(6/1-1)【基礎教学通信】152【6月1日】『解脱の言葉「仏説・八正道」』を読む4四諦・八正道―四苦―『大悟の法』釈尊の考え方は頓悟的ではない―『宗教の挑戦』すべては変化していく

『解脱の言葉「仏説・八正道」』

91 かさ上げ人生のあげく、欲求不満になるような、愚か者となるな。

95 ふしだらな女性ほど信用のない者はない。

【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】
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7月7日は70周年を迎えます。主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

7/5(日)~7/7(火)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/5(日)~7/7(火)は、連日13 
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
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さて、ここからは、仏教精神に立ち返るべく、教典『大悟の法』から第三章の「仕事能力と悟り」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■『大悟の法』第3章「仕事能力と悟り」
3 頓悟禅(とんごぜん)の問題点
○釈尊の考え方は頓悟的ではない
【※頓(とん)=時を移さずその場で。立ちどころに。とみに。臨機に。「頓智(とんち)・頓才・頓死」特に仏教で、修行の階梯(かいてい)を経ずただちに悟りを開くことに言う。

漸(ぜん)=だんだんに進むこと。度合がしだいに加わって進むこと。特に仏教で、程度の低い教えから程度の高い教えへと漸次に導いていくもの。】

弘忍は、もしほんとうに慧能を後継者にしようと思うのであれば、まず正式に出家させ、読み書きを教え、お経を教えて、ある程度の段階まで来たときに、初めて跡を継がせるべきであったのです。

これが釈尊的な考え方なのです。『法華経』の「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)のたとえ」(長者が、長年行方不明になっていたわが子をみつけ、数十年、下男、番頭を経験させてから、後継者に指名したというたとえ話)などを見ても、そういう考え方をしています。釈尊の考え方は、初期の弟子たちに教えた阿羅漢としての小悟的自覚を除けば、概して頓悟的な考え方ではないのです。うまずたゆまず精進することを、基本的には求めていたのです。

ところが、慧能のような、偏屈で、非常に変わった考え方をする人に衣鉢が渡されたために、禅宗は、論理と倫理を無視した、非常に奇妙奇天烈な受け答えをする考え方に流れていったのです。

『六祖檀経・ろくそだんきょう』のなかで、慧能自身が、謙遜や強調もありましょうが、「わしは字を読むことも書くこともできない。お経も読んでいない。しかし、お経の意味は、聞けばよく分かるぞ」というようなことを言っています。

仏教のなかに、「すぐに悟れる」という頓悟禅の流れが出た根底には、こういうことがあるのです(ただし、『六祖檀経』中、慧能自身の言葉として、「本来正教は頓漸有ること無し、人の性に自ずから利鈍あり」とあって、利発(さと)いものが「頓・とん」に向き、遅鈍(おそ)いものが「漸・ぜん」に向くともいう。バカはゆっくり悟れと言う北宗批判であろう)。

【大川隆法『大悟の法』第三章「仕事能力と悟り」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』はこのように続きます。
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我に 今こそ 確信あり
人生 まさに 四苦 八苦
欲望の 瀑流(ぼうる)の 中を
泳ぐなり
されど 不動の 境地あり
この悟りこそ 真理なり
正しき 悟りは 八正道
苦・集・滅・道 沈思して
四諦の 道を 究むべし
解脱の 道を 進むべし

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Now I am firmly convinced
That life is nothing but the Four Pains
The Eight Pains
It is like swimming
Across a violent river of desire
But you can achieve a steadfast state of mind
This enlightenment is the Truth
The right way to enlightenment
Is the Eightfold Path
Contemplate and pursue
The Four Noble Truths
Suffering, its cause, its extinction
And the Path
And walk the path to emancipation

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〇四苦
四苦には、まず、生まれてくる苦しみがあります。
どうして、人間は生まれてくる時に、これほど苦しまなければいけないのでしょうか。この苦しみ自体を見れば、西洋的な性悪説、つまり「人間罪の子」的な思想も、なんとなく感じられます。

