだと、まず正直に、実直に見つめたうえで、そこから脱出して幸福になる道がないかどうかを考えてみなさい、ということなのです。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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それでは、さらに四苦について、経典『悟りの挑戦(上)』より抜粋して解説を加えます。
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この四苦、生老病死というのは、誰一人逃れることができなのです。全員、確実に死ぬのです。この予言だけは外れません。全員死ぬのです。間違いなく死にます。読者の方で、二十二世紀まで生きている人は、まずいません。

釈迦はまずこういう人生の真理を述べました。
さらに、八苦といって、四苦に四つ加えたものがあります。

まず、「愛別離苦(あいべつりく)」、愛する者と分かれる苦しみがあります。
人生の間に、「この人とだけは別れたくない」というような親友もあったでしょう。また、懐かしい母親、父親、兄弟、友人、あるいは夫婦であれば、妻や夫、子供がありますけれども、愛しい愛しい自分の身内や友人といった懐かしい人と、ある日突然に分かれがきます。病気や事故もあります。・・・あるいは、それまで仲良くやっていたのに、思想信条等がぶつかって分かれることもあります。信仰を得たために、たとえば夫と妻の信仰、宗教が違うために反目して、愛する者と別れることもあります。あるいは、幸福の科学に入ったということで、昔の親友と別れなければならないこともありましょう。愛する者と分かれる苦しみというのは、人生の間に必ずどこかできます。

この反対に、「怨憎会苦(おんぞうえく)」といって、いやな人と会う苦しみ、嫌いな人と会う苦しみがあります。・・・そのように、人生にはいろいろな選択肢がありますが、そのなかで、愛する者と分かれる苦しみ、いやな者と会う苦しみ、これはなかなか避けられないものです。どうしても出てくるのです。愛別離苦や怨憎会苦は、みなさんも、いろいろな過程でおそらくあるはずです。

それから、「求不得苦(ぐふとっく)」といって、求めても得られない苦しみがあります。これは苦しみを象徴するようなものであって、ほとんどの人にあります。

いい職場を求めてもなかなか得られない。出世を求めてもなかなか得られない。結婚相手、伴侶を求めてもなかなか得られない。収入がもっとあればいいと思うのに手に入らない。・・・このように、いろいろなものを求めても得られない苦しみは山のようにあります。これは万人が万人、おそらくあるでしょう。そういう悩みはみんなが持っているはずです。求不得苦というものは、考えたから考えただけ出てきます。・・・

しかし、それはあなた一人だけではありません。他の人もやはりそうなのです。得られなかったものは、ものすごくあるのです。その人その人によって違いはありますが、その人にとっては得られなかったものが、たくさんあるのです。

奥さんを得られないで苦しんでいる人もあれば、奥さんを得たために苦しんでいる人もいます。良妻賢母を得られなかった苦しみというのもあるのです。また、子供が欲しかったのに得られないと苦しんでいる人もいますが、できの悪い子どもを持ったための苦しみもあります。賢い子供を持てなかった苦しみ、これもあるのです。

このように、何かを与えられたらそれでいいかと言ったら、そうでもないのです。得られない苦しみというのは、なかなか止まることがありません。

最後に、「五蘊盛苦(ごうんじょうく)があります。「五陰盛苦(ごおんじょうく)ともいいます。五陰というのは肉体の煩悩(ぼんのう)のことであり、これが燃え盛るさまが五陰盛苦です。精神生活に目覚めてくると、本当にこれがいやになることがあります。

なぜ毎日毎日お腹が空いてくるのだろうか。自分は霊的な存在だと思っているのに、お昼になったら、お腹が空いてくる。一食抜けば、もう人間でないようにガツガツしてきます。恥ずかしいです。食べていないと、このようになってきます。「食物にこだわってはいけない」思うのに、どうしてもやめられない。お酒などもそうです。アルコールがどうしてもやめられない。そういう煩悩があります。

