(9/11-3)73『仏陀再誕』を読む―転生輪廻とは何か―幸いなる者―霊媒体質の克服

『仏陀再誕』を読む

80 しかし、仏法護持のための竜神は、神獣であって、妖怪とは見なされない。ただ妖魔界や地獄には、地をはう竜や、空を飛ぶ竜がおり、他の妖怪や、地獄界の住人を恐怖に陥れている。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

24 元・女優が、下着を洗わずに積み上げ、使用済みの生理用品も積み上げて、家を汚くしていた姿まで、一瞬見て取れた。(もちろん糞まみれの豚の姿である。)

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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【正念】念の方向を切り替える
〇「結局、自分を幸福にしたいのか、したくないのか」を問いかける

ただ、私は、あるところでそれを切り替えたのです。それは、ある霊人からの言葉が転換点にあったように思います。

要するに、「結局、おまえは何を欲しているのか」ということを強烈に問われたわけです。「自分の罪や悪を責め、自分が至らないということだけを認識するために生きているのか。それとも、おまえはどういう人生を心に描いているのか。未来を拓いていきたいのか、いきたくないのか。人を幸福にしたいのか、したくないのか。自分を幸福にしたいのか、したくないのか。はっきりせよ。それが出発点である」と言われたのです。

そう問われてみると、それほどはっきりと考えたことがなかったのです。

〇自己憐憫(じこれんびん)から脱し、他の人を愛せる自分を目指す
そして、「いろいろなことに傷つく心」というものを振り返ってみると、そこに、自己憐憫に陥っていた自分に気づいたわけです。

こういう人はそうとう多いのではないでしょうか。自分の失敗や欠点など、いろいろなことはあるでしょうが、それがいつも頭のなかをグルグルと回り、自己憐憫に浸っている人は大勢いるでしょう。この渦のなかから決して出られずにいるのです。その自己憐憫の渦のなか、渦中にある人は幸福にもなれないし、ましてや、他人への愛など出ようはずもありません。もはやそのことで手一杯なので、他人への関心もなくなっていくわけです。

そして、「なぜ、自分がこれほど不幸なのか」と思い続けるのですが、不幸に落とし込んでいるのは、実は自分自身であるわけです。自分自身に、「かわいそう、かわいそう」という自己憐憫的な気持ちがあるということです。

この「かわいそう」という気持がどうなるかというと、潜在意識下で、自分をさらに惨めな境遇に落としていきます。そして、他人から悪口を言われたり、被害を受けたりするような環境を作り出していくわけです。

自虐的な気持ちがあれば、必ずそういう環境が出てくるでしょう。実験してみてください。そのとおりです。自己卑下的に生きてみてください。一発で、人からずいぶんからかわれたり、バカにされたりし始めます。とたんにそうなっていきます。本当に、自然自然に呼びこんでくるわけです。

ただ、その責任は決して他人にありません。自分自身にそういう不幸を愛する傾向があるから、そうなるということです。

〇「念」の方向を切り替え、不幸を愛する傾向と決別する
これは、一つの「念」です。この「念」の方向が違っているので、これを切り替えないかぎり、”幸福になれない症候群”として生きていくしかないということです。

あなたは、今、どういう人生を希望していますか。
これをはっきりとしなければいけません。この「念」を確定しないかぎり、逆の方向へ行く人はいくらでもいるのです。

いくら助けようとしても、いくら励まそうとしても、下へ向かって進んでいく人は、どうしようもありません。不幸を愛している人は、救いようがないのです。こういう人は、神も仏も救えないということです。

なぜならば、これは「心の法則」であり、各人が求める方向へどんどん向いていくわけです。そういう方向に出ていくのです。

【大川隆法『真説・八正道』第八章「正念」256pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、この世へ執着と煩悩を断つ方法として『漏尽通力』を共に学びます。経典をお持ちでない方は、ぜひお求めください。【1700円税抜】
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第六章 転生輪廻とは何か 

○幸いなる者
何ら人より強制されることなく、
何ら無理強いされることなく、
何ら特に学ばされることなく、
あの世の世界を信じ、
転生輪廻を信ずることができる者は幸いである。
そうした者たちは、魂の記憶のなかに、
過去世の様相が残されているのである。
魂の比較的浅いところにまで、
そうした仏法真理が焼き付いているのである。
そうした者たちは幸いである。
過去の転生においても、仏法に馴染(なじ)んできたことが、
数多くあるにちがいない。
過去の転生において、仏法を学んだことがあるからこそ、
そうであるからこそ、今世においてもその事実が、
比較的早くわかりやすくなったにちがいない。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
あなたがたは修行の道に入って、
まだそう長い月日は経っていないにちがいない。
されども、あなたがたがこうした早い時期に、
仏法真理にたどりつき、仏法真理の縁を得、
そして、悟りへの道を歩むことができるようになったことを、
感謝せよ。
仏法真理にたどりつき、仏法真理の縁を得て、
悟りに到る道を歩みはじめたということは、
人間として生まれて最大の幸福でもあるのだ。
おまえたちは、幸福な人間であるということを、
よくよく心のなかに言いきかせねばならない。

