(3/7-2)66『仏陀再誕』を読む―忍耐と成功―成功への道―心の神秘

『仏陀再誕』を読む

73 山姥(やまんば)の変化形としては、いったんつかまえた男を、どこまでも追いかけてくる「ろくろっ首」も妖怪である。首を長くしてグルグル巻きにしてくる点、「安珍・清姫」の、「清姫」にも似ていて、男への執念のため、巻きついて火を吹いて焼き殺す、大蛇のような女の執念が妖怪化してくるのである。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

31 生前、ホラを吹いては逃げていた男が、ヒキガエルとなって、騙された恨みから青大将になった女に丸のみにされることろを見た。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第3章 現代の武士道 質疑応答
質疑応答2 「降魔の戦における武士道」について

〇質問2
「降魔の戦いにおける武士道」についてお伺いします。
本来、天使として生きる使命がある人でも、魔道に堕ちて魔と一体となり、幸福の科学を攻撃してくることもあります。また、本来は正しいことを行おうと思っている人たちでも、左翼的な思想で間違った攻撃をしてくることもあります。そのような人たちに対して、愛の心を持ちつつも、やはり、武士道の精神で、斬るべきときには斬らなければなりません。

そのような「厳しい戦い」と「愛の心」とを、「現代の武士道」のなかでどのように統合していけばよいのか、お伺いできれば幸いです。

■答え(前回のつづき)
〇香港革命のなかで、厳しい戦いが続く教会

それから、香港でも、七百万人のうち百万人ほどはクリスチャンですが、教会に通っていますが、教会でも厳しい戦いは続いています。

香港のクリスチャンたちのなかには、中国・北京派の信徒もいれば、独立派の人もいて、独立派まではいかないまでも自治を要求する人もいて、一緒に日曜の礼拝ができない状態になっているのです。

そのため、個別にやるか、スピーチを録画して、「デモ隊をやっている人のほうには、こちらを見ていただいて、政府側の人には、あちらを見ていただいて」というように、同じ牧師が違う説法をしなければいけないといったことまで起きてきているところもあるようです。

教会としては、どちらも放したくない、信徒を減らしたくはないのでしょう。キャリー・ラム長官もクリスチャンだと言われていますから、通っている教会はあるはずです。

そのように、牧師のほうも苦しんでいて、両方放したくはないので、違う話をするしかないといった感じにもなっています。

北京派のほうの人たちは、「教会のほうも苦しんでいて、両方放したくないので、違う話をするしかないといった感じにもなっています。」

北京派のほうの人たちは、「教会というのは、人の心のことを言っていればいいのだ。われわれは、今、心が波立ってひどいから、これを癒すようなことを説教してくれればそれでいいのだ。政治的なことを言うな」と言うわけです。

一方、デモ隊をやっている方の人たちは、「神の正義が失われようとし、香港が永遠になくなろうとしている段階であり、今こそ、戦わないわけにはいかない。私たちは非力だけれども、戦っているのだ。どうか、神として、応援してほしい。神の言葉を伝えてほしい。我々を鼓舞してほしい」と言ってきます。ニーズが違うのです。

こういうことで、香港の教会でも、今、苦しんでいる状況がありますが、宗教には、そういうことは、いくらでもあるだろうと思います。

(次回に続く)

【大川隆法 『現代の武士道』第3章「現代の武士道」質疑応答 より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
2悟りの維持の難しさ【正精進】
〇時間の経過、経験の流れのなかで光を増していく

悟りといっても、このようにレベルの差がありますが、あなたなりの悟りが本当のものとなっていくためには、「経験」という名の試練を通っていかねばなりません。「火のなかを通され、水のなかを通された鋼鉄」のようになっていかねばならないのです。

この経験を通し、その試練を乗り切り、人生の最終点まで走っていったときに初めて、「悟りを手に入れた」と言ってよいのだと思います。

ある程度の心境にあなたがなったとして、では、経済的な破綻が来たら、あなたはどうなるか。肉親の一人が亡くなったら、どうなるか。エリートのポストから左遷されたら、どうなるか。離婚という状況になったら、どうなるか。

いろいろな場面があるでしょうが、そのときこそ、「試されている」と思ってください。そうしたときに不動の心を持って精進していける者は本物ですが、簡単にもろく崩れていく者の場合には、「その悟りは蜃気楼であった」と思わざるをえません。

したがって、私は、この「正しき精進」に関しては、「時間の経過、経験の流れのなかで光を増していく」ということの重要性を特に説いておきたいと思います。

毎年毎年の心境があるでしょうし、毎年毎年、仏法真理の学びがあるでしょうが、「それを実生活において実践し、その悟りの堅固さを試してみる」という姿勢を、とどうしても持っていただきたいと思うのです。

学生であれば、今、「悟った」と思っても、社会人となったら、どうなるか分かりせん。社会人となり、若手の社員から責任の重い中堅となったら、どうなるか。管理職となったら、その悟りが持つかどうか。

女性であれば、若い女性が結婚したら、どうなるか。その悟りを維持できるか。あるいは、まったく変わってくるか。結婚している女性であれば、ご主人の立場や職業、収入、こういうものが変わったときに、どうなるか。

