84 人は経験によって、学び、少しは賢くなる。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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8月23日(日)は13時より全国仏法真理学検定試験です。
本試験は、一年に一回、エル・カンターレ信仰を深め、
仏法真理の知識をどこまで獲得できたか、自らの精進を確認するためのものです。「正しき心の探究」を具体化するための仏法真理の学習によって、主の法に基づいた救世活動を展開するための基礎力を身に着けることができます。こうした水面下の努力を継続していくことが
、光あふれる伝道へとつながっていきます 。これを機会に、いっそう教学を深め、 仏法真理を自らの魂の糧とし、
伝道力の向上につなげてまいりましょう。
根本仏が下生された時代に生まれ、数多くの法を学べること自体が奇跡です。一冊一冊 、
丁寧に仏法真理を学び、信仰・伝道・植福における異次元パワーを引いてまいりましょう。
8月30日(日)音楽祭「響感2026―成功者の町―」が名古屋正心館を本会場に全国の支部・拠点にて14時より衛星中継されます。
今回の音楽祭では、映画『影を売る女』公開前のお誘い・伝道の機会として、映画の内容がより深まる「本当の成功とは何か」について、映画のメインテーマ・挿入歌や、楽曲「主なる神を讃える歌」「天御祖神の夢」「夢人間」「遥かなる異邦人」等を中心に、主の楽曲歌唱・経典の朗読等を交えてお届けいたします。
主なる神は、全ての人を愛しています。その愛のために生まれた美しい天上の界の調べを是非、ご体感下さい。皆様のご来館をお待ち申しあげています。
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仏の願いを成就せよ。仏の願いとは、一つだ。一切の衆生を救いたいと念う心であり、縁ありて集いたる一切の衆生に、仏法真理を学び尽くしてほしいという願いなのだ。
この宝の山を、ごちそうの山を、一人ひとりに届けたいということなのだ。これが仏の本願である。この本願を遂行することが、弟子としての最高の使命である
。
【『 永遠の仏陀 』第3章 より抜粋】
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8月に入り、お盆という霊的な季節を迎えるにあたり、皆様とともに「永遠の生命」についてともに考える機会を持ちたいと思います。経典『復活の法』第4章「因果応報」を学びます。この法話の英語タイトルは「As
You Sow, So Shall You Reap【蒔いた種は、刈り取らねばならない】」となっています。
経典『復活の法』をお持ちでない方は、全国の書店・支部・精舎で購入可能です。この機会にぜひ拝受ください。【税抜き1800円】
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■『復活の法』―第4章「因果応報」―人生を「前世・現世・来世」で捉える
2 現世の生き方が来世につながる
○知らずに犯す罪を贖(あがな)えるだけの高度な価値を生む
悪の種というものは常にあります。
また、どのような人であっても、一つの悪も犯さずに一生を送ることはできません。もちろん、悪を犯したことに自分では気づかない場合もあります。その部分にまで光を当てられたならば、悪を犯さずに生きることは無理なのです。
たとえば、一匹の虫も殺さずに人生を生き切ることは不可能です。殺したことを自分は死らなくても、実際には殺していることがあります。自分の手でたたき落とさなくても、蚊取り線香が仕事をすることだって当然あります。道を歩いているときに蟻を踏みつぶしても、気がついていないことも数多くあるでしょう。知らずに殺している虫もたくさんいるのです。
また、牛肉や豚肉などを、一生のうちに、いったい、どのくらい食べるのでしょうか。何頭、牛を食べるのでしょう。何匹、豚を食べるのでしょう。何羽、鶏を食べるのでしょう。かなりの数を食べることでしょう。
その牛や豚、鶏は、自分以外の人が殺してくれているので、自分に罪悪感はありませんが、その動物たちが屠殺(とさつ)される現場に実際に居合わせたならば、そのあと、その肉を食べられたものではないでしょう。
