(5/31-2)【基礎教学通信】151【5月31日】『解脱の言葉「仏説・八正道」』を読む3四諦・八正道の悟り―『大悟の法』意表をつくタイプだった慧能―『宗教の挑戦』死の苦しみ

『解脱の言葉「仏説・八正道」』

84 口先一つで他人(ひと)の心をころがせると思うな。

85 自分を偉く見せるために、他人(ひと)を利用しようと思うな。

【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】
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7月7日は70周年を迎えます。主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

7/5(日)~7/7(火)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/5(日)~7/7(火)は、連日13 
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
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さて、ここからは、仏教精神に立ち返るべく、教典『大悟の法』から第三章の「仕事能力と悟り」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■『大悟の法』第3章「仕事能力と悟り」
3 頓悟禅(とんごぜん)の問題点
○意表をつくタイプだった慧能

南宗禅の宗派は、当時の中国禅の新興宗教であったことは間違いありません。南宗禅のスーパースターである慧能という人は、新興宗教をつくったわけです。その後、その流れがずっと続いてきているのです。

南宗禅は頓悟禅(とんごぜん)なので、各人が、自分の思いついた悟りをさまざまなかたちで、提示し、それぞれの流派をつくっていきました。それぞれの人が、それぞれの悟りを出してよいことになっていたため、それで一派を築いてにぎわったことは確かです。これは禅の民主主義化と言えるでしょう。

慧能の功績は、「本性を見ること」という意味での「見性・けんしょう」という考え方を強く打ち出し、後世の禅ブームの基礎を築いたことです。

ただ、この慧能という人を見ると、そうとう偏屈なタイプの人だったと思われます。

現代でも非常に偏屈なのだけれども、ときどき、みんなが驚くようなことをずばっと言う」というタイプの人がいます。「ただの田舎のおじさんだ」と思われていた人が、非常に鋭いことをぽんと言うので、みんながびっくりしてしまうということがあるのです。

たとえば、その人が、「総理大臣の〇〇という人は、こういう人なのだよ」などということをずばっと言って、みんなが「なるほど」と思ったりすることがあるわけです。

慧能という人は、そのようなタイプの人だったと思われるのです。

慧能は、五祖の弘忍が年を取って引退間近であった時に、二十代前半でお寺に入ってきたわけですが、得度(とくど・出家のこと)しておらずお坊さんの資格はまだ持っていませんでした。しかも、無教養であり、字の読み書きができず、お経も読んでいませんでした(ただし、耳学問としては『金剛経』『涅槃経』『法華経』『維摩経』などを学んだと思われる)。

しかし、非常に鋭いことを言ったため、後継者として認定されたのです。慧能の偈を見た弘忍が、「これはすごい」と思って跡を譲ったというかたちです。

そして、弘忍が、オーソドックスな秀才であった神秀に跡を譲らなかったことで、その後、騒ぎが起こり、南禅宗と北禅宗の二派に分かれたわけです。(神秀もまもなく弘忍のもとを去った)。

慧能自身は才能のある人であったことは間違いないでしょう。また、字の読み書きができなかったにもかかわらず、高度な才覚をもって、意表をつくようなことが言えた人であることも事実です。

ただ、こういう人は、えてして、「自分がこうであったから、他の人もこうでなければいけない」というように考えがちなのです。

たとえば、実業界には、学歴がなくても成功している人がいます。なかには小学校中退で、成功した人もいます。そういう人は、それでもよいのです。学歴がなくて成功しても、かまわないのです。しかし、「学歴がないから成功したのだ」というように強引にもっていくと、少し問題があります。

もし、そのような考え方をするならば、学問自体の効果を否定することになり、「勉強など、しなくてよいのだ」ということになってきます。そうすると、やはり大きな活動を難しくなるだろうと思います。

そういう人の場合は、直感型経営というかたちになるので、その人の直感が働くあいだはよいのですが、組織が大きくなると、だんだん直感が働かくなり、それぞれの部門で判断ができなければならなくなります。それぞれの部門で判断するという段になって、合理的な根拠に基づいて判断しないと、結局、大きな仕事はできなくなるのです。あちこちで、各人が思いつきのままに、いろいろなことをするようになると、混乱が起きます。こういう問題が出てくるのです。

禅宗の流れ、頓悟禅(とんごぜん)の流れにおいても、いろいろな人がいろいろなことをしていて、実際は混乱の極みなのです。しかし、それがかえっておもしろいものだから、後世にも、非常に変わったことをする人がたくさん出てきて、それがまたおもしろく伝わり、はやっているわけです。

【※頓(とん)=時を移さずその場で。立ちどころに。とみに。臨機に。「頓智(とんち)・頓才・頓死」特に仏教で、修行の階梯(かいてい)を経ずただちに悟りを開くことに言う。
漸(ぜん)=だんだんに進むこと。度合がしだいに加わって進むこと。特に仏教で、程度の低い教えから程度の高い教えへと漸次に導いていくもの。】

