(6/13-2)【阿羅漢への挑戦】164―73『仏陀再誕』を読む―幸いなる者―『八正道の再発見』霊的な器官としての「目」で、自分自身の実像を映像化する―『真説・八正道』「プライド」にとらわれる自分との対決―『漏尽通力』霊媒体質の克服

『解脱の言葉「仏説・八正道」』

80 地獄界の責め苦でも反省しなかった者は、一段ずつ下の地獄に堕ちる。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

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■何を祈るべきか

「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―

このように祈ることが大事です。

【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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ここで、反省の王道である八正道について学びを深めてまいります。本日学ぶ『八正道の再発見』は経典『大川隆法初期重要講演集ベストセレクション②―人間完成への道』に収められています。経典をお持ちでない方は、とても大切な教えですのでお近くの支部や精舎、全国の書店にてお求めください。【税抜1800円】
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■『大川隆法初期重要講演集ベストセレクション②―人間完成への道』
第4章『八正道の再発見』
3 原因・結果を分析的に見る「正見」
〇霊的な器官としての「目」で、自分自身の実像を映像化する

そうすると、八正道のなかには、まず「正しく見る」という行為がありました。

正しく見るということは、漠然としていて、そう簡単には分からない。そう簡単には分からないが、「見る」という以上は、おそらくは目の機能を通して捉えるもののことをいのだろう。

では、要するに、目を通して物事を考えればいいわけだな。自分の目を通して見たもの、見てどう思ったか。それは、その人に対する正当な評価だったのだろうか。見た瞬間、「ああ、嫌な人だな」と思わなかっただろうか。この「見る」という行為を通して、いったいどういうことを自分はしてきただろうか。それを考えてみる。

この「見る」というところは、情報の一つの入り口です。この目を通して何を見ているか。これは大事なことなのです。私たちは他人様の姿を必ず見ている。

そして、さらに高度になってくると、他人様を見ているだけではなくて、この目は自分も見ていることに気がついてきます。「自分自身も見ているのだな。自分を今日どう見たんだろうか」と。

朝からの自分というのを振り返ってみると、不思議なことですが、目は前に付いていて自分の姿が見えないはず、鼻の先ぐらいしか見えないはずであるのに、朝から自分というのを映像化できます。不思議でありませんか。どうですか。

起きてから今までの自分というのを映像化しようとしたら、できます。この目では見えるはずがないのに、鼻の頭とまつげぐらいしか見えないはずなのに、自分の一日、朝起きてからどうであったかということを映像化できる。不思議です。

これは、「目」という期間が、単なる光を捉えている、そういう物理的な器官ではないということを意味しているのです。目は「霊的な器官」なのです。霊的な器官で、顔についているけれども、実は、その霊的な器官としての目は、いろいろなものを四方八方見ることができる。自分自身の実像を見ることができるのです。この目は、外だけを見ているのではなくて、内側からも見られるのです。霊的には、内も見られるのです。内も外も見える。

いや、実は飛び出して外からも見ることができる。そうした機能を持っているのです。なぜなら、自分の姿というものを映像化し、どうであったかを映像化できる、そういう機能があるのです。

〇正見で「原因・結果」の連続を分析的に捉えて問題を片づける。
そうしてみると、この目の機能をさらにさらに高度にしていくと、いろいろなものが見えてくるようになります。

単に他人様の姿、自分の姿だけではありません。その映っているビジョンを見ているときに、動きがあります。”何か”があって、そのあと、”どのようにかなる”。こういう「原因と結果」というものがあります。「原因・結果」が、必ずあるはずです。

そう。例えば、あなた自身の今日一日を見たときに、この会場に来る前にどうであったか。

そう考えてみると、天気が悪くなってきた。雨が降ってきた。タクシーに乗ろうとしたが、タクシーがなかなかつかまらなかった。たまたまつかまったタクシーに乗ってみたら、運転手の機嫌が悪かった。