動物たちは、やはり、殺されることを嫌がっています。死にたくないのは人間も動物も同じです。今世の命を全うしたいのは動物も人間も同じですが、動物たちは、人間の食用に供されるために命を奪われています。その現場を見れば、その肉を食べられたものではありませんが、その嫌な仕事を他の人がやってくれているので、機嫌よく食べることができるのです。
魚だって同じことです。魚にだって、考えはありますし、魂もあります。魚も喜怒哀楽の感情を持っています。しかし、人間は魚を食べて生きています。
人間が一人、一生を生きるためには、多くの生き物の命が犠牲になっています。この犠牲なくして人が生きられるかというと、なかなか、そうはいかないのです。「私は、ベジタリアン(菜食主義者)であって、肉を食べていない」という人がいるかもしれませんが、菜食だって同じです。
植物にも魂があります。植物は、動物のように躍動的ではなく、もっとゆっくりとした動きしかしませんが、動物にも、きちんと魂はあるのです。その姿形は、ある意味では、動物よりも、もっと人間的な姿をしています。
植物だって、この世での使命を果たしたいのですが、やはり食べられてしまいます。その点では動物と同じです。
動物や植物の命を奪うことなくして一生を生きることは、今世に生まれた以上、できません。それは不可能なことなのです。そのため、実際に、多くの動植物が犠牲になっています。
さらには、そういう動植物だけではなく、多くの人たちの汗と涙、その他の努力の下に、人間は生活ができているのです。
罪なくして生きることは、なかなか、できるものではなく、むしろ、罪多くして生きることになります。
そこで、多くの動植物が犠牲になってくれたとしても、それを贖(あがな)えるだけの高度な価値を生む生き方、「あの人が生きていてよかった」と言われるだけの生き方をしなければいけないのです。
【大川隆法『復活の法』―第4章「因果応報」より抜粋】
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。神の計画を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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第2章 大地を駆ける
2 ギリシャ哲学の本質
ソクラテスは、紀元前五世紀の人です。インドでは釈迦が、中国では孔子が、活躍していた時代とほぼ同時期にあたります。仏の計画は、いつもこのように、新しい時代が始まるときには、多数の高級諸霊を地上の各地に、集中的に出しているのです。ひとつの時代が終わる頃にも、同じことが言えます。
人類の歴史を鳥瞰してみると、ある一定の時期に、一定の地域を中心に、異常にレベルが高い人々が住んでいたことが注目されるでしょう。たとえば、今から三千七、八百年前のギリシャのゼウスの時代がそうです。二千四、五百年前のソクラテスの時代、ローマ帝国時代のローマもまったく同じことが言えます。十七、八世紀のイギリスや、十九、二十世紀のアメリカも、そうです。
日本でも、今から二千七百、八百年ほど前、天照大神を中心として、多数の諸如来、諸菩薩が輩出しており、大和の国の基礎となる神聖政治を行っておりました。現在の皇室は、系図的にはその末裔(まつえい)ということになるのです。【※近年、日本の神と日本民族の始祖として約3万年前に天御祖神がアンドロメダ星雲から、日本の富士山の麓に降臨した事実が明らかにされています。経典『天御祖神の降臨』『地球を包む愛』等参照】
さて、話をもう一度ギリシャに戻しましょう。ギリシャは、紀元前八世紀から、独特のポリスという都市国家を中心として、栄え始めました。紀元前六世紀の初めには、賢人ソロンが出現。転落農の救済、貴族と平民間の調停のための借金帳消し、負債奴隷の解放、市民の財産区分による参政権授与などを実施しました。この賢人ソロンが実は六世紀の日本に生まれ変わり、聖徳太子と称された如来なのです。また、ソロンの魂の兄弟が、十九世紀にアメリカで奴隷解放をなしとげたリンカーン大統領です。【※その後の霊査で、聖徳太子は、天御祖神や仏陀の魂と関係が深いことが明らかにされています。【公開霊言
『聖徳太子、推古天皇が語る「古代日本の真実」』を参照】
ギリシャは、ペリクレス(紀元前四九五年―同四二九年)の時代に、アテネが繫栄し、民主政治は最盛期を迎えました。ペリクレスも如来界の人であり、この分身が、十八世紀、江戸時代の日本に生まれ変わり、寛政の改革を断行し松平定信(一七五八年~一八二九年)だったのです。
