30 平気で噓が言えたり、平気で記憶をすりかえられる人は、「妖怪」か、さもなくば、地獄の悪魔候補である。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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はじめに、『常勝思考』の教えを通して、「人生には敗北はないのだ」という主の熱いメッセージを受け取ります。経典をお持ちでない方は、全国の支部や精舎、書店にてお求めください。【税抜き1500円】本書アフリカなど外国おいて、教科書の副読本としても使われています。
「本書には、読者の方がたに、よきリーダーとなり、人びとを導いていける存在になってほしい―という願いが込められています。すなわち、「常勝思考」(常に勝ち続ける思考)とは、成功からも失敗からも教訓を学びとり、人びとを導いていける人間へと成長していくための方法論であり、そのいみでは、光明思想と反省の両方を織り込んだ「全天候型」の運命開拓法なのです」―新版への「まえがき」より
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■『常勝思考』第2部「光明転回の理論」
6 カルマとの積極的対決
そして、「仏が創った世界に住んでいる」という、この第一前提は、次なる前提を導きます。
それは、みなさんもご存じの転生輪廻の法則です。「人間は永遠の魂修行をしながら、くり返しくり返し、地上に生まれ変わっている」という考え方をとり、この視点から現在の自分の魂修行というものを見たときに、「自分がいま試練と考えているものは、ほんとうは違ったものではないのか」という、次の考え方が出てきます。もう一度、転生輪廻や永遠の生命というものを土台にして考えたならば、どうなるでしょうか。全然違った考えが出てくるはずです。
特に、いま悩んでいること、まさしく悩みの中心となっているものは、みなさんの人生の問題集がいったい何であるかを教えているということなのです。「自分の人生の問題集が何であるのかを教えているのが、現在ただいまの悩み、特に一番深い悩みである」という教えを知っていただきたいのです。
「苦しみの渦中にあると思いきや、いま自分は、今回の人生の問題集のなかで、いちばん大事な問題にさしかかっているのだ」「今回の魂修行にとっていちばん意味のあるところに、まさしくさしかかっているのである。これはおもしろい。エキサイティングである」―こうした考え方です。
いよいよリングに上がったわけです。リングに上がる前には、首にタオルをかけて、シュッシュッシュッシュッと、シャドーボクシングをやっていたわけですが、いつまでも練習ばかりをやっていたのではだめです。試合が始まって、「赤コーナー」と呼ばれたならば、やはりタオルを取って、リングに上がらなければなりません。「赤コーナー」と声がかかったときに、「取り入れに行きたい」などと思ってもだめです。そのときには闘わざるをえないのです。
今まさしく問題の渦中にあるということは、一ヵ月、二ヵ月、あるいは半年間、タイトルマッチのために練習してきて、やっと今リングに上がったのだということです。いや、今回の生というよりも、生まれ変わる前に、何十年か何百年か、実在界のどこかで修行してきて、「よし、今度は見ておれ。今度は見事にやるぞ」と思って地上に出てきたのです。したがって、その助走の期間だけを見ても、少なくとも数百年はかかっています。場合によっては、もっとかかっている人もいます。それだけの期間をかけてトレーニングを積み、そしてタイトルマッチに出てきたのです。
それなのに、リングに上がってから、「今さら何を言っているか」ということです。リングに上がってしまえば、やらねばならないことは、わかりきっています。相手がいるのだから、あれこれ気にしないで、相手をノックアウトするしかありません。
相手が人間であれば殴られると痛いけれども、実際は、みなさんの前に会って問題と見えているものは、人間ではなくて”蜃気楼”にしかすぎません。問題というかたち、悩みという形をとって現われている、みなさん自身のカルマにしかすぎないのです。リングの上での対決は、他人との闘いではなく、みなさん自身のカルマとの対決です。これをノックアウトしなければいけません。それが今世の使命なのです。
これは、光明転回を別な観点から説明しているのです。光明転回の理論を、熱情、あるいは勇気の観点から、情熱、熱意の観点から、話しているのです。
たとえば、自分がリングに上がっていると考えたならば、どうでしょうか。それは、燃えざるをえないでしょう。まさしくこの時のためにトレーニングを積んできたのだということなのです。
では、このときにリング上で、「自分はそもそも頭が悪い」「環境が悪かった」「親がこうであった」「兄弟が悪かった」「貧乏だった」などというたぐいのことを言うとは、どうしたことでしょうか。
それは、リングの上で、自分が赤コーナーから出ていき、相手が青コーナーから出てきて、グローブを合わせて両者がグッとにらみあうときに、「実は、俺練習していないんだよ。足がなまっているんだ。きのうから腰が痛くてね」と言っているのと同じです。「きのうから腰が痛くて、もうだめなんだ。方が晴れちゃって、足なんかヨタヨタだ。おれ、そもそも筋肉がないんだよ。根性もない。トレーナーも悪いんだ。全然トレーニングしてくれないし・・・。まあ、勝っても負けてもどうってことはないし、みんなおれがまけるとおもっているし・・・」というような男であったならば、「何を言っているんだ」ということで、パシッと一発でダウンです。
