16 「動物性が極めて強い」と判定されると、次は、「畜生道」・「動物界」という地獄に送られる。
17 「畜生道」では、身体は動物と同じとなるが、時々、顔は、人間時代の顔にぶれて見える。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、一日一生の精神をあらたにすべく、『天御祖神 武士道を語る―現代に求められる真実の死生観』の教えを確認します。とても大切な教えですので、教典をお持ちでない方は、支部・精舎・全国の書店にてお求めください。【税抜1700円】
―今日、命がなくなったとして、おまえはそれで満足できるかどうか」ということを、日々、自らに問うということだな。そういう生き方をしなさいということだ。―天御祖神
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■『天御祖神 武士道を語る』
四、「本物の信仰」に見える武士道
〇間違いに対する神の処罰を甘んじて受ける「潔さ」は武士道にとって大事な考え方
質問者A あと、これだけコロナで「信仰ワクチン」という言葉が言われていますが、やはり最近、身をもって感じたことは、「自分が考えていた信仰」と、本当の意味で霊人たちから頂いていた「信仰ワクチン」という言葉―宇宙人の方々からもずっといただいていたのですが―「彼らが行っている信仰」との意味が、もしかしたらズレているかもしれないという・・・。
天御祖神 うん。そうだね。
質問者A 彼らの言っている「信仰」は、もっと厳しいものなのではないかという感じがしております。
天御祖神 まあ、そうだね。
だから、グループに属する、「会員である」という認識は、
「自分の追い風になる範囲内では許容するが、
それうでなければ裏切る。捨てる。悪口を言う。批判をする。
外に出て教団を悪く言う」、
そういうことで、
「自分の身の安全こそ第一」という考え方だな。
こういうものは昔からよくありますけどね。
「裏切る」というやつでね。
あるけけども、「本当の信仰」には届いてはいないわね。
人が「本当の信仰人」であるかどうかは、
やっぱり、試しのときが来るので、
そういうときにどう判断するかということだね。
だから、初期に幸福の科学を手伝った人でも、
自分の利害と相反するようになったら離れていって、
悪口を言う人はいっぱいいた。
それは、やっぱり「信仰」ではなくて、
「趣味のサークルか何かにでも参加した」
ぐらいの気持であったということ。
あるいは、
「自分が活動していることで
常に脚光を浴びられるのならば信じるけれども、
あとの人にその場所を取られるなら
信仰を捨ててしまう」
みたいな、そういう利害の計算だな。
「自分をほめ称えて、自分を使ってくれて、
自分を輝かせてくれるかぎりにおいて信じる」
という心は、実にさもしいものではあると思うんだよね。
そして、主なる神であるならば、
人間が間違っているときに、
それを叱る、あるいは処罰を与える、祟りを与えることは
ありうることなので、
それを甘んじて受ける潔さは必要なので。
この「潔さ」というものも、
やはり、武士道にとっては非常に大事な考え方なのだな。
自分の我欲を実現することばかり人は望みがちであるが、
それは、獣(けだもの)や、あるいは昆虫らと、
そう大きく変わらないものではあるのでね。
「潔さ(いさぎよさ)」ということも大事なので。
そこのところまでいっていなくて、
「いやあ、同じ人間だけど、
たまたま今、上役になって給料を払ってくれている人だ」
ぐらいに思っているなら、
その信仰は浅いわな。
限りなく浅い。
【大川隆法『天御祖神 武士道を語る』より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『太陽の法』より「八正道」を学びます。
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■仏法真理は語る
10真説・八正道
人間は、盲目です。生きている人間は、自らの五官知を超えた世界には気づきません。しかしほんとうは、私たちの五官を超えたところに、真実の人生の意義というものはあります。逆説的ではありますが、五官は、五官を超えたものを悟らしめるよすがとなりうるのです。私たちは、真実の人生に対して盲目であることを単になげくだけではなく、盲目は盲目なりにしっかりと手さぐりをして、しっかりと五官をとぎすまして、真実なるものを探し当てようではありませんか。そしてまた、その努力のなかにこそ、真説・八正道、その姿を現してくるのです。
