(7/10-2)【阿羅漢への挑戦】191―9『永遠の仏陀』を読む―正しき価値基準―『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』生かす愛に必要なもの―「心の浄化」正業・正精進について―『真説・八正道』「見る」ということに関し、心の改革が必要となる―『釈迦の本心』偉大なる悟り

『智慧の言葉「仏陀の悟り』」

8 妖怪は、正義とか、悪とかを、決めつけられるのを嫌い、天来の才能が、すべてに優先すると考える。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

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■何を祈るべきか

「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―

このように祈ることが大事です。

【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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はじめに、主の心原点に立ち返るべく、1989年の9月9日に説かれました『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』の教えを振り返ります。経典お持ちでない方は、必ずご拝受ください【税抜1500円】

本書は一種の人生論です。いや、むしろ人生論の解説書ともいうべき趣のある書物であると言ってよいでしょう。本書の表題である、「人を愛し、人を生かし、人を許せ」という短い言葉は、私の人生に大きな転機をもたらしました。(「まえがき」より)
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■人を愛し、人を生かし、人を許せ。
三 生かす愛に必要なもの

「人を生かす」ということにもふれておきましょう。

人を生かすというのは難しいことです。これには究極がなかなかありません。一対一で他の人を導くこと、その人に優しくすることは、努力すればある程度は可能ですが、多くの人を導く場合には、指導力に上限はありません。

いくら力があっても、なかなかすべての人を導いていくことはできないというのが、人間の真実の姿だと思います。

他の人びとを生かしていくために必要なものは二つあります。

一つは知力、あるいは知識です。頭がよいというか、いろいろなことを考えられるということです。

「どうすれば、その人がよくなっていくか」を考えるためには、それだけの材料が必要です。そして、「その材料をどう使えば、どのようになるのか」という原因・結果が見えなければいないのです。

「こうすれば、その人はこうなる」「こうした教えを説けば、このような反応がある」「こうした努力をすると、このような結果になる」などという原因・結果のプロセスが見えないと、人を正しく導くことは難しいのです。

それゆえに、幸福の科学で説いている「知」は、実は「原因・結果のプロセスを見抜く力」と言ってもよいでしょう。「こうした種をまけば、こうした実ができる」という関係を知ることが大事なのです。

これは、書物を読んだり、いろいろなものを見聞することによって得られますが、こうした知識以外に、もう一つ大切なのは経験です。経験によっても、人間は知ることがあるのです。

もちろん、経験は試行錯誤的になることがよくあります。最初は失敗が多く、「このやり方ではうまくいかない」ということを確認するにすぎない場合もあります。

しかし、人間の考えることや行なうことには、ある程度のパターンがあり、その数は限られているため、いろいろなことを経験することによって、「こうした状況に置かれると、人間はこのようなことをする」ということが分かるようになります。経験を積むことで、他の人を導けるようになるのです。

また、あることがきっかけで自分が失敗した場合は、同じようなきっかけを持っている人を見たとき、「それはこうした失敗につながります」と言ってあげることもできます。

知を高めることと、経験を深めること、この両者が「生かす愛」の両輪です。管理職の器、トップの器、先生の器になるためには、すなわち、多くの人を指導する立場に立つためには、教育、教養の力を持っているか、経験の力を持っているか、このどちらかが必要なのです。

これ以外に方法があるとすれば、知識や経験を持っている人を、自分のアドバイザーとすることです。これが三番目の道です。自分には知識も経験もないならば、そうしたものを持っている人の力を借りるのです。

それはに、まず、知識や経験を持った人が援助してくれるような人間にならなければなりません。その原点は、素直な気持ち、謙虚な気持ち、他の人びとから教えを受けるという気持ちです。知識や経験を持った人の力を借りることによっても、他の人を導くことは可能なのです。

こうしたことが、生かす愛にとっては大事です。

したがって、愛する愛はすぐにでもでき、今日(こんにち)ただいまからでも可能ですが、生かす愛の場合には少し鍛錬が必要で、努力の要素があります。生かす愛を身につけるには少し時間がかかるのです。そして、その段階は、努力によって、しだいに上がっていきます。この修行は一生終わることがないでしょう。