やがて、ソクラテス(紀元前四六九年―同三九九年)が出て、客観的真理の実在と知徳合一を説き、問答法によって、「知」の本質を教えました。その弟子プラトン(紀元前四二七年―同三四七年)は、先ほど述べたように、イデアこそが真の実在であるとする観念論哲学を体系づけ、現実のポリス社会に失望して、理想国家論を著(あら)わし、哲人王の支配こそ最善であると説いたのです。プラトンの理想国家と哲人王を、二十世紀の共産主義国家とその独裁的指導者になぞらえる方もいますが、現代の唯物論は、プラトン思想の核である霊界思想と対立関係にあり、皮相な見方と言ってよいでしょう。プラトン的な、私有財産制の否定や婦人の共有思想は、現代的共産主義思想の先駆と見るよりも、個人の私利私欲、エゴを否定する�
�教的思想と考えるべきでしょう。仏教的には、無我の思想、出家の思想に近いと言えます。
このプラトンは、十八世紀になって、ヘーゲル(一七七〇年~一八三一年)という名で、ドイツの国に生まれ変わります。そして、カントに始まる観念論哲学を完成し、生成・発展の理論である弁証法を創始しました。【※弁証法(べんしょうほう)とは、対立する概念や考え方を統合し、より高い次元の理解や解決策を生み出す思考法です。一般的には、ヘーゲルによって体系化されたものが知られていますが、その起源は古代ギリシャの対話術にまで遡ります】『精神現象学』『論理学』『法の哲学』などの著書で知られている人です。ヘーゲルとして出ていたときには、どちらかというとアリストテレス的立場に近く、近代社会の要請に合わせて、合理的、理知的に真理を語ることが主眼であったため、プラトンのときのようには、�
�子体離脱ができませんでした。しかしその著『歴史哲学』のなかに見られるように、ヘーゲルは神の世界計画をはっきりと認識しており、天上界から、ソクラテスの指導を受けておりました。
さらに、ギリシャには、アリストテレス(紀元前三八四年―同三二二年)が出ております。アリストテレスは、師プラトンのイデア論を批判し、実体論を説きましたが、その中心的考えは、具体的事実を通じて普遍的な事実を捉える科学的な方法にあり、諸学問の基礎をつくりました。アリストテレスも如来界の人です。この人の特徴は、論理性を重視する考え方にあり、『形而上学』『二コマコス倫理学』『政治学』などの主著に、その傾向がはっきり現われています。
アリストテレスは、中国は宋の時代に生まれて、禅宗の無門慧開という名で知られています。無門和尚は、古人の禅の公案四十八則を評釈した『無門関』という著書を書き、無の境地を明らかにしました。西洋哲学の祖が、一転して東洋哲学の中興の祖となったのです。
アリストテレスは、無門和尚として生まれた後、さらに、日本に西田幾多郎(にしだ・きたろう・一八七〇年―一九四五年)という名前で再び生まれております。西田幾多郎は、有名な京都学派の哲学者です。その中心的考えは、前世に影響されて、日本的「無」の哲学へと向かったのですが、今世の目的としては、西洋哲学と東洋哲学とを弁証法的に止揚(しよう)した、つまり、正―反―合の「合」の哲学を築くことにありました。
こうして見てくると、ギリシャの哲学は、単に西洋の学問的源流になったのみならず東洋精神のなかにも入り込んでいることが分かります。そして、そこに壮大な仏の計画を看取することができるのです。ギリシャ哲学の本質とは、やはり、「真理」にあるのです。
【大川隆法『黄金の法』第2章「大地を駆ける」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとしている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。以下2003年に発刊されました主の著書である、経典『幸福の法』の第四章「幸福の科学入門」を引用しながら、幸福の科学の基本教義を学んでまいります。経典をお持ちでない方は、この機会に拝受ください。【税抜1800円】
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〇知の原理―新しい知識に対して開かれた体系を持つ宗教
それと同時に「知の原理がある」ということは、「古びた宗教とならないために、知の世界、情報の世界に対して開かれた体系を持っている」ということを意味しています。
私たちの宗教は、単なる古代返りの宗教ではないのです。未来の人たちをも助けていく、救っていく宗教です。その意味で、発展していく宗教であり、知識的にも開かれた体系を持っています。「人々を幸福にする原理であるならば、新しい知識や技術も次々と吸収していかなくてはならない」という、開かれた宗教なのです。
