(5/29-1)【基礎教学通信】149【5月29日】『解脱の言葉「仏説・八正道」』について考える1八正道は解脱に到るための方法論―『大悟の法』頓悟禅(とんごぜん)の問題点―『宗教の挑戦』「生」の苦しみ

『解脱の言葉「仏説・八正道」』

78 「他人に厳しく、自分に寛容に」生きる人を、バカ息子、ドラ娘という。 

80 ギラギラした異性にばかり魅(ひ)かれるようでは、まだ自分が「蝶・ちょう」ではなく、「蛾・が」だと悟れ。

【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】
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7月7日は70周年を迎えます。主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

7/5(日)~7/7(火)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/5(日)~7/7(火)は、連日13 
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
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さて、ここからは、仏教精神に立ち返るべく、教典『大悟の法』から第三章の「仕事能力と悟り」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■『大悟の法』第3章「仕事能力と悟り」
3 頓悟禅(とんごぜん)の問題点
○狂気と正気の境を歩くような悟り

その意味で、慧能という人は、仏教史的には非常に意味のある人であり、スーパースターではあります。

そこで、この人の悟りについて、少し考えてみたいと思います。

神秀の書いた偈(げ)、「この身は菩提樹、悟りの木である。心は明鏡の台である。これを、ときどき、きちんと吹いて、塵や埃を除かれなければいけないのだ」という偈は、釈尊の教えのとおりであり、まったく間違いありせん。ただ、非常にオーソドックスな秀才の答案で、それほど珍しいものではなく、非常にまっとうなことを言っているわけです。

その後、北宗禅が非常に栄えたのを見ても、神秀がそうとうの力量のあった人であることは間違いないでしょう。

これに対して、慧能の語った偈(げ)、「菩提本樹無し、明鏡も亦台に非ず」という偈は、何のことを言っているのでしょうか。

これは、仏教の流れからいくと、「空」の思想と解釈することができます。「一切皆空。すなわち、この世にあるものはすべて空なのだ。もともと何も存在しない。一切は空である」として、執着をすべて取り去ってしまう考え方であるとすれば、これは爆弾のように大きな力を持った悟りであることは事実です。

ただ、それは空の悟りではありますが、ここに、禅特有の、狂気と正気の境を歩いているような部分、「塀の上を歩いていて、右側へ落ちれば正気となり、左側へ落ちれば狂気となる」というような部分があるのです。

この偈を、「一切の執着を取り去った空の境地を表したもの」として理解すれば、それなりに大きな効果はあります。しかし、そういう悟りを得ていない人が、字面(じづら)だけをとらえて言った場合には、それが虚無主義、ニヒリズムのほうに行くのは明白なのです。

「この身は菩提樹などではない。心は明鏡の台なのではない。身も心も、このようなものは、本来、ないのだ。本来、無一物であって、何もない。(ガランとして空である。)どこに塵や埃があろうか」(『祖堂集』の偈による)というのは、確かにそのとおりかもしれません。しかし、そこには一切の修行や発展の余地はないことにもなるのです。

「がらんとして空」というのは、達磨が言った「廓然無聖・かくねんむしょう」と同じことです。

現代的に言えば、次のようなことになります。
「体といっても、こんなものは分子の集まりではないか。分子は原子からできており、原子は陽子や中性子などからできている。それをさらに分解すれば、クォークではないか。その目に見えないクォークを熱エネルギーの少し加わったものが動き回っているだけである。それが人間の体である。

クォークのかたまりである人間が動き回って、クォーク同士がぶつかり合っているだけである。そんなものに善も悪もあるものか。

こちらもクォークのかたまりであり、向こうもクォークのかたまりである。そんな小さな、微細な粒子が動いているだけのである。

霊体とか霊エネルギーとかいっても、どうせ運動エネルギーか何かに違いない。小さな物質が動いている。その熱エネルギーのようなものに決まっているのだ。こんなものは、分解してしまえば、何もないのと同じである。