八正道は、人間完成への道です。自らのあやまった方向を修正し、正しい人生を生きるための智慧なのです。
人生とは、こう生きればいいといった模範解答があるわけではありません。なぜならば、人生は疑問の連続であり、その疑問は、各自のおかれた環境、経験、知識、習慣によって、それぞれ異なった内容をとってくるからです。その疑問を解決するのは、他人ではなく、ほかならぬ自分自身なのです。自分自身で軌道修正しなくて、一体だれがその軌道を修正してくれるのでしょうか。
そのためにこそ、ひとりひとりが、自らの生きているわくのなかで、「正しさ」というものを徹底的に追及する必要があるのです。
では、その「正しさ」の基準とは、一体なんでしょうか。何をもって、「正しい」とするのでしょうか。それを答えるのが、真実の宗教指導者の使命であり、今世における私の使命なのです。
「正しさ」を知るとは、仏の心を知るということなのです。仏の生命を科学するということなのです。何が善で、何が悪であるか。何が真で、何が偽りであるか。何が美で、何が醜であるか。それを決めのは、仏の心なのです。そして、仏の心を知るということは、仏の光のエネルギー体の性質を究明するということなのです。すなわち、仏を理解するために徹底的に努力をするということなのです。
仏の心、仏のエネルギー体としての性質を理解していただくために、私は、本書以外にも、理論書を刊行しています。この教えは、仏の心を知るための最大のよすがとなるはずです。仏の心を知り、「正しさ」をつかんで、自らの八正道の指針としていただきたいと思っています。
私が、みなさんにお伝えしている仏法真理は本物です。悪魔や悪霊に振り回されている人でないかぎり、それを読めば心は揺さぶられ、反省の涙がこみあげてくるはずです。私の教える正しさを人生のヒントとして生きていくべきです。その際に、つぎの各項目を反省の材料として、日々を生きていただきたいと思っております。
一 自分は、正しい信仰に基づき、ありのままを多々しく物事を見たか(「如実知見」)。正しく人を観察したか。仏のような心でもって、人々に接したか。正しい世界観、人生観を素直に受け入れたか。(正見)
二 自分は正しく思ったか。自分の修行の志は正当か。心のなかにむさぼりや怒りや愚痴など悪い想念を抱かなかったか。他人に対して悪しき想いを抱いたり、害心をいだかなかったか。慢心したり、仏法を疑ったりしなかったか。仏法に反する考えを持たなかったか。また、正しく判断したか。(正思)
三 自分は正しく語ったか。自らの良心に恥じるようなことは語らなかったか(真実語)。言葉で、他人を傷つけなかった(悪口)。悟りを偽らなかったか(妄語)。他人を迷わし、うぬぼれさせたり、(綺語)仲違いをさせ不安におとしいれるようなこと(両舌)を語らなかったか。(正語)
四 自分は正しく行為したか。修行者としての戒律を犯すようなことはなかったか。手や足やその他身体器官が、法律に反する殺人・暴力・盗みや、性道徳に反する、不倫や、わいせつ行為、悪質な風俗営業での堕落した行為、ポルノへの傾倒などの罪を犯すことはなかったか。あらゆる生命を尊重し、仏・法・僧の三宝に布施を惜しまなかったか。(正業)
五 自分は正しく身・口・意の調和のとれた生活をしたか。酒やタバコ、賭博、麻薬などにまみれたよこしまな生活をしなかったか。万物に感謝したか。また、仏のくださった二十四時間を生かし切ったか。(正命)
六 自分は正しく仏法真理を学んでいるか。修行の気持ちが薄らいでいないか。一体どれだけ悪から遠ざかり、善の種をまいたか。正しい努力を怠っていないか。(正精進)
七 自分は心を落ち着けて、修行とユートピア建設に関する正しい人生計画を抱くことができるか。自己実現の祈りは、仏の心にかない、悟りを高め、自らの人格をも高めるものか。また、仏法真理を深く理解し、教えを正しく記憶しているか。(正念)
八 自分は正しい精神統一の時間を持っているか。自らの過去の罪を反省し、その日一日をしっかりふりかえり、守護・指導霊に感謝してから就寝しているか。精神統一によって心の安らぎを得ているか。(正定)
右にあげた八項目が、真説・八正道にして、今日においても、その価値を失わない、人間としての正しい生き方です。そして、このように、毎日毎日を正してゆくことが、非凡な人生を歩み、仏の高みへと自分を押し上げていく力となるのです。
