82 無間地獄では、他の人の姿も見えず、声も聞けない。いわゆる「危険犯」として井戸の底に隔離されるのだ。残虐な政治家、間違った思想を流布した者は、生前、悪魔信仰の指導者をしていた者たちである。
83 しかし、何千年、何万年と地獄の最深部で反省もしなかった者は悪魔となって、神仏への反逆を試み、魔王たちを部下に集めている者もいる。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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ここで、反省の王道である八正道について学びを深めてまいります。本日学ぶ『八正道の再発見』は経典『大川隆法初期重要講演集ベストセレクション②―人間完成への道』に収められています。経典をお持ちでない方は、とても大切な教えですのでお近くの支部や精舎、全国の書店にてお求めください。【税抜1800円】
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■『大川隆法初期重要講演集ベストセレクション②―人間完成への道』
第4章『八正道の再発見』
4 言葉を点検する「正語」
〇「言葉を発したあとに相手の表情がどうなるか」を見る訓練が大事
この「言葉を中心とした反省」は、ある意味で簡単です。
先ほど、正見の反省の方法として、「自分の一日を、もちろん、過去の何年、あるいは半生(はんしょう)を思い出してもけっこうなのですが―自分の過去を映像のように見ていく」と言いました。
それを、例えば四コママンガのような、マンガにたとえてみるならば、その映像は言葉が出ていないマンガと一緒です。これに口から言葉を出せばいいわけです。そのマンガでそういうショットが出てくる、映像が出てくるが、そのときにどう言ったのか、その言葉が出てくはずです。マンガが成り立つためには言葉がある。「あのとき、どう言ったか」ということなのです。
ゆえに、反省のためには、「自分が何を言ってきたのか」ということを記憶し、思い出すということが大事なのです。人を傷つけたのは、たいていは不用意な言葉です。本人は気にも留めていないことがよくあります。
そのときに、自分の言葉を点検するための、いちばんいい方法があるのです。それが何であるかというと、言葉を発したあと、相手は必ず受け止めます。それは一秒もかからない時間で受け止めますが、必ず表情が動きます。何らかの表情を示します。それはプラスであるかマイナスであるか、明るく出るか暗く出るか分からないが、自分から発せられた情報を、必ず、相手というものは受け止めます。それに対する反応が出る。
ですから、自分の言葉というものを点検したかったら、「しゃべったあとに相手の表情がどうなるか」というのを見る訓練をする必要があります。これは大事なのです。
ところが、不用意に人に傷つける人の特徴は、しゃべりっぱなしなのです。ポンとしゃべると、目をもう伏せています。ポンと「俺は嫌いだよ」と言って、たいてい相手の顔を見られないのです。「おまえ、嫌いだよ」言って目を伏せて、よそをむいています。こういうものです。
ですから、人と話をするときに、自分が相手の顔を、その後どうなるかを見ているかどうか、点検してみてください。
悪い言葉をよく吐く人は、相手の顔をまともに見ていないのです。だから、自分がいい言葉を発しているか悪い言葉を発しているか知りたかったら、「しゃべったあとに相手の顔をじっと見る」、そういう習慣があるかどうかを見ればいい。見る習慣がなければ、悪いことをいっている可能性はかなり高いのです。悪いことを言うと、本能的に相手の目を見られないのです。相手を傷つけることを言うと、まともに見られないのです。必ず目をそらしたくなります。
ゆえに、言葉を話すときに、話したあとでも相手の表情を見続けることができる、フォローすることができるような、そういう言葉をしゃべることです。では、どういうときに、目は相手の目から離れずに、相手の表情から離れずに見ていられるかというと、相手が喜ぶようなことを言った場合です。違いますか。