こういうことが問われるのです。

【大川隆法『真説・八正道』第7章「正精進」234pより抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第五章 忍耐と成功 
○成功への道

さて、さらに私は、あなたがたに言っておくとしよう。
あなたがたは、成功というものに惹かれているにちがいない。
日々、成功というものに惹かれているにちがいない。
日々、成功とは何かを考え続けているにちがいない。
しかし、成功とは、
あなたがたが考えているものとは、
遥かに隔(へだ)たったものであるのかもしれない。
あるいは、成功とは、
実はすぐあなたがたの間近にあるものであるかもしれない。
その成功の意味について、定かな定義があるわけではないであろう。
しかし、私はあなたがたに言っておこう。
真に成功したと言えるためには、
どうしても外してはならないものがあると思える。

①常に穏やかに
成功の条件として、
心が乱れるような成功であれば、これは成功とは言わない。
心は、常に穏やかで落ち着いていなければならない。
心は、常に平静で、とらわれがないものでなければならない。
成功することによって、とらわれが増えてゆくならば、
その成功は真なる成功ではない。
私は、そう思う。
成功することによって、
心ますます穏やかとなり、
心ますます平静となり、
心は常に豊かさを含み、
多くの人々のことを考えることができる時に、
成功は本物となる。
私は、そのように思う。

②妬みをかうな
成功の途上において、
さまざまな葛藤をつくり、とらわれをつくり、
恨みをかい、妬みをかうようであっては、
真の成功であるとは言えない。
ゆえに、生有このための第二の条件として、私は言っておこう。
人びとの妬みをかってはならない。
いまだかつて、人びとの妬みをかって大成功した人はいない。
一見、成功したかに見えても、妬みをかった者は、
多くやがて没落の淵に沈んでいるようだ。
そう、人びとから妬みをかうということは、
あなたがたの成功が、
実は他の人びとの頭の上を押しつけた成功であるということなのだ。
他の人びとの肩の上に乗った成功であるということなのだ。
他の人びとに重荷を押し付けて、
そして後の成功であったということなのだ。

もし、あなたがたの成功が、
他の人びとの荷物を持ち、他の人びとの生活を楽にし、
他の人びとを幸せにしてゆくためのものであるならば、
あなたがたの成功は、
決して他の人びとの妬みをかうことはないであろう。
しかし、万一もし、あなたがたの成功を妬む者が、
一人でもあるとするならば、
まだまだ徳が足りないと思わねばならない。
まだまだ徳が足りないのだ。
徳が足りないということはいかなることか。
それは、あなたの成功によって、
損をしたと思っている人がいるということだ。
あるいは、あなたの成功を
不当なものであると思っている人がいるということだ。
あるいは、あなたの成功を
承認しがたいと思っている人がいるということだ。
そのような成功であってはならない。
真なる成功は、自然しぜんに、まわりの人によって、
押し上げられてゆくような成功でなければならない。
真なる成功は、
自ら意図するものでなく、
自然しぜんにその結果が出てくるようなものでなくてはならない。
真なる成功は、
ほんとうに多くの人々に感謝されるものでなくてはならない。
多くの人びとから感謝されることなくして、
真なる成功というものはないと思わねばならない。
私は、そのように思う。

③悟りの香りを
成功の第三の条件についても述べておくことにしよう。
心の平静と人の妬みをかわない態度が大事であると述べてきたが、
それ以外にも、成功のためには大切な心構えというものがある。
それが何であるかというならば、
あなたがたの魂の輝きが増してゆかねばならないということなのだ。
魂の輝きが増してゆくということの意味が分かるであろうか。
それは、悟りの香りが漂わねばならないということなのだ。
悟りの匂いが漂わねばならないということなのだ。
悟りの香りとは、魂の光とは、いったい何であるか。
それが、あなたがたにはわかるであろうか。
私はあなたがたに言っておく。
悟りの香りとは、得ようとして得られるものではない。
奪おうとして奪えるものではない。
決してそのようなものではない。
悟りの香りは奪わずして得、
得んと欲せずして得るものである。
ちょうどあの蝶が、
手に入れようとて網を持って追いかければ、
空高く逃げ延びてゆくが、
何もせずにじっとしていると、
自然と降りてきて、肩の上にとまりて憩うようなものである。
このように、悟りとは、
本人の意図には反して、ごく自然しぜんに、現われてくるものである。
そして、芳醇(ほうじゅん)な香りによって、
その人とその人のまわりとを潤してゆくのだ。

そのことの意味を、私は違った角度から話をしてみよう。

【大川隆法『仏陀再誕』第五章「忍耐と成功」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第二章 霊的現象論
1心の神秘

本章では、いわゆる「霊道現象」に関して話をしていきたいと思います。

最初に「心の神秘」ということについて語ってみたいと思います。

人間の心は非常に神秘的な存在です。心に関しては、長い間、いろいろなかたちで言われてきましたし、それについて考えられたことも数多くあるでしょうが、「心の正体はいったい何なのか」ということを突き詰めて説き明かした方は、そう多くはいないであろうと思います。