根本的に、太古の昔より変わらない法則はあり、それをねじ曲げることはできません。しかし、この世の方便として変わっていくものに関しては、よりいっそうよい考え方やよい情報、よい知識があれば、当然、取り入れていきます。そういう知の世界に対しても開いた体系を持っているのです。
これが、幸福の科学が現代社会に対しても情報を発信し、未来についても意見を述べている根拠の一つです。決して「縄文時代に戻れ」と言っているわけではないのです。
真理というものは不変なので、現在においても有効です。その現在にも有効である真理は、新しい情報や新しい知識の衣装をまとって、新しい機能を果たすことができます。すなわち、現代人の悩みも救うことができるのです。
縄文時代であれば、「どうしたら土器をうまくつくれるか」ということが悩みだったかもしれませんが、現代における悩みは、もっと高度化したものになっているので、現代では、当然、それだけでは通用しないのです。
もちろん、専門外の問題の場合には、力及ばず、救うことができない部分もあるかもしれません。しかし、開かれた体系は持っているのです。新しい知識に対しても、それを貪欲に取り入れていく意欲を持っており、閉鎖的な体系ではありません。これは、そのようなカルト性のある宗教ではないということを意味しています。
当会は、学問や、マスコミ情報など、いろいろな情報に対しても開いています。それを入れると、普通は宗教の体系は崩壊するので、他の宗教の場合はみなクロウズド(closed)にして遮断するのですが、当会は、ある程度、開いています。それは、自信があるからでもあり、また、「間違っているところが万一あるなら、変更していこう。変えていこう」という気持ちがあるからでもあります。
このように、第一原理として、広い法門としての愛の原理があり、次に、知の原理があるのです。
【大川隆法『幸福の法』第4章「幸福の科学入門」 より抜粋】
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続いて、『幸福の法』第3章「人間を幸福にする四つの原理から」重ねて引用いたします。
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〇知っていれば失敗しない
頭のよし悪しには、こういう学力的な面もありますが、もう一つ、違った面として、前述したとおり、「世の中の成功法則を知っているかどうか。人生に成功するか、失敗するか」という面もあります。
これは、他の人からなかなか教えてもらえない面です。各人の応用問題なので、「こうしたら失敗するぞ。こうしたら成功するぞ」と、一個一個、教えてはもらえないし、易者に訊いても、教えてもらえるわけではありません。
ただ、ここで、簡単な、単純なことを言うと、「人は、自分の知っていることについては失敗しない」ということが言えます。これは覚えておいてほしいのですが、人は、自分の知っていることについては、なかなか失敗しないのです。
ところが、未知のことが多すぎるのです。「ほかの人は、すでにそれを経験しているけれども、自分はそれを知らない」「人生の先輩はそれを知っているけれども、自分にとっては、それは初めての経験である」ということがあって、未知のことに出くわすわけです。
未知のことについては、やはり、勝敗は五分五分です。成功するか失敗するか、分かりません。
しかし、すでに知っていること、既知のことに関しては、五分五分ではなくなります。すでに知っていることについては、十割、勝てることもあるし、十割とまではいかなくても、九割以上は勝てます。「これは、こうなる」ということを知っていれば、勝てることが多いのです。
これは将棋の指し手と同じことです。将棋では、定跡(じょうせき)を知っていれば勝てるでしょう。それを知らない人が相手だったら百戦百勝です。ところが、向こうもそれを勉強してきたら、勝つのは難しくなります。この将棋の指し手と同じで、知っていることについては、人はなかなか失敗しないものなのです。
人生の経験、人生の勝敗に関することについては、ほとんどの人が素人です。それについて研究し尽くしている人など、あまりいないものです。研究し尽くしている人は失敗もしないでしょうが、普通、九十何パーセントの人は素人なのです。そのため、各人が、それぞれの初めての体験でつまずくのです。
したがって、そういう場合、まず知っているということは大事なことなのです。
