63 ある時、守銭奴が猿の姿に変えられていた。縄のついた、くり抜かれたヤシの身に米が入っていた。猿は、片手で米をつかんだまま放さなかった。漁師がやってきて、猿は逃げられずに撃ち殺された。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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ここで、心の浄化である反省についての基本を深めるために、1988年10月2日に説かれました「反省の原理」を学びます。本経典は『幸福の科学の十大原理(下巻)』に収められています。経典をお持ちでない方は、とても大切な教えが凝集されていますので、上巻と下巻あわせて、お近くの支部や精舎、全国の書店にてお求めください。【税抜1800円】
悟りとは実に厳しいものである。しかし、この厳しさを経て得た「悟り」こそ、真の「幸福」であるのだ。
人間とは実に、霊的なる存在である。この地上を去った時、あの世に持って還れるものは「心」しかない。ゆえに、心の幸福であるところの「悟り」こそがすべてなのである。霊性を開発し、真なる目覚めを体験せずして、今の自分を幸福だなどと思うな。それは迷妄そのものである。
私が、ここに全人類に告げる『悟りの原理』こそが、永遠の真理として語り継がれるものなのだ。ここに永遠の仏陀の声が記されているのだ。
聞け、この獅子吼を―。【悟りの原理「まえがき」】
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■『反省の原理』
4真説・八正道
①正見
一日を振り返り、さまざまなことを思うでしょう。
八正道で言えば、まず「正見」というものが出てきます。「正しく見たか」ということです。これは、言われてみれば、当然のことのようにも思えますが、この「正しく見る」ということを確認している人がどれだけいるでしょうか。
「正しく見る」ということには三つの観点があります。
〇自分を取り巻く人々に対する目
ひとつは、もちろん、「自分を取り巻く人々に対する目」です。
人間の苦しみの根源は対人関係にあることが多いと言えましょう。それゆえに、「他の人のあり方、他の人の姿を正しく見ることができたか」ということを振り返ることが大事です。「正しく見ることができたか」というのは、「神の心のような鏡に映ったとして、それと寸分違(たが)わずに見えたか」ということです。そういう見方がありましょう。
〇自分自身を見るという目
また、「正しく見る」ということのなかには、「自分自身を見るという目」もあるでしょう。
今日の自分を甘やかしていなかったか。
自分に対して色眼鏡で見ていなかったかどうか。
自分の存在を特別に甘く認識していなかったか。
自己評価において正当であったかどうか。
この自己評価において、神の心のごとき鏡に映したとしても、間違いのない姿であったか。
そうではなくて、自己弁護をしていたにすぎなかったのではないか。
こうしたことを知るに至るようになります。これが「正しく自分を見る」ということです。
〇「他人と自己との間に発生する事件」を見る目
さらには、「他人と自己との間に発生してくるいろいろな事件」があります。人と人が生き、その間にさまざまな介在物があることによって、事件が起きてきます。
その事件を正しく見たか。
すなわち、今日起きたことに関して、自分を取り巻く出来事に関して、正当な目で見たかどうか。
〇正見の反省によって、眠っていた仏性が目覚めてくる
そういう三つの目があります。これが「正しく見る」ということの考え方です。
このような反省をすることによって初めて、私たちの心のなかに眠っていた仏性が次第しだいに目覚めてくるのです。
そして、「正しく見る」ということが深まっていくにつれて、自分が「この人はこういう人だ」と思っていた人が、さまざまに顕現しているその人」の姿とが、明らかに違いとなって見えてくるのであります。
例えば、私がみなさんを見るのと、みなさんのうちの一人が他の人を見るのとでは、あきらかに、見えているものが違うのです。この違いが分りましょうか。みなさんは、明らかに、見ているものが違うのです。この違いが分りましょうか。みなさん一人ひとりを私がどう見ているか、お分かりになりましょうか。
私は、みなさんの、「内に秘めたる、その神の光」をみているのです。私には、みなさんの、皮を被った姿、服を着た姿、髪の毛を生やした姿、そんなものなど目に入らないのであります。私の目に入るのは、本来の神の子としての姿を、どこまでみなさんが顕現しているか、その光の在り方です。それが私の目には見えるのです。
