60 吝嗇(りんしょく)と惜福(せきふく)とは違う。前者は顔つきが悪くなり、後者は、福相が表われる。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
8月10日(日)と
8月12日(火)の両日11時からお盆の供養大祭を開催いたします。この期間、ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受けいただけます。
大宇宙の創造主 にして地球神 であられる 主エル・カンターレへの信仰のもと、縁ある諸霊の供養を行い、故人への伝道、最大の報恩の機会とします 。
【お盆の幸福供養】
○幸福供養 先祖供養……仏説・願文『先祖供養経』
※ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受
けいただけます。
○個人供養……仏説・願文『先祖供養経』
※友人・知人など、縁ある故人への供養。
○水子供養……仏説・願文『愛児・水子供養経』
※四正道を説いても少し難しいと思われる小さなお子様への供養。
(参照:『仏説・願文「先祖供養経」講義』
※各1 万円目安。(学生 3 千円)
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
さて、ここからは、一年を通して非常に霊的な季節である「お盆」を迎えるに当たり、教典『信仰のすすめ』から第2章の「死後の世界について」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、経典『信仰のすすめ』のまえがきに、「手ごろなかたちで、幸福の科学の教え、その方向性をまとめたものであり、また、宗教書としてとても良心的な内容になっていると思う。一人でも多くの方に本書を読んでいただけることを切に願っている」と語られており、幸福の科学の信仰論の手引書ともなっています。本経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1500円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
■『信仰のすすめ』第2章「死後の世界について」
2信じることは大きな力となる
○この世の人生は一種の試験である
死後の世界について、「知らない」「信じられない」という人の考えは、「もし、ほんとうに、そのような世界があり、仏や神がいるのならば、それをこの世の人間に分かるようにしていなければ、不親切ではないか。そういう存在があるのなら、もっと人間に分かるようにしているはずである。人間に分かるようなかたちになっていない以上、そういうものは存在しないのだ。実験して確かめることもできないのでは、信じるに値しない」ということだと思います。
しかし、誰もが分かるようになっていないことには理由があります。その理由とは、「この世の世界そのもの、数十年の人生そのものが、ある意味で、一種の試験である」ということです。
人間は、本来の世界である霊的世界から生まれてきて、肉体に宿り、物質世界のなかで生きています。そして、「この物質世界のなかで生きながら、どれだけ、霊的な人生観を手に入れることができるか。かつて仏神から学んだ教えを、どれだけ、実体験し、実践できるか」ということを、ある意味で試されています。人間は、人生において、さまざまな経験を積んでいきますが、それは試験でもあるのです。
その試験が終わったとき、人生が終わったときには、霊的世界のことが分かるようになっています。試験が終わると、人生の総復習が行われて、「あなたの今回の人生は、こうでした」ということが明らかにされます。それまでの何十年かのあいだは蓋(ふた)をされているのです。
結局、「霊界が本当にあるならば、仏や神がほんとうにいるならば、人間に分かるようになっていなければ不親切だ」と主張することは、試験問題を配られて、それを解くときに、「答えが印刷されていないではないか」と文句を言うことと同じなのです。あるいは、「試験監督が何も教えてくれないのは、けしからん。冷たいではないか」「教科書を持ち込みかにしろ」「答えを教えろ」などと言う感じに近いのです。
それに対する答えは、「一時間なり二時間なりの時間をかけて問題を解くのが、あなたの仕事です。試験が終わったあとには採点して返しますが、いまは答えを教えられません」ということになるわけです。
ただ、ときどき、親切な人がいて、ヒントを与えてくれることはあります。
幸福の科学の経典などがあることは、いわば「辞書持ち込み可」に当たるかもしれません。「答えは教えられませんが、辞書は持ち込んでも結構です。自分で辞書を引いて調べるぐらいは、かまいません」ということです。
人生は一種の試験なので、答えを、全部、教えるわけにはいかないのです。しかし、ヒントは、人生の途中で、たくさん与えられるようになっています。さまざまな気づきの機会が用意されているのです。
【大川隆法『信仰のすすめ』第2章「死後の世界ついて」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、幸福の科学が目指すユートピアについて、ともに考えてまいりしましょう。
幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています―経典『ユートピア創造論』にあるように、私たちが「正しき心の探究」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。
そこで、ここからは、私たちが日々取り組んでいるユートピア活動の原点に立ち返り、幸福の科学がどのようなユートピアを目指しているのかを改めて確認する機会とさせていただきます。経典『ユートピア創造論』をお持ちでない方は、是非拝受ください。【税抜き1500円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『ユートピア創造論』第2章「進歩と調和の挑戦」―「ユートピア創造論」講義
2幸福とは何か
幸福の科学の原点でもあるユートピア論は、私たちが標榜する「幸福の科学」というスローガン、看板そのものに着目した場合、目的としての「幸福」と、手段としての「科学」―この二つの追求、探究が基本となっています。
幸福の科学において、「の」という言葉でつながれている「幸福」と「科学」は、実は目的と手段の関係にあるのです。
では、「幸福」という名で私が定義しているもの、みなさんにお伝えしようとしているものの、ほんとうの姿は何でしょうか。幸福の科学では、何をもって幸福としているのでしょううか。
①私的幸福と公的幸福
私はこの第一章一節で、ごく単純にではありますが、幸福について明快な分類をしてみました。これは「私的幸福」と「公的幸福」です。この二種類の幸福の追求が、ユートピア創りというものが何であるかを如実に示しているのです。
結局、幸福の科学が目指しているものは何かというと、まず、ユートピアのもとに集まる人びとが、個人として真実の喜びに満ちあふれていることであり、しかも個人だけでなく、国家などの全体においても、大いなる景観、すばらしい展開が示されているということなのです。
桜の花が咲くとき、それぞれの花は一輪一輪咲いています。しかし、その一輪一輪がばらばらの時期に咲いたならば、桜の木はどれだけ美しく着飾ることができるでしょうか。一年のうちのある時期、すなわち四月の初めごろに、いっせいに花が咲くからこそ、そこに調和の美が出てくるのではないでしょうか。
一本の桜の木だけが花を咲かせるのではなく、隣の木にも、その隣の木にも、また、あちらの山にもこちらの公園にも、桜の花が咲いてこそ、春が巡ってきたと言えるのです。
したがって、桜の木が咲くことのなかにも、まさしく私的幸福と公的幸福の考え方があるわけです。
一本の桜の木は、自分が花を咲かせることに一生懸命でしょう。これは私的幸福の追求です。しかしながら、一本一本の桜の木が私的幸福の追求に真剣であることが、結局は、春という季節の最も象徴的な景観を呈することになっているのです。私たちは目の前から桜というものを消し去ったとき、春という季節は、限りなく寂しく、むなしいものに見えることでしょう。
ユートピア創りもこれと同じです。みなさんは、それぞれの幸福をめざしていただいけっこうです。しかし、現在は「人類の春」としてのユートピア創りの時期でもあるのです。
この時期に花を咲かせなければ、ほかに咲かせるときはありません。夏に咲いても、秋に咲いても、冬に咲いても、時節が違います。仏から命ぜられたユートピア創りの時期に花咲かせてこそ、本物となるのです。
このような全体的見地、季節の移り変わりという見地から
ユートピアというものや、そのなかにある幸福というものを考えていただきたいと思います。
②悟りという名の幸福
では、私的幸福、個人の幸福とは何でしょうか。
もちろん、幸福にもレベル差、ランク差があります。日常に必要なものが満たされるという幸福もあるでしょう。人間として最低限必要な条件を備えるという幸福もあるでしょう。しかし、もっともっと精神性の高い幸福もあるのです。
幸福の科学では、私的幸福の究極にあるもの、最高の高みにあるものとして、「悟り」という名の幸福をあげています。そして、それに達しない幸福は、悟りにたどり着く途中の段階の幸福にすぎないと考えているのです。
なぜ、悟りというものが、幸福という言葉に置き換えられるのでしょうか。何ゆえに、悟りというものが幸福なのでしょうか。
それには二つの要因を内に秘めています。
第一の要因は、今生にあって、すなわち、この三次元世界を生きていくにあたって、悟りとはまことに得がたきものであることです。
まことに得がたきものを得ることのなかによろこびを見出すのは、人生の常です。そう簡単に手に入れられないもの、流されるままに生きていては手に入れることのできないものである、悟りというものを得てこそ、今世の修業は意味があると考えられるのです。
そして実は、私的幸福から公的幸福への展開は、悟りという言葉によってつながっていくのです。これが第二の要因です。
悟りというものは二つの面をともなっています。一つは、個人の喜びという、私的幸福の側面です。もう一つは、「悟れば愛他の思いを出さざるをえない」という宿命があることです。
悟るということは、人間の使命を覚る(さとる)ということであり、また、みずからの成り立ちとゆくえを知るということでもあります。本来の使命を覚ったとき、人間はじっとしているわけにはいきません。行動せざるをえなくなります。