知るためには、どうしたらよいでしょうか。一つには、各自で読むという方法もあります。もちろん、テレビなどを観て情報を得るという方法もあります。あるいは、映画を観たり小説を読んで勉強したり、人の話を聴いたりというように、いろいろな方法があります。
まずは、自分の迷っている事柄に対する判断を与える根拠、それを判断するための材料が要ります。知っていれば失敗しないのです。
特に、学校の勉強などがよくできても人生に成功していない人を見ていると、そのほとんどは、人生の悪についての知識が足りません。・・・
これに対しては、「知っている」ということが徹底的に強いのです。「こういう場合に、こういう人は、こういうことをする」「こういえ場合に、人間は、こういうことをする」というようなことを知っていることが大事です。・・・
これについては、活字で読むだけでは無理かもしれません。やはり、他の人の人生体験や経験を、いろいろ聴いておかないとだめです。そういう、人生の悪についても知らなくてはいけないのです。善をなそうとする人は、悪についても知ることが必要です。悪に対して戦う力を持っている人は、やはり、善においても強いのです。
「知らない」ということにおいて、悪は、はびこることがあります。知っていて、見破れば、悪というものは現実化しないのです。
人を騙そうとしたり、罠にはめようとしたりする人間も、世の中にはいます。そういう意図はなくても、一定のシチュエーション(状況)におかれたら、そのようになることも、人間にはあります。それについて、よく研究することです。そうすることによって、失敗から逃れて幸福に入ることもできるのです。
そういう悪いことをする人間もいますが、その人に悪を犯させないことも善なのです。善人が騙されて失敗するということはよくあるのですが、それで悪をはびこらせることになったら、善人が善人ではなくなります。悪を増長させていることによって、善人が悪人の共犯者と同じになるのです。
したがって、幅広い関心を持って、人生における悪の問題、それから、人を堕落させたり、失敗させたり、挫折させたりする原因などについて、よく見る必要があります。
これについては、自分の経験には限界がありますが、友人、親、兄弟、親戚、知りあい、こういうところをじっと見ていると、必ず勉強材料は転がっています。「人は、なぜ失敗するのか。どういうことによって悪の道に入るのか。どういうことによって悪に染まるのか」というようなことを、じっと観察すると、大いに勉強になることがあります。
「それを知っている者は、つまずかないけれども、それを知らない者は第一撃で失敗する」ということがあるので、「知は力である」ということは、こういう面についても当たります。この辺を研究してください。
「学力的な面について、自分の頭の悪さをあまり嘆きすぎる必要はない」ということも言いましたが、もう一つには、「人は、自分の知っていることについては失敗しないものなので、そういう意味において、さまざまなことを知ろうとする努力をしたほうがよい」ということです。
要するに、頭が悪いことを嘆いている暇があったら、正しい判断ができるように、常に努力して、知識を集め、研究を怠らないことです。これも幸福になっていくための道なのです。・・・
結局、生まれつきのことや、すでに終わってしまった過去について嘆くよりは、やはり、積極的に努力し、精進して、道を開くべきなのです。
【大川隆法『幸福の法』第3章「人間を幸福にする四つの原理」より抜粋】
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幸福の科学の教えの第二は「知」です。
幸福の科学の教えは、さまざまな宗教の教えを統合する立場にあります。また、未来の科学技術や学問に対しても大きく法門を開いていますので、古い価値観に拘泥することなく、現代文明と未来文明ともに価値観を共有することができる包容力を持っています。そういう意味では、「幸福の科学」の教えは、相手や自他をより深く理解するための力であるために寛容性や包容力を持っています。
「知は力なり」という言葉がありますが、知は確かに愛を広げるために必ず必要なものです。そして、悪に巻き込まれないためにも、善人が悪に利用されないためにも智慧が必要です。
本日の引用では、
『真理というものは不変なので、現在においても有効です。その現在にも有効である真理は、新しい情報や新しい知識の衣装をまとって、新しい機能を果たすことができます。すなわち、現代人の悩みも救うことができるのです』とありました。知は、救済力そのものです。「知は力なり」という言葉もあります。