幸福の科学は仏法真理の学習を非常に強く勧めています。それは、「愛する愛」から「生かす愛」に上がっていくためには、多くのことをしておく必要があるからです。

さまざまなことを経験するには時間がかかり、一生の間に得られる経験には限りがあります。しかし、経験によって得られることを仏法真理が簡潔に語っているので、仏法真理を知ることは、何年分、何十年分の経験を手中にするのと同じです。それによって、その人はさらに大きな愛の伝道者となれるのです。

【大川隆法『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』第1章「人を愛し、人を生かし、人を許せ」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『新・心の探究』より反省の原点である「心の浄化」について学びます。心を清浄にして妖怪性から脱却しましょう。
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■『新・心の探究』第4章「心の浄化」
5 正業・正精進について

次に正業ということがあります。正しく仕事をなす。業務をなすということです。この業務ということは男性であれば、現代では仕事でありましょうし、女性にとっても、専業主婦の場合でも、子育て、あるいは家事ということが、この正業にあたります。正業にあたって特に大事なことは次の二点です。

第一は、一日の仕事において大きな過失をつくらなかったか。あるいは積極的な間違いを犯さなかったかどうか。こうした反省が大事です。仕事はそれを、その対価として生活の糧を得ている大切な私たちの収入源です。そして、世の中に奉仕していくための大切な対象であります。この大切な仕事、これにおいて人に迷惑をかけなかったかどうか、ミスをしなかったかどうか。こうしたことを点検することが大事です。

女性にあっても、子育てを十分やったかどうか。子供の教育においても手を抜かなかったかどうか。また家事はどうであろうか。家のなかをきちんと片付け、そして掃除や洗濯を怠りなくやっているだろうか。だんな様が帰ってきても、いつもすがすがしいような、そうした家のなかになっているだろうか。また、だんな様が仕事ができるように、いろいろなことで上手な聞き役になっているだろうか、そうした配慮ができたかどうか。

つまり第二としては心配り、現代語で言うならば、サービス精神にまで立ち入って、この仕事の内容というものを考えてみる必要があります。積極的な間違いがなかったどうかという面だけでなく、第二番目のよりすばらしいサービスを提供できたか。より向上を目指すような、そうした奉仕ができたかどうか。こうした観点が正業においては反省されるべきだと思います。

次に正精進というものがあります。この正精進とは何であるかというと、正しく道に精進する、そういうことです。すなわち、正精進ということは、これは悟りを求めている者、あるいは人生修行に生きている者は欠かすことができないものです。つねに自分が真理という方向に向かい努力しているかどうかということです。

具体的な話で言えば、真理の学習を毎日やっているかどうかということです。この真理の学習ということは、私たちが世に問うている真理の書を読み、かつそれを実践するということでもありますし、それ以外にも、開かれた人生という名の書物の中から、いろんなことを読み取っていくということも、この正精進にあたります。すなわち、日々の出来事の中から自分の心の糧となり、教訓となるものを学んでいくこと、そして、それを叡智として未来に生かしていくこと、これが大事なわけです。この正精進というのは、限りなく人間が向上していくためにどうしても必要可決な内容であるのです。

【大川隆法『新・心の探究』第4章「心の浄化」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第2章「正見」
1見ることに伴う責任【正見】
〇「見る」ということに関し、心の改革が必要となる

八正道の最初には「正しく見る」ということを掲げてあります。

この「正しく見る」という立場には、極めて難しいところがあります。それは、みなさんが、「見る」ということを、能動的所作あるいは能動的行為として、ほとんど考えていないからです。

みなさんは、「見る」ということを、「朝起きて眼を開けば、網膜に映像が映ってくる」というように捉えているのです。そのため、網膜に移ってくる映像を漫然と追い続ける一日を過ごします。そうして一日が終わったときには、いったい何が網膜に映っていたか、これすらも忘れ果てているのです。

そこで、まず、そういう心の改革が必要となるわけです。

「目というものをもらっておりながら、すなわち、二個の目を神仏より、あるいは神仏から約束された両親より受けておりながら、目の働きというものをしかと確かめたことがあるか。その二つの目は何のために付いているのか」ということが問われているのです。