人間の生まれ方を見ると、大変な苦難・困難が強いられています。前世の記憶も完全に失われ、天上界の自由自在な存在から、まったく不自由な存在として、この世に出てきます。天上界における自由自在さは、この世での大人以上の自由自在の境地ですから、生まれてくること自体が一種の苦しみであることは事実です。天上界での自由をすべて失い、記憶も失い、自分が何者であるかをまったく忘れ去って、不自由な環境に出て来るのです。

しかも、生まれてくる途中には危険が多くあります。この世に無事に生まれてこられるかどうかもわかりません。そして、生まれたのちも、幸福に生きられるかどうかわかりません。あるいは、死後、地獄に落ちるようなことになるかもしれません。「生」とは、こうした状況で生まれ出てくる苦しみです。

次に、老いていく苦しみがあります。これは避けがたいものです。だんだんに歳を取っていく苦しみを、誰も止めることはできません。三十代、四十代、五十代、六十代と、だんだん坂を下っていくのは確実です。

老いる苦しみの論理的必然性はどうなるかというと、病気になっていきます。どこかで身体の具合が悪くなっていきます。

そして、誰もが死にます。たいていの人間にとって、死というものは、ものすごく怖いことです。耐えられません。自分が死ぬときのことを考えただけでもゾッとして恐ろしくなります。

手術をされ、身体に包帯をたくさん巻かれたうえに、結局、「ご臨終です」と言われることもあります。

自分が死んだあと、お通夜の席で遺族が、泣く真似をしながら、早くも遺産の分配について一生懸命に考えているのがわかったりもします。「ろくなことを考えていないな」「もう少し真剣に悲しんでほしい」と思って、腹を立てるのですが、それをこの世の人に伝えることができないので、しかたがありません。

そして、火葬場に運んでいかれて肉体が焼かれます。肉体からまだ抜け出していない魂にとっては肉体が焼かれた後、自分がどうなるかがわかりませんから、これは大変な恐怖なのです。

こうした「生・老・病・死」の苦しみが、肉体を持つことによって生じるのです。

もちろん、悟りを開いた人の場合は世界観が全然違うのですが、真理に触れていなければ、たいていの人は、いま述べたとおりの恐怖と苦しみ、悲しみのなかをいきわたっていかねばならないのです。「人生は楽しい」という見方だけで人生を捉えることも可能ですが、死に対する恐怖心というものは、やはり、ほとんどの人のなかに宿っていて、そこから逃げることはできません。

「老・病・死」というのは、治せないのです。医学は、日夜それに取り組んで、解決を図っていますが、百歳以上の人は、長寿国である日本であっても、せいぜい数千人しかいません。どんな人であっても、やがては老いて死ぬのです。・・・

ですから、長生きをすればそれでよい、いうものでもないのです。自分が長生きしているうちに、自分の息子や娘が死んだりすると、何か悲しくなってきます。また、友達もどんどん死んでいきます。このように「死」を中心に考えると、悲しいことが多いのです。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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それでは、さらに四苦について、経典『悟りの挑戦(上)』より抜粋して解説を加えます。
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釈迦は、これをもっともっと的確に分類していくのです。
「『人生は苦である。世界は苦である』と言ったが、どういうふうに苦なのか。これについて、私はあなた方に説こう。私が発見した苦の真理とは次のようなものである―」。

そこでまず、「四苦」四つの苦しみを説くわけです。この四つの苦しみとは「生老病死」の苦しみです。「生老病死」は有名な言葉ですから、すでに耳にしていることでしょう。

生まれてくる苦しみというのは、何ひとつ自分の自由にならないことです。生まれてくる前は、一人前の大人であり、霊界で自由自在の生活をしていた人々であったのです。その人々が、生まれてくるときには母の胎内に宿ります。そして真っ暗なところまでじっとしているのです。・・・

