67 ある時、キリスト教の軍隊とイスラム教の軍隊が、砂漠地帯で戦うのを見た。十字軍戦争だ。
熱砂の擂(す)り鉢に、両軍吸い込まれた。空に、三十メートルもある翼竜が現われて、口から炎を吹きつけると、両軍の兵士とも黒焦げになった。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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ここで、心の浄化である反省についての基本を深めるために、1988年10月2日に説かれました「反省の原理」を学びます。本経典は『幸福の科学の十大原理(下巻)』に収められています。経典をお持ちでない方は、とても大切な教えが凝集されていますので、上巻と下巻あわせて、お近くの支部や精舎、全国の書店にてお求めください。【税抜1800円】
悟りとは実に厳しいものである。しかし、この厳しさを経て得た「悟り」こそ、真の「幸福」であるのだ。
人間とは実に、霊的なる存在である。この地上を去った時、あの世に持って還れるものは「心」しかない。ゆえに、心の幸福であるところの「悟り」こそがすべてなのである。霊性を開発し、真なる目覚めを体験せずして、今の自分を幸福だなどと思うな。それは迷妄そのものである。
私が、ここに全人類に告げる『悟りの原理』こそが、永遠の真理として語り継がれるものなのだ。ここに永遠の仏陀の声が記されているのだ。
聞け、この獅子吼を―。【悟りの原理「まえがき」】
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■『反省の原理』
4真説・八正道
⑤正思
八正道の前半について語ってみました。これは、少なくとも修行を志している者にとっては、大変大事なことであると思います。
しかし、悟りを求め、日々己を研鑽している者にとって大事なことは「正思」ということです。この「正思」は、前に挙げた四つに比べ、さらに難しい問題として、われわれに投げかけられてきます。
「正見」「正語」「正命」「正業」という四つは、具体性を持っていることにおいて、われわれにとって比較的容易な入り口が用意されています。
しかし、「正思」「正しい思い」となると、もはや入り込めない人が数多くいるのです。この正思の部分にどれだけ踏み込むことができるかということが、「本当の意味において、悟りを求めているか、いないか」の違いを分けるのであります。
心というものは非常に面白いものです。あるときには万華鏡のように見えます。あるときにはシャボン玉のように見えます。変幻自在、握一点、その一点のなかにまた宇宙大のものが広がっています。
この変幻自在の心を見たときに、「私たちが悠久の昔から転生輪廻をしてきた本当の理由は、この正しき思いというものを真に知り尽くすためであったのだ」ということを知るにいたるのです。「この宿題において、この問題において最終ということがないからこそ、われわれは、永遠ともいうべき時間を転生輪廻してきた」ということを知るのです。
そして、この「正しき思い」というもの、この一点を通過していくために、数々の仏法真理の書籍があります。仏法真理の知識があります。この仏法真理の知識を通過しなければ、「本当の意味での正しい思いとは何か」ということを分かり切ることはできないのであります。
人間の心は立体のようなものです。しかし、私たちの目には二次的にしか見えません。その立体が平面にしか見えません。
この立体が立体として、球が球として、すべての面をわれわれに見せるためには、あらゆる角度から心を見るための材料を、仏法真理の知識として学習しておく必要があるのです。そのために仏法真理の書が次々と公刊されているのであります。
【大川隆法『幸福の科学の十大原理(下巻)』第4章「反省の原理」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第6章「正命」
3未来へ投資するライフスタイル
〇「根を張り、幹を太くする」という生き方を見いだす
例えば、私自身はどうしているかと考えてみると、最近読んでいる書物のなかには、現在は今すぐに役に立たないものもありますが、あと何年かたったら生きてくるはずです。それで、今、数年後のためのストックをつくっているわけです。このように、いつでもかなり先の蓄積を順番にしています。