【大川隆法『大悟の法』第三章「仕事能力と悟り」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』はこのように続きます。
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我に 今こそ 確信あり
人生 まさに 四苦 八苦
欲望の 瀑流(ぼうる)の 中を
泳ぐなり
されど 不動の 境地あり
この悟りこそ 真理なり
正しき 悟りは 八正道
苦・集・滅・道 沈思して
四諦の 道を 究むべし
解脱の 道を 進むべし

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Now I am firmly convinced
That life is nothing but the Four Pains
The Eight Pains
It is like swimming
Across a violent river of desire
But you can achieve a steadfast state of mind
This enlightenment is the Truth
The right way to enlightenment
Is the Eightfold Path
Contemplate and pursue
The Four Noble Truths
Suffering, its cause, its extinction
And the Path
And walk the path to emancipation

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人生というものは、「生・老・病・死」の四つの苦しみや、それらに「愛別離苦」などを加えた八苦に必ず見舞われることになるのです。・・・

「瀑流」(ぼうる)というのは珍しい言葉ですが、この字のとおり、猛威をふるう濁流のことです。これは、洪水の時に流れている水の力を思い出せばよいと思います。・・・

まさしく人生は、洪水の時に、材木や家、草木、あるいは動物など、いろいろなものが濁流に押し流されて、浮きつ沈みつしているなかを、泳ぎ渡っているようなものなのです。

それほど、人生とは厳しくも困難なものであり、四苦八苦に直面しているのです。多くの人間は、そのなかを泳ぎ渡っていかなければなりません。「それは大変なことなのだ」と、まず、自覚しなければいけません。・・・

そうした人生であっても、不動の境地があります。この不動の境地において得られる悟りこそが真理です。

その正しき悟りとは何でしょうか。それが実は八正道です。釈尊が菩提樹の下で開いた悟りとは、この八正道なのです。「四諦・八正道」というだけあって、八正道の前には、四諦すなわち「苦・集・滅・道」という四つの真理があります。

釈尊はこの「苦・集・滅・道」を悟ったのです。そして、「道」が八正道として展開するわけです。

人生は四苦八苦の「苦」に満ちています。しかし、苦しみには必ず原因があります。苦しみが単に苦しみとして立ち現れることはありません。それは、必ず原因があって現われてくる苦しみなのです。

その苦しみの多くは、今世において自分の心に蒔いた種子と、その結果からくるものです。万一、今世において原因がないものであっても、自分が過去世で生きた人生において、その原因があります。こうした原因を「業」(ごう)といいます。

過去世でどういう生き方をしたか。そして今世、生まれてからのち、どういう生き方をしたか。それが、現在において自分に向かってくる苦しみの原因なのです。

「集」では、自分の苦しみは何であるかを見つめ、その原因はいったいどこにあるのかということを、徹底的に探究します。次に、苦しみがなくなった「滅」の状態を、理想として考えます。そして、その苦しみを滅するための方法として、「八正道」があるのです。

結局、「苦・集・滅・道」の教えは、「道」のところに結論があり、八正道の勧めなのです。

しかし、「八正道を実践するといいですよ」という勧め方だけでは、「どうしてですか」と言われるだけです。そこで、「人生には苦しみがあります。あなたにも生・老・病・死の苦しみがあるでしょう」と、まずその苦しみを指摘してから、八正道を勧めているのです。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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つづいて、経典「八正道の心」より抜粋をご紹介いたします。
この経典は、もともと会内経典でしたが、HSU開学を前に、一般書として書店でも頒布されている大変ありがたい経典です。
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〇四諦・八正道
私の著書でも、「四諦・八正道」ということを述べています。『仏説・正心法語』(幸福の科学の根本経典。信者限定)にも書いてあるとおり、四諦とは「苦・集・滅・道」です。

「苦」とは、「人生は苦しみである」という真理を見抜くことです。

この真理が分かっている人は、ほとんどいません。大部分の人は、人生を苦しみとは思っていないのです。「人生は苦しみである」という真理を悟っているのは一部の人だけです。

なぜ人生は苦しみなのでしょうか。その根拠をたどれば、「この世は仮の世界、仮の世なのだ」ということに行き着きます。仮の世であるこの世を、完全な世界、永遠に続く世界のように思って生きているところに、人間の苦しみが生まれる原因があるのです。

「この世は仮の世界であり、実在の世界ではないのだ」という目で見れば、みなさんが、この世で「幸福だ」「楽しい」「こうなったらよい」などと思っていることは、ほとんど逆であり、実際には苦しみの種をつくっていることのほうが多いのです。世界の真相を知らない人には、苦しみに見えないかもしれませんが、世界の真相を知った人から見れば、苦しみの世界であることが多いわけです。「そういう目で見なさい」ということです。

