90 正しい言葉を使い、正しい行為をなし、正しい生活をし、正しい仕事をし、日々、世を照らすことを考えよ。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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はじめに、反省の基礎を学ぶべく、教典『真理学要論』より「反省と霊能力」について学びます。経典をお持ちでない方は是非拝受ください。【税抜1700円】
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■『真理学要論』第3章「反省と霊能力」
3 今世における主体性あっての霊的生活
それでは、このものの考え方を整理してみると、いったいどのようになるのかというと、根本は、「なぜこの三次元という世界があるのだろうか」というところに発すると思うのです。
「三次元という世界があって、なぜ私たちはこの世界に生を享(う)けて、生まれ変わってくるのだろうか」ということを考えてみますと、それはやはり三次元に生きるということ自体に何らかの意味があるはずだということです。このことの意味は、そんなに消極的なものではないはずだというふうに私は思います。
この数十年の人生は、それ自体でやはり素晴らしいものであってよいのではないのか。
それからの単なる逃避という意味合いにおいてのみ、異次元の世界を捉えるということは、この世に生を享けたという意味からいって、これはマイナスの発想ではないのかということです。
宗教的な人格を持った方は、原始釈迦仏教、釈迦仏教の最初のころの考え方と同じように、この世を「不浄なもの」と見て、そしてさまざまな執着から離れて、あの世的な人間になることを目標にしがちでありますが、今回私が説いているところの、いちばんの違いというのは、まさにここのところにあるわけです。
あの世もこの世も決して別のものではない。そして、われわれは片方だけに生きるものでもない。あえて言うならば、この世とあの世の両側にガシッと両足を拓いて立っているというのが、今回私の考えている姿に近いのです。
それは、この世においても、霊的人生観を持っている人が成功するような、そういう姿にしたい。この世的にも成功しながら、同時にあの世的に認められるような存在にもなりたいものだ。そうなることが、この世に生まれてきながら本来の使命を忘れないという意味において、極めて大事なことなのではないだろうか、そう感じるわけです。
こうしてみと、この「反省と霊能力」についての考え方の立脚点というものが見えてくると思います。あくまでも、あなたかたの今世においての主体性というものだけは見失ってはいけない。これは忘れるなということです。
これを忘れたときに、みなさんは、ピアノ線か何かで引っ張られるピノキオの人形みたいになってしまいます。これは恐れねばなりません。気をつけねばなりません。霊的な世界にどっぷりと浸かっているだけいると、ちょうど人形が上から糸で吊られて動いているような姿になってしまいます。そして、上から吊られて動いているのを見て、喜ぶような自分になってしまいます。「あっ、また右手が上がった。左手が上がった。首が伸びた」と、上から吊られて、それで喜んでいるようなみなさんになってしまいます。
これは、見ていて面白いことはおもしろいのだけれども、主体性というものがないではありませんか。
あの世にも霊はたくさんおりますが、みなさん自身、霊なのです。霊というものが霊子線につながって、その肉体にくっついて入っているわけです。そして、へその緒のようにつながっているのです。
この肉体につながった霊というのは、みなさん固有のものです。そして死を迎えて、肉体から切り離されるときまで、この肉体と霊とは一体なのです。この肉体に宿った霊というのは、あの世をふらふらしている霊とは違うのです。極めて目的性を持って、深い絆に結ばれて、魂修行をしているのです。その意味を忘れてはいけませんと、こういうことが言いたいわけなのです。
すなわち、別の言葉で言えば、仏教でよく言うところの色心不二(しきしんぶじ)、「ふに」とも言いますが、「こういう肉体と心というのは、まったく別のものではないのだ、これは不二一体のものなのだ、二つに分けられないものなのだ、一つのものなのだ」ということが、三次元に立っている立場での、私たちの自己認識でなければならないのです。これをよくよく覚えおいてほしいのです。
「今世における魂修行において、決して、肉体そのものを粗末にしたり、肉体的な生活を否定するところに、霊的生活はない」ということを忘れないでいただきたいのです。これを忘れたときに、幸福という見地から反省を考えていたことが、違った方向に向いていくようになっていきます。私たちは、あくまでも深く長く続く、この世もあの世も貫いた幸福というものを味わっていかねばなりません。
よく「人生を二倍楽しむ」と言いますが、この世がまったくマイナスで、あの世だけの生活に生きるのであれば、ある意味において、その分だけ喜びは短いわけです。やはり、その喜びの時間を長く持とうではありませんか。単純に言えば、そういうことであります。