読者のみなさんのなかで、「あなたの心とはいったい何か。心を定義せよ」と言われて、即座に答えが出る人はいないのではないでしょうか。禅宗のお坊さんのように、「心とは何ぞや」と問われて、誰もまったく予期しない言葉で答えても、そういうことで解決がつくものでもないと思います。

心は古くから人々の耳になじんできた言葉ではありますが、残念ながら、「その正体はいったい何か」ということが分からないでいたわけです。

これは、たとえてみれば、「人間は、自分の住みかの裏に宝の蔵を持っていて、その鍵を渡されているにもかかわらず、その鍵がいったい何の鍵か、深く考えもしないで生活している人に似ている」と言えるでしょう。

自分には、玄関の鍵、それから台所の鍵、こういう二つの鍵があるけれども、これ以外にもう一つの鍵を持っている。ところが、三番目の鍵は何の鍵か分からない。分からないけれども、分からないままで放置している。そして、玄関の鍵と台所の鍵だけを使っている。「もう一つの鍵はいったい何だろうか」ということを深く完゛替えもしないで、そのままでいる。

たまたま裏庭には一つの建物が建っている。蔵のようなものが建ってるけれども、自分の両親が早く死んだために、自分には、その鍵はいったい何の鍵か分からない。そのため、鍵を一本持っていても、何の鍵か分からない。

こういうかたちで、鍵と蔵はあるけれども、鍵と蔵とのかかわりが分からないし、それを研究しないでいる。

これが大多数の人間の姿です。

ところが、人生の、ある時期において、ある日曜日でもいいですが、たまたま、気分のいい日があって、「ちょっと裏の蔵を見てみたい」という気になる。もしかして、自分が持っている鍵は合鍵なのではないか。こういう気がして差し込んでみると、意外や意外、その蔵が開く。「なかから何が出てくるだろうか」と思い、真っ暗のなかを手探りで歩いていく。

そうすると、そのなかから、なんと、金銀財宝、あるいは宝石の山、こういうものが出てきたわけです。びっくりします。

十年も前から、あるいは二十年も三十年も前から、そういう蔵があることだけは知っていたけれども、まさか、なかにそういうものがあるとは思わなかった。単なる物置か廃屋であると考えていた。

しかし、実は、そのなかには無尽蔵な宝が隠されていた。二十年、三十年、その秘密について知ることもなく、汗水たらして働いていた。

こういう自分を発見するにいたるのです。

たとえ話をしたわけですか、こうしたことは実によくあります。本当は、そういう鍵を持っているにもかかわらず、それが裏の庭に建っている蔵の鍵だと気がつかずに、何十年も過ぎてしまった人は数多くいるのです。

心は、まさしく、この宝の蔵のようなものです。本当は、その秘密を知り、その宝を手に入れれば、無限の力が湧いてくるのですが、それを深く探求しない者にとっては、くらの扉が開かないのです。

この「心の神秘」というものを探求していくと、「人間の心のなかに、どれだけ大きな力が潜んでいるか」を知ることになります。

この大きな「心の秘密」には二つの意味合いがあると思います。
第一は、「人間は自分の思うことを自分でコントロールできる」という秘密です。思いというものはコントロールできるのです。

ところが、大多数の人は、このことに気がつきません。思いというものを、なすがままに放置しているのが現状です。それはまるで浜辺に寄せては引いていく波のようなものです。思いは、そのようにたとえられるでしょう。

しかし、実際に念いというものを突き詰めて考えていくと、川の流れのごとく、上から下へ、どんどん、どんどんと流れ、押し寄せていく場合があります。心というものは、方向性を与えれれば力が出てくるのです。

単に浜辺に寄せている波だけであれば、それによる水力発電は難しいと思いますが、勢いよく流れ落ちる川であれば、そこにダムをつくると水力発電ができます。このように、一定の方向性があり、力があれば、それを有用なものに使っていくことができるのです。

同じように、心というものも、その「思いのコントロール」ということを探求していくと、意外な力が出てきます。それはある意味では、「自己実現」というようなものであるでしょう。一定の方向に向けて思いを集中し、持続していくと、ある結果が出るのです。こういう、「想念、念いの力」というものが一つあります。

もう一つの「心の秘密」は、「心のなかには深い部分がある」ということです。

この深い部分を心理学では、「深層心理」ともいいます。宗教的には、これを「守護・指導霊の世界」、あるいは「霊の世界」といってもいいのです。そうした世界とつながっているのが心の部分です。

この部分について、大多数の人は、うっすらと感づいたり、本能的に感じたりすることはありますが、「完全にそれをつかみ切る」ということができないでいるのではないでしょうか。

ですから、この無尽蔵の宝庫を知ることによって、無限の世界を探求することができ、そこに分け入っていくことができるようになっているわけです。

これが「心の神秘」に関する二つの内容です。第一は、「思いのコントロールによって、偉大な力を発揮できる」ということ、第二は、「思いの底を打ち抜いたときに、無限の世界、深層心理の世界、あるいは霊界と通ずることができるのだ」ということです。

【大川隆法 『漏尽通力』第二章「霊的現象論」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。

大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます

本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります

仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き

タイトルとURLをコピーしました