■私は「使命そのもの」である
そのとき、私のほうがショックを受けましたが、翌朝は、医者のほうが哀れでした。
私はまだ生きていて、子供たちに手紙を書いていたのです。この事実に看護婦たちも驚いていました。
あのとき、私は死んだに違いありません。
ところが、私は肉体的な人間ではないのです。
彼らはそのことを知らなかったわけです。私は「使命そのもの」です。ゆえに死ねませんでした。私は「不死」なのです。
■I am the Mission itself
At that time, I was shoched, but the next morning,the doctor was
misersble.
I was still alive, writing a letter to my children. Nurses were also
astonished by that fact.
I must have died at that time, but I am not a physical man.
They didn’t know that. I was the Mission itself, so I couldn’t die. I’m
immortal.
【大川隆法『ABOUT AN UNSHAKABLE MIND―不動心について】より抜粋】
7 着実に近づいてくる「死」について考えてみよう。
8 もう今となっては、謝ることのできない人に対して、心の中で謝ってみよう。
【大川隆法 箴言集『病の時に読む言葉』より抜粋】
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昨日5月14日は新復活記念日でした。2004 年 5 月14
日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。
5/14(木)~5/17(日)まで連日、「新復活祭」を開催致します。皆様この機会にご来館ください。『新復活祈願』のご奉納は本来5万円目安ですが、この特別期間(奉納目安:3
万円、学生 1 万円)で祈願が可能です。主とともに私たち自身も新復活をなしとげましょう。
『新復活祈願』のご奉納は本来5万円目安ですが、この特別期間(奉納目安:3 万円、学生 1
万円)で祈願が可能です。主とともに私たち自身も新復活をなしとげましょう。
新復活祭では、全智全能なる造物主としての主エル・カンターレの御力を信じ切り、全仏弟子の純粋な信仰心を結集し、奇跡の神オフェアリス神の「信仰、復活、再生、奇跡」の御光と、始原の神アルファの異次元パワーと一体となることを目指し、新復活祭版「復活の祈り」を執り行います。
この聖なる日に、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
ここからは、経典『新復活』―医学の「常識」を超えた奇蹟の力―の第一章に所収されています「新復活」を振り返り、主の「第三の死」について振り返ります。奇蹟の復活の物語です。お持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1600円】
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■『新復活』第1章「新復活」
3 医学的にはすでに「死んでいたはず」
○実際は、医師が「これで生きているはずがない」と驚く状況だった」
ともあれ、いろいろな検査の結果、医師は、「普通、これで生きているはずがない」という診断を下したのですが、やはり、私は、言っていることの意味が分かりませんでした。
なぜなら、前日まで、その体でやっていたからです。確かに、心臓をカラスの足でつかまれるような感じがあったのは事実です。しかし、『正心法語』のCDをかけたら、それは治りました。したがって、それで治ったと思ったのです。
そういう意味で、こちらは、「心臓の不調なのか、霊的なものなのか」がよく分からなかったわけです。というのも、当時、短い間ですが理事長をやった人が、カラス天狗の化身のような人で、人事異動のときに、その人との(霊的な)戦いがあったからです。
そのため、こちらも、そうした「霊的なもの」と「医学的なもの」との区別がよくつかめなくて困ったのですが、医者のほうは、「カラスの爪でつかまれたような感じというのは、間違いなく心筋梗塞の症状だ。前の日の朝、庭を歩いていたときに、あなたは死んでいるはずだ」と言うのです。
もっとも、そのような仮定法は、あまり理解できないものだとは思います。それでも医者は、「心筋梗塞が起きて、翌日に生きているはずがない」と言うのです。
しかし、私は、そのあと、昼ご飯も自分で食堂に歩いて行って食べているので、そう言われても意味不明なのですが、「医学的には、そこで倒れて死んでいるはずだ」と言うわけです。
ただ、映画「世界から希望が消えたなら。」では、ある程度、観る人が納得できるレベルで描いているため、事実そのままに描けてはいません。
○「心筋梗塞、心不全、肺水腫、無痛性狭心症…」
いずれにせよ、それで私は入院したわけですが、「本当に調子が悪いのかな」と思ったのは、そのあと、車椅子に乗せてもらい、自分で車いす用のトイレに行って用を足そうとしたときでした。
そのときに、多少、普通とちがう感じがあったのかな」と思ったのが、その日の感じだったと思います。
ただ、映画にも出てくると思いますが、家族には、その日の夕方の段階で、(医者から)「もう終わっています。夜は越せないでしょう」ということを言われているような状態だったのです。