しかも、その行動は一定の方向性を持っています。それは徹底的善念、愛他の方向です。「人を愛さずにはいられない」「人と接して、よき感化を与えずにはいられない」「人に話しかけて、その人の心を豊かにしないではいられない」―これが愛他の思いなのです。
結局、簡単に言うならば、悟りとは「人間の使命の自覚」です。また、それは「自分自身の使命の自覚」でもあります。したがって、当然ながら、それは公的幸福の実現へとつながっていくのです。
みなさんは何十年かのちには、この地上を去ることになります。地上を去ったとき、だれもが必ず後悔することが一つだけあります。それは公的幸福の面です。
どのようにダイナミックな生き方、情熱的な生き方をしたとしても、また、知性あふれる生き方をしたとしても、「どれだけ多くの人を幸福にしたか」という観点から見たときには、充分ということはありません。完全ということはないです。
たとえ光の天使であっても、地上を去り、みずからの数十年の人生をふり返ったとき、「どうして、かくのごとく生きてしまったのか。もっと別の生き方ができたはずだ。もっと多くの人たちに接する機会をつくるこができたはずだ。もっと愛することも、もっと夢を与えることもできたはずだ。それなのに、これだけの仕事しかできなかった」という現実に直面して、涙を流すのです。
みなさんのなかには、光の天使も数多くいます。また、光の天使の候補生も数多くいます。みなさんはやがて、みずからの使命に目覚め、法を伝え、多くの人びとを仏法真理の道へと誘うようになるでしょう。
しかし、そうした道が開け、その仕事に就いたとしても、最終駅において後悔するという点については、いまから予言しておいて間違いがないのです。
したがって、みなさんは、みずからのあり方を現時点にだけ置くのではなく、みずからが地上を去る時点に立って、現在の人生を見つめ直す必要があります。すでに終点にある自分の目から見て、残された旅の時間と距離がいかほどか、ということを考えていただきたいのです。
そこに、おのずと情熱がわき上がってくるはずです。「もし情熱がわき上がってこないならば、あなたは人間として偽物である」という厳しい言葉を、私は述べておきます。
本物の人間であるならば、人生の終点に立って、現時点のみずからの姿を振り返ったとき、そのままで満足できるはずはありません。必ずや、自己改善に取り組み、積極的なる人生を生き、多くの人々に勇気と光を与え、与え、与えつづけんと、決意せずにはいられないのです。
そうした目覚めへのきっかけとして、幸福の科学はさまざまな行事を用意しているわけです。この出発点を忘れないでいただきたいと思います。
【大川隆法『ユートピア創造論』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も経典『ユートピア創造論』の第一章「ユートピア創造論」の講義となります。「幸福の科学」の原点を学ぶうえで最重要の内容です。共にしっかり学んでまいりましょう。
まず、本日の学びでは、幸福について明快な分類を教えていただきました。これが「私的幸福」と「公的幸福」です。この二種類の幸福の追求が、「幸福の科学」のユートピア創りというものが何であるかを如実に示しています。
幸福の科学が目指しているものは何かというと、まず、ユートピアのもとに集まる人びとが、個人として真実の喜びに満ちあふれていることであり、しかも個人だけでなく、国家などの全体においても、大いなる景観、すばらしい展開が示されているということなのです。
ここで、私的幸福と公的幸福という
言葉がでてきました。私たち幸福の科学会員が目指す幸福とは私的幸福と公的幸福を同時に実現しようとするものです。つまり私的幸福の実現が社会全体の幸福―公的幸福と重なる形での実現を目指しています。
そして、私たちが追求している本当の幸福とは、「幸福の科学では、私的幸福の究極にあるもの、最高の高みにあるものとして、「悟り」という名の幸福をあげています。そして、それに達しない幸福は、悟りにたどり着く途中の段階の幸福にすぎないと考えているのです」と説かれています。
「悟りという名の幸福」のために、私たち幸福の科学メンバーは生きています。
そして、悟りとはこのように説かれました。
「悟るということは、人間の使命を覚る(さとる)ということであり、また、みずからの成り立ちとゆくえを知るということでもあります。本来の使命を覚ったとき、人間はじっとしているわけにはいきません。行動せざるをえなくなります。
しかも、その行動は一定の方向性を持っています。それは徹底的善念、愛他の方向です。「人を愛さずにはいられない」「人と接して、よき感化を与えずにはいられない」「人に話しかけて、その人の心を豊かにしないではいられない」―これが愛他の思いなのです。
結局、簡単に言うならば、悟りとは「人間の使命の自覚」です。また、それは「自分自身の使命の自覚」でもあります。したがって、当然ながら、それは公的幸福の実現へとつながっていくのです」
これを仏教の言葉では、「利自即利他」と教えていただいているものです。自分の幸福の追求が他の人を救い助けるという生き方です。
その悟りを得る方法として、このように説かれました。
「したがって、みなさんは、みずからのあり方を現時点にだけ置くのではなく、みずからが地上を去る時点に立って、現在の人生を見つめ直す必要があります。すでに終点にある自分の目から見て、残された旅の時間と距離がいかほどか、ということを考えていただきたいのです」
