63 妖怪「ぬらりひょん」の特徴としては、すぐに人の背後に回り込む点があげられる。正面から人に見られるのを嫌がり、後ろで、お茶など飲みながら、エネルギーを吸ったり、耳元でささやいたりする。人が夕方にくたびれている時は、「ぬらりひょん」にエネルギーを抜かれていることが多い。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
40 黒いカラスが急降下して、動物たちの背中の毛を抜いていた。巨大パンダに化けた黒鬼と白鬼が、口から炎を吹いて、悪いカラスを焼き尽くした。生前、タカリ屋だった魂たちだった。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第2章 現代の武士道
3 現代における武士道精神とは
〇「真理を伝える使命」を率直に受け止めよ
世界全体を見回してみると、旧ソ連邦は崩壊したにもかかわらず、「共産主義の亡霊」はまだ出回っていて、そんなものに取り憑かれた大国がのさばり、国内でも海外でも、いろいろな悪さをどんどん重ねているような状態も続いています。
一方、話を個人に戻すと、私たちは、仏法真理の立場から見て、「神仏はあり、あの世の世界はあり、神々や天使、菩薩の世界があり、また、善良な人たちが行く世界があり、間違った生き方をした人たちが行く地獄がある」ということを述べています。
そして、これは動かざる「現実」です。
みなさんが、また、私の話を聞いていない人たちも含めて、すべての人がこの世を去るときに、確実に直結しなければいけない世界なのです。
そういう「真実」が、今、説かれているのに、これを人びとに知らせずに人生を終えるということは、とても悲しいことです。悔しいことです。
自分自身の言い訳や、組織の限界の言い訳で、それを取り繕(つくろ)ってはいけないと思うのです。
使命あるものはその使命を果たし、その使命を聞いても動かずに、知らないふりをしている人たちは、人間として真人間に立ち戻り、そうした使命を率直に受け止めようとすべきだと思います。
【大川隆法 『現代の武士道』第2章「現代の武士道」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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11環境に感謝する姿勢【正業】
〇「上司」や「自分を引き立ててくれる立場の人」を批判しない
それと、もう一つは、宗教的人格のなかには考え違をする人が多いのですが、特に、強きを挫(くじ)く性格の人は、みなさんのなかにもそうとういるのではないでしょうか。
真理を学んでいる人のなかには、どうしても、「この世的権力」、あるいは「成功者」へ背を向ける部分があります。そうしたものに背を向けて、「自分はそういう世界の人間ではなく、別の世界の人間なのだ」と考えやすいのです。そして、「上司」を批判したり、「本来なら自分を引き立ててくれている立場の人」を批判したりするようになることがあります。これは、やはり、成功の原理を知らないのです。
いくら下の者をかわいがっても出世はできないものです。それは、そういう”力学”があるからです。いちばん出世するタイプは、上にかわいがられ、下に愛される人なのです。
転職する際にも、「自分はどれだけ多くの人に愛されていたか」ということは、よく分かるはずです。自分が去っていっても、誰もまったく困らず、誰も「残念だ」とも言ってくれないというのは、寂しいかぎりです。しかし、時折、こうした人間になっていることもあります。
ですから、私たちは、成功していると思うときに、よくよく自分の周りを見なければなりません。「ある人たちの力によって現在の自分があるのではないか」「それに対する感謝ができたか」「報恩ができたか」、また、「その報恩は、さらなる自己改革と自助努力というステップを生み出しているかどうか」ということを考えなければなりません。「太陽」と「月」の比喩を、よくよく思い出して下さい。
以上は、極めて現代的な「正業」論である。
釈尊の説いた根本仏教では、「正業」は「正行」でもあり、転生の際の〈カルマ〉の元となるものである。すなわち、戒律や法律、道徳に反する行為をしなかったか。犯罪に当たる行為をしなかったか。などが中心であった。(『太陽の法』第2章第10節参照)
【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」205pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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第四章 政治と経済
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私の言葉をよく聞きなさい。
私は、かつてあなたがたに、
心について、心の教えについて、
さまざまに語ってきたはずである。
そして、心の教えとは、
時代を超え、地域を超え、人種を超えて、
いつも妥当する教えであると説いてきたはずである。
○政治・経済のなかで
しかし、
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
あなたがたが生まれているこの時代、この地域には、
あなたがたが過去、修行によって学ばなかったものがある。
あなたがたは今の時代において、
政治をどうとらえたらよいかが、わからないであろう。
あなたがたは今の時代において、
経済をどうとらえたらよいかが、わからないであろう。