みなさんの外見的な姿も私の目には映ります。映りはしますが、そこに私は大いなる意味を見出すことはないのです。それは過ぎ去っていく映像です。ちょうど映画のフィルムのように、それが上映された映像のごとく、映っては消えていくもの、痕跡を残さないもの、そのようにしか、みなさんの外面は見えないのです。
私が「見たい」と思うもの、「真に知りたい」と思うものは、流れる時間のなかにあって、変転する人生のなかにあって、変転しないもの、すなわち、みなさんの仏性であります。それが見たい。そう思って人と接しているのであります。
【大川隆法『幸福の科学の十大原理(下巻)』第4章「反省の原理」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第6章「正命」
1正命の現代的意味
〇正命とは、現代的には「時間の活かし方」と「ライフスタイル」
「正しく生活をする」ということに関して述べてみたいと思います。
「正業」と「正命」の違いについては、「職業」と「生活」との違いというように考えればそれまでですが、正命のなかにはもっと違った意味合いがあります。現代的に言い換えるとするならば、この正命というのは「時間の活かし方」というように考えてよいでしょう。時間の活かし方に関する本は数多く出ているので、目を通したことのある人も多いのではないでしょうか。
また、この正命は、別の言葉で言うならば、「ライフスタイル」という言葉に置き換えてもよいかもしれません。「あなたは、どのようなライフスタイルをよしとするのか」という問いかけです。「あなたは、どういう時間の使い方をよしとするか」、そして、「どういうライフスタイルをよしとするか」ということは、現代にも生きています。
現代社会のなかにおいて、「みなさんが理想と考えるライフスタイルはどうであるか」という問いかけをされたら、サラリーマンのみなさんは、「正業」と「正命」の違いが分るでしょう。アフターファイブというように考えてもよいかもしれません。「アフターファイブの生き方はどうなっていますか」ということです。この無限の時間をみなさんはどのように使ってきたでしょうか。その結果、現在、自分がどうであるのでしょうか。そして、今後どうなっていくのでしょうか。これを考えてほしいのです。
【大川隆法『真説・八正道』第6章「正命」210pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第4章 政治と経済
○世を変える力
諸人よ、これより後、
あなたがたは、修行するのみではならない。
あなたがたは、単に自己修行のみに生きてはならない。
あなたがたが修行する姿そのものが、
多くの者たちを目覚めさせるものでなくてはならない。
あなたがたの修行が、
修業するあなたがたの群れが、
世の中を変えてゆくものでなければならない。
私は、そう思う。
欲望によって成り立っているこの社会を変えてゆくものは、
欲望によって成り立たないものであろう。
欲望によって混乱している社会を変えてゆくものは、
執着を離れた人々の行動であろう。
私は、そう思う。
真の執着とは、それは仏への道を志すこと。
この大いなる真の執着は、何人(なんぴと)も持ってよいものである。
されども、偽りの執着とは、
この地上のみに、自らの身を置き、
この地上においてのみ、自らの栄達を求め、
この地上においてのみ、自らを生きやすくせんとする心でもある。
このような偽りの執着を捨て去り、
大いなる執着を、
真なる執着を、
仏へと向かう執着を持つことは大事だ。
執着と言う言葉は悪いかもしれないが、
執着と言うことは愛着と言い換えてもよい。
いや、強い牽引力(けんいんりょく)と言ってもよい。
強い結びつける力と言ってもよい。
仏へと、限りなく自らを高めてゆく力と言ってもよい。
さすれば、あなたがたはこれより後、
この世の中の在り方を変えよ。
この世の中の姿を変えよ。
この世の中の仕組みを変えよ。
唯一の力によって、
大いなる仏と一体化する力によって、
そうして、この世的なる執着を断った平和な心によって。
世の中を変えるに、
革命をもってするという人もいる。
暴力をもってするという人もいる。
流血をもってするという人もいる。
しかし、私はそのような考えをとらない。
世の中を変えてゆくには、平和な心が大事である。
調和の心が大事である。
もし、暴力によって国家が覆ったところで、
その新しい国家もまた、いずれの日か暴力によって倒されるであろう。
流血によってなされた革命は、