その結果、ここに来てみると、やはり座っても機嫌が悪い。そういうことがあるかもしれません。ところが、「精霊の歌」(CD「RYUHOU OKAWA 
ALL TIME BEST1」に収録)がかかったら急に機嫌がよくなった。そういう自分があるわけです。「原因・結果」がつながってきているのです。

こうしたことが、一つひとつ分析できるかどうかです。

そういえば、「精霊の歌」を聞くと気分がよくなったが、その前はなぜ気分が悪かったのだろうか。

振り返ってみると、ああ、雨が降っていた。雨が降ってどうなったか。タクシーがなかなか来なかった。やっとの思いでつかまえたら、その運転手が愛想が悪かった。「この車はどこのナンバーを見て、後で訴えてやろうか」と思ったとか、いろいろ思っています。そして、降りてきた。

こういうことが原因で、実は不愉快な顔をしてここの会場に来た。それで知り合いの人にあっても、ブスッとして挨拶もしなかった。相手はその自分を見て、「なんだ、陰険なやつだな」と思った。

まあ、こういうのがフィルムのコマのように見えてきます。

このように、「分析していく」という見方が極めて大事なのです。

ですから、この「八正道」のなかの「正しく見る」という「見る」は、「原因・結果」のこの連続を、しっかりと捉えていくことが大事なのです。

自分がこういうことをしたのは、何が原因であったのか。そして、やったあとでどうなったか。そして、その結果を原因として、さらに次のことが何か起きたはずだ。それはどうなのだろうか。

このように分析的に見ていくことが大事なことなのです。

あるいは、ある人を見て、その服装を見て嫌だと思った。嫌な印象を受けた。「どうして嫌な印象を受けたのかな」と。自分のなかの、頭のなかのフィルムを巻き戻してみると、実は一年前に同じような色の服を着た人から悪口を言われた。それを忘れていたけれども、そのイメージがあって、どうも緑色を斬る人はみんな自分の悪口を言うような気がして、見た瞬間に不快に思った。

しかし、本当にその人の人格が気に食わなかったのかと言ったら、いや、そうではない。イメージとして、ああいう服を着た人が自分の悪口を言ったのを思い出して、自分はそう感じたに違いない。こういうことが分析できるようになると、もう極めて問題が簡単に片付いていくのです。

世の中の悩みや苦しみ、不満、不安、こんなものの原因は、「なぜ自分がそう思うのか」、これが分からないからです。自分が何でそう思うのかが分からないのです。

なぜそう思うのか。これが説明できたら、その段階でほとんど悩みは消えてしまうのです。たいていの人は説明がつかないのです。分からないのです。何でそうなっているのかが、さっぱり分からないのです。

この説明をつけていくことが大事なのです。そのための一つとして、「見る」ということを通して分析していくことが大事なわけです。これが「正しき見解」です。

【大川隆法『大川隆法初期重要講演集ベストセレクション②―人間完成への道』第4章「八正道の再発見」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第8章「正念」
5 希望実現の法則
②「プライド」にとらわれる自分との対決

これはいったい何が傷つくのかといえば、やはり、よく言う「プライド」のところでしょう。「自分は”高級車”だ」というプライドです。前には進みたいけれども、傷ついたら大変なことになる。そうすると、「回避」ということを始めます。逃げるわけです。まず傷つくことを恐れる。問題との直面を恐れるのです。そのなかでいちばん簡単なことは回避です。逃げていきます。対決しないわけです。

本当は「欲しい」と思いつつ、逃げるのです。こういう傾向の人は、七割程度はいるはずです。もっといるかもしれません。このようなタイプの人は大勢いるでしょう。こういった構造が基本的だと思ってください。

