62 著者(大川隆法総裁先生)には、一言主神(ひとことぬしかみ)とは、物部系の豪族神(呪術師)であると思われる。顔が醜かったために見せたがらず、洞窟暮らしが長く、おそらくは、土着の土蜘蛛一族の頭領だと推察される。この人が、妖怪の総参謀を務める「ぬらりひょん」の開祖だろう。脳が露出したような二頭身の姿や頭を布で隠したような姿でよく描かれる。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
【※ぬらりひょんは、日本の伝承に登場する「妖怪の総大将」とされる謎めいた妖怪です。夕方に人の家へ勝手に上がり込み、お茶を飲んでくつろぐが正体が分からない、または捕まえようとするとすっとすり抜けると言われています。
〇伝承と特徴正体不明の振る舞い
人の忙しい時に勝手に家に入り込み、主人のように振る舞います。
〇名前の由来
「ぬらり」と手をすり抜け、「ひょん」と浮き上がるように掴みどころがないことから名付けられたとされます。
〇妖怪の主
伝承上の描写から、のちに「妖怪の総大将」として扱われるようになりました。
※※大川家次男が一言主神の生まれかわりと言われています
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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はじめに、『常勝思考』の教えを通して、「人生には敗北はないのだ」という主の熱いメッセージを受け取ります。経典をお持ちでない方は、全国の支部や精舎、書店にてお求めください。【税抜き1500円】本書はアフリカなど外国おいて、教科書の副読本としても使われています。
「本書には、読者の方がたに、よきリーダーとなり、人びとを導いていける存在になってほしい―という願いが込められています。すなわち、「常勝思考」(常に勝ち続ける思考)とは、成功からも失敗からも教訓を学びとり、人びとを導いていける人間へと成長していくための方法論であり、そのいみでは、光明思想と反省の両方を織り込んだ「全天候型」の運命開拓法なのです」―新版への「まえがき」より
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■『常勝思考』第4部「常勝思考のパワー」
5 節を重ねて伸び続ける竹のエネルギー
また、別のたとえを使うとするならば、竹という植物を思い浮かべていただきたいと思うのです。
竹の姿をみていると、「立派なものだな」と感じることがあります。みなさんは、節がって、先になるほど細くなっていくという竹のスタイルを、単なるデザインとして何気なく思い浮かべるでしょうが、「あの節をつくっていく努力とは何だろうか」と私は考えるのです。
竹の節は、二〇センチか三〇センチぐらいの間隔です。しかし、どの竹も、その節の部分はかっちりとしています。根元からカッチリ、カッチリと伸びてきて、先のほうに行くほど、やわになり細くなって、風に揺れていますが、やわで風に揺れている部分も、時間が経つと、次第しだいに同じような節になっていくのです。そして、さらに大きな節になっていき、その上にもっと細く、先端が伸びていきます。
あの竹という植物を見ていると、確実に確実に、節を固めて成長していくのが分かるのです。「ああ、大したものだな」と思います。一〇メートルになろうが、二〇メートルになろうが、竹が竹である理由、竹としての独自性を持っている理由は、あの節にあると私は思います。
竹という植物は風に強く、いくら風が吹こうとも、そう簡単にはおれないのです。やわであるけれども、単にやわなだけではないところは、いつも完全に勝ち続けていることにあると思うのです。どれほど風が吹こうが、何があろうが、伸び続けています。そして、自分が成長したという証拠を確実に刻み、それを私たちに見せてくれています。「これが私の成長した部分ですよ」というものを、はっきり見せてくれているのです。
竹は、その節をつくっていくときに、いったいどのような気持ちなのだろうか、と想像することがあります。一つひとつ節を積み重ねていくたびに、やはり「これだけ自分は成長したのだ」という気持ちがあるのでないか、そこに充実感があるのではないかと私は思います。
人生の組み立ても、竹の構造とよく似た部分があると思います。一人ひとりの人間は、やはり、竹のように細いものにしかすぎないのではないでしょうか。竹の直径は、太くなったとしても、ほんの二〇センチか三〇センチぐらいのものです。それ以上にはなりません。竹の子として頭を出してきて、その後、次第しだいに伸びていくわけです。このときに、柔らかさを失わず、しかして強さを失わず、強さと柔らかさがともに調和して成長していく、そうした姿が必要だと思うのです。
すなわち、常勝思考という名で呼んでいるものは、「人生の過程において、自分が調子のいいときも悪いときも、どちらも伸びていく」という考え方ですから、まさしくこの竹の成長していく姿によく似ているのです。
