65 万引きを常習としていた人が死んだ、あの世では、手術台に乗せられて、臓器移植のドナーとして、いろんな臓器を取り出された。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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ここで、心の浄化である反省についての基本を深めるために、1988年10月2日に説かれました「反省の原理」を学びます。本経典は『幸福の科学の十大原理(下巻)』に収められています。経典をお持ちでない方は、とても大切な教えが凝集されていますので、上巻と下巻あわせて、お近くの支部や精舎、全国の書店にてお求めください。【税抜1800円】
悟りとは実に厳しいものである。しかし、この厳しさを経て得た「悟り」こそ、真の「幸福」であるのだ。
人間とは実に、霊的なる存在である。この地上を去った時、あの世に持って還れるものは「心」しかない。ゆえに、心の幸福であるところの「悟り」こそがすべてなのである。霊性を開発し、真なる目覚めを体験せずして、今の自分を幸福だなどと思うな。それは迷妄そのものである。
私が、ここに全人類に告げる『悟りの原理』こそが、永遠の真理として語り継がれるものなのだ。ここに永遠の仏陀の声が記されているのだ。
聞け、この獅子吼を―。【悟りの原理「まえがき」】
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■『反省の原理』
4真説・八正道
③正命
八正道には幾つかの分類の仕方がありましょうが、さらに「正命」ということも挙げおきたいと思います。これは私は「正しく生活をする」という言葉で言い換えています。
「正命」は「正しい命」と書きますから、「命を全うする」というのがその根本の意味です。
「命を全うする」とは、どういうことであるか。それは、すなわち、「この空間のなかに、この時間のなかに投げ出されている私たちの魂を、本来の姿として現しめる」ということです。
それは自ずから、「正しい生活をしたか」ということにつながっていくのです。この「生活への反省」は、毎日毎日、みなさんの心を去ることがないでしょう。これにもまた完璧ということはないのです。
一日の二十四時間を振り返ったとして、そのなかで「自分はよくやった」と思うこともおそらくあるでしょう。「この一日よくやった」と思うこともあるかもしれませんが、では、つぎなる質問を投げかけられた時に、どうなりますか。
あなたは、その二十四時間を、もっと神の心に近い生き方で生きることはできなかったでしょうか。あなたが十分に使ったと思われるその一時間を、あなた以外の、もっと仏法真理に目覚めた方であるならば、また違った生き方をされたのではないでしょうか。
こう問いかけられたときに、この正命の反省はまたとどまるところがないものとなります。
現代的に言えば、これは「時間の効率的な生き方」ということになりましょうが、時間の効率的な生き方という、この「時間」の意味が、『平凡からの出発』(前掲『若き日のエル・カンターレ』)にも書いてあるように、「相対的時間」の効率的な生き方であってはならないと言っているのであります【※「相対的時間」とはこの世的に時計で計れる時間。一方「絶対時間」とは仏法真理のために捧げられた時間】。その二十四時間をどれだけ「絶対時間」で生きたかという、そこで測られるのであります。
私たちが生きている時間は人それぞれに違っているのです。二十四時間は時計で計れるでしょう。その一時間一時間には、個性の差がないように思われるかもしれません。
けれども、仏法真理の目から見たら、「一時間は一時間であって一時間にあらず。ある人の一時間は一分にも値しない。一秒にも値しない。しかし、同じ一時間が、ある人の場合には二千年分にも値することがある」ということであります。
イエスの教えを聞いていた人びとにとって、その一時間は二千年分にも相当したでしょう。これも「絶対時間」といいます。これは説法を聴いている時間だけではありません。心のなかに去来した思いのなかで、真実の自己に目覚めた時間はどれだけあったか、そういう目覚めた自己で一日のうちのどれだけを生き切ることができたか。これが「正命」であります。
あなたがたは「時間を効率的に、能率的に生きた」と思っているかもしれませんが、「一日を一生として、あるいは千年、二千年として生きることができたかどうか」を考えたとき、ここにもまた無限の反省の余地があることに気づかねばならないのです。
【大川隆法『幸福の科学の十大原理(下巻)』第4章「反省の原理」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第6章「正命」
2 時間単位の真理価値を高めよ
〇一日の時間の使い方を「ユートピアへの貢献度」の観点から反省する
時間管理ということは、現代的仏法真理においてはどうしても必要です。これを無視しては進めないものがあります。それも、単なる「相対的時間」、時計で計れる時間だけではなく、「絶対時間」という意味で考えていく必要があります。自分の一時間の時間効率を高めることです。