○腰を入れた光明思想を実践する
では、自らの念いを”戦車”にまでするには、どうすればよいでしょうか。

一つには、光明思想です。反省法のなかに光明思想を入れるなら、この「正念」のところに入れるべきだということです。ここに光明思想を打ち込んでいくわけです。

ただ、にわかに光明思想を実践しようとしても、うまくいかない人はたくさんいます。空回りしてしまうのです。「wish」の段階で終わってしまい、ここまではいけないのです。「断じて行う」【※desire】というところまで行けば、行くのですが、たいていの場合、そこまでは行かず、腰砕けになります。そうすると、信じられなくなっていき、次第に、また不幸を愛するようになってしまうわけです。

私は、「実地で光明思想を実現していくためには、腰を入れなければ駄目だ」と説いています。腰を入れなければ駄目であり、口先や頭だけで光明思想を思っても、現実の問題が起きたら、飛んでしまうか、回避してしまうことが多いのです。必ずそうなっていきます。

ですから、本当に実践するのであれば、しっかりと腰を入れてあたっていかないかぎりは駄目です。プライドなど言っているようではできないのです。「実際は、『自分が何を実現したいのか』ということをはっきりしなさい」ということです。やるのであれば、グワンとやらなければいけません。

そこまでいかない場合には、弾(はじ)けるか、回避するかのどちらかになります。そして、もとの”あばら家”を愛する人が極めて多く出てくるわけです。

【大川隆法『真説・八正道』第8章「正念」263pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第6章 転生輪廻とは何か 

○幸いなる者
何ら人より強制されることなく、
何ら無理強いされることなく、
何ら特に学ばされることなく、
あの世の世界を信じ、
転生輪廻を信ずることができる者は幸いである。
そうした者たちは、魂の記憶のなかに、
過去世の様相が残されているのである。
魂の比較的浅いところにまで、
そうした仏法真理が焼き付いているのである。
そうした者たちは幸いである。
過去の転生においても、仏法に馴染(なじ)んできたことが、
数多くあるにちがいない。
過去の転生において、仏法を学んだことがあるからこそ、
そうであるからこそ、今世においてもその事実が、
比較的早くわかりやすくなったにちがいない。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
あなたがたは修行の道に入って、
まだそう長い月日は経っていないにちがいない。
されども、あなたがたがこうした早い時期に、
仏法真理にたどりつき、仏法真理の縁を得、
そして、悟りへの道を歩むことができるようになったことを、
感謝せよ。
仏法真理にたどりつき、仏法真理の縁を得て、
悟りに到る道を歩みはじめたということは、
人間として生まれて最大の幸福でもあるのだ。
おまえたちは、幸福な人間であるということを、
よくよく心のなかに言いきかせねばならない。

この地上的なる富を、いくら積まれようとも、
この地上的なる名誉を、いかに積まれようとも、
この地上的なる地位や、肩書や、権勢(ごんせい)や、
そのようなものすべてを、いかに積まれようとも、
この幸福にはかなわない。
すべての地上的幸福、金銀財宝と引き換えであっても、
この幸福を譲り渡してはならない。
仏法真理の縁に触れ、悟りの道を歩んでいる者の幸福は、
何物にも替えがたいということだ。
もし、あなたがたが仏法真理の道に入(い)り、
悟りを得る道に入り、
その幸福をまっとうにしたいならば、
あらゆる恐れから自由でなければならない。
あなたがたは、
経済的な恐れを捨てよ。
あなたがたは、
人から愛されなくなるのではないかという恐れを捨てよ。
あなたがたは、
人から尊敬されなくなるのではないかという恐れを捨てよ。
あなたがたは、
人から優れた人だと言われなくなるということを恐れてはならない。
そうではない。
悟りへの道を歩む途中において、
その幸福がどれほど尊いかを知ったならば、
この世的なるものは、
もはやどうでもよくなるということを知りなさい。
そのようなものは、やがて去ってゆくものなのだ。
やがて消え去ってゆくものなのだ。

【大川隆法『仏陀再誕』第6章「転生輪廻とは何か」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力』
第4章 漏尽通力
3霊媒体質の克服

