(8/29-2) 【阿羅漢への挑戦】241―59『仏陀再誕』を読む―政治の真実―『常勝思考』蓄積の効果―『真説・八正道』人は「時間」の下に平等だが、その使い方によって世界が分かれる―『釈迦の本心』如来の本質

『仏陀再誕』

65 「鬼」の定義は、多様、多種類である。唯一の共通項は、頭に角が生えていることである。一本角の鬼は、一途なところがあり、直線的である。二本角は、受信と発信機能を持っており、性格的には、陰陽の両面がある。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

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■何を祈るべきか

「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―

このように祈ることが大事です。

【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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はじめに、『常勝思考』の教えを通して、「人生には敗北はないのだ」という主の熱いメッセージを受け取ります。経典をお持ちでない方は、全国の支部や精舎、書店にてお求めください。【税抜き1500円】本書はアフリカなど外国おいて、教科書の副読本としても使われています。

「本書には、読者の方がたに、よきリーダーとなり、人びとを導いていける存在になってほしい―という願いが込められています。すなわち、「常勝思考」(常に勝ち続ける思考)とは、成功からも失敗からも教訓を学びとり、人びとを導いていける人間へと成長していくための方法論であり、そのいみでは、光明思想と反省の両方を織り込んだ「全天候型」の運命開拓法なのです」―新版への「まえがき」より
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■『常勝思考』第4部「常勝思考のパワー」
8 蓄積の効果

みなさんのなかに、仏法真理の学習に関しては頭が痛い人もいることであろうと思います。「時間がなくて本が読めない」「試験の出来が悪い」などと、けっこう悩んでいると思うのですが、短期的に切ってみれば、人間には確かに能力の差があると思います。たとえば、何かを「一年間でマスターせよ」と言われれば、達成の早い遅いの違いは、必ずあると思うのです。

ただ、目的は、一年間で悟ることでもなく、一年間で地上を去ることでもありません。今世おいて、どれだけ多くの魂の糧を得て、人格の向上を果たして実在界に還るかということが目的なのです。

短期的に焦りを招いて失敗することは数多くありますが、長期的観点に切り替えていくと、いろいろな考え方があると思います。

ものごとの達成度や能力を測るのに、決して一年間で切って測ることが正しいとは限りません。また、三年間、あるいは四年間で測ることも、正しいとは限らないのです。そうであれば、射程距離をもっと伸ばしていけばいいのではないでしょうか。そのように考え方を切り換えてみてください。

そうすると、長距離ランナーに切り替えたはずであったのに、次第しだいに、結果としては逆になってきます。意外にも、意図したものとは逆に、短距離ランナーであったかのように、効果が出るのが結果的に早くなってくるのです。不思議なものです。

この不思議さを現わしているのは、おそらく累積効果というものだと思います。蓄積効果と呼んでもけっこうです。本来は凡庸な方であって、「自分はなんとのろまなのか。何と遅いのか」と思っても、努力して続けていくうちに、累積の効果、蓄積の効果というものが出てきます。それは不思議なものです。一定以上の修行、いわばためをつくっていくと、いままであれほど遅いと思っていた自分が、だんだん早く結果を出せるようになってくるのです。まことに不識なことですが、そうした効果があります。

麴菌(こうじきん)とお米とを混ぜて寝かしておけば、やがてお酒になるのと同様に、おそらくは、瓶に入れてためるように、自分のなかに蓄積しておいたものが、ある時期になると発酵してくるのでしょう。思わぬところで発酵が始まって、それが力になってくるということがあるのです。そのような発酵の効果が出てくるまでには、一定の年数がどうしても要るように思います。

他の食べ物などでも同じでしょう。何年間、寝かしたかということが、その価値になるものがあります。ワインなどのお酒でも、”○○年もの”などと年数で価値を表わします。あるいは、鰹節などでもそうです。鰹を食べるのであれば、生のほうがおいしいのかもしれませんが、鰹節にするのであれば、獲ってすぐのものではだめです。鰹を乾燥させて寝かして、カビが生えるのを待つのです。カビを生やしたもののほうが風味がいいからです。そうして熟成させていきます。

