(5/14-1) 【基礎教学通信】134【★新復活祭2004年5月14日】『目覚めの言葉「次第説法」』を読む10四諦―集諦―『新復活』医学的にはすでに「死んでいたはず」―『心の挑戦』悟りの前提としての霊的体験

○救世主の使命―仏陀から救世主へ
私は24歳のときに仏陀となり、30歳のときに教えを説きはじめ、47歳のときに、第三の死、肉体上の死を迎えました。私は「よみがえり」なのです。私は、「生まれ変わり」なのです。去年(※2007年)私は、仏陀から救世主になることを決心しました。これが、私の「第三の死」の意味であると思います。私は仏陀でした。私は今、真の仏陀であるとともに、救世主になる必要があるのです。これが、私の「第三の死」の意味です。

〇The Mission of Savior-From a Buddha to a Savior
I became Buddha at the age 24, started teaching at 30, and had my third 
death at the age of 47, in the physical meaning. I, myself, is a 
resurrection. I am a rebirth.

I made up my mind to become a Savior from a Buddha last year, This is 
the meaning of my third death. I think so. I was a Buddha, I’m the 
meaning of my third death.

【大川隆法『ABOUT AN UNSHAKABLE MIND―不動心について】より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

本日5月14日は新復活祭です。2004 年 5 月14 
日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。そして、本日は13 
時より、教祖殿に最も側近き礼拝殿である東京正心館から、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催します。そして、5/14(木)~5/17(日)まで、新復活祭を開催致します。皆様この機会にご来館ください。

『新復活祈願』のご奉納は本来5万円目安ですが、この特別期間(奉納目安:3 万円、学生 1 
万円)で祈願が可能です。主とともに私たち自身も新復活をなしとげましょう。

新復活祭では、全智全能なる造物主としての主エル・カンターレの御力を信じ切り、全仏弟子の純粋な信仰心を結集し、奇跡の神オフェアリス神の「信仰、復活、再生、奇跡」の御光と、始原の神アルファの異次元パワーと一体となることを目指し、新復活祭版「復活の祈り」を執り行います。

この聖なる日に、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

ここからは、経典『新復活』―医学の「常識」を超えた奇蹟の力―の第一章に所収されています「新復活」を振り返り、主の「第三の死」について振り返ります。奇蹟の復活の物語です。お持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1600円】
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■『新復活』第1章「新復活」
3医学的にはすでに「死んでいたはず」
○「心臓が収縮していない」「血液が送られていない」

そこには心臓病の権威の方もいました。その先生は、月に一回ぐらい、土曜日の午後に病院でモニター風に話をしておられ、その日も午後二時から四時にかけて話す予定だったのですが、「大川隆法という人が倒れて運び込まれた」ということで、急遽、そのセミナーをキャンセルし、診に来られました。

私は、半分ぐらいベットを起こされ、金属板か何か知りませんが、後ろに板を入れ、レントゲン室まで行かずに、ベッドの上でX線を当ててレントゲン写真を撮られました。

それを私に見せながら、医師は、「心臓から肺まで真っ白になっているでしょう?この白いものは何か分かりますか。これは水なんです。心臓から肺まで水があふれている状態なんです」と言ったのです。

さらに、「心臓の下を見たらわかると思いますが、これだけ、水でいっぱいになっていますから、もう、心臓が収縮していないんです」「心臓が収縮していないということは、血液が流れていないということなんですよ」「血液が流れていないということは、どういうことか分かりますか。これは、死んでいる人と同じだということなんですよ」と言うわけです。

私は、「ああ、なるほど」と言いかながら聞いていたのですが、聞いている私のほうは意識がしっかりしているので、「うーん、血液がながれない・・・。うん?」というように、どういうことなのかさっぱりわからない状態ではありました。

そのとき、もう一人の医師は、「カテーテルの準備をしてありますから、即、手術しましょう。というような感じだったのですが、私には、何を言っているのかさっぱり分からなかったのです。

なぜなら、私は先ほどまで、歩いて各種の検査を受けていたので、いきなり、「もう、死んでも同然です」というようなことを言われても、意味不明で、いったい何を言っているのかが分からなかったわけです。

○点滴をされ、尿道にチューブを差し込まれる。
ただ、とりえあえず、そのときにいわれたのが、「とにかく、水抜きはしなくてはいけない。体から水を出さなくてはいけない」ということでした。そのため、”節水”をさせられました。要するに、水はあまり飲まないようにさせられたのです。だだ、左腕に点滴を入れられていたので、水は体に入ってはいました。