現代的霊能者のあり方に引き続いて、「霊媒体質の克服」という話をしておきたいと思います。

霊媒体質の克服というのは、結局、霊能者すべてへの警鐘でありましょう。霊能者で、霊媒体質でない人間はいません。霊視ができる能力とか、霊言能力とか、霊聴能力とか、予知能力とか、いろいろな能力がありますが、それらがすべて霊媒能力と関係しています。

霊媒能力とは何かというと、肉体に霊をかからせる力です。これを持っていない人間はいないのであって、釈迦も、キリストも、モーセも、ある意味では霊媒能力の持ち主でした。すなわち、霊的能力の源として、自分の肉体そのものを使うことできる人たちです。

「霊的交信機器として、自分の肉体を使える」ということは、「肉体を支配している心が、それだけ精妙な波長を出すことができる」ということを意味します。肉体そのものに大きな意味があるわけではありません。「肉体を支配している心に、それだけの力があり、その心が肉体と調和している」という現状をもって、霊媒体質というのがありうるのです。

ところが、霊媒体質にも、「高級霊媒体質」と「低級霊媒体質あるいは悪霊体質」とがあります。そして、世の九十数パーセントは、低級霊媒体質あるいは悪霊体質です。「悪霊たちのなすがままにされている。翻弄されている」というのが現状であることが多いのです。

こうした霊媒体質になってくると、今度は、霊を追い出そうとしても追い出すことができなくなってきます。不意に、いろいろな声が聞こえてきたり、いろいろな霊がかかってきて体が動いたりして、これを克服することができなくなってくるのです。

そして、彼らの声がささやきとして耳のところから聞こえてきます。「今日は車に乗れ」とか、「今日はどこそこに行け」とかいう声が聞こえてくるようになります。そして、そのとおりにしていくと、たいへんなことになってきます。「おまえは、そのうち事故を起こす」
とか、「会社は倒産するであろう」とか、あるいは、もっとひどくなってくると、「このコードを首に巻き付けろ」と言ってきたり、「お金を近所にばら撒け」と言ってきたり、おかしなことを言ってくるのです。あるいは、「生魚をかって来い」と言ってきたり、「油揚げを奉ってみろ」と言ってきたりします。こういうことがあるのです。

この霊的なものの命令を聞いて、これが神の声と本当に思えるだろうか。高級霊と思えるかどうか。これをよくよく判定しなければいけません。高級霊である以上は、この地上でいきていたときにも、優れた人であったはずです。「そういう人があの世に還って、そういうことを言うかどうか」ということを、一度、考えねばならないのです。

人類史に残っている釈迦であるとか、キリストであるとか、モーセであるとか、あるいは、それ以外の日本で言うと、空海であるとか、日蓮であると、親鸞であるとか、こうした人たちは、この世的にも非常に優れた人であったし、すぐれた思想をもっていたし、優れた人格を持っていたはずです。例えば、彼らが地上を去ってあの世に行ったときに、はたして、そうしたことを言うであろうか。これを考えねばなりません。そうしたことは、原則ないのです。

では、低級霊媒体質になった人は、いったいどうしたら、そこから逃れることができるのでしょうか。その方法論について、話をしておかねばならないと思います。

一つには、「徹底的な無視」という方法があります。霊が何をささやこうが、何を言おうが、どうしょうが、絶対に相手にしない。こういうことで徹底的に無視の姿勢を一年ぐらい貫くのです。そうすると、やがて霊がかかってこなくなる体質になっていきます。この「徹底的無視」「相手にしない」という態度も大事です。

いつも声が聞こえる。いつも行動を起こそうとする。手が動く。足が動く。こういうことを放置しておいては、完全に操り人形になっていまいます。完全に無視する。そして、「自分の主体的意志」を非常に強固に打ち立てる。バシッと打ち立てる。こういうことが大事です。これも一つの方法です。悪霊たちは話し相手を求めているので、決して耳を傾けてくれない人には近寄ってこれないのです。こういうことを考えねばなりません。これが一つです。