ところが、本書では、反省の方法などを説いています。ですから、今、読んでいるものとは必ずしも関係がないところもあります。頭の中に入っているものは、これに限ったことではなく、まだほかにもいろいろとやっています。将来、三年後に役に立つもの、五年後に役に立つものというように、十年後、二十年後、三十年後のことを考えてやっています。いろいろなことをして、そうとう根が張っているのです。しかし、根を張っているから、逆に波風に強いという考え方もあるでしょう。これは『不動心』のなかでも説いておきました。
この正命のなかでは、やはり、「根を張る」という考え方が大事です。正業、職業的な考え方だと、「とにかく今、与えられているところで最善を尽くす」という考え方もあるでしょうが、正命のなかには、「人生の幹を太くし、また、根を張る」という作業が入っています。これが、おそらく、人生に余裕を与え、そして、幅広い目でいろいろな人の考えを知る、理解するということの材料になっていくでしょう。
ですから、正命のなかには、「余裕」という観点も、できたら入れておいてほしいと思います。現在の自分という立場を離れても、人間としての底力が出てくるように、教養を身につけ、体力をつけ、そして、いろいろなかたちで人々の役に立っていけるような投資戦略を、ぜひともやってもらいたいのです。これが現代的な生き方だと思います。
この点において配慮を怠った人は、やがて、「アリとキリギリス」の話のようになっていくでしょう。これについては、みなさんご存じのはずです。
夏の間、アリはせっせと働き、餌を蓄えていたが、キリギリスは食糧が豊富だったので、歌を歌って過ごしていた。ところが、冬になったら餌が亡くなったため、アリに「餌を分けてくれ」と言ったけれども、「夏の間、あなたは何をしていたのですか」と言われる。こういう話がありますが、このようになっていくということです。
「しっかりと根を張り、幹を太くする」という生き方を見いだしてください。この正命というのは、そのための「積極的反省」にあたります。こうした「積極的反省」を、ぜひしてほしいのです。
以上は現代風の「正命」の解説である。伝統的仏教には、身・口・意、の調和のとれた生活を意味し、身体が罪を犯さなかったか、口から出た言葉が適切だったか、一日を通して意(おも)いによこしまなものがなかったか。トータルバランスを反省することを意味する。酒・タバコ・賭博・麻薬・不適切な性行動などを振り返ることが大事であった(『太陽の法』第2章第10節「真説・八正道」p115参照)。
【大川隆法『真説・八正道』第6章「正命」220pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第4章 政治と経済
○適正なる発展
ここで、私は、足ることを知るという考え方を、
もう一度、説いてみたいと思う。
政治においても、経済においても、この足ることを知るという考え方が、
十分に生かされていないような気がする。
すべてのものが、数字の拡大にあけくれているように思える。
足ることを知るという考えが、どれほど大事であるかということを、
知らなくてはならない。
それは、ともすれば進化のみを追い求める男性的な社会において、
調和の原理を取り入れることにもなるであろう。
足ることを知るということによって、
人びとは両極端の思いから去ることができる。
また、上と下というこの上下の両極端からも去ることができる。
左右の両極端、上下の両極端を去り、
そして、中道に入るという道のなかに、
足ることを知る生き方があるであろう。
さすれば、政治においても、この足ることを知るということを、
十分に知らなければならない。
権力欲をいつまで満たしたところで、そんなものでは何にもならない。
足ることを知り、そして自分を生かす道を考えてゆくべきだ。
また、経済においても同じことが言えるだろう。
会社が発展すれば、それは嬉しいかもしれないが、
どれほど繁栄し発展しても、
限りというものはないであろう。
決して、数や量の拡大が正しいことではないのだ。
そのなかに住み、そのなかに生きる人たちが喜びを得てこその、
繁栄であり発展であるということを、ゆめゆめ忘れてはならない。
足ることを知るということは、
決してブレーキをかけよということではない。
それは、適正なる発展ということなのだ。
適正なる発展ということを考えないと、
すべてのものは失敗に終わってしまう。
樹木であっても、適正な発展があってよいのだ。
草や花であっても適正な発展というものがあってよい。