【大川隆法『真理学要論―新時代を拓く叡智の探究』第3章「反省と霊能力」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第8章「正念」
7「待ちの間」の蓄積
〇自己否定的な思いを止め、「明るい心」を持てば道は開ける
したがって、繰り返しで出くる自分の念いのなかに、「自己否定的なものがないか」「自己処罰的なものがないか」「他人を悪人視するような見方がないか」「他人を害したい気持ちがないか」というようなことを、まずチェックしてください。
「明るい心」を持っていなければ、絶対に道は開けないのです。「自分は駄目な人間だ」「自分は本当に頭が悪い」「自分は過去に悪いことばかりしてきた」「自分は本当に失敗ばかりする」「自分は見てくれも悪い。頭も悪い。何もかも悪い。もうどうしようもない」などと思っているのであれば、幸福になどなるはずもありません。やはり、そういう思いを止めて、もっと明るいものを入れていくべきです。
「自分も神様に愛されているんだ。これほど幸福の科学で勉強しているのに、不幸になるはずがない。もうちょっとの辛抱だ。頑張ってみよう」と思うことができれば、必ず、道は開けていくわけです。個々の頑張りどころが大事です。
心のなかに入っているもの、詰まっているものを、「明るい心」に入れ替えていかなければなりません。
また、他人を憎んで幸福になることは、絶対にありません。他人を憎んだり、悔しく思ったり、妬(ねた)んだり、嫉(そね)んだりして、幸福になることは絶対にないので、これは努力して捨てることです。
【大川隆法『真説・八正道』第8章「正念」281pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第7章 信仰と仏国土建設への道
○百パーセントの信仰
このように、地上に降りたる仏陀への帰依の姿勢があってこそ、
はじめて法というものは説かれてくるのだ。
仏陀への帰依の姿勢なくば、真実の法は説かれない。
疑いのなかで真実の法は説かれない。
疑いのなかに広がるものは悪魔の領域である。
悪魔はいつの時代も、人びとの疑いのなかに入り込み、
人びとの疑いのなかに入って、お互いの意見を合わせなくする。
お互いにわけのわからないことを言わせ、仲たがいをさせ、
そして、引き裂いてゆく。
信仰を引き裂こうとする。
信ずるものの心をかき乱そうとしてゆく。
しかし、人びとよ。決して迷ってはならない。
決して迷ってはならない。
自分の小さな頭で何がわかるか。
自分の小さな頭で、理解したところで、いったい何がわかるか。
小賢(こざか)しい知恵で何がわかるか。
なにゆえに、そのような小さな頭で、
なにゆえに、そのような小さな知恵で、
仏陀の叡智をはかることができるか。
仏陀を送りたもうた人格大霊の意図を見抜くことができるか。
自らの小ささをあざ笑うがよい。
自らの小ささを卑下(ひげ)するがよい。
そのような立場に、今、自分がないということを知るがよい。
疑いは、これは悪魔の心。
猜疑(さいぎ)もまた悪魔の心。
恐怖もまた悪魔の心。
このような心をもって探究とは言わない。
仏法真理を学ぶ者には、探究の姿勢が大事だ。
探究の姿勢とは、猜疑の姿勢ではない。
探究心とは、猜疑心ではなく、疑念の心でもない。
そのような心が起きた時、
もはや修行の途上にはないと言わざるをえない。
そのような時、その者はもはや修行者とは言われない。
修行者たちよ。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
もし、そなたがたのなかに、信仰にて迷いがあるならば、
静かに群れを離れて、心穏やかになるを待て、
その時を待て。
決して、何も批判を口にしてはならない。
静かに自らの心を平らかにして、過去の人生をふり返れ。
そして、自分がどれほど多くの光を、多くの愛を、
与えられてきたかということを感謝せよ。
そのことを感謝せずして、みだりに疑いをはさみ、
みだりに人の心を迷わせてはならない。
そのような心と行為は、
最も地獄に近いところにあるということを知らなければならない。
もし、四十年間仏陀に仕え、
その法をよく護持し、人びとを導くとも、
最後の一年において、仏陀のほうを疑い、これを攪乱し、
そして人々の心を迷わしたとするならば、
その者、必ずや地獄に堕ちん。
そのようなものである。
信仰とは、百パーセントの信仰にして、
九十九パーセントの信仰はありえないのだ。
九十九パーセントの信仰はゼロに等しい。
信仰は、百パーセントを求める。
それは、仏はすべてであるからだ。
仏はすべてであるからこそ、百パーセント信じなければ、
すべてを得ることはできない。
たとえ、九十九年の人生を信仰に生きても、
最後の一年において、間違いたる唯物論者となって生きたならば、
その者、必ずやまた地獄に堕ちん。
かくのごとき厳しきものがあるということを、知らねばならない。
【大川隆法『仏陀再誕』第7章「信仰と仏国土建設への道」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力』
第5章 仏法真理と学習
5 高級霊への関心
この「仏法真理と学習」という本章の課題の一つとして、私は、「高級霊への関心」ということを挙げておきたいと思います。