「あなた、きれいですね」といったときに喜ぶでしょう。その喜びの笑顔は、必ず見るでしょう?見ませんか。どうですか。見るはずです。「あなたはきれいだね」「あなた、いい服を着ていますね」などと言ってうつむくとか、「今日はいい天気ですね」と言って目を隠すとか、こういう人は普通少ないのです。相手が微笑んでくると期待されるときには、そのほほえみを見たくなるのが人間の修正なのです。いいですか。
今、正しい言葉の「点検の基準」をまず言っているのです。家に持って帰って夜なかに反省するだけが、正しい言葉の反省ではないのです。出した瞬間に分かる。「出した瞬間に、相手の目を見続けるような自分でありなさい」と言っているのです。相手の表情の変化を見られるような自分でありなさい。と言っているのです。相手の表情の変化を見られるような自分でありなさい。相手の頬(ほお)が引きつって、ピーッと走って青筋が立って、それでニンマリするような人もなかに入るかもしれませんが、こういうのは異常な性格で、そこまで異常であれば自分でも分かるでしょう。「してやったり」と思ってニマニマ笑う方もいるかもしれないけれども、そういう心は必ず感じるでしょうから、これは例外です。こういう人は例外と�
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�たしまして、そういうことなのです。
これが「正語」です。正語の反省は、その場で分かるけれども、あとは家へ帰ってからでも、もちろん構いません。寝る前の反省も大事ですから、その場合は、自分の発した言葉をよく覚えて点検する練習をしなさい。
【大川隆法『大川隆法初期重要講演集ベストセレクション②―人間完成への道』第4章「八正道の再発見」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第8章「正念」
5希望実現の法則
④「念」によって他の人を縛ろうとしてはならない
さらに、この自己実現においては、単に戦車のようになればよいというものではありません。ここにはもう一つ、「方向性」という問題もあります。
念の世界というのは実現性があるため、間違った方向の念いであっても、確かに実現してしまうのです。したがって、方向性というものが極めて大事になります。
ここで、「念」による自己実現をするときに、どうしても考えてほしいことがあります。
それは、絶対に「念」によって他人を縛ろうとしてはいけないということです。自分の道を開くために、他人の人生を自分の都合のよいようにねじ曲げようという考えは、絶対に起こしてはいけません。これは間違いです。
自分なりに目標を設定し、「これを実現するためには、あの人がこうならないかぎり駄目だ」というように考えた自己実現では駄目だということです。ここを間違えてはいけません。これでは「念」が「害」になってしまうのです。
こういうタイプの自己実現は、間違えれば地獄です。間違わなかった場合でも、裏側の世界です。そのどちらかです。これははっきりしています。その自己実現の結果、他人を不幸にしていけば地獄に行きます。そこまで行かなかったとしても、「他人を自分の都合のよいように変えていこう」とするような念の使い方で道を開いてきた人は、必ず裏側へ行きます。
それはなぜでしょうか。そこに愛がないからです。愛が欠けているのです。
これは「自己愛」なのです。本当の「与える愛」や「利他の愛」ではないのです。こういうところで「表」と「裏」が分かれるわけです。
表側の世界は、本当に他の人によかれと思って自己実現をしていく人々の集まりですが、裏側のほうは、自己発揮に燃えている人たちの世界なのです。その結果、いろいろな”超念力の世界“に入っていきます。これは、「限りなき自己愛」です。ここを間違わないでください。
【大川隆法『真説・八正道』第8章「正念」267pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第6章 転生輪廻とは何か
○今世と来世
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
さらに、私の話を続けて聞くがよい。
おまえたちの幸福は、また、今世限りのものではない。
今世おまえたちが、この世にて味わった幸福は、
この地上を去った時に、あの世にて、どのような世界が、
おまえたちを待ち受けているか、それを明確に表しているのである。