やがておびただしい流血を招き寄せることになるであろう。
そうであってはならない。
世の中を変えてゆく時に、
あくまでも心の平静を大事にしなければならない。
心の平安を大切にしなければならない。
調和を基準として世の中を変えてゆかねばならない。
調和そのものをおしすすめることによって、
世の中を変えてゆかねばならない。
極端なるものを去り、調和を中心とし、
すべてのものが栄えるをもってよしとせねばならない。
【大川隆法『仏陀再誕』第4章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第6章 人間完成の哲学
8 菩薩の本質
阿羅漢の次なる段階である「菩薩」について述べていきましょう。
「阿羅漢の状態で三回ぐらい転生を繰り返さなければ、なかなか菩薩にはなれない」というのが霊界の仕組みです。
そして、人間が転生を繰り返すなかで、阿羅漢の状態に達することができるのは、たいていの場合、偉大な導師が地上に降りているときだけです。それ以外のときに、平凡な市民として地上に生きていたのでは、独力で阿羅漢の状態に達するのは困難です。なかには、自分の人生経験を通じて、独自に阿羅漢の段階に達する人もいますが、割合としてはかなり低いと言ってよいでしょう。
阿羅漢が大量に生まれるのは、偉大な指導者が地上に出ている時なのです。それゆえ、偉大な指導者が出るときには、人びとはこぞって地上に出たがるのです。
大導師が地上に出たとき、その弟子となり、その法を学んで、阿羅漢の状態に達することができれば、以後、それが一定の実力として遺ります。野球の打者に「三割バッター」といわれる選手がいて、いったん三割以上を打てるようになると、その実力はそう簡単に落ちるものではないのと同じです。
そして、大導師の下で阿羅漢に達した人が、次の転生、さらにその次の転生と繰り返していき、三回生まれて三回とも阿羅漢の状態を続けることができたならば、次に、いよいよ菩薩の段階に入っていくのです。これが平均的な姿だと言ってよいでしょう。
菩薩の認定には極めて厳しいものがあり、その認定がなされるまでには、かなりの年月をかけて実績を積まなければなりません。平均的な人間が、ほぼ三百年に一回の割合で生まれ変わるとすれば、菩薩になるためには、阿羅漢に達してから約千年の歳月を要することになります。それだけの修行を重ねていかなければ、菩薩の一員にはなれないのです。
したがって、菩薩を目指す修行者は千年ものあいだ不退転の気持ちで努力しつづける気概が必要です。しかし、たいていの人は、一年ぐらいは、あるいは三年ぐらいは努力ができても、よほど意志の力が強く、謙虚な心で努力を続けていける性格でなければ、千年間も努力しつづけることは難しいのです。
ただ、千年かけて菩薩なった場合には、その境地はそう簡単に崩れるものではないことも確かです。菩薩からはプロの世界です。菩薩というのはプロの指導者、プロの教育者であり、プロとアマの差は歴然としています。心を練りに練らなければ、プロと呼ぶことはできなのです。
菩薩になるにはそれだけの修行年数が必要であり、一朝一夕(いっちょういっせき)で菩薩になることはできないことを知ってください。単に小さな親切や愛の募金をしただけで、菩薩になれると思ってはいけません。それだけの忍耐力を持ち、うまずたゆまず向上への道を歩んでいかなければならないのです。
菩薩の本質のなかには、利他、愛があるわけですが、その愛の奥には、「世の中を善くしよう」と決意し、不退転の気持ちで、うまずたゆまず道を歩んできた者に特有の強さがあります。「堅忍不抜(けんにんふばつ)」という言葉で呼んでもよいでしょう。
すなわち、「人びとを救い、人類を光明化氏、世界をユートピア化する」という理念のために、長い年月、うまずたゆまず山道を歩んできた人が、菩薩として活躍しているのです。
したがって、彼らの光は単なる飾りものの光ではなく、底光りする光だということができます。何百年、何千年もの修行の結果、魂が底光りしているのです。決して借りものの光ではなく、魂の奥深いところから光が出ているのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第6章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
■□■□■□■□
43 看護師さんにも、「ご苦労様。」と笑顔を作ろう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き