この時間効率は、単なる作業効率とは違います。物を運ぶという意味での作業能率を高めるというものではなく、「一時間に含まれているユートピア価値を高める、真理価値を高める」ということでもあります。その人の一日二十四時間になした「ユートピアへの貢献度」「真理への貢献度」というものを、時間単位で割りだした時に、平均打率が出ます。この平均打率をどうしても高める必要があるのです。これが、人生を黄金色に変えるための秘訣でもあります。
この観点は、反省において非常に大事です。「一日をどう生きたか、生活したか」という反省は、漠然としていて分かりにくいことが多いのですが、時間の観点から反省していけば、かなりところまで分かります。「自分が、どのように時間を使ったか」という観点から反省をしていくのです。
朝起きてから夜寝るまでの間の時間の使い方を反省していきます。そして、そのなかでどれだけ時間効率を上げてきたかということを見ていくわけですが、この「時間効率」は、単なる作業効率のことを言うのではありません。「真理的立場」「トートピア的立場」から見ての時間効率をどれだけ上げたか、まったくそれに関係のない時間が多すぎはしなかったかどうかです。
〇ミスのないしっかりとした仕事には真理価値がある
デスクワークにおいても、確かに、しっかりした仕事をしているということは、それ自体に真理価値があることは事実です。それは小さな会社での出来事ではありますが、少なくとも、そのなかで役に立ったことは事実ではあります。
ですから、特に真理にかかわる運動をしたことだけを言っているわけではなく、普通の職場でデスクワークをしていても、そのなかにおいてきっちりとした仕事、よい仕事をしたということであるならば、それはそれでプラスと考えてよいでしょう。その間に仕事でミスを犯したり、あるいは他の人に迷惑をかけたり、取引先に迷惑をかけたりと、マイナスのことをたくさん起こしたならば、これは真理価値的にはマイナスになっていきます。
したがって、その単位時間当たりの自分の仕事の内容を見ていくことが大事です。これが正命的判断からの反省です。
「正業」と「正命」とは似たところがありますが、このように、正命を「一日の時間の使い方」という観点から照射していくことも可能です。これに対して、正業は、「もっと大きな意味での仕事の仕方」、「自分の生き方」、「行為によって自分の値打ちは決まる」といった点から考えればよいでしょう。
【大川隆法『真説・八正道』第6章「正命」214pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第4章 政治と経済
○経済の真実
また、
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
あなたがたは、現代の経済原理に戸惑うことが多いであろう。
この経済原理そのものを、
いかに考えたらよいかがわからないであろう。
この経済原理と仏法真理とが、
どのように関係するのかがわからないであろう。
経済ゆえに苦しみをつくっている人も数多くいるであろう。
経済ゆえに転落をつくっている人も数多くあるであろう。
経済ゆえに大きな執着をつくって、
そして、今という時代がそういう時代であるならば、
経済のなかに生き、経済を超えよ。
そのような生き方もまたあるはずだ。
いかに、あなたがたが心を磨けども、
この世の中に経済という原理がある以上、
これからは逃れることができないであろう。
さすれば、
この経済原理のなかで正しい道を選んでゆくことも大事である。
そう、私は思うのだ。
これは、かつて八正道のなかに説いた、
正しく行為をする正業という思想に照らし合わせて、
妥当する考えであるのだ。
あなたがたは多くの仏門に入り、
正業とは何かを知らないままに生きたであろう。
いま、この時代に生まれ合わせて、
真の正業とは何であるかということを勉強する機会を得たことを、
仏に感謝せねばならない。
真の正業とは、あなたの栄えるということが、まわりの人をも富ませ、
まわりの人を富ませることが、国全体を富ませることとなり、
多くの幸せを呼びこむことにある。
経済の原理も、正しく使われたならば、
多くの人々を幸福に導く原理となるであろう。
しかり、経済とは、
経済のみにおいて、単に独立して存在するものではない。
経済とは、心というものを、さらに磨き、
豊かにするための原動力となるものでなくてはならない。
経済は、心に奉仕するものでなくてはならない。
そうであってこその経済であって、心が経済に奉仕するようになれば、
あるいは、経済が心を奴隷のごとく扱うようになれば、
もやは、人間としての生き方であるとは言えない。
諸人よ、これより後、よくよく心しなさい。
経済はあなたがたの心を王者にするがために仕えるのであって、
経済のために心が仕えてはならない。
これだけを忘れてはならない。
心清く生きて富める者は幸いである。
そのような者は、その経済力を一つの力として、
より多くの心を磨き、心の修行の場を得、
多くの人々に感化を与えよ。
また、経済に力無き者であるならば、
しかし、そのことをもって大きな苦しみとすることなかれ。
経済を苦しみとしてはならない。
貧しきことをもって苦しみとしてはならない。
経済的破綻をもって苦しみとしてはならない。
されどもまだ永遠不滅のものがある。
その永遠不滅の魂を、心をこそ磨くという最後の仕事が残っている。
最後の仕事にして最初の仕事、