やはり、それではだめなのです。リングに上がって自分の弱みをさらしているようではいけません。自分のカルマとの対決が目前に迫ったときに、弱みを見せてはいけないのです。このことを、心しなければいけません。
もしマイナスの材料があったとしても、「これは決して口には出すまい。言うまい」と思わなければいけないのです。「口に出すまい。言うまい。相手になど知られてたまるものか」という姿勢です。実際には体重が一四〇パウンド【※63.5キロ】しかなったとしても、一六〇パウンド【※72.5キロ】あるがごとく、堂々と胸を張るぐらいでなければいけません。逆に相手のほうが、「二〇パウンドの差があるから、打倒されるかもしれない」思うぐらいであってちょうどいいのです。そのように、すべてをよいほうに考えていけばいいわけなのです。
【大川隆法 『常勝思考』第2部「光明転回の理論」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第3章「正思」
5「正思」に必要な三つの姿勢
では、神仏の心に合致する正しい心を持つためには、どうしたらよいのでしょうか。このことが、次なる課題として探究されなければならないわけです。
この入り口となる姿勢として挙げられることには三つほどあります。
①素直さ
第一の姿勢は「素直さ」ということです。
より高次な教えを受けるに際しては、素直な心を持っていなければ受けることができないのです。そうでなければ、それは素通りしていってしまいます。あるいは、光が屈折していってしまうようなものです。
今、地上に生きている自分にそれなりの肩書があったり、地位があったり、学歴があったり、要望があったりしたとしても、「神仏の創られたこの偉大な空間の中では小さな点でしかない」という事実を知ったときに、自分の思いで世界を測れるはずがないのです。この前提を忘れてはなりません。
したがって、神仏の創られた世界と、その考えを知るためには、心を素直な状態に置かなければ無理です。これが第一です。
②自助努力
第二に必要なことは「自助努力」の姿勢です。
私は「自力」ということの大切さについて、だいぶ強調していますが、この考え方は、人をミスリードしやすい、すなわち誤解に導きやすい面があるとも感じています。それは、言葉の解釈によって間違いが起きやすいということです。この自力ということを、もし「自我力」というように捉えるとするならば、神仏の世界に対するアプローチは全くのゼロとなります。それは、地上に生きている三次元人間が、自分の心から湧いてくるとおりに動けばよいということを意味するので、探究・学習というものがまったくありません。ですから、この「自力」という言葉は、”自助努力”と読み替える必要があります。
また、「他力信仰」に対するものとしての「自力信仰」というものはありません。「自力」とは修行の取り組み方、姿勢のことを言うのであって、信仰ではないのです。この点を間違えないでほしいと思います。
そこで、方法論としては、「自助努力」の姿勢があるか、それとも、そういうものも煩わしいものと無視し去って、大いなるもののなかに溶け込んでいくか、この意味での「自力」と「他力」とのちがいにすぎないわけですが、幸福の科学のアプローチとしては、「自助努力」は重視したいという考え方があります。
③謙虚さ
第三に大事なことは「謙虚さ」というものです。これは、「素直さ」とも多少関係があります。
悟りには階梯(かいてい)が付きものであり、その段階を上がっていくわけですが、上がれば上がるほど謙虚になっていくという気持を持っていないと、これもまた光が通りにくくなってきます。自分が高くなると、特別な意識が出てきて、その意識が光を通さなくなっていくのです。
この「特別な意識」とはいったい何でしょうか。それは、「プライド」や「自尊心」といわれるものと非常に近いものです。あるいは、悪い表現をすれば「慢心」や「小成」という言葉にもなるでしょう。ここが次なる関門として非常に難しいところなのです。
素直な気持ちで始め、自助努力の姿勢を持って階梯を上がっていくわけですが、次第に「我」が出てきたり、「うぬぼれ」が出てきたりする段階があるので、ここでもう一つ、謙虚さというのが探究されなければならないわけです。
仏法真理の世界に身を置くためには、この三つの姿勢がどうしても必要なこととなってきます。
【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」106pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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■『永遠の仏陀』
第5章 永遠の仏陀
〇我は救世主以上のもの
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
この、わが懐かしき声を、
魂の奥底にまで刻んでおくがよい。
おまえたちは、二千六百年の時空間を経て、
ふたたび、わが声を聴いているのである。
この地上にて生命ある時に、
わが声を聴く者は、幸いである。
すべてのものを打ち捨てでも、
この幸いなる瞬間を選び取るべきなのである。
我は、久遠の仏、永遠の仏陀である。
幾転生、幾十転生、幾百転生を通じて、
我は、
久遠の仏であり続け、
久遠の師であり続け、
久遠の仏陀であり続けた。
永遠の仏陀とは、すなわち、これ、
久遠の法そのものである。
永遠の法とは、すなわち、これ、