病院というのは、すぐに点滴をするので本当に困ります。点滴を長くされたため、その後、左手の力が落ち、なかなか機能が回復しなくて、しばらく困ったのです。

また、点滴をされると尿が出ます。そうなると、いちいちトイレに行けないので、導尿管を尿道に差し込まれるのですが、あれは痛いです。そうしたチューブを差し込まれ、尿袋のようなものを付けられて、ぶら下げられるのです。それで、「尿がいっぱいになったら取り換える」というのですが、あれは屈辱です。ほかに、もう少しよい方法を考えてくれるとありがたいと思います。

映画「世界から希望が消えたなら。」では、さすがに、そこまでは描いていませんが、主演をやった竹内(久顕)さんに、尿道にブスッとチューブを差し込むところを一回やらせてみたかったと思う気持もあります(笑)。「痛い!」と言って飛びあがるところを一回やっていただきたかったとも思いますが、実際、すごく痛いのです。

どう見ても、差し込むチューブのほうが尿道より太いので、あのようなものを差し込まれたらたまりませんが、向こうは、それで、勝手に排尿させることができますから、楽なのでしょう。

そのように、点滴をされ、導尿管を差し込まれると、基本的に動けなくなるので、ベッドに寝かせつけられる状態にはなります。しかし、まだ自分では、それほど「(症状が)悪い」という意識はなかったのです。

【大川隆法『新復活』第1章より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第四の経文である『目覚めの言葉「次第説法」』についてです。

『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を読誦して、自分が、「無我」や「空」の教えを通して霊存在であることを自覚した後に、私たちが読む経文が『目覚めの言葉「次第説法」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、どのようにしたら私たちが、苦しみの世界から、「悟りの彼岸」に渡り、「解脱の道」へと進むことができるのかを次第、次第に知ることができます。私たちの人生の問題集の解決の鍵が『目覚めの言葉「次第説法」』に埋蔵されています。この鍵を共に見つけてまいりましょう。

この次第説法の内容は、2600年前のお釈迦様の十八番(おはこ)のご説法であったと伝え聴いています。このお経に説かれているのは、仏・法・僧への三宝帰依を前提とした「施論」―与える愛の実践・「戒論」―正しき心の探究・悟りを得るための心の修行をするための正しい生活習慣・「生天論」―来世に地獄に行くことなく、天国世界での幸福の生活への誘い―の教えです。

お釈迦様が、在家の方々の「施論」「戒論」「生天論」を成就するために、正しい信仰【正信】としての「正見」と、「苦・集・滅・道」の四諦と八正道への道のりを論理的に指し示されています。この世とあの世の幸福を一致させるための説法でした。このお経の内容を伝道の道しるべとして、まず自らに熏習しながら、他人(ひと)にお伝えしてまいりましょう。

それでは『智慧の言葉「仏陀の悟り」』はこのように続きます。
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『集』とは 苦しみの 原因が    【集諦】
欲望の 尽きないことと 解かること
この世的なる しがらみが
苦の原因だと悟ること

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Next, the cause of suffering
Is your endless desire
Realize your earthly bonds
Are the source of your pain
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おもしろいことに、この「苦・集・滅・道」の構造は、「苦」が結果で、「集」は原因なのです。また、「滅」が結果で、「道」は原因なのです。ですから、因果の法則が逆に出ています。「苦・集・滅・道」は、「果・因・果・因」の順になっているのです。

四諦のこの構造は、「あなたは苦しんでいるでしょう。それは、こういう原因があるからです」「こうなれば幸福でしょう。八正道を行じると、そうなるのです」という組み立てになっています。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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それでは、つづいて経典『悟りの挑戦』より、苦・集・滅・道の四聖諦の集諦について、さらに解説を加えてまいります。
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●苦の原因―集
(お釈迦様の初めての説法―初転法輪―で)釈迦の五人の弟子たち(相手を如来と認めたら、そのときにはもう弟子になる)は、「なるほど、『人生は苦しみである』というのが一つの真実であることはよくわかった。では、いったいどうしたらいいのだ?苦のままだったらもう救われようがないではないか」と訊きました。

釈迦はこう答えます。「いや、道はある。その道を私は発見した。人生は苦である。しかしながら、この苦には必ず原因がある。原因があって、そういう状態が起きているのだ。その苦しみの原因を発見することが大事である」。