63 ある時、守銭奴が猿の姿に変えられていた。縄のついた、くり抜かれたヤシの身に米が入っていた。猿は、片手で米をつかんだまま放さなかった。漁師がやってきて、猿は逃げられずに撃ち殺された。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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ここで、心の浄化である反省についての基本を深めるために、1988年10月2日に説かれました「反省の原理」を学びます。本経典は『幸福の科学の十大原理(下巻)』に収められています。経典をお持ちでない方は、とても大切な教えが凝集されていますので、上巻と下巻あわせて、お近くの支部や精舎、全国の書店にてお求めください。【税抜1800円】
悟りとは実に厳しいものである。しかし、この厳しさを経て得た「悟り」こそ、真の「幸福」であるのだ。
人間とは実に、霊的なる存在である。この地上を去った時、あの世に持って還れるものは「心」しかない。ゆえに、心の幸福であるところの「悟り」こそがすべてなのである。霊性を開発し、真なる目覚めを体験せずして、今の自分を幸福だなどと思うな。それは迷妄そのものである。
私が、ここに全人類に告げる『悟りの原理』こそが、永遠の真理として語り継がれるものなのだ。ここに永遠の仏陀の声が記されているのだ。
聞け、この獅子吼を―。【悟りの原理「まえがき」】
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■『反省の原理』
4真説・八正道
①正見
一日を振り返り、さまざまなことを思うでしょう。
八正道で言えば、まず「正見」というものが出てきます。「正しく見たか」ということです。これは、言われてみれば、当然のことのようにも思えますが、この「正しく見る」ということを確認している人がどれだけいるでしょうか。
「正しく見る」ということには三つの観点があります。
〇自分を取り巻く人々に対する目
ひとつは、もちろん、「自分を取り巻く人々に対する目」です。
人間の苦しみの根源は対人関係にあることが多いと言えましょう。それゆえに、「他の人のあり方、他の人の姿を正しく見ることができたか」ということを振り返ることが大事です。「正しく見ることができたか」というのは、「神の心のような鏡に映ったとして、それと寸分違(たが)わずに見えたか」ということです。そういう見方がありましょう。
〇自分自身を見るという目
また、「正しく見る」ということのなかには、「自分自身を見るという目」もあるでしょう。
今日の自分を甘やかしていなかったか。
自分に対して色眼鏡で見ていなかったかどうか。
自分の存在を特別に甘く認識していなかったか。
自己評価において正当であったかどうか。
この自己評価において、神の心のごとき鏡に映したとしても、間違いのない姿であったか。
そうではなくて、自己弁護をしていたにすぎなかったのではないか。
こうしたことを知るに至るようになります。これが「正しく自分を見る」ということです。
〇「他人と自己との間に発生する事件」を見る目
さらには、「他人と自己との間に発生してくるいろいろな事件」があります。人と人が生き、その間にさまざまな介在物があることによって、事件が起きてきます。
その事件を正しく見たか。
すなわち、今日起きたことに関して、自分を取り巻く出来事に関して、正当な目で見たかどうか。
〇正見の反省によって、眠っていた仏性が目覚めてくる
そういう三つの目があります。これが「正しく見る」ということの考え方です。
このような反省をすることによって初めて、私たちの心のなかに眠っていた仏性が次第しだいに目覚めてくるのです。
そして、「正しく見る」ということが深まっていくにつれて、自分が「この人はこういう人だ」と思っていた人が、さまざまに顕現しているその人」の姿とが、明らかに違いとなって見えてくるのであります。
例えば、私がみなさんを見るのと、みなさんのうちの一人が他の人を見るのとでは、あきらかに、見えているものが違うのです。この違いが分りましょうか。みなさんは、明らかに、見ているものが違うのです。この違いが分りましょうか。みなさん一人ひとりを私がどう見ているか、お分かりになりましょうか。
私は、みなさんの、「内に秘めたる、その神の光」をみているのです。私には、みなさんの、皮を被った姿、服を着た姿、髪の毛を生やした姿、そんなものなど目に入らないのであります。私の目に入るのは、本来の神の子としての姿を、どこまでみなさんが顕現しているか、その光の在り方です。それが私の目には見えるのです。