もう一つは、「真理の書に心をあわせる」「真理の書を、毎日、一定の時間読む習慣をつける」ということです。つまり、光が溢れている書物を一定時間読むことによって、心のなかに常に光を浸透させる。燦然(さんぜん)とした光を心のなかに照射させる。こういう必要性があるのです。こうすると、霊障から逃れていくよすがとなります。光が射してくることによって、高級霊体質へと変わっていきます。それで、低級霊たちの波動を受けなくなるのです。

それ以外にも、例えば、「真理の講演CDを聴く」という方法もあるでしょう。実際に肉を持った光の指導霊たちの声を聴く。話を聴く。それによって、心の波動を変えていく。波長を変えていく。そして高級霊体質に変えていく。こういうことが大事でないかと思います。そうすることによって、心のなかにわだかまっている悪想念が出ていって、低級霊たちの拠点がなくなっていくのです。

このように、「無視する」、あるいは「真理の書を読む」「真理の講演CDを聴く」「講演そのものを聴く」という方法がありますが、これ以外に、もう一つ、「この世的にしっかりした人間になるべく、努力する」という方法があります。

それぞれの人間は、何か仕事をしているはずです。仕事をしているならば、「その持ち場のなかで、最高度に自分を発揮していく」という方法があります。仕事に打ち込んでいく。最高の生き方をする。店員であれば、店員として、最高の店員になるべく努力をする。経営者であれば、最高の経営者として努力をする。このように、「価値の感じるもの、自らの生活の糧を得ているものに全力を投入していく。そして、一身を投げ出していく」ということです。このなかに、霊媒体質から抜け出す一つの方法があります。

すなわち、人間は、「同時に二つのことは考えられない」という特質を持っています。そして、「霊たちとかかわっている」というのは、「それだけの時間を持っている」ということなのです。また、「彼らとかかわるような環境にある」ということなのです。したがて、これから脱するためには、極めてこの世的であるけれども、「この世的な世界のなかで、意義のある世界、意義のある仕事に全力投入をしていく」ということが大事なのではないかと思います。

霊媒体質克服の第四の方法として挙げられることは、やはり「健康」です。「健康を維持する」「体力を維持する」ということが非常に大事です。体力が弱ったとき、健康が優れないときに、霊媒体質から逃れることは非常に難しいです。したがって、まず、健全な体をつくることに力を注ぐことも大事です。健全な体で健全な生き方をすることが大事なのです。

そういう努力によって、昔から言う「健全な肉体に健全な精神が宿る」のたとえどおり、高級霊が感応してくるのです。強健な肉体を持っている人に、悪霊はかかりにくいのです。悪霊がかかってくるのは、たいてい、いつも心に心労が絶えず、そして、「体のどこかが悪い」と不平不満を訴えている人たちです。ノイローゼになったり、内臓諸機関の調子が悪くなったりしている人たちです。こういう人たちを目がけて、悪霊たちは寄ってくるのです。

したがって、低級霊媒体質を克服するためには、肉体の強化が必要です。これによって、魂も強くなっていくのです。

五番目にあえて言うとするならば、「意志を強くする」ということです。意志を強くする。意志とはいったい何か。すなわち、神の子としての意志です。これを強化するということです。

「自分は神の子である」という自覚。「神の子として一生、生きているのだ。ユートピア創りのために生きているのだ」という強い自覚です。「運命のままに翻弄される自分ではなく、神の子として、神の意図を実現するために生きている力強い人間である」という強固な自覚です。自身です。この自信が、自覚が、悪霊から身を護るようになっていまきす。そういうことが非常に大事ではないかと私は思うのです。

【大川隆法 『漏尽通力』第4章「漏尽通力」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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28 自分の体が、何億もの細胞でできている、小さな宇宙だと想像してみよう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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エル・カンターレ・大好き

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