そのように、一定の期間、寝かしていたものが、はった区別のものに変わる瞬間というものがあるように思います。

たとえば大学での試験勉強においては、タイプが二通りあります。一つは、フロム・カバー・トゥー・カバー、つまり書籍の序文からあとがきまで一点漏らさず勉強しないと気がすまないタイプです。もう一つのタイプは、いわゆるヤマかけというか、あるところを重点的に勉強していくことができる人です。

「試験にはだいたいここが出るから、ここが勉強の中心で、あとは流しておけばいい」という考え方のできる人がいます。こうした人のほうが、短期的に見れば、効果が出てくるのはきわめて早いのです。いちばん大事なところだけをギューッと押えて勉強し、あとはサーッと流していくというタイプです。

一方、一回、二回、三回と、密度、濃度がだんだん上がっていくような感じの勉強の仕方をするタイプであると、やはり、効果が出てくるのが遅いのは事実です。しかし、いったん水面下に潜り、何年か経たのち水面に出てくる人は、気がついてみると、ものすごい成果が出ているのです。それは、ものごとを深く考えているからです。

このように、いったん水面下に潜って、しばらくしてから自己実現がなされてくるようなタイプの人というのは、その途中で切って見てみたときには、「自分は頭が悪いのではないか」「自分は飲み込みが悪いのではないか」「自分は能力がないのではないか」などと思いがちです。これは、あまり器用でないタイプなのです。

こうした器用でないタイプの人は、と途中であきらめてしまえば、それまでです。ここであきらめてはだめです。決してあきらめてはいけません。これをあきらめないでいれば、今は潜っているけれども、ある程度潜ったあとに、水面に出てくるときがあるのです。このときまで待たせるのは、やはり精神力です。「単に潜っているのではない。やがて水面に出たときには、かなりのところまで進んでいるのだ」ということを、自分自身に言い聞かせる必要があります。

これは教育においても同じです。みなさんのなかには、子供をお持ちの方もいるでしょう。短期的に見て、たとえば四年生、五年生、そして中学一年生、二年生と進学していくなかで、勉強のできない子がいるでしょう。また、勉強のできる子もいるでしょう。いろいろなタイプの子どもがいますが、ここでよく覚えていただきたいことがあります。

そうした勉強の評価でいうと、重点型の勉強をした人、あるいは、来学期に習うことを今学期でやっていたりするような予習型の勉強をした人であると、たいてい成績がよくなります。そのような結果が出ますが、そうやってできるようになったタイプの人が、必ずしも人生に勝利するとは限らないということを私は言っておきたいのです。

他の人がまだ学んでいない、少し先のことを知っているので、それを教わったときに、すぐ理解できて、問題に答えられるという子供がいます。一見ものすごく利発そうに見えます。しかしこれは、カードローンでカードを使っていろいろなものを買っているのと同じようなところがあるのです。現金は持っていないのだけれども、給料払い、ボーナス払いにして、カードでいろいろな買い物をしているようなものです。借金型の考え方と同じです。

「先取りしてさえいれば、現在は有利になる」「ヤマをかけてそこだけ勉強しておけば、ヤマが当たったときにはパーンといい点が出る」というような考え方をしていると、実際にいろいろなところで成功体験が多くなります。しかし、これでは人生の実力としてはどうかわからないということを私は言いたいのです。

そうしたタイプの人は、たとえば仕事のパートナーや環境に恵まれると、うまく成功していくことがありますが、いろいろな環境下で、いろいろな人との組み合わせでいくと、当たり外れがずいぶんあります。

こうした当たり外れがなく、どのような環境下で、いろいろな人との組み合わせでいくと、当たり外れがずいぶんあります。

こうした当たり外れがなく、どのような環境下で、どのような人との組み合わせにおいて仕事をしたとしても、一定の実力を出すという人はいます。これが、先ほど述べた蓄積効果の考え方なのです。