医者のほうも悩乱していて、もう、いろいろなことを言っていました。私も、「心筋梗塞」ぐらいは分かるものの、初めて聞くような病名が多かったので、よく分からなかったのですが、「心不全」に「肺水腫」と言われました。心臓が十分に動いていないのは「心不全」で、「肺が水でいっぱいになった」というのは肺水腫なのでしょう。
そのほかには、「狭心症」もあとで付け加えられたのですが、医学というのは便利なもので、「無痛性狭心症」などという名前を付けられました。「痛くなかった」と私が言い張るものですから、「無痛性狭心症」になったのでしょうが、「そんな病気があっていいんですか」という感じもします。
その意味では、「無痛性心筋梗塞」もあるのかもしれませんが、私は、「無痛性狭心症」ということになっているらしいのです。ただ、向こうも、首をひねってはいました。
たぶん、客観的なデータとしては、それに近い状態だったのだろうとは思います。おそらく、その症状は、もう何年も前からあって、その状態で仕事をしていたのだろうとは思うのです。
もし、普通の人が私のような講演会などをやっていたら、もう、何回死んでもおかしくなかったのかもしれません。そのような状態だったにもかかわらず、私はそうはなっていなかったということです。
【大川隆法『新復活』第1章「新復活」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第四の経文である『目覚めの言葉「次第説法」』についてです。
『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を読誦して、自分が、「無我」や「空」の教えを通して霊存在であることを自覚した後に、私たちが読む経文が『目覚めの言葉「次第説法」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、どのようにしたら私たちが、苦しみの世界から、「悟りの彼岸」に渡り、「解脱の道」へと進むことができるのかを次第、次第に知ることができます。私たちの人生の問題集の解決の鍵が『目覚めの言葉「次第説法」』に埋蔵されています。この鍵を共に見つけてまいりましょう。
この次第説法の内容は、2600年前のお釈迦様の十八番(おはこ)のご説法であったと伝え聴いています。このお経に説かれているのは、「施論」―与える愛の実践・「戒論」―正しき心の探求として、悟りを得るための心の修行をするための正しい生活習慣・「生天論」―来世に地獄に行くことなく、天国世界での幸福の生活への誘い―です。
お釈迦様が、在家の方々の「施論」「戒論」「生天論」を成就するために、正しい信仰【正信】としての「正見」と、「苦・集・滅・道」の四諦と八正道への道のりを論理的に指し示されています。この世とあの世の幸福を一致させるための説法でした。このお経の内容を伝道の道しるべとして、まず自らに熏習しながら、他人(ひと)にお伝えしてまいりましょう。
それでは『智慧の言葉「仏陀の悟り」』はこのように続きます。
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さすれば
『滅』とは 欲望の 【滅諦】
醒めし心の 涼しさなり
天上界に いた頃の
執われのない 心なり
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If you extinguish your desire
You will feel refreshed
You can restore your mind
To the carefree state you once had in heaven
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「滅」は、仏教修行をしている人の目標なのです。悟りの境地を得ること、解脱すること―これを「滅諦」と呼んでいます。この教えのなかには、言葉では説明できないほどの多くのものが入ってきますが、結論的にいえば、霊的な世界の価値観に基づいて、この世で生きることです。この世で生きながら、肉体人間としての自覚ではなくて、実相人間の自覚で、生ききること、考え、行動することです。その自由自在の境地が、この「滅」の状態なのです。
そうなるためには、やはり、忙しく働いているだけではなかなか無理であって、定に入る必要があります。精神統一をして、自己を振り返る機会を持たないと、「滅」の状態というのは、なかなか味わえないのです。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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このように「滅」とは、仏教修行をしている人の目標ということでした。また、大乗経典では、この滅諦は法身であるとも言われています。この滅諦に到るための心の力とは、幸福の科学の四正道の「反省」にあたるものです。とても重要なので、さらに、主の御教えからさらに抜粋いたします。
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●八正道によって苦を滅する
次に「滅」です。その苦しみを滅したらどうなるかを考える、あるいは苦しみを滅しよう、消そうと思う、この思いです。