根本においては柔軟、軟柔であるが、したたか―そうした考えなのです。一つの方向にしか曲がらないものであってもいけないし、また、決して曲がらないような固いものであってもいけません。
柿の木などは、竹に比べると揺れませんし曲がりませんが、簡単に折れてしまいます。竹は折れませんが、柿の木は折れます。柳の枝が折れにくいのも、ご存じのとおりです。一見カチッとしているものは、カチッとしているほどもろく、簡単に折れてしまいます。しかし、柔らかく見えるものは、そのなかに芯の強さがあって、そう簡単には折れないのです。
みなさんがめざしていくべきものは、やはりそうした姿ではないかと思います。それは、みなさんが生きているこの三次元という世界が、決して温室のような世界ではないからです。雨も降れば風も吹く、雪も降れば、また日照りの日もある、こうした世界であることは事実です。
「竹とその節」という比喩を出してお話ししましたが、考えてみると、人間の人生と運命には、確かに、ある程度の周期があるように思います。何年ぐらいで周期とするのか、何ヵ月で周期するのかというようなことは、定かには述べませんが、確かに何年かの周期で、調子のいいときと悪いときというものがあるように思います。
そして、逆境といわれる時期にこそ、実はいちばんすばらしいものが始まっていると私は思うのです。考えてみれば、人生の転換期には、環境との不調和、他人との不調和が必ず起きます。そうすると精神的に辛いのは事実です。では、これがなければ、ほんとうにいいのかといえば、そのようなものではないと思います。こうした苦しみの時期は、同時に、すばらしいものが始まっている時期でもある―そのように考えることができるのです。
そうしてみると、逆境は怖くなくなります。なぜ怖くないかというと、運命の逆境期において、魂はいちばん糧を得ることができる、いちばん教訓を得ることができる、と考えられるからです。
これはおそらく、竹でいえば節の部分が出来ている時期に当たると思うのです。竹は、それまで二〇センチ、三〇センチと順調に伸びてきたのに、やがて節をつくらなくてはいけなくなってきます。このときには、おそらく苦しみがあるのではないかという感じがします。
「いままでスーッと伸びてこられたのに・・・。このままでいけばいいのではないか」「スーッと伸びてくれたものが、そのまま一〇メートル、二〇メートルとまっすぐに伸びることができれば、こんなに気持ちのいいことはないのではないか」と感じると思うのです。
ところが実際は、二〇センチ、三〇センチおきに節をつくらなくてはいけません。この節をつくるときには、おそらく、抵抗感、停滞感をというものが絶対にあるはずです。いままで伸びてきたものが伸びることができなくなるのは、何か妨害のようなものがあるのでしょうか。
自分としてはグーッと伸びていきたいのに、節をつくらなくてはいけない、この時期というのは苦しいと思います。苦しくて何だかわからないけれども、そこに天井があるかのような感が出てきて、竹のエネルギーがあふれ、その間にあのような節ができてくるのです。節が出来ては、また伸びてきて、次つぎと節が出来ます。このときは、苦しいだろうと思います。苦しいけれども、実際は、その節の部分が、竹が無限に伸びていくための大きな土台になっているのです。
結局、運命あるいは運勢に、ある程度の周期があって、調子のいいときにと悪いとき、順境・逆境があるということは、それが人生において、成長し節をつくっている部分であるということだと思います。逆境のときが節であり、節が出来ると、そこからまた次なるものが出てくるのだという感じが強くします。
過去をふり返ってみて、いちばん多くのことを学んだときはいつであったか、考えていただきたいのです。みなさんは、他人の言葉で傷ついたかもしれないし、経営上の失敗や倒産、病気など、いろいろなことで苦しんだかもしれませんが、五年、十年、あるいはそれ以上たったときに、そのときが、いちばん懐かしい時期として思い出されてくるのではないでしょうか。
いたがって、苦しいときには、「いま節をつくっていねのだ」という気持ちをもって、次への成長の道を歩んでいただきたいと思うのです。
【大川隆法 『常勝思考』第4部「常勝思考のパワー」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第5章「正業」
11環境に感謝する姿勢
〇「自分独りの力で成功した」と勘違いせず、まわりに感謝する
ともすれば、私たちは誤解することがあります。自分自身が光っているわけではないのに、他の光を当てられることによって、その反射光で光っているにすぎないのに、すなわち、”月のような存在”であるにもかかわらず、自らを”太陽だと勘違いしてしまう”ことがよくあるのです。
それは、みなさん一人にすべて言えることです。月のように、実は反射光で光っていることが多いのに、「自分は太陽だ」「自分で光っている」と思ってくる瞬間があります。これがいちばん危険な時です。