さらに、昔にはなかったような苦しみもあります。現代の日本では、毎年、百万人ぐらいの胎児が堕胎、人口流産で降ろされています。公式の数字でそうですから、実際はもっとあるかもしれないと言われています。お腹に宿った胎児の二人に一人ぐらいが、途中で堕ろされてしまうのです。これはたいへんなことなのです。ですから、あの世から生まれ変わろうとしても、「人口流産で堕ろされてしまうかもしれない。私の両親がどうするかわからない」と思うと、これは怖いわけです。・・・

ですから、魂の本来の自由さ、天人として天界で生きていた時の自由さからみたら、赤ん坊として宿って出てくるというのは、魂にとっては、その苦しみ自体、ものすごい束縛です。・・・

それから、老いていく苦しみ、これも辛いです。若いうちは伸び盛りですから、伸びていくことだけを考えていますけれども、やはりいつか盛りが過ぎます。・・・こうして老いというものを感じます。消えていく者として、秋、冬が迫っていることを感じます。そういう辛さがあります。記憶力も衰えていきます。・・・身体が思うようにいかない。人の名前が出てこない。苦しいです。老いる苦しみというのは、それを言うのです。さらには、字も見えなくなってきたり、言葉が不明瞭になります。・・・それから自由がだんだん聞かなくなってくると、被害妄想になってきます。・・・そういう苦しみがあります。移り変わっていく苦しみです。止めることができないのです。若くいたい、若返りたいと思っても、止めることができ�
�い苦しみです。

このような「生」の苦しみ、「老」の苦しみというのは、万人が万人、逃れることができないのです。・・・

また、「病」という苦しみもあります。これも、一生の間には、自分自身が病気をしない、あるいは身内に病人が出ないということは、めったにありません。・・・先ほど苦苦、要するにそのもの自体が苦しみであると述べましたが、病気自体が苦しみ、これはどうしようもないのです。「なぜそうなるのか、なぜ壊れないような身体にならなかったのか」と思っても、人間の身体というのは、やはりそういうものなのです。・・・身体というものは、放っておくと悪くなっていきます。やはり手入れを常にしなければいけない。しかし、手入れをしていても、ある日突然に病気になるときが来ます。また、肉体的なものではなく精神的なストレスで病気になることも、現代は非常に多いのです。

そのように、「病」の苦しみから逃れることはできないのです。釈迦自身も晩年には病気をしています。身体も弱っていますし、病気もしています。最期は食中毒になって死んだりしているぐらいです。そのように、どんな人でも逃れることはできません。

それから、「死」の苦しみがあります。これも、みなさんは悟ったつもりで「大丈夫だ」というかもしれませんが、いざ病院に行って「もうそろそろ危ないですよ」「あと半年です」「あと三月」「一か月」と家族が医者から言われたのを漏れ聞いたとき、さあ、平気でしょうか、どうでしょうか。現代では病院で死ぬ方がほとんどでしょうが、やがては病気で死ぬときが来るのです。・・・

近年は自然死ということが非常に少なくなってきて、病死ということが多くなりましたけれども、昔は自然死も多かったのです。真理を学んで心乱れずに機嫌よく生きていると、自然死ができるようになりますから、心掛けてみてください。・・・真理を悟った人はそうですけれども、普通の人はそうはいかないのです。死ぬということが、怖くて怖くて仕方がないのです。・・・こういう苦しみがあります。

ですから、宗教を信じて、あの世の世界を知るということは、人間の最大の苦しみの一つである死の苦しみから逃れるための方法でもあるわけです。

【大川隆法『悟りの挑戦(上)』幸福の科学出版 より抜粋】
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仏教の教えの旗印は「三法印」ですが、大乗仏教には、「三法印」に一つ加わって、四法印(しほういん)があります。
そのはじめは、「一切皆苦」であり、「(肉体的生存としての)人生は苦しみに満ちている」という真理です。まずこの苦しみから逃れるためには、「正心法語」の教えである、「肉体は霊の影」であることに気がつくことから始まります。

【※幸福の科学では、如来の四法印として、①諸行無常 ②諸法無我 ➂涅槃寂静 ④光明荘厳が主より説かれています】

肉体をもっている以上「生・老・病・死」の四つの苦しみから逃れることができない。という事実をまず知って、「人間とは肉体ではなくて魂である」「自分とは考えていることそのもの」であるという事実を、府に落として納得することが悟りの第一歩となります。