最初の仕事にして最後の仕事、
それは、いかなる環境下にあっても己が心を磨き続けるという仕事だ。
この己が心を磨き続けるという仕事に、経済という原理を当てはめよ。
己が心を磨きながら、魂の修行をしながら、
しかして経済の原理に奉仕することもまた可能なはずである。
思い返してみれば、貨幣というもので測られている値打ちは、
他の人びとに役立つ仕事をしたならば、
それが豊かさとなって返ってくるということではないのか。
さすれば、あなたが今貧しいのは、
他の人びとを真に富ませるような仕事をしなかったからではないか。
経済原理における反省というものもあるであろう。
真に人びとの役に立つ仕事をしていて、
富まないということがあるであろうか。
もし、真に人びとの役に立つ仕事をしていて、
自らが富むことなく、いつも経済的危機にあるならば、
智慧が足りないからだろう。
智慧を生かせ。
智慧を生かせば、経済が伸びてくる。
智慧を生かせば、経済は光を放つ。
智慧を生かせば、失敗ということはない。
おそらくは、あなたがたは理想にのみ燃えて、
真によいことをすれば豊かになるはずであるのに、
何ゆえにこんなことになるのかと思うだろうが、
おそらくは、智慧を十分に生かし切っていないのであろう。
智慧を生かすとは、どういうことであるか。
智慧を生かすとは、時間を生かすということである。
智慧を生かすとは、人を生かすということである。
この二点を忘れてはならない。
智慧あるものは、時間を掌握する。
智慧あるものは、時間を自由自在に駆使する。
時間をもって、自らの味方とし、時間をもって、自らの武器とする。
時間をもって、自らの血液とし、時間をもって、自らの栄養とする。
これ、智慧ある者の姿なり。
また、智慧のみならず、また時間のみならず、
人を生かすをもって成功に導く例はあまたなり。
人を生かすということは大切だ。
人を用いてこその経済であり。
人を見るということにおいて、経済は大いなる力を発揮し、
大いなる魂の場を提供するものなのだ。
あなたがたが、一人僧堂にこもり、
そうして一日坐禅をするとも、
そこに、何らの経済もなく、
何らの人との接触もないであろう。
しかし、一度職場に出でて、そこにて毎日の仕事をする時に、
その経済原理のなかに、
あなたがたは、
人をどのように生かすかという問題に直面するにちがいない。
それは、大いなる学びである。
その大いなる学びを十分に使わなければならない。
【大川隆法『仏陀再誕』第4章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第6章 人間完成の哲学
10 仏陀となる道
前節では、如来となる道を示しました。平凡な魂であっても、うまずたゆまず努力すればそこまで行けるということであり、地球出身で如来になった人がかなりいることも事実です。
さらにその上には、「仏陀」といわれる存在があります。仏陀とは「覚醒せる者」「悟りたる者」という意味であり、それぞれの星において、救世主として輝いている方がたです。
そうした仏陀が地球系霊団には十名います。仏陀と呼ばれる存在は、単に一億人を指導するだけではなく、一つの霊系団の責任者となれるだけの実力者です。
如来が仏陀、つまり九次元の大如来となるためには、どれほどの努力が必要とされるか、みなさんは分かるでしょうか。如来となって最低でも一億年の実績がなければ、仏陀にはなれないのです。
如来として幾転生し、一億年以上にわたって人類を導いたという功績があって、初めて九次元の大如来、救世主の世界に入ることができます。上段階菩薩が如来となるのに一万年かかるという話をしましたが、如来が大如来となるためには、実に一億年の歳月を要するのです。
したがって、いま八次元に入る五百名近い如来たちは、如来として一億年の歳月を経ていなければ、九次元の大如来にはなれないのです。しかも、その間に転落した場合には、またゼロから始めることになります。大如来の誕生は実に難しいものなのです。
一億年か二億年に一人の割合で大如来が誕生しているようですが、地球系霊団では、地球出身の大如来はまだ出ていません。現在、九次元にいる大如来たちはすべて、他の天体から渡ってきて、地球霊団をつくることにかかわってきた人たちです。
ただ、地球においても、八次元上段階の「狭義の太陽界」に何人かいるので、彼らがやがて大如来となる可能性はあります。おそらく、ここ数千万年のうちに、大如来となる人たちが出てくるだろうと思います。
そして、新たな大如来が誕生した場合には、九次元の大指導霊の数が増えることもあれば、大如来のうちの誰かが他の惑星に移り、そこで新たな指導をすることもあります。
このように、人間の魂は、永遠の進化、永遠の努力の過程にあります。そこにおいて最後に勝利するための方法は、忍耐と、うまずたゆまず努力する姿勢、これに尽きるのです。
それがなぜ賛美されるかと言えば、より多くの人に幸福をもたらすことができるからです。「多くの人に幸福をもたらすことこそ、最大の幸福である」ということを、みなさんは知らねばならないのです。(完)
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〇あとがき(旧版)
読者の皆様は、おそらく最終章をお読みになられて、悟りとはこれほどまでに難しいものなの