大企業に勤めている人は、特にそういう危険があると思います。「すべて自分の力だ」と思ってしまいやすいのです。仕事が進んだり、対外的な交渉がうまくいったりすると、「自分の力だ」「自分の器量だ」と思ってしまいがちですが、やはり、会社の看板がそこに効いていることがあります。あるいは、官庁に勤めている人もそうです。その官庁のバックがあって初めて仕事ができるのであり、これを取られた時にどうなるかを考えたら、けっこう無力な自分を見いだすのです。
ですから、自分の個人的信用でできた仕事ではなかったのです。その組織の背景なり、看板なりによって仕事ができていたのを、自分個人の信用だと思ったり、実力だと思ったりしたら、この次の段階で苦しみが始まります。
役所などでも上り詰めた人に天下りということがよくあります。もちろん、天下りでも成功する人はいます。それ相応の実力がある人は成功を収めていますが、逆もまた多いのです。
私もずいぶん見てきましたが、役所で、ある程度以上の立場にあった人が転職して天下っても、なかなか成功できないのです。天下って、給料をもらうだけの立場に甘んじている人はいくらでもいます。そういう人は便利屋的に使われているだけなのです。それは、「自分の実力」と、「バックあっての実力」とを誤解して生きてきた人たちの姿です。本当に仕事ができたわけではなかったのです。机がものを言い、椅子がものを言ったということがあるのです。
これは、普通の会社の部長や役員でも同じです。「自分がいなければ、この会社はもたない」と思っていても、その人が退職したあとも会社は動いているのではないでしょうか。「自分がいなければ、この部は回らない」と思っていても、新しい人に変わってもすぐに動いていくようになります。やはり、ここに大きな考え違いがあることが多いのです。
(成果の)八割ぐらいは、「組織の力」、あるいは「法人の力」「みなの力」であり、残りの二割ぐらいが”自己の個性によって味付けをしている部分”であることが数多くあります。そこを勘違いしてしまうわけですが、ここをよくよく考えなければならないということです。現在成功している人も、それを「自分独りの力だ」と思わずに、その成功を支えている要因に対してじっくりと分析をし、そして、自分を支えてくれた人に対しての「感謝の思い」を持つことが大事なのです。
『成功の法』にも書いてありますが、少なくとも、他の人の引きなくして成功する人はいません。「ゼロ」と思ってください。なぜなら、人間社会というものは、そのように成り立っているからです。
自分独りだけで生きているロビンソン・クルーソーのような世界もあるかもしれませんが、彼の場合でも、フライデーという召使いが出てきて発展したわけであり、自分独りではなかなか発展というのはないのです。
【大川隆法『真説・八正道』第5章「正業」205pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第3章 愚か者となるな
○静かに努めよ
また、愚痴の出る原因として、達成されない望みというものがある。
現在ただいま、いくら努力しても、
手に入れられないもの、
とうてい到達できないものへの恨みというものはあるであろう。
しかし、それを愚痴ったところで、
いったい何ほどのことになるであろうか。
それで、あなたがたは進歩するであろうか。
ちょうど、ボートを岸に着けようとするときに、
オールでもって水を漕ぐと、その水が、その波が、
岸辺にあたってボートを沖へと押し出すように、
あなたがたが何かを達成せんとする時に、
達成できなくて愚痴を言うことは、
そのあなたがたの目標から、
あなたがた自身を遠ざけることになるだろう。
あなたがたの将来を遠ざけることになってゆくであろう。
むしろ、そういうふうに言うよりは、
愚痴をなくし、
静かに静かに自らの内に力を蓄えてゆくことだ。
いまだかつて、努力をせず成功したためしはない。
努力せずして、濡れ手で粟の如き成功を願っても、
それは魂的に決してプラスにはならないのだ。
そのような成功は砂上の楼閣であり、
やがて必ず崩れてゆくものなのだ。
人びとよ、努力を惜しむな。
努力なくして物事が達成すると思うな。
努力なくして成功があると思うな。
努力なくして成功した場合には、
むしろ、その成功を恥じよ。
むしろ、その名誉を恥じよ。
むしろ、その名声を恥じよ。
結果ではない。
その努力の過程こそが、
あなたがたの黄金の栄光であるということを、忘れてはならない。
愚かなる人びととして、怒る人、妬む人、愚痴る人をあげた。
この事実はいつの時代においても、真理であるのだ。
自ら自身よく心の内を眺め、
怒る心がないか、妬む心がないか、愚痴る心がないか、
常づねに点検せよ。
そして、こうした心あらば、
自らが愚か者の一人に入っているということを、忘れてはならない。
愚か者であることを早くやめ、智慧あるものとなることだ。
それが、修行者の道でもあるということだ。