たとえば、病気が治ったらどうなるかというようなことを考えるわけです。健康になったらどうなるか、経済状態がよくなったらどうなるか、出世したらどうなるか、いろいろありましょう。
あるいは、家族と仲良くなったらどうなるか。「今は妻と喧嘩状態、交戦状態だけれども、これが円満になった時の状態を想像してみるのです。そして、「ああ、やはり、夫婦が調和して仲が良かったな。やはりあの状態に戻さなければいけないな」と考えます。これは「滅」です。滅を願うことです。
では、「滅」の状態に入るためには、要するにその病気を治してしまうためにはどうするか、その方法があるだろう―これが「道」です。これは道しるべ、進むべき方法です。この「道」というのが有名な「八正道」です。・・・(中略)【「正見」「正思」「正語」「正業」「正思命」「正精進」「正念」「正定」の説明が続く】
●限りなき完成への道
「苦・集・滅・道」のことを「四諦」といい、そして最後の「道」が八正道のことです。これを「四諦・八正道」というのです。
これが、初転法輪のときに釈迦が説いた最初の教えなのです。これが最初の悟り、出発点ですが、最初だからといって重要性が低いわけでは決してありません。みなさんにとって、今でも重要性を帯びた考え方だと思います。
もう一度復習しましょう。菩提樹下で悟って、初転法輪、初めて法輪を転じたときに、釈迦が語ったことは何だったのでしょうか。
修業においては、
中道―極端を離れる、両極端を否定する、
そういう中道的な態度が大事だ。
そして、その思想の内容としては、
苦・集・滅・道の四諦である。
人生の苦、迷いの生存、迷った人生、
間違った人生観に基づくこの世の苦しみということを、
まず見抜かなければいけない。
そして、その原因を知らなければいけない。
さらに、『それを滅しよう、消し去ろう。
そして幸福になろう』と願わなければいけない。
そのために八正道があるのだ。
八つの目標、目印があるのだ。
そういう方法があるのだ。
これを毎日行じていくことだ。
さすれば、その道は自分を整える道であろう。
すなわち、八正道はまた中道でもあろう。
中道のなかに入って自己を発展させていく道であろう。
それが八正道の道であろう。
そういうことです。限りなき完成への道を、まず最初に説いたのです。そして、それはまた終わりなき道でもあったと思います。これが「四諦・八正道」ということです。
本章は初転法輪に関しての大切な話ですから、どうか心の中に留めておいてください。
【大川隆法 『悟りの挑戦』(上巻)第一章「仏教的精神とは何か」より抜粋】
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幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。本日の引用箇所では、「悟りを得て、解脱をして苦しみから訣別する段階―滅諦」を学びました。
「滅諦」とは、あらゆる苦しみを悟りの力によって吹き消した状態のことです。ニルヴァーナ【ニッバーナ】とは、涅槃のことであり、解脱した状態のことです。「四諦・八正道」をとおして、人は生きながらにして、肉体をまといながら、心は天国世界に遊ぶことができるようになります。「滅諦」は、すべての修行者が目指すべき境地です。私たちの「正しき心の探究」の末に得るべき境地がこの「滅諦」となります。
このように、人生の苦しみ【苦諦】が、自らに与えられた人生の問題集であることに気がつき【集諦】、その苦しみを滅していく【滅諦】悟りの道のりが示されました。それではどうしたら人は、人生の苦しみである四苦・八苦から逃れることができるのでしょうか。それが【道諦】となる、具体的な修行方法になります。
まずは、邪見を排して、正見を得ること。「施論・戒論・生天論」を知ることで、天国世界への還るための道を知ること。そして次に我見を離れて、「苦・集・滅・道」の四諦を知ることで、人生の苦しみの原因が一体何であるのかを知り、解脱することを決意すること。最後に八正道によって自らの苦しみを滅して「中道」を得て、悟りの彼岸に至る・悟りの道へ至ること。このように悟りに至る道を段階的に説いているのが『目覚めの言葉「次第説法」』です。
『目覚めの言葉「次第説法」』に悟りへの道、真なる幸福の科学への道のりついて、仏の教えがぎっしり詰まっていますから、この経文を共に、毎日、繰り返し読み込んで、理解を深めてまいりましょう。
正心法語の全編読誦する時の心がけとして、皆様にお願いしたいのが、経文を読む前に、皆様の魂のきょうだいを全員召喚して、魂のきょうだい全員で正心法語を読むという気概で臨んでいただきたいということです。これはいま主に捧げている「復活の祈り」でも同様です。私は魂に熏習するという言葉を使うとき、これを意識して読経しています。魂の兄弟に主の教えを伝えることも立派な伝道です。意外と、この点は私たちにとって見落としがちなので常に意識しましょう。
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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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■『心の挑戦』
第7章 悟りと霊能力
② 真実の世界の善悪を知る
しかし、質的な世界、あの世の世界があるということのみでもって、悟りを得ると言えるかといえば、そうではありません。霊的体験をするにつれて、厳然たる事実というものが目の前に現われてきます。