もし、ひまわりの花が十メートルの高さになったとしたならば、
ひまわりは苦しかろう。
いかに土中から水を吸い上げるかということが、
彼の急務となり、焦りとなり、苦しみとなるであろう。
ひまわりは、やはり二メートルの高さでよいのだ。
また、違った考えもあるであろう。
柿なら柿という木に、数多くの実がなれば嬉しいであろう。
しかし、この実がなりすぎたらどうなるかということを考えたらよい。
なりすぎることによって枝は曲がり、また、その実の味は落ちる。
味が落ち、そして、
その木にとって無駄な仕事をしたことになってしまう。
数多くの実をつけることによって、人びとに喜ばれるとは限らない。
味が落ちれば、人はそれを喜ばなくなるのだ。
やはり、適正な数で、
素晴らしい味の実をつけることがよいことであって、
ある時は豊作となり、ある時は凶作となって、
左右に揺れ、上下に揺れることをもって正しいとは言わない。
いつも人びとの期待にこたえて、適正の量、適正の味で、
柿の実をならせることが、正しいことであるのだ。
そのような考えを忘れてはならない。
すべて、物事の成功には、適正ということが大事である。
なにごとも、やりすぎてはならない。
やらなすぎてもいけない。
中道という道は、決して一時的なことではなく、
無限の成功を作ってゆくための道であるということなのだ。
今、自らの成功をつくってゆくための道であるということなのだ。
今、自らの仕事というものをふり返って、
どこか適正を欠いているところがないかどうかを、常づねに点検せよ。
適正を欠いていないかどうかを点検するということが、
中道に入るということなのだ。
この中道に入るための方法の一つとして、
足ることを知るという視点もまたあるのだ。
そのことを忘れてはならない。
人は、さもすれば外見を繕(つくろ)い、表面を繕う。
表面上の成功を追い求め、浮利(ふり)を追い求める。
浮ついた利益や、浮ついた栄華、浮ついた虚飾、
このようなものでもって、
魂は真に富むことはないということを忘れてはならない。
【大川隆法『仏陀再誕』第4章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力』
第1章 霊的人生観
2 霊性への目覚め
さて、そうした「人生の転機」に際して、「霊性」ということが問題になってきます。
たいていの人は、人生の転機に際して、占い、易であるとか、前世の縁であるとか、運命であるとか、こうしたものに惹かれていくのですが、それを深いところまで考えないで、そのとき、そのときの成り行きの判断に委ねることがよくあります。そして、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という「ことわざ」どおり、忘れていくことがあるのです。
ただ、あの世の世界から見てみると、守護霊たちは、そうしたときに、いろいろと苦心し、努力をしているのです。その努力に対して、本人たちが、「感謝をする」ということなく、また安易な日々を流れていくことについて、守護霊たちが非常に残念そうに思うことも限りなくあります。
人生というものは、決して自分だけが選び取っているものではなくて、その背後には数多くの「目に見えぬ力」が働いているのです。
たいていの人には守護霊というものがついていて、その人を善導するために、日夜、努力しています。
そして、守護霊の手に余るような、大きな問題に関しては、指導霊というものがついていて、この指導霊が、日夜、常に何らかのアドバイスを与えんとしています。この世的に優れた職業を持っているような方には必ず指導霊がついていて、アドバイスをしています。
ただ、たいていの人間は、感謝を忘れ、忘恩そのものの生き方をしています。そうしたことを考えずに、「自分は運がよかった」とか「運が悪かった」とか言ってみたり、「すべて自分の力のせいだ。自分に能力があったからだ」と考えたりします。
そのように、人生の転機に際して、一つのきっかけはあっても、霊性への目覚めが遅い方は数多くいます。
こういう方々の特徴は、結局、「自我が強い」ということであろうかと思います。自分自身を「偉し」と思ったり、自分自身がかわいくてかわいくて、「自分が、自分が」という思いが強かったりするのです。こういう自我の思いが強いわけです。
本当は、目に見えぬ霊的な世界から、目に見えぬ糸が張り巡らされ、さまざまに引っ張ってもらっているにもかかわらず、それを感じず、自分がすべてをやったように思ってしまう。あるいは、失敗をした場合には、自分以外のもの、他人のせいで、そういう失敗に陥ったと考える。このように考えがちであるわけです。