そんなクォーク同士が、何を『善だ、悪だ。悟りだ、悟りでない』などと言っているのか」

このように取ることもできるわけです。

この考え方は確かに執着は取れます。しかし、ここからは、もう一つ、虚無主義への道も同時に開けているのです。

【大川隆法『大悟の法』第三章「仕事能力と悟り」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。

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〇八正道は解脱に到るための方法論
本章では、『仏説・正心法語』のなかの「解脱の言葉『仏説・八正道』」を解説します。
これは長い経文ですが、毎日、反省に入る前にこれを読誦し、八正道を一つ一つ点検していくとよいかと思います。「解脱の言葉」と頭につついているように、八正道は、まさしく解脱という目的のためにつくられたものです。

八正道は正見から正定までの八個で成り立っていますが、この前提には、正信、すなわち「正しい信仰」というものがあります。

そして、それに基づいて、正見から正定までを順番に反省していくと、やがて、正解脱、すなわち「正しい解脱」に到ります。

もちろん、八正道を行じて、正智、すなわち「正しい智慧」を得て、その結果、「正しい解脱」を成す、というように考えてもけっこうです。

結局、八正道は、智慧を得て、解脱するための方法論であり、そのための順序を示していると考えてよいと思います。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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八正道の前提は、「正信」ということしたが、この正しい信仰の中心となるのが「三宝帰依」です。これについて、『仏陀の証明』の別の個所で以下のような教えをいただいています。
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〇三宝帰依体制の確立と八正道の実践
この八正道が成り立つためには、正しい信仰が前提です。そして、その信仰心が成り立つ前提は、仏陀が存在し、仏陀の説く法が存在し、その法に基づく僧団(サンガ)が存在することです。「幸福の科学は三宝に帰依している団体である」ということが確立しないと、八正道が説けないのです。三宝帰依体制が固まらなければ、現実には、この八正道はできないです。

ですから、当会は今、教団として三宝帰依体制を固めることによって、八正道の実践ができる状態が来たわけです。この状態ができないと、最初の正見にどうしても入れないのです。・・・

さらに、この八正道をもう一段固めるとするならば、やはり、道場で精神統一の練習をしないと、なかなかこの正定の体験ができません。各家庭でやっているだけでは、監督が全然効いていないために、正定ができているか、できていないかが、わかりません。ですから、ほんとうは道場における修法の実践が必要になってきます。

そのためには、正しい信仰と教義の確立と同時に、最後はサンガとして道場設備を充実させていかなければ、実は八正道そのものを実践することはなかなか難しいということになります。

まだまだ当会は発展段階のなかにあって、法そのものも進化しています。そのなかに生きている仏弟子たちも修行の過程にあり、八正道そのものも、これから深めていく段階にある、ということが言えると思います。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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八正道は、解脱という目的のためにつくられたものであることを学びました。

そして、「八正道」が成り立つためには、正しい信仰が前提です(正信)。そして、その信仰心が成り立つ前提は、仏陀が存在し、仏陀の説く法が存在し、その法に基づく僧団(サンガ)が存在することです。「幸福の科学は三宝に帰依している団体である」ということが確立しないと、八正道が説けないのです。三宝帰依体制が固まらなければ、現実には、この八正道はできないことを共に学びました。

八正道とは、突き詰めると、智慧を得て、解脱するための方法論であり、そのための順序でした。正しさという中道をえるため必要な道筋とは、正しい信仰心を前提として段階を踏んで、正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の八正道に至り、その結果として正しい智慧を獲得して正しい解脱を得るという悟りへの道です。

八正道の実修を深めるためには、道場での実践が必要である。ということでしたが、この道場に当たるのが、全国にある正心館や、精舎となります。伊勢支部ですと、決して近くはありませんが、名古屋正心館、中部正心館、琵琶湖正心館、大阪正心館がございます。なかでも、中部正心館は総本山・日光精舎とのつながりが深い精舎なので、八正道を深めることができます。

私たちも時々、月に一回程度は正心館にて、自らの心を見つめる聖なる時間をとりたいものです。悟りへの道は、中道への道であり、人間完成の道であり、無限に続く精進の道です。それが八正道の道です。共に精進を重ねてまいりましょう。

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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第2章「無常の風」
〇「生」の苦しみ