また、
『そういう、人生の悪についても知らなくてはいけないのです。善をなそうとする人は、悪についても知ることが必要です。悪に対して戦う力を持っている人は、やはり、善においても強いのです。
「知らない」ということにおいて、悪は、はびこることがあります。知っていて、見破れば、悪というものは現実化しないのです』
このように、悪について知ることによって、善をおしすすめる力になることも教えていただきました。その意味において「無知は罪」になる場合があることも知らなければなりません。
『要するに、頭が悪いことを嘆いている暇があったら、正しい判断ができるように、常に努力して、知識を集め、研究を怠らないことです。これも幸福になっていくための道なのです』という言葉が大変印象的でした。
また、無知であることが罪につながるという論点として、
『「知らない」ということにおいて、悪は、はびこることがあります。知っていて、見破れば、悪というものは現実化しないのです。』
これは私にとっても一転語でした。悪を見破ることは知の働きですが、これが善を推進する力にもなります。
『そういう悪いことをする人間もいますが、その人に悪を犯させないことも善なのです。善人が騙されて失敗するということはよくあるのですが、それで悪をはびこらせることになったら、善人が善人ではなくなります。悪を増長させていることによって、善人が悪人の共犯者と同じになるのです』
このように悪を知らないがゆえに、心弱き善人が悪に巻き込まれて、結果的に悪に加担してしまうことがあります。
『したがって、幅広い関心を持って、人生における悪の問題、それから、人を堕落させたり、失敗させたり、挫折させたりする原因などについて、よく見る必要があります』
これも、「原因と結果の法則」の一面である「悪因悪果」の研究ではありますが、悪の種がどのような悪を生むのかを知る必要があります。これも智慧の働きです。そしてその勉強材料は、ふだんの私たちの生活のなかにたくさんあることが以下のように説かれています。
『これについては、自分の経験には限界がありますが、友人、親、兄弟、親戚、知りあい、こういうところをじっと見ていると、必ず勉強材料は転がっています。「人は、なぜ失敗するのか。どういうことによって悪の道に入るのか。どういうことによって悪に染まるのか」というようなことを、じっと観察すると、大いに勉強になることがあります』
ここでは、八正道の正見・正しい観察が魂の学習に大きく貢献することが分かります。
そして、まとめとしてこのように教えていただきました。
『それを知っている者は、つまずかないけれども、それを知らない者は第一撃で失敗する」ということがあるので、「知は力である」ということは、こういう面についても当たります。この辺を研究してください』
このように、「知」の法門は、私たちが、神仏の求める幸福に至るための大切な教えであることが少し理解できました。「知」は主の愛を、遍く広げるために必要な力です。
知を智慧へと、そして悟りへと高めて、悪を押しとどめ、善をおしすすめる。主の愛を、神の愛を「知」の法門と共に広げてまいりましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。
エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。
【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。
■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】
■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える
■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする
信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え
戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。
これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史
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