【大川隆法『仏陀再誕』第3章「愚か者となるな」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第6章 人間完成の哲学
6 阿羅漢とは何か
次に、「阿羅漢」について述べたいと思います。
釈迦の教えのなかで、教育目的として一番重視されたのは、阿羅漢の状態となることでした。阿羅漢がなぜそれほど重視されたかと言えば、阿羅漢の境地は、この世の人間として第一段階の完成であると同時に、あの世の高級諸霊からの通信を非常に受けやすい状態だからです。
すなわち、阿羅漢とは、この世にあって実在界の存在を感じ、実在界に生きるがごとくにこの世で生きることができるようになる、最初の段階なのです。
阿羅漢の境地は、私の説いている段階論で言えば、六次元光明界の上段階の悟りに相当します。六次元の悟りというのは、仏法真理を知的に詰めていって悟る段階ですが、六次元の上段階は菩薩の前段階であり、ここにいるのは、菩薩の卵、菩薩への登竜門にいる人たちなのです。
阿羅漢の状態にもいくつかの段階がありますが、ここでは二つに大別しておきましょう。第一は「阿羅漢向」という状態です。これは阿羅漢に向かっている状態です。第二は「阿羅漢果」という状態です。「果」とは結果という意味であり、阿羅漢果とは、すでに阿羅漢に達した状態のことを言います。
阿羅漢向と阿羅漢果の違いは、どこにあるのでしょうか。プロの修行者としての自覚を持って生きており、心が悩みや苦しみから解放された境地にあって、常に精進を怠っていなければ、阿羅漢向の状態にあるということができます。そして、阿羅漢果となるためには、そうした状態が少なくとも二、三年は続いているという実績が必要なのです。
心が穏やかで執らわれがなく、少々のもめごとや波風があっても心が乱されない状態、そして、みずからをよく振り返り、精進を怠らず、ある程度、天上界からの指導も受けられる状態、そして、みずからをよく振り返り、精進を怠らず、ある程度、天上界からの指導も受けられる状態、こうした状態が三年続けば、阿羅漢果になったと言えます。一定の期間、その状態を維持することが必要であり、それができなければ本物とは言えないのです。
阿羅漢向になるだけであれば、人によっては一週間ぐらいで可能です。幼いころからの記憶を取り戻して、間違った思いと行いを一つひとつ反省し、両眼から涙がほおを伝うにまかせて、「法雨」を流したとき、守護霊の声が聞こえ、その光を浴びて、阿羅漢の状態になることがあります。
このように、早い人であれば三日から一週間で阿羅漢向になることが可能です。しかし、この状態が長く続くかどうかが鍵となります。一週間ぐらい山にこもって反省行を行い、阿羅漢に近い状態になったとしても、下山して日常生活に戻ると、また心に曇りをつくってしまうのが人間の常だからです。
法雨を流して、みずからの新生を誓った気持ちが、二年三年と続いて初めて、阿羅漢果の状態になるのです。
そして、阿羅漢果の状態で地上を去ることができれば、その人は間違いなく、六次元光明界の上段階にある阿羅漢の世界に還ることができます。
ところが、いったんは阿羅漢向に達しても、そこから転落す者が数多いのです。それはちょうど、崖道を登っている人たちが、頂上まであと少しのところで、ゴロゴロと転げ落ちていく姿に似ています。
阿羅漢向になるのは、ある意味で万人に可能ですが、阿羅漢果に達するのは非常に難しいのです。阿羅漢向に達することは、仏法真理を学び、修行をしていけば、おそらく百人が百人とも可能でしょう。しかし、阿羅漢果に達するのは、その百人のうちの四人か五人にすぎないのです。
そして、阿羅漢果に達した人たちのなかで、菩薩の境地にまで入っていけるのは、十人のうち一人にも満たないのが実情です。阿羅漢果が百人いたとして、菩薩の世界に入っていけるのは、そのうち十人もいればよいほうなのです。
「阿羅漢果の状態になるためには、阿羅漢の状態が三年間は続かなければならない」と述べましたが、菩薩の境地に入るためには、それが一生涯を通じたものでなければなりません。菩薩は利他を旨として一生を生き抜いていくことが前提となっていますが、それは、阿羅漢果の状態が一生を通じて変わらないということと同じなのです。
したがって、菩薩の境地に入るのは非常に困難を極めます。千人の人が修行をしていたとしても、最後に菩薩の悟りまで行ける人は非常に少ないのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第6章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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45 家族の一員として、自分は立派に使命が果たせたか。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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エル・カンターレ・大好き