こうしたことは、結局、「自分本位の生き方である」と言えるのではないでしょうか。
「本当に神仏の前に謙虚になる。高級霊の前に謙虚になる」という気持があったならば、やはり、「大いなる霊性への目覚め」というものを体験せざるをえなくなってきます。
霊性の目覚めにも二通りあります。
第一の場合は何かと言えば、挫折を契機として、神仏を求めるきっかけを得る場合です。「何とか立ち直りたい。立ち直るきっかけが欲しい」ということで、神、仏にすがる。あるいは宗教に入る。こういう考え方が一つあります。
これも大事な考え方の一つです。世のマスコミ等は、「宗教は、いかに害悪を流しているか。いかに間違ったものであるか」ということを言っていますけれども、宗教は、やはり、そうした人間の避難場所であることも事実です。
社会生活のなかで、会社のなかで傷ついた人々、彼らはいったいどこへ行けばよいのでしょうか。結婚に挫折した人々、彼らはいったいどこへ行けばよいのでしょうか。子供の問題で失敗した母親は、どこへ行けばよいのでしょうか。失業した人たちは、どこへ行けばよいのでしょうか。病気で苦しんでいる人たちは、どこへ行けばよいのでしょうか。人生苦に悩んでいる人たちは、どこへ行けばよいのでしょうか。
彼らには行く場がないのです。そうした人たちにとって、やはり宗教の門が一つの大きな導きとなることがあります。
そうした意味において、世の一般的なる常識、あるいは評価というもの度外視して、こうした病院の役割、大きな意味での受け入れ先の役割をしているのが宗教であることも事実です。宗教はそういう役割を果たしているのです。
また、これとは逆の場合があります。
成功に成功を重ねていく人、ツキまくっている、あるいは運がついている人で、どんどん、思った通りにピシピシと当たっていき、道が開けていく人がいます。こういう人の場合にもまた、神のご加護を受けていることが非常に多くあります。
彼らは彼らで、信仰心を持って生きていることは非常によくあります。
有名な経営者が、夜になると精神統一をし、正座をしてインスピレーションを受け、重要な経営判断を行ことは、よくあるわけです。
また、優れた人であればあるほど、「霊的な直観」というものを重視していることも事実です。いわゆる「勘」であるとか、「ひらめき」であるとか、こういうものです。成功体験の数多くのある人たちは、どこかで、そうした助けを経験しています。何らかの勘や、直感、ひらめきによって、大いなる事業の成功を得たことが数多くあるのです。
「ひらめきによって新発見をし、それが軌道に乗った」という方もいれば、直観によって危機を回避しえた方もいます。
昨年(一九八七年)の秋であったでしょうか。株が大暴落したときがありましたが、その前に、いち早くそれを霊的に直感して、株を売り払った方もいます。そうした、方は、やはり、「何らかの導き」というものを感じ取っていたのではないかと思います。
ですから、挫折のときにも、成功のときにも、「霊性の目覚め」というきっかけがあるのではないでしょうか。それが、やはり、今生の意味ではないでしょうか。
今生において、一つの霊的な修行をさせられているのは、「この目には、この耳には、この手には、しかとは感じられない世界において、霊的なるものをつかむ」ということを非常な意義を感ずるからであり、「教えられない世界を自分自身で感じ取る」ということに大いなる敬意が払われるからではないでしょうか。
ですから、「この地上での生活のなかにおいて、霊性への目覚めを体験することが、一つの大いなる進歩ではないのか。また、今生における、自分の人生の意味の発見ではないのか」と私は思うのです。
【大川隆法 『漏尽通力』第1章「霊的人生観」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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39 お釈迦様は、「生・老・病・死」を四苦と言われた。自分にも、悟りのチャンスはある。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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エル・カンターレ・大好き