おまえたちの今世得た心境が、
来世おまえたちが住む世界の境涯を決めるのである。
おまえたちはすでに学んでいることであろう。
あの世の天国と言われる世界にも、
さまざまな境涯があるということを。
下には、もちろん地獄という世界がある。
地獄という世界から上にも、まだまだ迷いの世界にいる人びともいる。
その上に、善人の世界もあり、
その上に、優れたる高級霊たちの世界もある。
世界は、幾層、幾十層に分かれており、
その細かい区分は、あの世に住んでいる者でさえ分からないほどだ。
しかし、これがやはり真実であるのだ。
おまえたちが天界と呼んでいる世界も、
数多くの層にて出来上がっている。
その人間の心のありようが、明確に規定されるのである。
地上にいた時には、その肉体のよし悪しや、
肉体を用いた自己実現によって、
さまざまな結果が現れたであろうが、
来世において、おまえたちを待ち受けているものは、
それは、おまえたちの心の境地を高下(こうげ)しかない。
心高ければ高き世界に行き、心低ければ低き世界に行く。
それ以外の基準はないと思わねばならない。
ただ、心しなければならないことは、
地獄へと行っている人は、
この世的に成功しなかった人ばかりではないということだ。
この世的には成功しても、地獄へ行っている者は数多くいる。
それらの者たちは、人の幸福を祝うことができず、
自分の幸福のみを求めた人たちである。
いや、他人の犠牲のもとに自分の幸福を達成し、
自分の幸福を追求してきた者たちが、地獄界で苦しみのなかにある。
それは、生きていた時に、
その人を成功させるために苦しんできた人たちの
怨嗟(えんさ)の声であるということだ。
生きている時に、その人の成功のために犠牲になっていった人たちの、
その悲しみや苦しみの念波が、
その者たちを、そのように苦しめているのだ。
いや、生きている時に、多くの人たちを苦しませ、
悲しませたという事実が、その人の魂に蘇(よみがえ)り、
その人の魂自身が、
今、そのカルマを刈り取っていると言ってもよいだろう。
およそ、心の世界とはそのようなものなのだ。
地上にいた時に、
自らは肉体のなかに宿っているがゆえに、鈍感であり、
他の人びとの感情に気がつかなかったかもしれないが、
もし、肉体を持っている時に、
あたかも地上を去った後のごとく敏感であるならば、
生きているうちにて、そのような地獄を感じたのである。
そのような地獄の波動を感じたのである。
されど、数十年の後に、
あの世にあって初めて、そのように苦しむ者もあるのだ。
それをあざ笑うことは、何人もできない。
なぜならば、そのあざ笑う人自身が、
やがてそのようになる可能性が高いからだ。
地上にいる者たちにも、伝えなければならない。
この世にて成功する者は、必ずしも天界高く還るものではない。
この世の地位の高さは、必ずあの世の地位の高さを示すものではない。
そうではなく、それは地位が高ければ高いほど、
転落する時に痛みもまた激しいということを知らねばならない。
もちろん、あの世の、天界の世界というものは、
すばらしい世界でもある。
それも、もちろん、
そこへ行く人、それぞれの境涯に合わせた世界ではあるが、
いずれにせよ、この地獄という世界に比べたならば、
天界は、いずこも素晴らしい。
とくに、心清く、正しく生きてきた人たちは、
やすらぎの世界に迎えられるということは難(かた)くない。
彼らは、ごく当然に、
安らぎと喜びに満ちた世界に還ってゆくこととなるだろう。
この逆に、この世で悩み苦しみの渦中にあって、
それを拭い去ることができなかった者たちは、
あの世にてもまだ悩みを続けるであろう。
しかり、それゆえに、
悟りの第一の条件として、まず心しなければならないことは、
悩みや苦しみをあの世に持って還らないということであると思える。
すなわち、今世にて、今世ただいまにて、
その迷いを解き、その悩みを断ち、その苦しみを克服することだ。
悩みを持って地上を去った者には、悩みの世界が待っている。
苦悩を持って地上を去った者には、苦悩の世界が待っている。
悲しみを持って地上を去った者には、悲しみの世界が待っている。
しかし、
喜びを持って地上を去った者には、喜びの世界が待っているのだ。