この地上的なる富を、いくら積まれようとも、
この地上的なる名誉を、いかに積まれようとも、
この地上的なる地位や、肩書や、権勢(ごんせい)や、
そのようなものすべてを、いかに積まれようとも、
この幸福にはかなわない。
すべての地上的幸福、金銀財宝と引き換えであっても、
この幸福を譲り渡してはならない。
仏法真理の縁に触れ、悟りの道を歩んでいる者の幸福は、
何物にも替えがたいということだ。
もし、あなたがたが仏法真理の道に入(い)り、
悟りを得る道に入り、
その幸福をまっとうにしたいならば、
あらゆる恐れから自由でなければならない。
あなたがたは、
経済的な恐れを捨てよ。
あなたがたは、
人から愛されなくなるのではないかという恐れを捨てよ。
あなたがたは、
人から尊敬されなくなるのではないかという恐れを捨てよ。
あなたがたは、
人から優れた人だと言われなくなるということを恐れてはならない。
そうではない。
悟りへの道を歩む途中において、
その幸福がどれほど尊いかを知ったならば、
この世的なるものは、
もはやどうでもよくなるということを知りなさい。
そのようなものは、やがて去ってゆくものなのだ。
やがて消え去ってゆくものなのだ。

【大川隆法『仏陀再誕』第六章「転生輪廻とは何か」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第四章 漏尽通力
3霊媒体質の克服

現代的霊能者のあり方に引き続いて、「霊媒体質の克服」という話をしておきたいと思います。

霊媒体質の克服というのは、結局、霊能者すべてへの警鐘でありましょう。霊能者で、霊媒体質でない人間はいません。霊視ができる能力とか、霊言能力とか、霊聴能力とか、予知能力とか、いろいろな能力がありますが、それらがすべて霊媒能力と関係しています。

霊媒能力とは何かというと、肉体に霊をかからせる力です。これを持っていない人間はいないのであって、釈迦も、キリストも、モーセも、ある意味では霊媒能力の持ち主でした。すなわち、霊的能力の源として、自分の肉体そのものを使うことできる人たちです。

「霊的交信機器として、自分の肉体を使える」ということは、「肉体を支配している心が、それだけ精妙な波長を出すことができる」ということを意味します。肉体そのものに大きな意味があるわけではありません。「肉体を支配している心に、それだけの力があり、その心が肉体と調和している」という現状をもって、霊媒体質というのがありうるのです。

ところが、霊媒体質にも、「高級霊媒体質」と「低級霊媒体質あるいは悪霊体質」とがあります。そして、世の九十数パーセントはね低級霊媒体質あるいは悪霊体質です。「悪霊たちのなすがままにされている。翻弄されている」というのが現状であることが多いのです。

こうした霊媒体質になってくると、今度は、霊を追い出そうとしても追い出すことができなくなってきます。不意に、いろいろな声が聞こえてきたり、いろいろな霊がかかってきて体が動いたりして、これを克服することができなくなってくるのです。

そして、彼らの声がささやきとして耳のところから聞こえてきます。「今日は車に乗れ」とか、「今日はどこそこに行け」とかいう声が聞こえてくるようになります。そして、そのとおりにしていくと、たいへんなことになってきます。「おまえは、そのうち事故を起こす」
とか、「会社は倒産するであろう」とか、あるいは、もっとひどくなってくると、「このコードを首に巻き付けろ」と言ってきたり、「お金を近所にばら撒け」と言ってきたり、おかしなことを言ってくるのです。あるいは、「生魚をかって来い」と言ってきたり、「油揚げを奉ってみろ」と言ってきたりします。こういうことがあるのです。

この霊的なものの命令を聞いて、これが神の声と本当に思えるだろうか。高級霊と思えるかどうか。これをよくよく判定しなければいけません。高級霊である以上は、この地上でいきていたときにも、優れた人であったはずです。「そういう人があの世に還って、そういうことを言うかどうか」ということを、一度、考えねばならないのです。

人類史に残っている釈迦であるとか、キリストであるとか、モーセであるとか、あるいは、それ以外の日本で言うと、空海であるとか、日蓮であると、親鸞であるとか、こうした人たちは、この世的にも非常に優れた人であったし、すぐれた思想をもっていたし、優れた人格を持っていたはずです。例えば、彼らが地上を去ってあの世に行ったときに、はたして、そうしたことを言うであろうか。これを考えねばなりません。そうしたことは、原則ないのです。