目というものは、単に道で転ばないためにあるのか。道を歩くためだけにあるのか。玄関のドアを開けるためだけにあるのか。そんなことのためだけにあると本当に思っているのか。これが問われているのです。

そうしてみると、「みなさんは、今まで、目の役割というものをあまりにも漫然と考えてきていたのではないか。目が目として機能しながら、しかし、真実の機能を果たしてこなかったのではないか」と思われるわけです。

〇視覚的映像を通して「神仏の意図」を発見する
みなさんの目に映されているものは神仏の創られた世界なのです。この神仏の創られた世界を、どのように判断するのか。どのように見るのか。これは自己責任の問題です。

世界は創られています。ただ、その世界をどう見るか、その世界のなかに生きている人をどう見るか、これは一人ひとりに完全に委ねられています。そして、「その目に映じた光景をどう判断しているか」について、現在ただいま、みなさんに責任を問う人は誰もいないのです。

「あなたが、あなたの目に映っている映像を、どう判断しているか」について、誰も何も言いません。それぞれの自由です。花を美しいと思おうが思うまいが、外の景色をどう感じようが、それについて何の責任も問われていないかに見えます。

しかしながら、この世の中はそれほど無責任な世界ではないのです。

目というものがついて機能している以上、ここに何らかの目的があります。それでは、その目的とは何であるか。それは「視覚的映像を通して神仏の意図を発見する」ということです。

そして、目が非常に大事である理由は、さまざまな器官のなかにおいては、目と鋳物が世界認識に最適であり、役に立つ器官だからです。・・・

それから、聴覚というものがあります。これは比較的重要です。

「聴く」ということは八正道のなかでは明らかにはされていませんが、「聴く」ということをあえて八正道のなかに入れるとするならば、これは、後に語る「正思」のなかに入れれば良いでしょう。「聞き取った情報をどのように分析するか。聞き取った情報をもとに、思いというものをどう組み立てるか」ということですから、「正思」の一部と考えてよいでしょう。

【大川隆法『真説・八正道』第2章「正見」46p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第二章 真実の人となれ
〇正しき価値基準

しかし、考えてもみよ。
おまえたちも、
思ったことを振り返って、
恥ずかしく感じることがあるだろう。
自分の思ったことを振り返って、
誇らしく思うこともあるだろう。
なぜ、あるものを恥ずかしく思い、
なぜ、あるものを誇らしく思うか。
その判断の根拠こそが、
おまえたちのなかに宿りたる良心の存在であるのだ。
この良心があることが、
おまえたちが仏の子であることの証明にほかならない。
仏の子であるから、
善そのものの価値基準が、そのなかにあるのだ。

ゆえに、おまえたちは、
己の心のなかにある「正しき心の探究」基準を
常に知っていなくてはならない。
他人を欺くことはできても、
自分自身を欺くことはできないであろう。
すなわち、自分自身が、
自分の思いと行いをすべて知っているのだから、
その、生地のままの、ありのままの、
思いと行いを自己点検して、
そうして、恥ずかしくない生き方をするということなのだ。

たとえ、その外に現れたる姿が、
良き言葉を発し、よき行動に満ちているように見えたとしても、
その心のなかに思いたる言葉悪(あ)しく、
その真実の願いが、
相手を堕落せしめ、詐術に陥れんとするものであるならば、
それらは、相手が感謝をするかどうかにかかわりなく、
少なくとも、天国の住人のなすべき業(わざ)ではないということになる。

おまえたちは、いち早く、
この正しき習慣を身につけることだ。
やがて来る来世においては、
一切の偽りが通じないのであるならば、
いち早く、今世において、
一切の偽りを排し、正直に生きてゆくことだ。

私の目には、
苦しみながら生きている。
数多くの人たちの生きざまが見える。
私は語りかけたいのだ。
なぜ、そんなに背伸びをして生きるか。
なぜ、そんな上げ底の人生を生きようとするのか。
そんなに上げ底をして生きて、
それでほんとうに、おまえたちは心楽しいのか。
そんなことであってはならない。
自分の真実の姿に誇りを得てこそ、
人間は真に幸福であるのだ。
劣等感を持っていない人間はいないであろう。
しかし、それを隠すためには、
ことさらに自分を偉しと表現するために、
上げ底の人生を歩んではならない。
このような上げ底人生は、
やがて、つまずきを招くことになるのだ。