【大川隆法 『太陽の法』第2章「仏法真理は語る」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』
第2章「正見」
4 自他の姿は合わせ鏡
また、「一日中、いろいろな人を正しく見る」ということと同様に難しいのが、「自分自身を正しく見る」ということです。これも反省においては欠くことのできない作業です。
これは、「他人を正しく見ることができない人は、自分自身をも正しく見ることができない」と言うこともできます。あるいは、「自分自身が見えない人は、他人を見ることもできない」と言い換えることもできます。共に真実です。
真に自分自身を知らぬ人は他人を知ることもできません。それは、「自分のなかに神の子、仏の子を発見できなかった者は、他人のなかに神の子、仏の子を発見することもできない」ということと同じです。
また、他人のなかに神仏の心に反する姿を見ることのできない人もまた、自分のなかに神仏の心に反する姿を見ることができません。自分が神仏の心に反した姿をしていること、そうした振る舞い、行動をしていること、そうした生き方をしていることを発見することができないのです。
逆も真です。自分自身の生き方、行い方、これが神仏の目から見て真実の在り方に反していることが分からない人は、他人のそれもなかなかわかりません。程度の違いはもちろんあるでしょうが、そうしたものです。
したがって、「他を見る」ということと「自己を見る」ということは、合わせ鏡を見ているようなものであり、自と他の両方を合わせて初めて、本当の姿が見えてくるのです。自と他はまさに合わせ鏡なのです。
「他人だけが見えて自分が見えない人」もいなければ、「自分だけが見えて他人が見えない人」もいません。両方が見えなければ、「本当の自己」「本当の他人像」「本当の世界像」は決して浮かんでこないのです。
【大川隆法『真説・八正道』第2章「正見」57p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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■『永遠の仏陀』
第2章 真実の人となれ
〇最大の実りを得る
さて、さらに私は、次のことを言っておきたい。
おまえたちのなかで、
環境に打ちひしがれ、
失敗を積み重ね、
苦しい生き方をしてきた者があるであろう。
そして、その苦しみのなかで、真理を悟り、
なんとかして、
よき人生を切り開かんとしている者もあるであろう。
しかし、そのような者であっても、
過去、数多くの失敗を重ねてきた者は、
何らかの虚飾でもって、自分を飾ろうとする傾向があるものだ。
その惨(みじ)めな過去を、うそという虚飾で飾ってみたり、
惨めな過去を、取り立てて誇大表示することによって、
他の人の同情を引いてみたりしがちであるのだ。
しかし、私はおまえたちに言っておこう。
過去というものは、
十分に反省に値するものであり、
これからの人生を生きるにあたって、
十分に参考にすべきものではあるが、
過去そのものを、あまりにも長く引きずり、
それを自分自身のように思い込んではならない。
おまえたちの人生は、日々の出発であるのだ。
日々、新しい人生を生きているのだ。
そのことを忘れて、
過去そのものを引きずってはならないのだ。
正直に生きている人であっても、
過去の傷口にふれると、
とたんに口を閉ざし、
あるいは、饒舌となり、
己の傷口を隠すようにふるまう人がいる。
ただ、私は思うのだ。
過去の傷口をいたずらに隠すよりも、
その傷口そのものを癒してしまうことのほうが大事であるのだ。
この、過去の傷口を癒す方法は、
己の人生を十分に愛することなのだ。
己の人生を十分に愛し、
そのなかから、見事な果実を実らせることであるのだ。
これが大事なことなのだ。
いま、目の前に、
見渡すかぎりの、りんご畑が広がっているとしよう。
そのりんご畑には、
何十年もたった。大きな木もあれば、
まだ数年しかたっていない、若い木もある。
若い木は、どちらかといえば、小さいであろう。
古木は、大きいであろう。
そして、それぞれの木の大きさに合わせて、
いくつ実をつけることが可能かということが
決まっているであろう。
けれども、大事なことは、
いくつ、りんごの実をつけるかではない。
「数多く実をつければよいのか」という問いは、
さほど重要ではないということなのだ。
たとえ、その木が小さな木であるとしても、
一生懸命、みずからのりんごの実を
たわわに実らせることが大事なのだ。