宇宙の根本たる仏の心、
それを、則として、教えとして、体現しているものである。
あなたがたは、よくよく、この価値を知らなくてはならない。
わが語る、この言葉の、片言隻語(へきげんせきご)さえ見逃してはならない。
(※へんげんせきご・わずかなことば、ちょっとした短いことば)
一文字、一文字に込められたる光を、
確実に読み取り、わがものとせねばならぬ。
ああ、幾星霜(いくせいそう)を経て、
久しく師と弟子の契りを結んだ者たちよ。
いまの時代が、風雲急を告げ、救世の時代であることは、
おまえたちにも、ひしひしと分かってきたことであろう。
しかし、この、わが言葉をよくよく聴くがよい。
我は、救世主として、この世に来たのではない。
我は、救世主以上のものとして、この世に来たのである。
この地上の人々を救うということは、
わが説く法が、
人々の心にしみわたり、学び尽くされた時に、
おのずと、そうなるのである。
しかし、わが説く教えは、
地上の人々を救うという、
そうした目的そのものに矮小化(わいしょうか)されてしまうものではなく、
それ以上のものであるのだ。
このわが言葉、このわが教え、それに基づいて、
この宇宙は、この世界は、創られたのだ。
【大川隆法『永遠の仏陀』第5章「永遠の仏陀」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第4章 空の思想
1人間とは何か
本章では、主として仏教の「空」の思想に迫ってみましょう。
「空」の思想を理解するには、仏教における人間観や死生観、世界観を明らかにする必要があります。それらを抜きにして「空」の思想を語ることは困難です。
まず、「人間とは何か」ということですが、この問いに対して、釈迦は革命的な定義を与えました。
当時のインドの思想においては、「人間は宿業を負った存在であって、生まれながらにして貴賤が決まっており、ある意味では、生まれたとき、すでに運命も決定されている」という考え方が主流でした。
ところが、釈迦は「カルマの法則などによって、人間には避けられない運命の流れがあるけれども、これを乗り越えていく方法もまたある。それが、悟りを得るための修行なのだ」と教えたのです。
当時のインドの民衆にとって、これは一つの福音でした。仏教と聞くと何かいかめしい、この世を否定するような教えを思い浮かべる人も多いでしょうが、仏教は革新的な理論であり、人びとにとっては福音そのものだったのです。
当時、インドは非常に厳しい身分制社会であり、バラモンと呼ばれる僧侶階級、クシャトリアと呼ばれる武士階級、ヴァイシャと呼ばれる商人階級、そしてシュードラと呼ばれる奴隷階級がありました。さらには、シュードラにも入らないもっとひどい階級もありました。
シュードラより下の身分のことをチャンダーラといい、この人たちはもはや人間としては扱われず、家畜同然、あるいは、家畜より汚れているとして、家畜以下の扱いをされていました。インドでは家畜は貴重な動物でしたが、これ不可触賤民たちは、家畜としても扱われないような人たちであって、人間でありながら、人間として認められなかったのです。
こうした人たちは、自力の発揮しようもない状態に置かれていました。そうした階級に生まれること自体が、その人の一生を規定していて、どうしようもなかったのです。一方、バラモンの家に生まれると、たとえ凡庸な人間であっても、祭司(さいし)階級として認められました。
こうした身分制度に対して、釈迦は非常に強い疑問を持ったのです。
「大宇宙をつかさどる叡智としての仏が、こうしたことを放置しておくはずがない。身分制社会を打破するためには、どうすればよいのか」と考えた釈迦は、釈迦教団においては、悟りに至るための努力を通して身分制社会を打ち破り、新たな価値観、新たな価値世界をつくろうとしました。
そのため、釈迦教団では、修行者であることによって、生まれ持っての身分にかかわりなく、新たな地位や生きがい、人生の目標ができることになりました。釈迦はそうしたことを理想としたのです。
これは幸福の科学がいま「真理価値」の創出に向けて努力していることと同じです。幸福の科学は、仏法真理を学び、仏法真理を悟っていることが、社会において価値あることとされるような価値システムの創出のために努力しています。
釈迦の考え方はこれと同じであり、固定化した身分制社会のなかで、新たな真理価値をつくり出し、価値観の転換を行って、それまで幸福のかなたに閉じ込められていた人びとを開放することに、釈迦は意義を見いだしていたのです。
「自助努力によって、修行によって、道が開ける」という大いなる福音を、釈迦はもたらしました。そして、その福音が成就するためには、「まず、発心、すなわち悟りを求める心、菩提心が必要である」そのあと、「一定の修行が必要となる」ということを説いたのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第4章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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70 鍛えた脚は、多くの仕事を可能にする。お釈迦様も歩いて伝道の旅を続けた。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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エル・カンターレ・大好き