次に、「集(じゅう)」とは、苦しみの原因を探求することです。

そして、「こういう苦しみは、なくさなければいけない。苦しみから解放された世界に還らなければいけない」と決意することが「滅(めつ)」の心です。

そのための道が「道(どう)」です。これは、伝統的には「中道に入る」ということであり、その中道の内容が実は八正道なのです。

「八つの正しい道(八正道)」と書く場合もあれば、「八つの聖なる道(八聖道)」と書く場合もあります。

八正道について、「正しさの基準が分からない」という人もいますが、実は中道の「中」が正しさなのです。

「中」とは何かというと、物事について両極端を考え、どちらも間違っているとして、その間を取っていくことです。「両極端を否定しながら、その中なる道を探していくなかに、真実の生き方があるのだ」という考えです。

そういう意味で、正しさのところは究めて難しいのですが、実際にこの正しさを求めていく方法が禅定です。禅定によって、智慧を磨いていくこと、智慧を発見していくことが修行なのです。

構造的には「四諦・八正道」と言われてはいるのですが、学者によっては、「四諦と八正道は別々に成立して、あとでくっついたのだ」と主張する人もいます。原始的な仏教では、ここまで固まっていたわけでないので、そういうところはあると思います。

ただ、現在では、「四諦・八正道」として、完成したかたちで伝わっているので、そういう形で理解したほうが、分かりやすくてよいでしょう。

みなさんは、「四諦・八正道」を、「完璧にこのかたちでやれ」と言われても、難しくて、簡単にはできないでしょうが、それは二千五百年前の人々も同じだったのです。

しかし、「正しく見なさい。そうしたら解脱できるのですよ」「正しい言葉を語りなさい。そうしないと、あなたは苦しみから逃れられませんよ」などという言い方をされれば、一つひとつは簡単なので、スパッとわかるでしょう。

そのように、さまざまな説法がなされていて、それがまとめられていき、だんだん、あとになればなるほど固まってきたというように見てよいでしょう。

【大川隆法『八正道の心』幸福の科学出版より抜粋】
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幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。それが、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つからなる仏へ道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。
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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第2章「無常の風」
〇「死」の苦しみ

さらに、最後には「死」というものがきます。「生・老・病・死」の最後に来る「死」。私は「人間には死のもとに平等である」と語ったことが何度もありますが、死というものは、本当に刻一刻迫ってくるものです。

おそらく六十歳を過ぎた方であるならば、毎年毎年その足音が聞こえてくるように思えるに違いありません。夜寝ていても、天上から糸で剣をぶら下げられているような気がすることでしょう。その糸が切れ、剣が落ちてきて、自分が死ぬかと思う―そうした悪夢にうなされてガバッと夜中に起き上がったことも、何度もあるかもしれません。あるいは、ギリシャ神話のタンタロスのように、「無間地獄〈タルタロス〉へ落とされ、頭上に大石をつるされ、押し潰される恐怖にたえずおののいている」(ピンダロス)夢を見ることだってあるでしょう。

あと何年かしたら必ず死ぬ。七十であればもう残り少ない。八十であれば一日一日が奇跡のような毎日です。その時期に黄金の時代を持っているかといえば、そうではない。灰色の時代ではあるけれども、生き長らえたいという二律背反のなかで、人は過ごしているものなのです。

この死ということの意味を、現代人はあまり追究していないように見えます。健康な人が「病気は、病気になったとき考えればよい」と思っているのと同じで、「死は、ある有名な国立大学の宗教学の教授で、K教授という方がいました。その方も突然ガンにかかって、何年か闘病生活を送られました。宗教学者であるから、死に対する心構えがさぞできていたであろうと一般の方は思うでしょうが、突然ガンにかかり、自分の死というものに直面したときに、宗教を研究しておりながら、どうしても往生しきれない苦しみというものを感じたようです。

いくら考えても考えても、「死」ということの意味がわからないのです。結局は、「死とはこの世におさらばすることに他ならない」とは思うのだけれども、「この世におさらばしたあとどうなるのか」がわからないまま、その方は死期を迎えました。そして死んだあとは、残念ながら、天国ではなく地獄というところに堕ちて苦しんでいます。

この世での業績や知名度や頭脳の良し悪しはまったく関係がありません。真実を知っているか否か、それにすべてがかかっています。

田舎の貧しい農家の主婦であっても、神を信じ、日々明るい心で生きている人は天国に還ります。

しかし、著名大学で宗教学を講じたとしても、神仏を本当に認めることができず、魂も来世も知ることができず、魂も来世も知ることができず、そうした疑いの心で唯物論的に研究をして死んだ結果は、地獄に赴くことになります。世はなんと不自由なことかと思うかもしれませんが、無常ということは、こういうことをいうのです。

【大川隆法『宗教の挑戦』第2章「無常の風」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。

エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。

【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。

■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】

■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える

■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする

信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え

戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。

これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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