(8/24-2)55『仏陀再誕』を読む―愚か者となるな―妬むな―悟りの効果

『仏陀再誕』を読む

61 なお、役小角をざん言したとされる一言主神は、大和の葛城山の神で、悪いことも良いことも一言で言い放つ、託宣神(たくせんしん)とされ、一言主神社に祭られている。役小角、行基らが葛城山で山岳修行をしていた時に、同時に、同山を根城にしていた大和の神官だと思われる。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

42 畳一枚の広さに、針が五十本は突き出している。髙い鉄下駄をはいた鬼たちが、鉄棒をぶんぶん振り回しながら、罪人たちを頂上へと追い上げている。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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【正業】〇一つひとつの役割について「仕事(ワーク)」か「労働(レイバー)」かを考える
(※自分の役割を紙に書き出し後)
これを一つひとつ取り出して、「自分はそこで十分な役割をはたしているかどうか」を考えていただきたいのです。

そして、このときに、さらに考え方を深めていくとするならば、二段に分けてもよいかもしれません。つまり、この役割の概念を、「より高次な意味での仕事」と「労働」というものの二つに分解して考えてもよいでしょう。

労働という概念は、単純再生産のために必要とされる仕事のことです。みなさんが人間として生きていくために、どうしても必要とされる仕事です。毎日毎日しなければならい、生きてくための仕事、これが労働でしょう。

この上位概念としての仕事というものを取り出すとするならば、そのなかに含まれるべきものは何かというと、「生産的なもの」という考え方になります。「自分の働きによって、どれだけプラスアルファを生み出せたか」ということです。

こういう考え方でやってみると、あらゆる役割において、この二段階が出てくることになります。主婦であっても、朝食をつくり、昼食をつくり、夕食をつくるといった仕事のなかにも、大きく分ければ「仕事」的に考えられる部分と、「労働の上の概念としての仕事」に分けられる部分とがあります。英語というと「work(ワーク)」と「labor(レイバー)」の違いです。

【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」190pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 愚か者となるな 
○妬(ねた)むな
また、嫉(そね)んではならない、妬(ねた)んではならない。
このようなことも心しなければならなない。
決して、他の者を嫉み、妬んではならない。
修行者にとって、これも大切な教えだ。
あなたがたは修行しているうちに、
他の人のよき評判を聞き、
他の人の心境が進んだことを聞き、
そして、知らず識らずのうちに妬みの心が出てくることがあるだろう。
嫉(そね)みの心が出てくることがあるであろう。
しかし、負けてはならない。
このような嫉みや妬みを心にためて生きるということは、
愚かな生き方であるということを知らねばならない。
そのような心を持ってはならない。
優れたるものと出会ったならば、
優れたるものを愛し、
優れたるものを敬愛せよ。
優れたるものを敬(うやま)え。
優れたるものを敬うことによって、
あなたがたも、はじめて優れたるものに近づかんとしているのだ。
優れたる者を敬うことによって、
あなたがたの進歩への、第一歩を踏みしめているのだ。
修行者にとって、妬みの毒ほど恐ろしいものはない。
十年、二十年の修行も、
この妬みの毒によって、一瞬にしてあぶくのごとく消えてゆく。
妬みがよくないのは、それが何人も幸福にしないからだ。
妬まれた相手をも幸福にせず、
妬んだ自分自身をも幸福にしないからだ。
それは、心の調和を乱し、心の安らかさを乱す。
それが悪であることを知ったならば、決して妬んではならない。
敬愛せよ。優れたるものを愛せよ。
才ある者を愛し、経験ある者を愛し、叡智ある者を愛せ。
それが大事なことだ。

才能ある者を愛し、経験ある者を愛し、
また智慧ある者を愛する心なくば、
三宝を敬うということもまたできないであろう。
師を愛し、師の教えを愛し、
師のつくられた団体を愛することもできないであろう。
さすれば、今世において
魂の修行はまた難しくなるということなのだ。

○愚痴るな
怒りはだめだと言った。
妬みもまたいけないと教えた。
そう、そうして次にあなたがたが、
そこから去らねばならないものとして、愚痴がある。
愚痴は、自らの欲望が満たされないときに出てくる。
そして、不平不満となってまわりに広がってゆくものだ。
愚痴の心も、修行者にとっては、
闘わねばならない、大変な修行の徳目である。
この愚痴の心はなぜ出るか。
愚痴の心、それは自ら自身の力のなさに起因している。
自ら自身の自己信頼のなさに起因している。
あるいは、疲れた時に愚痴が出ることもあるであろう。
それは、人間の常である。
しかし、疲れたるときに愚痴が出ると思ったならば、
むしろ、沈黙せよ。
愚痴が出る時には、沈黙し、深呼吸せよ。
そして、そうした思いからいち早く離れることを努力せよ。
愚痴もまた、これは毒である。
これは、ちらかったゴミのように、まわりを害し、不浄とする。
愚痴を言う人のまわりには、
たちまちゴミ捨て場が出来上がってしまう。
その出した愚痴はいったい誰が片づけるのか。
その出したごみはいったい誰が清掃するのか。
そのようなことをしてはならない。
清掃する人なくば、愚痴を出した人自らが、
そのゴミを引き受けねばならない。
そのゴミの片づけをしなければならない。
ゴミを片づけることができなければ、
いつまでもごみためのなかに生きてゆくしかない。
これが、愚痴の恐ろしさであるのだ。
愚痴出(い)でんとするならば、まず自らの心を励(はげ)ませ。
自らの心を励まさねばならない。
自分自身は、もっと優れたる者ではないのか。
自分自身は、仏の光を受けてつくられたる者ではないのか。
自分自身は、仏の生命をその内に宿すものではないのか。
もっともっと光強く、自分自身を励ませ。
さすれば、愚痴は遠ざかってゆくであろう。

【大川隆法『仏陀再誕』第三章「愚か者となるな」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第六章 人間完成の哲学
5 悟りの効果

前節では、「心という、展望台にある望遠鏡のレンズを合わせ、さまざまな距離にあるものを見る」ということを、悟りの方法としてとらえました。

それでは、悟りの効果とは、どのようなものなのでしょうか。悟ることによって、どうなるのでしょうか。悟りにはいかなる功徳があるのでしょうか。こうした疑問が湧いてくることでしょう。

悟りには、主として三つの効果があります。

第一の効果は、自己の認識力が高まることによって、この世的な悩みや苦しみ、不安などを解消できるということです。認識力の増大によって、さまざまな悩みを一掃することができるのです。

第二の効果は、より多くの人のために貢献できるということです。自分や世界を知れば知るほど、ほんとうの意味で、人びとを幸福にし、素晴らしくしていくための方法が分かります。悟りには、人格を向上させると同時に、多くの人びとを益するための影響力が増すという効果があるのです。

第三の効果は、悟りそのものに付随するものとして、幸福感があるということです。この幸福感は、収入が増えたり、地位が上がったり、人にほめられたりといった、この世的な幸福感とはまったく違ったものであり、たとえようもない喜びです。真理を悟ったという喜びは、人間の魂が味わうことのできる最大の快楽でもあるのです。

こうした喜びが人間には与えられています。この喜びを知らなくては、人間として真に生きているとは言えません。悟りは、人間として生きていく途上で仏から与えられる最大の贈り物です。この喜びを知らなければ、ほんとうの人間とは言えないのです。

このように、悟りには、第一に、認識力の拡大によって悩みを解消し、第二に、他の人を益することができる範囲が広がり、第三に、悟りそのものに付随する最高の喜び、幸福感を享受できるという、三つの素晴らしい効果があるのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第六章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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