その通り、
私は、過去あなたがたに政治の道は説かなかった。
私は、過去あなたがたに経済の道は説かなかった。
わたしは、過去あなたがたに、政治や経済を離れ、
ただ心の安らかさを求めよ、と説いた。
しかり、しかり。
今の時代においても、心の平安こそが、心の調律こそが、
そして、悟りの道こそが、至高の徳であることは変わりがない。
しかし、
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
この時代に、この政治のなかに、この経済のなかに、
生きているあなたがたは、
いかに惑い、いかに戸惑うことであろうか。
そうしたあなたがたの姿を見ていると、私は涙を禁じえないのである。
比丘、比丘尼たちよ。
しかし、惑ってはならない。
この世に現れたるものは、すべて真実の仏の心が、
何らかの形で展開しているのである。
したがって、
あなたがたは、いたずらに政治から逃れようとするな。
あなたがたは、いたずらに経済から逃れようとするな。
あなたがたの今世の修行は、
この政治のなかにあって、この経済のなかにあって、
心清く、心正しく、心穏やかに生きるとは、そして、
仏の心にかなって生きるとは、
いかなることであるかを示すことではないか。
そう、時代は変わった。
されど、永遠の法は変わらない。
その永遠の法を人びとに伝えるためには、
あなたがたは、この世の中のものをすべて否定してはならない。
この世の中に潜むあらゆる善を発掘し、
この世の中に現れる、あらゆる悪を消し去ろうと努力せよ。
そして、そのなかに真の修行者の道を得なければならない。
○精神の支柱
諸人よ、よく聞きなさい。
今、私が法を説いているこの日本という国は、
世界をリードする時代に入ってきた。
しかし、世界をリードする国が、
その拠りどころとすべき精神的支柱を持っていない。
これは、憂うべきことだ。
一家において、主人が、家長が、
心正しくよく働き、みなのものを善くまとめていってこそ、
家庭は繁栄する。
同じように、国の政治を司る者が、
心清く、心正しく、欲望から離れ、執着から離れて、
そうして民の幸福をのみ考え、
多くの者どもを幸せにすることのみを考えて、政(まつりごと)を行うとき、
国は自ずから治まり、そして平らかとなる。
されど、今、この日本の国には、帰依すべき法がない。
国家が帰依すべき法がない、教えがない。
嘆くべきことである。
私は、そう思う。
国家というものを、永遠不滅のように考えているのか。
それは、時代により、地域により、人びとにより、変わってきたものだ。
その名前が変わろうとも、その地域が変わろうとも、
しかし、その背後にあって永遠不滅の法があった。
永遠なる法があったのだ。
永遠なる法は、仏から流れ出て、
そして、仏の心を忠実に地上に顕(あら)わさんとして出てきたのだ。
【大川隆法『仏陀再誕』第四章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第六章 人間完成の哲学
7 阿羅漢の修行
阿羅漢の修行について、さらに話を進めましょう。
千人の人が修行に打ち込んだ場合、指導者がよく、各人の心掛けもよければ、千人が千人、阿羅漢向に達することが可能です。そして、少なくとも一週間や二週間は、その状態を維持することが可能だろうと思います。
しかし、そこから阿羅漢果に達することができる人は、その千人のうち五十人ぐらいだけなのです。そして、そこから菩薩になっていくのは、その五十人のなかで五人内外にすぎません。これほど厳しい試練が待ち受けているのです。
それでは、阿羅漢の修行として最も大切なことは何でしょうか。これには、主として二つの徳目があります。
第一の徳目は、「一生涯、すなわち死ぬまで自分を磨きつづける」という心構えを持つことです。人間の心はガラスのようにすぐ曇りができて汚れるので、ガラスを磨くがごとく、毎日、自分を磨き続けることが必要なのです。
そのためには、自分を磨くことを日常生活に取り込んでしまわなければなりません。食器を洗うがごとく、洗濯や掃除をするがごとく、毎日毎日、みずからの心を磨いていき、それを一生涯、続けていくのです。
第二の徳目は、謙虚な姿勢です。なぜなら、阿羅漢の段階でいちばん危険なのは増上慢であり、小さな悟りで満足し、小成してしまう人が出やすいからです。
特に、阿羅漢の状態では霊的現象が起きやすいので、注意が必要です。阿羅漢の状態になると他人のオーラが見えたり、守護霊の声が聞こえたりすることがあるので、「自分は偉大な光の菩薩である」と錯覚することも多いのです。
したがって、みずからを謙虚に見つめていくことが大切になります。霊的現象が起きたとしても、それに慢心することなく、一つの経験として静かに受け止め、玉石のなかの玉を選んでいく工夫をすることです。
すなわち、霊的感覚においても安定感が大事なのです。優れたドライバーが自動車を手足のごとく扱って安全運転するように、霊的現象を難なく動かせるようになれば問題はなのですが、現実にはそうでない人が多いのです。
第一に、一生涯を通じて己を磨いてく姿勢を忘れないこと。第二に、謙虚さを特に肝に銘ずること。そして、謙虚さを忘れる原因の一つに霊的現象があるので、それに対して注意すること。
阿羅漢の修行においては、これらが大事なのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第六章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
(2/26-2)57『仏陀再誕』を読む―政治と経済―政治・経済のなかで―阿羅漢の修行