では、低級霊媒体質になった人は、いったいどうしたら、そこから逃れることができるのでしょうか。その方法論について、話をしておかねばならないと思います。

一つには、「徹底的な無視」という方法があります。霊が何をささやこうが、何を言おうが、どうしょうが、絶対に相手にしない。こういうことで徹底的に無視の姿勢を一年ぐらい貫くのです。そうすると、やがて霊がかかってこなくなる体質になっていきます。この「徹底的無視」「相手にしない」という態度も大事です。

いつも声が聞こえる。いつも行動を起こそうとする。手が動く。足が動く。こういうことを放置しておいては、完全に操り人形になっていまいます。完全に無視する。そして、「自分の主体的意志」を非常に強固に打ち立てる。バシッと打ち立てる。こういうことが大事です。これも一つの方法です。悪霊たちは話し相手を求めているので、決して耳を傾けてくれない人には近寄ってこれないのです。こういうことを考えねばなりません。これが一つです。

もう一つは、「真理の書に心をあわせる」「真理の書を、毎日、一定の時間読む習慣をつける」ということです。つまり、光が溢れている書物を一定時間読むことによって、心のなかに常に光を浸透させる。燦然(さんぜん)とした光を心のなかに照射させる。こういう必要性があるのです。こうすると、霊障から逃れていくよすがとなります。光が射してくることによって、高級霊体質へと変わっていきます。それで、低級霊たちの波動を受けなくなるのです。

それ以外にも、例えば、「真理の講演CDを聴く」という方法もあるでしょう。実際に肉を持った光の指導霊たちの声を聴く。話を聴く。それによって、心の波動を変えていく。波長を変えていく。そして高級霊体質に変えていく。こういうことが大事でないかと思います。そうすることによって、心のなかにわだかまっている悪想念が出ていって、低級霊たちの拠点がなくなっていくのです。

このように、「無視する」、あるいは「真理の書を読む」「真理の講演CDを聴く」「講演そのものを聴く」という方法がありますが、これ以外に、もう一つ、「この世的にしっかりした人間になるべく、努力する」という方法があります。

それぞれの人間は、何か仕事をしているはずです。仕事をしているならば、「その持ち場のなかで、最高度に自分を発揮していく」という方法があります。仕事に打ち込んでいく。最高の生き方をする。店員であれば、店員として、最高の店員になるべく努力をする。経営者であれば、最高の経営者として努力をする。このように、「価値の感じるもの、自らの生活の糧を得ているものに全力を投入していく。そして、一身を投げ出していく」ということです。このなかに、霊媒体質から抜け出す一つの方法があります。

すなわち、人間は、「同時に二つのことは考えられない」という特質を持っています。そして、「霊たちとかかわっている」というのは、「それだけの時間を持っている」ということなのです。また、「彼らとかかわるような環境にある」ということなのです。したがて、これから脱するためには、極めてこの世的であるけれども、「この世的な世界のなかで、意義のある世界、意義のある仕事に全力投入をしていく」ということが大事なのではないかと思います。

霊媒体質克服の第四の方法として挙げられることは、やはり「健康」です。「健康を維持する」「体力を維持する」ということが非常に大事です。体力が弱ったとき、健康が優れないときに、霊媒体質から逃れることは非常に難しいです。したがって、まず、健全な体をつくることに力を注ぐことも大事です。健全な体で健全な生き方をすることが大事なのです。

そういう努力によって、昔から言う「健全な肉体に健全な精神が宿る」のたとえどおり、高級霊が感応してくるのです。強健な肉体を持っている人に、悪霊はかかりにくいのです。悪霊がかかってくるのは、たいてい、いつも心に心労が絶えず、そして、「体のどこかが悪い」と不平不満を訴えている人たちです。ノイローゼになったり、内臓諸機関の調子が悪くなったりしている人たちです。こういう人たちを目がけて、悪霊たちは寄ってくるのです。


したがって、低級霊媒体質を克服するためには、肉体の強化が必要です。これによって、魂も強くなっていくのです。

五番目にあえて言うとするならば、「意志を強くする」ということです。意志を強くする。意志とはいったい何か。すなわち、神の子としての意志です。これを強化するということです。

「自分は神の子である」という自覚。「神の子として一生、生きているのだ。ユートピア創りのために生きているのだ」という強い自覚です。「運命のままに翻弄される自分ではなく、神の子として、神の意図を実現するために生きている力強い人間である」という強固な自覚です。自身です。この自信が、自覚が、悪霊から身を護るようになっていまきす。そういうことが非常に大事ではないかと私は思うのです。

【大川隆法 『漏尽通力』第4章「漏尽通力」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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