また、四苦とは別に、苦しみそのものにも三種類あり、「苦苦」―暑さや寒さや痛みなどそれ自体が苦しみであること。「壊苦」―壊れていく苦しみ。「行苦」―物事が変転することに伴う苦しみ。このように仏教では苦しみに関して分析されています。

幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。それが、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つからなる仏へ道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。

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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第2章「無常の風」
〇すべては変化していく

この無常ということについてさらに述べてゆきますと、親子の関係でも同じことが言えるのではないか、と私は思います。

子供が生まれると、親は、かわいいその子が二歳、三歳とおおきくなってゆくのが楽しみです。小学校に上がれば、親は通知表の「5」の数を見ては一喜一憂し、また中学校に上がれば、運動会でよい成績を上げるとよろこび、高校の入試に合格すればよろこび、子とともに自分が成長したように感じてよろこびます。

ところが、子供は成長すると、やがて親から独立して離れてゆきます。それを見て、「なんということか。あれほどかわいがったのに、なぜ私から離れてゆくのか」と、愛着する親が全国各地におります。

しかしながら、それはそう思うほうが悪いのです。子供はやがて大人になり、大人になったら親のもとから離れてゆく。これは人間と言わず、動物と言わず、あらゆる生き物がそのようになっているのです。それが自然の法則なのです。自分が年をとったときに、昔かわいがった子供に面倒を見てもらおうと思っても、子供は子供で独立してゆきます。ですから、子煩悩も、その名のとおり煩悩の一種なのだと悟らなくてはなりません。

子供を愛したことの見返りは、その子供を愛しているそのときにこそ、与えられているものなのです。小さな子供をかわいいと思ってかわいがったことの報酬は、そのときに与えられているのです。子供が嫁をとったとき、あるいは嫁に行ったときのよろこびは、そのときにお返しがあったのであって、後々にあるわけではないのです。すべてを無常という観点からよく知っておかねばなりません。

同様のことは、会社のなかにもあります。上司と部下の関係がそうです。新入社員で入ってきたばかり部下を、一生懸命、懇切丁寧に教えていたところが、その部下がやがて自分のライバルになり、そしてあるときに自分を追い落とすことさえあります。無常と言わざるをえません。

あるいは、一代でつくりあげた会社や財産に執着しても、それはやがては人手に渡ってゆきます。会社も財産もいつかは必ず人手に渡ってゆくものです。無常と言わざるをえません。

自分の歴史がすなわち会社の歴史だと思っていたのに、その会社がやがて他の人が社長の席に座り、自分の思いとはまったく違ったものになってゆくのを見ながら、去ってゆかねばならなくなります。

これもまた無常です。世とはこのように、まことに無常に満ち溢れているものなのです。

しかし、それを嘆くのは、必ずしも正しいことではありません。「無常こそが原則なのだ」ということを、まず考えることです。無常が原則なのです。無常なるものを、無常ならざるものとしてこの世的に追い求めようとしているところに無理があり、執着が起きるのです。

無常であると考えることは、不幸でないか、苦しみではないか、悲しみではないか。そう憤慨し、抵抗する方もいるかもしれません。ただ、その考えにこだわっても、何ら生産性はないと私は思うのです。無常こそが本則なのです。変化してゆくものなのです。常なるものは何ひとつないのです。それこそが本筋であるのです。

まるで流れてゆく川のようなものです。川の中を流れてゆく流水が、岸辺に素晴らしい景色があったから何とかそこに止まりたいと思っても、流れてくる水にどんどんどんどんと流されて、その岸辺の景色が過ぎ去ってゆくように、途中で何らかのものに執着してそれを捕まえようとしても、やがて流れ去ってゆくのです。

【大川隆法『宗教の挑戦』第2章「無常の風」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。

エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。

【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。

■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】

■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える

■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする

信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え

戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。

これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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