このように、この世の視点だけでなく、あの世の視点から自分の生きている意味や、自分の使命を考える必要があることを学びました。
幸福の科学の存在意義を改めて考え直すための基本でありながら、大切な教えでした。
引き続きともに学びを深めてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
八月に入り、お盆という霊的な季節を迎えるにあたり、皆様とともに「永遠の生命」についてともに考える機会を持ちたいと思います。経典『復活の法』第5章「生命の永遠について」を学び、地上世界を超えた実在世界の視点から私たち生きるべき視点を学びます。経典『復活の法』をお持ちでない方は、全国の書店・支部・精舎で購入可能です。この機会にぜひ拝受ください。【税抜き1800円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『復活の法』―第5章「生命の永遠について」―常に実在界の視点を持って生きよ
1仏法真理の勉強は魂の義務教育
仏教はキリスト教より霊界事情に詳しい
本章では生命の永遠について話をします。
これは宗教にとっては原点とも言うべきテーマですが、折に触れて、繰り返し、このテーマを訴えておかないと、忘れられてしまうこともあるのではないかと思います。
本章の第一章でも述べましたが、【※『復活の法』第一章「正死(しょうじ)を超える道―すべての人に永遠の生命がある」参照ください。】「それが、いったい、どれほどの意味をもつか」ということを、人間は、実体験を通して、さまざまに悟っていくことになるのです。
光りに満ちた人生を生きた人は、この世を去った世界においても、また光に満ちた人生となり、長い幸福が続いていくことになります。
他方、生命を有限のものと思い、この世で、仏の子、神の子として、充分な使命を果たさずに亡くなった人にとっては、死後の生命が永遠であること自体が、一つの大きな厳しい罰でもあるのです。
仏教では地獄という世界について説かれていますが、仏教の地獄は、「いずれ、時期が来たら救われて、天上界に還れる」という意味合いを持った世界です。
ところが、キリスト教における地獄は、「永遠に救われない世界」という描かれ方をしていて、「地獄に堕ちたならば、もう最後である」という世界です。
そのため、「それでは、あまりにも厳しすぎる」ということで、キリスト教では、天国と地獄の中間に、煉獄(れんごく)という世界を考えるようになりました。煉獄とは、「地獄のようなところではあるが、子孫が、キリスト教を信じたり、いろいろと善行を積んだりしたならば、天国に上がれる」という、条件付きで救われる可能性のある世界です。そういう中間地帯の思想が、のちほど、できてきたのです。
仏教の地獄は、キリスト教でいう煉獄(れんごく)に相当し、仏教にはキリスト教的な意味での地獄はありません。ただ、それに近いものがあるとすれば、無間地獄という、とても出られそうにないような底なしの地獄が、それに当たるかもしれません。あるいは、悪魔という、成仏しそうもない存在は、キリスト教的な意味での地獄に堕ちていると言ってもよいかもしれません。
思想的には、そういう違いがあり、仏教の地獄思想が、「すべての魂たちを、やがては救うのだ」という思想に裏打ちされていることは、非常に希望に満ちたものであると言ってよいでしょう。
キリスト教的に、「善か悪かでスパッと分け、それで終わり」ということではなく、「不合格になっても、まだ”追試”がある。救われる機会は何度もある」という考えです。そのように、「死後の世界においても、まだまだ救いの活動は続いている」という思想があるのです。
したがって、仏教はキリスト教より霊界事情に詳しいと考えてよいでしょう。
【大川隆法『復活の法』―第5章「生命の永遠について」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
72 日本の神々は、戦争責任を取らなかった。高天原は、妖怪の巣窟と化し、国民と軍人は、何十年と、火炎と飢餓のなかを逃げまどった。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。
エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。
【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。
■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】
■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える
■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする
信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
〇「沈黙の仏陀」の教え
戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。
これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
文責:蒲原宏史
■