【大川隆法『仏陀再誕』第6章「転生輪廻とは何か」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力』
第4章 漏尽通力
5 平凡のなかの非凡
こうした観自在能力を持って生きている人間は、ともすれば、非常に異質な存在となります。そして、自分はそうしたことが分かるからといって、それをやたらと人に吹聴したくなってきます。「あの人はこうなるであろう」「あの人は過去にこういうことがあった」「あなたは今、こういうことを考えているだろう」ということをズバズバと歯に衣着せずに言っていると、この世的には、いわゆる奇人変人の類(たぐい)に入れられることになってしまいます。そして、残念なことに、本人は不本意な気持ちで生きなければならないいようになっていくのです。
そうであるからこそ、高級霊体質であるとしても、観自在能力を持っているとしても、この世的には、もう一度、自分自身の箍(たが)を締め直さなければなりません。そういう面があるのです。これが、努力すべき目標として、「平凡のなかの非凡」という言葉で表されるものです。
「自分は明らかに非凡である」と思うと、それは異常な人格へとつながっていきます。誰が見ても、異様な人格、異常な人格に見えます。しかし、そうではなく、「平凡のなかの非凡」を目標とすべきです。通常人と変わらないような平凡な生活をしていながら、そのなかに非凡の芽を潜ませる。非凡な力を発揮していく、これは、静かに自己を発揮するということとも一致します。
成功したがる人間は、ともすれば、自己顕示の思いにとらわれます。どうやって自分をよく見せるか、アピールするか、人々によく思われるか。こういうことにのめり込んでいきます。そうして、だんだんと異常な性格となっていき、人生に両極端の波が訪れてきます。こうしたことがあってはいけません。
平凡のなかの非凡。平凡な生活のなかに、淡々と流れていくような毎日のなかに、非凡な光を放つ。これが大事です。通常人と同じようにしながら、おなじではない何かを感じさせる。これが大事です。
この平凡のなかの非凡さこそ、やはり誇るべきものです。「明らかに非凡であって、非凡な人が非凡に生きている」ということはまた平凡なことです。そうではない。普通の人でもできるような平凡な生活をしていながら、そのなかに魂の煌めきを残していく。光を残していく。これが大事です。どうか、そういう考えを大事にしていただきたいと私は切に思います。
非凡さそのものを追求してはいけません。非凡さそのものを追求しても、それは一回限りのことです。その人限りのことであり、他の人々の手本にはならないのです。他の人たちも生きられるような生き方のなかにおいて、魂の輝きを増す。光を放つ。これが大事です。
では、平凡のなかの非凡とは、具体的にいったい何でしょうか。例えば、ビジネスの問題があります。ビジネスに生きる人たち、ビジネス倫理のなかに生きる人たちは、宗教的信条を明らかにしたがりません。また、それにとらわれたがりません。言いたがりません。そうしたものを信じていないというように装いたがります。確かに、それはそれで結構です。職場のなかで、ビジネスのなかで、「いかに神や仏が好きだ」とかいうことを常々言っている人は、この世的には、やはり、奇人変人と言われていくでしょう。そういうことであってはいけません。そういう意味での非凡さを求めてはいけません。
やはり、「この世的にきちんと仕事をやる。仕事を実践している。このなかにおいて、真理を学んだということが何らかの光を放つような生き方」、これをしていかねばならないのです。
たとえ神や仏の名を出さなくても、霊や高級霊、守護霊等の話などしなくても、ただ、生きているなかに、人間としての優しさ、心のあり方、心の不思議を追求、探求していく自分、そして、後ろ姿でもって、人々を指導していく自分、影響力でもって、人々を指導していくような自分であればよいのです。そういう、あなたがたであればよいのです。
【大川隆法 『漏尽通力』第4章「漏尽通力」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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エル・カンターレ・大好き