さて、話が非常に仏教的になってきましたが、この「無常」ということについて深く考えてみたいと思います。仏教では、先ほど述べた「生・老・病・死」を苦しみと捉えています。まず、これについて考えてみましょう。

「生(しょう)」とは「生まれてくること」です。なぜ生まれてくることが苦しみか、明確には答えられない方も多いかもしれません。「誕生」というのはおめでたいことであって、医者のなかでも産婦人科は一番喜ばれる職業であると言われています。

したがって、「生まれてくることが苦しみである」という部分だけをとると、仏教の思想は、近代の実存主義哲学に極めて似たものがあるようにも感じられるわけです。

つまり人間というものは、突如この世に投げ出された存在としての側面を持っているという考えです。まったく未知の世界に、まったく無力で、どうしたらいいかわからない姿で投げ出される、そういう捉え方があります。

実は、この世に生まれてくる前には、魂の世界としてのあの世があります。あの世では、ほとんどの人が健全な大人として魂の生活を送っていたわけですが、母の胎内に宿り、十月十日経って生まれてきます。そのときに赤ん坊は、暗い暗い世界のなかで何か月もじっと耐えながら、不安のなかに打ち震えています。

その際、どのような知識や経験を過去において持った人であっても、生まれてくるときにはほとんど平等であり、ゼロからのスタートを切ることになります。したがって、誕生とは大きなリスクを背負ったものであるわけです。

また、生そのものが苦しみを伴うということのもう一つの理由は、その世に生まれてくる前に、人間の魂はみんな天国のなかで幸福な生活をしていた、ということにあります。

地獄という世界もあるにはありますが、地獄からこの世にストレートに人間として生まれ変わることはできないことになっています。もしそれが可能ならば、地獄の苦しみから逃れるために、みんな生まれかわってくればよいわけであって、その結果として、地獄はとっくの昔に空っぽになっているはずです。

さらには、もしも地獄に堕ちてはこの世に生まれ変わるということをくり返してゆきますと、人間はだんだん悪くなってゆくはずです。この世で悪いことをしては地獄に行く。どんどん深いところへ行く。深いところへ行けば厳しい責め苦が待っているので、一日も早く生まれ変わりたい。その情熱が実ってすぐ生まれかわることになると、だんだんと魂は悪化してゆきますから、地上そのものが地獄領域になってしまいます。

ですから、これは許されていないのです。すべての者が、その悟りの程度に差はあっても、必ず天国から生まれ変わってくることになっています。

天国の世界は、よろこびの世界です。たとえ最低レベルの天国であったとしても、この世でのよろこびを遥かに上まわるものがあります。なぜかと言いますと、そこには魂の自由があるからです。

そこは念いのままの世界です。飛行機に乗らなくても空を飛ぶこともできます。念ったとおりのところに移動することができ、好きな人とはいつでも会うことができます。そして嫌いな人と会ったと思うと、その瞬間にパーッと何キロも遠ざかるようなことさえ可能です。

このように、あの世は念いが自由自在に現われる世界です。そこでは食べることさえ必要ありません。食べ物を食べなくても生きてゆけます。また、この世と違って、不浄な排泄物というものもありません。臭い匂いもありません。快い風が吹き、かぐわしい香りがし、そして暖かい世界です。

ところが、そこから、母の暗いお腹のなかに宿って生まれてくるわけです。

そして生まれてきた結果が、現代の日本であれば、五十パーセント以上は、死んだあと地獄に堕ちることになります。このパーセンテージは平和時のものですから、もし戦乱の時期などになると、もっともっと地獄に堕ちる人は増えてゆきます。

たとえば第二次世界大戦のような戦乱中であれば、地獄に行く人はもっともっと多くなります。天国の幸福な生活を捨てて、この世に不自由のままに生まれてきて、そのあげく地獄に堕ちる人が、あとを断たないのです。

そのことだけをこの世の人間の目で見た場合には、生まれ変わりというものは、はやり一つの苦しみを背負っているものだと言わざるを得ないと思います。

【大川隆法『宗教の挑戦』第2章「無常の風」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。

エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。

【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。

■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】

■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える

■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする

信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え

戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。

これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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