そして、単に実らせるだけではいけない。
その味を最高度のものにし、豊潤(ほうじゅん)なものにしてゆくことだ。
香りは美しく、味わいはさわやかで、
多くの人に愛されるものになってゆくことだ。
このような、現時点での努力をし続けることで、
やがて数十年を経た時に、
見事な大木となって、
その数も素晴らしく、その質も素晴らしい実を、
たわわに実らせることができるようになってくるのだ。
そのような結果は、
まだ若木のうちにも一生懸命に努力したということが
報われたということなのだ。
おまえたちは、他の木になりかわろうとしてはいけない。
他の木が、
いかに、水分を吸い上げるのに良き土地に生えていようとも、
いかに、畑のなかに養分の濃い薄いがあろうとも、
いま、動くことはできないのだ。
その場において、最大の仕事をするということに、
全力を費やすことだ。
いたずらに、他の木を見て、
その心を刺激されてはならない。
自分として最大の実りを、
その環境において得るということこそ、
おまえたちが真に幸福に至るために、必要な方法であるのだ。
【大川隆法『永遠の仏陀』第2章「真実の人となれ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第二章 八正道の発見
2 反省法の神秘
反省法の概要がだいたい分かったのではないかと思います。
次に、「なにゆえに反省法というものを行うのか。なにゆえに反省が必要だとされるのか」ということについて、説明をしていきましょう。
反省というものは、光り輝いた自分を取り戻すための行為です。光り輝いた自分とは、実相の世界にある自分です。
この地上世界を離れた世界には、四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、九次元といった、さまざまな次元構造がありますが、実相の世界において、人間の魂が光り輝いているのは、主として七次元以降の世界だと思います。仏陀の説いた反省も、結局、七次元菩薩界の境地に到達するための方法論だったのです。
菩薩の境地に達するための第一歩は、自らの心に付着した塵(ちり)や垢(あか)を除いて、みずからの心を光らせることです。まず、自分自身の完結した世界のなかで、塵や垢を落として光り輝きます。そして次に、愛他行、利他行へと踏み込んでいきます。これが「菩薩行」と呼ばれているものです。
たとえば、いくら皿を拭いたとしても、ふきん自体が汚れていたならば、皿はきれいにならないでしょう。皿を拭くためには、まず、ふきんを洗濯しておかねばなりません。同様に、ほうきをきれいにしておかなければ、部屋を掃いても、きれいにはなりません。
うわべをきれいな衣装で飾り立てたとしても、その下に、何日も着替えていない下着をつけていたならば、他の人がよい印象を持つことはないでしょう。また、みずからが充分な学びをしていないにもかかわらず、生徒を一生懸命に教えている教師がいたならば、その生徒はおそらく向上しないでしょう。
要するに、愛他の思いは意外と簡単に出すことができますが、愛他を愛他として実行あらしめるためには、十分な自分づくりができていなければならないのです。まず、みずからの心を洗濯し、光り輝いたものにしていくという、第一の作業が必要なのです。これが反省法の神秘でもあります。
人間は、少なくとも自分の心のあり方に関しては、完全なる自治権が与えられています。他人の心を光らせるという実績を目(ま)の当たりにする前に、まず、みずからが、心が軽くなり光ったという実績をあげることが必要です。それを体験して初めて、「反省とは何か」ということを、他の人びとに教えることが可能となるのです。
これは、狭い意味にとれば、利己主義的に響く可能性もなきにしもあらずですが、「法」というものを学ぶ出発点はここにあります。
自己を統御し、より素晴らしいものに変化させていく気持ちのない者と、「法」は無縁であると言ってよいのです。そうしたものに対して、「法」は決して意味のあるものではなく、「猫に小判」「豚に真珠」ということわざで言われることと同じになってしまいます。この出発点を、しっかりとつかんでいただきたいと思います。
【大川隆法『釈迦の本心』第2章「八正道の発見」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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エル・カンターレ・大好き