これが「集(じゅう)」です。そういう原因を集めてくるということです。あるいはそれを一点に絞る、何が問題なのかということを知る、これを集といいます。

これを病気でたとえると、最初の「苦」が病気の状態、「ああ、これは風邪ですね」という病状が苦であるとすると、「集」がその原因です。「あなたは混みあった電車のなかで、ごほごほいっている風邪の人と会ったでしょう」、あるいは「寒いのにコートも着ないで雪のなかを歩いたでしょう」、これが原因を探ることです。苦しみの原因を探り、その原因を当てることが集です。「これは風邪の状態だ」「あなたはいま苦しんでいるのですよ。魂が苦しんでいるのですよ」というのが苦であり、「実は、その原因はあなたがこういうことをしたからですよ」「コートを着ないで寒い中を歩いたからですよ」「あなたは風邪をひいた人と接触して、何時間も一緒にいたでしょう。それで風邪が移ったのですよ」、これが集です。原因の�
�見です。

たとえば、求不得苦(ぐふとっく)、求めても得られないことの苦しみについて、なぜ苦しみの原因があるかということを考えてみるわけです。「会社のなかで出世できない」ということで苦しむならば、なぜ自分は出世できないのだろうかと考えてみるのです。同期の人は出世できているのに自分はできないので苦しむけれども、それに対して単に不平不満を言うのではなく、「なぜなのだろうか」と研究し、この原因を探るのです。

そうしてみると、上役に対して反抗的な態度をとっている自分だったりすることもあります。あるいは、「根本的に言って勉強不足であった。学生時代にマージャン以外やったことはなかった」というのであれば、会社に入ってから仕事がよくできるわけもないのです。会社に入ってから勉強するならば、ねじりはちまきで勉強しなければいけないのに、そういうことは考えもしなかった。そして出世が遅れる段になって、「なぜ遅れるのだろう。おかしい」などと言っている。それは言っている本人のほうが悪いのであって、もっと早く考えなければいけないことなのです。

あるいは、身体が悪くなってから、「ああ、運動などまったくしなかった。学生時代はラグビーをやっていて身体が強かったので大丈夫と思っていたけれども、十年も経ったらもうよぼよぼの肉体になっていた。身体を鍛えなかったら病気になった」ということならば、それは本人が悪いわけです。

このように、苦しみを認めたら、苦しみの原因を追究するのです。

【大川隆法『悟りの挑戦』(上巻) 第一章「仏教的精神とは何か」より抜粋】
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このように「集」とは、苦しみの原因を探り当てる力が必要です。この力とは、幸福の科学の四正道の「知」にあたるものです。とても重要なので、さらに、主の御教えから抜粋いたします。
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●「泣き叫ぶ赤ん坊」も「暴れる馬」も、理由が分かれば、解決できる。
私がわりあい好きであった哲学者の一人に、フランスの哲学者でアランという方がいます。アランの『幸福論』という書物を読んでいると、この人は非常に微妙なところに気がついていることがあると思うのです。

例えば、こういうたとえ話で言われています。
赤ん坊が泣き叫んで泣き叫んで、どうしようもない。いつも泣いてばかりいる。いったい何が問題なのだろうか。御飯が食べたいのだろうか、ミルクが飲みたいのだろうか。それとも部屋が寒いのだろうか、暑いのだろうか。

こうしたことで、親はおろおろと考えているわけです。

病気かもしれないということで、医者を至急呼んでくる。そしてお医者さんに診察してもらうが、何も問題がない。いったい、なんでわが子がこんなに嘆き悲しむのだろうか。大声で泣くのだろうか。

実は、その赤ん坊に着せてあるセーターの服にピンが留まっていて、そのピンの部分が当たって痛いという、ただそれだけのことで赤ん坊は泣いていた。

しかし、大人たちはそのことに気がつかないでいる。そして大騒ぎしているわけです。病気だろうか、あるいは寒いのだろうか、何だろうかと大騒ぎをしている。こういうことがあるわけです。

また、ギリシャのマケドニアという所にいた馬の話もあります。
たいへんな暴れ馬がいて、どうしてもその暴れ馬を御することができないので、みな困っている。

だれか勇者がいて、その暴れ馬を乗りこなすことができないか。こういう難問があったわけですが、ある人はそれを簡単に解決してしまった。その暴れ馬が暴れる理由はいったい何かというと、自分の影を見て怯えている、それだけのことだった。

したがって、その馬に影を見せないようにする。馬の手綱を引いて、馬の目を上に向ける。そうすると影が見えないので、馬はおとなしくなったわけです。ただそれだけのことが、多くの人たちには分からない。その暴れ馬は、生まれつき狂暴な馬であると思っている。そして、暴れていると思っている。どうしても御しがたく、勇者でも出てきないかぎり、これは、その腕力でもって抑えることはできないと考える。

実際は、その馬にはうつむく癖があって、自分の影を見てはいつも恐れている。その影がなんであるかが認識できないのです。自分の影が分からないのです。自分が暴れれば暴れるほど、その馬の影の部分も微妙な形をとって踊り狂うわけです。それを見て、馬は恐怖を感じているわけです。