本章以外でも、さまざまな書物で、私は高級霊の言葉を伝えてきました。それをあるときは「霊言」と呼び、あるときは「霊訓」と呼び、あるときは「霊示」と呼んでいますが、本質は同じです。高級霊からの通信を明らかにしているわけです。
では、なぜ、そういうことをしているのでしょうか。この点について、話をしておきたいと思います。
「イエス・キリストが出た」とか、「モーセが出た」とか、いろいろな者が出たということで通信を公にしていますが、これらは決して、私が「自分が偉い」ということを示さんがためにやっているのではないのです。そうしたことは、結局、多くの読者の皆さんに「高級霊の本質とはいったい何か」ということを知ってもらいたいためにやっているのです。なぜ、高級霊の本質とは何かを知っていただきたいかというと、それはそこに、みなさんの「人生の理想」というものがあるからです。これが大事なのです。
人間は、手本となるべき人が欲しいのです。先生となるべき人が欲しいのです。この世の人間には、やはり限界があります。この世には完全無欠な人はいません。完全無欠な人格の人もいません。また、完全に生き切った人間もいません。しかし、あの世の世界のなかには、限りなく神や仏に近い人たちがいることは事実です。それも、この世的なる誘惑や欲望を断ち切って魂としてキラキラとした光を放っている高級神霊たちが数多くいるのは事実です。
われらが三次元にあって、この地上世界にあって目標とするものも、結局、「肉体の束縛、物質の束縛のなかにいて、そうした高級諸霊にどのように近づいていくのか」ということであろうと思います。これが、結局のところ、人生を向上させる秘訣であるし、幸福の源泉でもあろうと思うのです。
私が数多く高級霊の言葉を紹介している理由も、彼らが幸福そのものであるからです。高級霊たちは幸福そのものなのです。自分の個性のままに生きて、幸福そのもので生きているのです。この事実が、非常に大きな手本となるであろうと思います。「高級霊であって不幸である」というような人はいないのです。
高級霊が高級霊である理由は、結局、「神近き幸福、仏近き幸福を享受している」ということであろうと思います。そして、その幸福の源泉は「悟り」という名の幸福であると思うのです。「悟っている」ということが、彼らの幸福の源であるわけです。
このように、高級霊への関心を増すということは、人間の幸福の源泉でもあろうかと思います。結局、仏法真理を学習するといっても、高級霊たちの考え方、神仏そのものの考えは私たちには分からないかもしれませんが、「神近き人たち、仏近き人たちの考え方を学ぶことによって、どれだけそうした人たちに近づいていくか、どれだけ神仏に近づいていくか」ということが大事なのではないかと思います。
したがって、霊言集などの学習の目標も、単に知力を磨くということではなく、そうした偉大な魂たち、魂の持ち主たちの考え方を学ぶということなのです。「どのように考え方を学んでいくか。どのように理解していくか。それによって、どれだけ自分の魂の糧にしていくか」ということが大事だろうと思います。人間は、生まれつき持っている知識というものがありますが、やはり、先生というもの、教師というものがいて、そこから学ぶことによって啓発されるのです。
独習というもの、独学というものがあります。それによって、学問を修めた方は立派でしょう。あるいは、立志伝中の人物かもしれません。ただ、立志伝中の人物が敬われるのは、まれなケースであるからです。
たいていの場合、八割、九割の人にとっては、正しい導き手、正しい先生がいることによって学習というものは進んでいくのです。もし、学校というものがなく、教師というものがいなくて、生まれ落ちた赤ん坊は自らすべての知識を得なければいけないとなると、これは大変なことです。ほとんど不可能に近いでしょう。やはり、教師というものがいて手短に教えてくれるからこそ、多くの人たちはその知識を吸収し、人類の遺産を受け継いでいけるのではないでしょうか。
そうであるならば、高級霊たちがすでに叡智として持っている思想や心情、考え方を私たちは吸収し、血とし肉とし骨とすることによって、より大いなる「魂の進化」がありえるのではないでしょうか。彼らの学んだことに、さらに一歩付け加えることができるのではないでしょうか。
このように、「仏法真理と学習」というテーマを取ってみると、「高級霊への関心ということは非常に重要なテーマだし、そうした関心を持てば持つほど、それは自分の向上を意味し、自分の幸福感の増大を意味する」ということが言えると思います。
【大川隆法 『漏尽通力』第5章「仏法真理と学習」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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19 けんかしている相手がいるなら、自分がまだ生きていることを、感謝しよう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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エル・カンターレ・大好き