また、異性の問題もあります。若い人もそうですし、中年以降、晩年でも結構あるようですが、異性を求めて燃え盛る炎が静まらないことがあります。「ああ、こういう欲がなければ、どんなにスッキリするか」と思うのに、それでも止まりません。こういう苦しみがあります。肉体を持っていること自体に伴う燃え盛る煩悩、これを抑えることができないのです。「なぜ、こんなに苦しい」「宗教というは、きついことを言うものだな」と思いながら、抑えることができないで苦しみます。

このように、「生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦」の四苦八苦を言われたら、どの方も逃げならないのです。この世に生きているかぎり、ついてまわるものです。

【大川隆法『悟りの挑戦(上)』幸福の科学出版 より抜粋】
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「生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦」の四苦八苦を言われたら、どの方も逃げならないのです。この世に生きているかぎり、ついてまわるものです。

「人生は苦しみである」ということは、同時に、「苦しみは真理に目覚めるための機会である」ことや、「苦しみとは、人生の問題集」であることを意味します。
要するに、「悲しみや苦しみの原因は、実は真理の目が開けていないところにあるのだ」ということが言いたいのです。という言葉がとても印象的でした。

肉体をもっている以上、人間は四苦八苦の苦しみから逃れることができない。という事実をまず知って、「人間とは肉体ではなくて魂である」「自分とは考えていることそのもの」であるという事実を、府に落として納得することが悟りの第一歩となります。

幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。それが、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つからなる仏へ道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。

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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第2章「無常の風」
〇観の転回と幸福

しかし、「観の転回」と言いますか、ものの見方、考え方をまったくかえて見ると、無常の考え方も幸福論をその基礎として持っているものであると言えます。

たとえば年をとって、足も痛い、目もかすむという状態で、もし百年も二百年も生き続けていったらどうでしょうか。それは地獄の責め苦ではないでしょうか。枯葉が落ちてゆくように、この世を去ってゆけるからこそ、幸福であると思うのです。

また、この世では手に入らないことは山のようにあります。それすべてに対して、「不幸だ。不幸だ。手に入らないことは不幸だ。と執着していては、いつまでたっても幸福にはなれません。

「この世の生命は仮の宿りなのだ。私たちは一時期の旅人にしかすぎないのだ。ある国から遥かなる旅に出て、数十年、夢のような生活を送って、そしてまた還ってゆくのだ」と思ったときに、あれほど喉から手が出るほど欲しかったものが、実は虚しいものであったと知り、そこにひとときの幸福なる瞬間が現われてくるのです。

読者のなかには、若い人もいるでしょう。そして、「あの美しい女性とどうしても結婚したい。できなかったら私は自殺してしまいたい」と思いつめている方もいるでしょう。

しかしながら、その若く美しい二十歳の女性も、やがて年をとり、皺(しわ)が増え、腰が曲がるようになります。その女性の五十年後の姿を、あなたは静かに心のなかに思い浮かべてください。

そのときに、その女性をまだ愛せますか。その女性をどこまでも手に入れたいと思うでしょうか。一緒にお墓のなかに入りたいと思いますか。どうでしょうか。そのように思うことによって、すべてが過ぎてゆくものであると考えられるようになるものなのです。

このように、執着を去ることは、一つの心地よい快感でもあるということを知っていただきたいのです。あの世の実在界の視点から、この世の自分の生活を見つめ直す―すべては、そこから始まると思うのです。

私も過去、苦しいことが何度もありましたけれども、常にこの無常観というものに心を寄せますと、この世の辛さや苦しさというものが、何か夢幻のように思えたものでした。

この流れてゆく世界のなかにおいて、唯一確かなものは何でしょうか。それは真実を求める自己です。この真実を求める自己だけをしっかり離さないでいれば、必ずや幸福の世界というものは訪れてくるものです。

【大川隆法『宗教の挑戦』第2章「無常の風」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。

エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。

【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。

■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】

■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える

■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする

信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え

戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。

これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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