それは何であるかといえば、死後の世界において天国と地獄というものがあること、また、それに対応して、霊的存在においても善霊・悪霊、あるいは天国霊・地獄霊といわれものがあることを現実に知るということです。これは大きな驚きであり、また考えようによってはショックでもあります。
霊的存在と接触してみると、この世的な価値観とまったく違った分けられ方によって、天国・地獄が分かれている、善霊・悪霊なるものが分かれている、ということを知ります。「この世の人はこれほどまでに真実を知らないのか」と驚いてしまいます。この世的価値観で追い求めていって、とどのつまり地獄に堕ちて悪霊になってしまうという、その真相を知ったならば、多くの人は「それは大変なことである」ということに気づくことでしょう。
生きていたときには、社会的地位があった。財力もあった。肩書もあった。また、「インテリだ」といわれるような学力もあった。にもかかわらず、地獄に行き悪霊となり、その苦しさから逃れ出て、生きている人に憑依して、その人をさらに狂わせようとしているような姿を見たときに、「これがほんとうに人間の姿なのか。あれほど紳士然(しんしぜん)としていた生前の容貌は、いったいどこに行ったのだろうか」と啞然(あぜん)とすることがあります。
その一方、地上で生きていたときには、もうひとつ恵まれなかったり、その実りが多くはなかったとしても、心を磨きながら、美しく一生懸命に努力して生きていた人たちが、その結果、来世においては、素晴らしく解放された豊かな喜びを得て、自由自在になっている姿を見て、「現実には、なんという幸福があるのだろう」ということを知ります。
ですから、霊的世界との遭遇をすることによって、第二段階では、「善なるもの、悪なるものとは何か」ということが、わかることになります。この霊的な体験がなければ、あるいは天国・地獄という冷厳なる世界を知らなければ、真実の善悪とは何かということを理解するのは難しいことだと思います。
その善悪を理解することによって、善霊・悪霊、天国・地獄というものかはっきりとわかります。それがわかることによって、今、自分自身の心のあり方はどうであるか、それが天国であるのか地獄であるのか、あるいは、自分が死ねばどこに行くのか、ということがわかってきます。これはこれで非常に大きな悟りであるとおもいます。
永遠の生命があるということ、そして、あの世の世界があることを知るということは悟りの第一歩ですが、次には、そうした善悪の世界というものは霊的世界において厳然としてあり、その善悪が裁かれる根拠は、今世の生き方、思いと行いにあると知るということが、偉大なる悟りの第二歩であると思います。
【大川隆法『心の挑戦』第7章「悟りと霊能力」より抜粋】
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心の指針236
『私は、人間としての義務を果たすために…』
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夏の夜は、寝苦しくて、
朝起きるのがつらい。
冬の朝は肌寒くて、
やはり朝起きるのがつらい。
私の今朝も、
そんな巡り合わせだった。
もう二十年分も、
この『心の指針』を書き続けて来た。
二〇〇四年に、
「心不全」で、病院に運び込まれ、
「今晩で、この世とお別れです。」
と医者に宣告されて、
家族と弟子三人が、
夕方六時に、ICU(集中治療室)に、
最期の別れにやってきた。
しかし、私は死ななかった。
死ぬとも思っていなかった。
別室に移されてから、
『一条の光』を皮切りに、
九年分の『心の指針』、百八回分を書いた。
信者の皆さんへの遺書のつもりだった。
私は同時に、
病室のベッドの上の机で、『成功の法』の、
まえがき、あとがきを書いて、
三百冊目の本の原稿を完成させた。
この本は、今は、アフリカのケニアで、
学校の副読本として読まれている。
だから今朝も、
「私は、人間としての義務を果たすために起きるのだ。」
と、古代ローマの哲人政治家の言葉をつぶやいて起きた。
一日、一日を、生かされている奇跡と観じよう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。
エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。
【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。
■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】
■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える
■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする
信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え
戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。
これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
文責:蒲原宏史
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