みなさんの外見的な姿も私の目には映ります。映りはしますが、そこに私は大いなる意味を見出すことはないのです。それは過ぎ去っていく映像です。ちょうど映画のフィルムのように、それが上映された映像のごとく、映っては消えていくもの、痕跡を残さないもの、そのようにしか、みなさんの外面は見えないのです。
私が「見たい」と思うもの、「真に知りたい」と思うものは、流れる時間のなかにあって、変転する人生のなかにあって、変転しないもの、すなわち、みなさんの仏性であります。それが見たい。そう思って人と接しているのであります。
【大川隆法『幸福の科学の十大原理(下巻)』第4章「反省の原理」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第6章「正命」
1正命の現代的意味
〇正命とは、現代的には「時間の活かし方」と「ライフスタイル」
「正しく生活をする」ということに関して述べてみたいと思います。
「正業」と「正命」の違いについては、「職業」と「生活」との違いというように考えればそれまでですが、正命のなかにはもっと違った意味合いがあります。現代的に言い換えるとするならば、この正命というのは「時間の活かし方」というように考えてよいでしょう。時間の活かし方に関する本は数多く出ているので、目を通したことのある人も多いのではないでしょうか。
また、この正命は、別の言葉で言うならば、「ライフスタイル」という言葉に置き換えてもよいかもしれません。「あなたは、どのようなライフスタイルをよしとするのか」という問いかけです。「あなたは、どういう時間の使い方をよしとするか」、そして、「どういうライフスタイルをよしとするか」ということは、現代にも生きています。
現代社会のなかにおいて、「みなさんが理想と考えるライフスタイルはどうであるか」という問いかけをされたら、サラリーマンのみなさんは、「正業」と「正命」の違いが分るでしょう。アフターファイブというように考えてもよいかもしれません。「アフターファイブの生き方はどうなっていますか」ということです。この無限の時間をみなさんはどのように使ってきたでしょうか。その結果、現在、自分がどうであるのでしょうか。そして、今後どうなっていくのでしょうか。これを考えてほしいのです。
【大川隆法『真説・八正道』第6章「正命」210pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第4章 政治と経済
○世を変える力
諸人よ、これより後、
あなたがたは、修行するのみではならない。
あなたがたは、単に自己修行のみに生きてはならない。
あなたがたが修行する姿そのものが、
多くの者たちを目覚めさせるものでなくてはならない。
あなたがたの修行が、
修業するあなたがたの群れが、
世の中を変えてゆくものでなければならない。
私は、そう思う。
欲望によって成り立っているこの社会を変えてゆくものは、
欲望によって成り立たないものであろう。
欲望によって混乱している社会を変えてゆくものは、
執着を離れた人々の行動であろう。
私は、そう思う。
真の執着とは、それは仏への道を志すこと。
この大いなる真の執着は、何人(なんぴと)も持ってよいものである。
されども、偽りの執着とは、
この地上のみに、自らの身を置き、
この地上においてのみ、自らの栄達を求め、
この地上においてのみ、自らを生きやすくせんとする心でもある。
このような偽りの執着を捨て去り、
大いなる執着を、
真なる執着を、
仏へと向かう執着を持つことは大事だ。
執着と言う言葉は悪いかもしれないが、
執着と言うことは愛着と言い換えてもよい。
いや、強い牽引力(けんいんりょく)と言ってもよい。
強い結びつける力と言ってもよい。
仏へと、限りなく自らを高めてゆく力と言ってもよい。
さすれば、あなたがたはこれより後、
この世の中の在り方を変えよ。
この世の中の姿を変えよ。
この世の中の仕組みを変えよ。
唯一の力によって、
大いなる仏と一体化する力によって、
そうして、この世的なる執着を断った平和な心によって。
世の中を変えるに、
革命をもってするという人もいる。
暴力をもってするという人もいる。
流血をもってするという人もいる。
しかし、私はそのような考えをとらない。
世の中を変えてゆくには、平和な心が大事である。
調和の心が大事である。
もし、暴力によって国家が覆ったところで、
その新しい国家もまた、いずれの日か暴力によって倒されるであろう。
流血によってなされた革命は、
やがておびただしい流血を招き寄せることになるであろう。