人には、それぞれ、
自然なる生き方というものがある。
自然体の人生というものがある。
そのなかに生きてこそ、
幸福に、伸びやかに、日々を過ごすことができるのだ。
それぞれの人に、それぞれの中道がある。
その中道を見いだすことこそ、
大切なことであるのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第二章「真実の人となれ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第一章 菩提樹下の悟り
9 偉大なる悟り

悪魔・波旬(マーラ・パーピーヤス)との対決を通じて、「どうやら、欲心を持つことが魔を呼ぶらしい」ということをゴータマは知りました。

「心の奥の世界、深層心理の世界には、守護霊や指導霊といった偉大な者だけでなく、魔も跳梁(ちょうりょう)しており、心のなかに巣くう暗い想念を目掛けて魔は寄ってくる。その暗い想念を食物とし、あわよくば、心の隙に乗じて、その人間の心を手中に収め、自由に操りたいという征服欲を持っている者がいる」ということを知ったのです。

こうして、反省的瞑想がその精度をますます深めていきました。

「どのような思いであったとしても、思いが一点にとどまり、心がその思いに集中して、粘着質のごとく離れなくなると、それは苦しみの原因となる。

それゆえ、心はいつも執(とら)われずに自由でありたい。春の小川のように、サラサラと流れていく心でありたい。無執着の境地でありたい。

善念であれ、悪念であれ、その思いにあまり集中しすぎると、心の自由性をなくし、幼子のごとき自由な心を失ってしまう。その結果、思いが一点にとどまったところを魔に狙われやすい。

しかし、そうであってはいけない。努力しなければならないという気負いを捨てて、もっと伸びやかにで、もっと開放的な、豊かで安らかな境地に入っていかねばならない」

このようにゴーダマは悟ったのです。

過去の三十五年数ヵ月、すなわち三十六年近い歳月をふり返り、一通りの反省を終え、しかも、単に反省するだけではなく、現に心に引っ掛かっているものを捨てて、無執着の境地、執われのない境地に達したとき、大いなる安らぎがゴータマの身にしみてきました。

それは先日マーラが現れたときとは大違いであり、天上界から暖かい光がサーッと胸に入ってくるのをゴータマは感じました。そのとき、梵天の声が聞こえてきたのです。

「ゴータマよ、よく悟りました。あなたがその悟りを得るのを、私たちはいままで待っていたのです。長いあいだ、私たちはあなたを見守ってきました。よくぞ、そこまで悟りました。これがあなたの悟りの第一歩なのです。この悟りを得なくては、今世のあなたの使命は果たせないのです。

あなたが歓楽の世界のなかにいたとき、私たちはずいぶん心配しましたし、あなたが出家した当初も、『苦行のあまり、栄養失調で死んでしまうのではないか。あるいは自殺するのではないか』と、ずいぶん心配していました。しかし、あなたが私たちの声を聞ける段階にまで達したことを、うれしく思います」

このような声を伝えていたのは、釈尊の過去世であり、魂の兄弟でもある、リエント・アール・クラウドやヘルメスたちでした。こうした高級霊たちが、「梵天」を名乗ってインド的に現れたのです。

このあと、ゴータマは、宇宙の起源、地球の誕生とその歴史、文明の興亡、そのなかでの幾転生、幾十転生の自分の人生の姿、人類の未来についての予見などを、三世を見通す目でもって洞察しました。また、心が穏やかで、執われがなくなったとき、ピッバラの樹の下に自分の肉体を置きながら、霊体が宇宙大に広がっていくという体験もしたのです。

これが、心の王国の鍵を開いた人の特徴であり、自由自在になった魂の存在を、霊的実感としてつかんだ証拠でもあります。

このときのことは、また改めて話すこともあるでしょう。

結局、「肉体と魂は違う」ということをしっかりとつかむことが、大いなる悟りの第一歩ともなっていったのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第一章「菩提樹下の悟り」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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92 この世界意外に、まだ目に見えぬ世界まで用意されていることを知った喜び。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・

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