ただ、その解決の方法は、その影をなくすことでなかった。馬の手綱を引いて、目を上に向けるという、ただそれだけの作業をすれば、馬はおとなしくなってしまったわけです。

アランはという人は、そういうことを書いています。

●認識力を高めると、悩みの「意外な盲点」が見ぬけるようになる
結局、私たちの人生の難問というものも、認識力―いったい何が根本の原因であるかということを見抜く力―がないために、大問題になっていることが多いのであります。意外に真実は簡単なところにあるのです。刺さっているピンが当たって痛いというだけの理由であったり、影に怯えているというだけの理由であったりすることがあるのです。

大問題と思われる生活難、あるいは事業の問題、病気の問題、結婚・離婚の問題、こうしたものも、実は単純なところに原因があることがあるのです。それに気がつかないだけで大騒ぎしていることがあるのです。私たちは、この「ピンの部分」「影の部分」がいったい何かと言うことを知らねばならんのです。

これはどういうことかというと、みなさんは、いったん自分の外に出て、より高次な見地でもって、自分の悩みというものを眺めてみる必要があるのです。そのときに、意外に盲点になっている部分があるのです。これを見抜くために、認識力というものを高めていく必要があるのです。これが学びということであります。

転生輪廻の過程において、こうした学びを数多く続けてきた人は、それだけの認識力を得ます。そして、この「認識力の高さ」が、実は「その人の霊格の高さ」となっているのです。

霊格というのも、この世的に翻訳して言うとすれば、一言で言えば、それは「認識力」であります。より多くの人たちの気持ちが分かるか、彼らの悩みが分かるか、その悩みの解決方法が分かるかということであります。

万巻の書物を読んでも、その認識力を身につけていなければ、それは分かりません。ただ、いろいろな人生のヒントというものを集めていって、そしてより高次な思想としてそれを昇華していった人にとっては、他人の悩み事を一瞬にして見抜き、それに答えることは可能であります。皆さん方は、その学びの根本にあるものは、こうした認識力をつけるという考え方にあることを知らねばならない。

【大川隆法『幸福の科学の十大原理(下巻)』第一章「知の原理」より抜粋】
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幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。本日の引用箇所では、「人生経験を経て得た苦しみの原因を知る段階―集諦」を学びました。

まずは自分の人生を振り返ってみて、「今まで、どのような苦しみを経験したのか」を思い返してみると、先日紹介した「四苦・八苦」に思い当たるところがほとんどであるはずです。

まず苦しみを経験したのち、「その苦みの原因は何なのか」―この世的なしがらみを知ることが、これが人生の問題集に回答を得るための第二ステージ【集諦】です。これまで苦しんできたことを、冷静な目で眺めてみると、そこには必ず一定のパターンがあることに気がつきます。そのパターンは私たちの魂の傾向性によって生まれたものです。その苦しみはカルマ(業)によってもたらされた影の部分です。あなたが繰り返し陥る、魂の傾向性とは一体何でしょうか。繰り返し経験する失敗のパターンは何でしょうか。それを共に探してみましょう。

まずは、邪見を排して、正見を得ること。「施論・戒論・生天論」を知ることで、天国世界への還るための道を知ること。そして次に我見を離れて、「苦・集・滅・道」の四諦を知ることで、人生の苦しみの原因が一体何であるのかを知り、解脱することを決意すること。最後に八正道によって自らの苦しみを滅して「中道」を得て、悟りの彼岸に至る・悟りの道へ至ること。このように悟りに至る道を段階的に説いているのが『目覚めの言葉「次第説法」』です。

『目覚めの言葉「次第説法」』に悟りへの道、真なる幸福の科学への道のりついて、仏の教えがぎっしり詰まっていますから、この経文を共に、毎日、繰り返し読み込んで、理解を深めてまいりましょう。

正心法語の全編読誦する時の心がけとして、皆様にお願いしたいのが、経文を読む前に、皆様の魂のきょうだいを全員召喚して、魂のきょうだい全員で正心法語を読むという気概で臨んでいただきたいということです。これはいま主に捧げている「復活の祈り」でも同様です。私は魂に熏習するという言葉を使うとき、これを意識して読経しています。魂の兄弟に主の教えを伝えることも立派な伝道です。意外と、この点は私たちにとって見落としがちなので常に意識しましょう。
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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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■『心の挑戦』
第7章 悟りと霊能力
1 悟りの前提としての霊的体験