そうであってはならない。
世の中を変えてゆく時に、
あくまでも心の平静を大事にしなければならない。
心の平安を大切にしなければならない。
調和を基準として世の中を変えてゆかねばならない。
調和そのものをおしすすめることによって、
世の中を変えてゆかねばならない。
極端なるものを去り、調和を中心とし、
すべてのものが栄えるをもってよしとせねばならない。
【大川隆法『仏陀再誕』第4章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第6章 人間完成の哲学
8 菩薩の本質
阿羅漢の次なる段階である「菩薩」について述べていきましょう。
「阿羅漢の状態で三回ぐらい転生を繰り返さなければ、なかなか菩薩にはなれない」というのが霊界の仕組みです。
そして、人間が転生を繰り返すなかで、阿羅漢の状態に達することができるのは、たいていの場合、偉大な導師が地上に降りているときだけです。それ以外のときに、平凡な市民として地上に生きていたのでは、独力で阿羅漢の状態に達するのは困難です。なかには、自分の人生経験を通じて、独自に阿羅漢の段階に達する人もいますが、割合としてはかなり低いと言ってよいでしょう。
阿羅漢が大量に生まれるのは、偉大な指導者が地上に出ている時なのです。それゆえ、偉大な指導者が出るときには、人びとはこぞって地上に出たがるのです。
大導師が地上に出たとき、その弟子となり、その法を学んで、阿羅漢の状態に達することができれば、以後、それが一定の実力として遺ります。野球の打者に「三割バッター」といわれる選手がいて、いったん三割以上を打てるようになると、その実力はそう簡単に落ちるものではないのと同じです。
そして、大導師の下で阿羅漢に達した人が、次の転生、さらにその次の転生と繰り返していき、三回生まれて三回とも阿羅漢の状態を続けることができたならば、次に、いよいよ菩薩の段階に入っていくのです。これが平均的な姿だと言ってよいでしょう。
菩薩の認定には極めて厳しいものがあり、その認定がなされるまでには、かなりの年月をかけて実績を積まなければなりません。平均的な人間が、ほぼ三百年に一回の割合で生まれ変わるとすれば、菩薩になるためには、阿羅漢に達してから約千年の歳月を要することになります。それだけの修行を重ねていかなければ、菩薩の一員にはなれないのです。
したがって、菩薩を目指す修行者は千年ものあいだ不退転の気持ちで努力しつづける気概が必要です。しかし、たいていの人は、一年ぐらいは、あるいは三年ぐらいは努力ができても、よほど意志の力が強く、謙虚な心で努力を続けていける性格でなければ、千年間も努力しつづけることは難しいのです。
ただ、千年かけて菩薩なった場合には、その境地はそう簡単に崩れるものではないことも確かです。菩薩からはプロの世界です。菩薩というのはプロの指導者、プロの教育者であり、プロとアマの差は歴然としています。心を練りに練らなければ、プロと呼ぶことはできなのです。
菩薩になるにはそれだけの修行年数が必要であり、一朝一夕(いっちょういっせき)で菩薩になることはできないことを知ってください。単に小さな親切や愛の募金をしただけで、菩薩になれると思ってはいけません。それだけの忍耐力を持ち、うまずたゆまず向上への道を歩んでいかなければならないのです。
菩薩の本質のなかには、利他、愛があるわけですが、その愛の奥には、「世の中を善くしよう」と決意し、不退転の気持ちで、うまずたゆまず道を歩んできた者に特有の強さがあります。「堅忍不抜(けんにんふばつ)」という言葉で呼んでもよいでしょう。
すなわち、「人びとを救い、人類を光明化氏、世界をユートピア化する」という理念のために、長い年月、うまずたゆまず山道を歩んできた人が、菩薩として活躍しているのです。
したがって、彼らの光は単なる飾りものの光ではなく、底光りする光だということができます。何百年、何千年もの修行の結果、魂が底光りしているのです。決して借りものの光ではなく、魂の奥深いところから光が出ているのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第6章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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43 看護師さんにも、「ご苦労様。」と笑顔を作ろう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き