本章では「悟り」と「霊能力」の関係を考えてみます。

これに関しては、そもそも私自身の体験をふり返ってみる必要があるでしょう。私自身がこのような宗教的な悟りを得るに到ったのには、もちろん、生まれてくる前から使命があったことは否(いな)めないでしょうし、私自身の精神的傾向性というものもあったのでしょうけれども、私自身が悟りをえるにあたっては、霊能力、そしてその前提である霊的な体験は不可欠だったように思います。

宗教的真理を疑いなく受け入れることができる人にとっては、文字で書いてあるものを読んで受け入れれば、あるいは耳で聞いたものを受け入れたら、もうそれでよいと思えるかもしれません。

しかしながら、私自身の実体験からみてみると、実際に霊的なるものの実在を知る前と後では、私自身の霊的な覚醒、自覚というものが、まったく違っているように思います。思想的、あるいは知識的には理解できていても、現実に霊的な世界があると知ったことは、大きな驚きでもありました。

2 霊的体験が与える悟りの影響
① 霊的世界と永遠の生命を知る
この霊的世界を知ることが、悟りにいかなる影響を与えるかという点については、まず最初に二つの関門があると思います。

霊的体験をすることによって、まず、「自分たちが生きているこの三次元世界といわれる現象世界のほかに別の世界がもう一つある」ということを知ります。これは非常に大きなことです。

人間は肉体に宿って生活をし、やがて老年を迎えたら、現実に死に到るわけですが、死んだのちにも、「魂」といわれる存在、あるいは「霊的なる自己」というものが存続するということを、現実の問題として知ったならば、毎日の生き方あるいは、これからの生き方が変わると言わざるをえません。

現実に、私もそうでした。知識的には、あの世のことも知っていましたし、人間が転生輪廻するというようなことも理解していました。しかし、「現実に霊的世界があり、そして、すでに肉体はなくなっていても、整然と同様のものの考え方や個性を持った霊人が生きている」ということを知ったことは、大きな驚きでした。

そして、大きな驚きであると同時に、また一方では、喜びでもありました。「この世で努力したことは何ひとつ無駄になることはない」ということを知ったことは、大きな大きな喜びでした。

もし、七十、八十の年齢になって、ただ単に死んでいくだけで、そのあとに何も残らないのならば、一生を通じて努力していく意味は、いったいどこにあるのか、何ゆえに人は善を求めるのか、何ゆえに幸福を求めるのか―その答えがどこにも見当たらないように思えます。

しかし、死後の生命があるということを知ったならば、いろいろな世界各地の宗教が、そして思想、道徳が、何千年も、説き続けてきたことが、現実のものとして理解できるようになります。

「そうか、すべてはそのためであったのか。今世というものは、来世のための移行の期間にしかすぎないのだ。ちょうど、青虫が蝶になり、やがて蝶になっていくように、前世において青虫であった魂が、今世において蛹(さなぎ)となり、そして蝶となって還っていく―そのような転生輪廻を、実はしているのだ。三次元世界は、霊的な世界から見れば不自由そのものであるけれども、それはちょうど、蛹(さなぎ)のなかにいて考えごとをめぐらしているようなものなのだ」ということに気がつきます。

これは、悟りにとっては、やはり大きな大きな第一歩であり前進であると思います。

【大川隆法『心の挑戦』第7章「悟りと霊能力」より抜粋】
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心の指針236
『私は、人間としての義務を果たすために…』
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夏の夜は、寝苦しくて、
朝起きるのがつらい。
冬の朝は肌寒くて、
やはり朝起きるのがつらい。

私の今朝も、
そんな巡り合わせだった。
もう二十年分も、
この『心の指針』を書き続けて来た。

二〇〇四年に、
「心不全」で、病院に運び込まれ、
「今晩で、この世とお別れです。」
と医者に宣告されて、
家族と弟子三人が、
夕方六時に、ICU(集中治療室)に、
最期の別れにやってきた。
しかし、私は死ななかった。
死ぬとも思っていなかった。

別室に移されてから、
『一条の光』を皮切りに、
九年分の『心の指針』、百八回分を書いた。
信者の皆さんへの遺書のつもりだった。
私は同時に、
病室のベッドの上の机で、『成功の法』の、
まえがき、あとがきを書いて、
三百冊目の本の原稿を完成させた。
この本は、今は、アフリカのケニアで、
学校の副読本として読まれている。

だから今朝も、
「私は、人間としての義務を果たすために起きるのだ。」
と、古代ローマの哲人政治家の言葉をつぶやいて起きた。
一日、一日を、生かされている奇跡と観じよう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。

エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。

【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。

■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】

■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える

■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする

信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え

戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。

これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
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文責:蒲原宏史 

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