人生においては確かに必要とされない部分もあるでしょう。”無用の用”の部分です。勉強をするときには、試験に出ない部分もあるでしょう。しかし、そうしたものを丹念に押さえていた人というのは、どの部分を切っても一定以上の実力があります。こうしたタイプの人が、やがて大きな器となっていくことがあるのです。

すなわち、「容量だけで切り抜けていこうとするな」ということです。短期的視野だけで見れば、「要領で切り抜けていける。要領よくやれば、何とかやっていけるのではないか」と思うかもしれませんが、長期的視点から見れば、「それは、あいならん」と言っているのです。

【大川隆法 『常勝思考』第4部「常勝思考のパワー」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第6章「正命」
1正命の現代的意味
〇人は「時間」の下に平等だが、その使い方によって世界が分かれる

「時間」を金貨にたとえた人もいました。

毎朝、起きるたびに、二十四枚の金貨がポケットの中に入っている。ところが、見ていると、ポケットのなかから金貨を取り出して、ドブのなかに捨てて歩いている人が大勢いる。それでも、いっこうにおかしいと思っていない。本当は、「時間」は金貨以上の値打ちを持っているものなのだ。それにもかかわらず、「金貨を捨てたらおかしい」と思っても、「時間を捨てることをおかしい」と思わない人があちらこちらにもいる。まことに嘆かわしい。

このように考えた人もいました。

また、『黄金の法』のなかにも書いておきましたが、「二十四時間という時間の下における平等性」を考えて見ることも大切です。

何の下に各人が平等であるかというと、時間の下の平等ほどはっきりしたものはないのです。どんな人であっても、一日二十四時間しか与えられていません。この二十四時間を使って偉人になる人もいれば、まったく世の中を害しただけで終わってしまう人もいます。

そして、「天国・地獄は来世で分かれる」と言われていますが、それらはすべて、こうした時間の使い方で分かれてきた世界なのです。「自分の時間をどういうものに使ってきたか」ということです。

【大川隆法『真説・八正道』第6章「正命」210pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第4章 政治と経済 
○政治の真実

今の日本という国の政治を見ていて、
いちばん嘆かわしい点がここにある。
諸党派相(あい)争い、自らの利害を主張し合う。
これを民主主義と言う人もいるのであろうが、
こうした政治が、決して仏の心にかなうとは、私は思わない。
ほんとうに仏の心にかなうならば、
ほんとうは、諸党派相(あい)集まって、
ほんとうに世の中を、人々の心を、
明るくし、幸せにしてゆくには、どうしたらよいかということを、
真剣に考え合わねばならない。
真剣に提案し合わねばならない。
欲望の民主主義は真実の政治ではないということを知らねばならない。
欲望に基づいてお互いの利権を主張し合うことをもって、
自由と混同してはならない。
自由とは欲望の自由ではない。
自由とは欲望を競わせることではない。
そんなことが本当の民主主義であってはならない。
欲望の民主主義であってはならない。
煩悩の民主主義であってはならない。
自らの政治の利便のために、
自らの生活の利便のために、
欲望のために、候補者を選び、
そしてそのためだけに政治をやらせてはならない。そうであってはならない。
より多くの人々が、
いや、万人が満足できるような社会をつくり出してこそ、
はじめて素晴らしい政治だと言えるのだ。
そのためには、心から争いを去ることが大事だ。
心から争いを去らねば、真の調和は生まれない。
今、いろいろな政党が相争っている。
仏の目からみて、これがいかに嘆かわしいことであるかがわかるか。
また、同一政党のなかにおいても、各派が相争い、
自らが首長になろうとして、競争している。
それはそれで進歩の原理にかなうところもあるのではあろうが、
しかし、「それにしても・・・」という感が拭えないのはなぜであろうか。
それは、人びとに、
争い事を好む人を上には置きたくない、
という気持があるからなのだ。
下々のものが争うということは、
見ようによっては、
子供たちの他愛もない喧嘩のようにも見えるであろう。
しかし、自らの上なる人、
人びとの上に立つ人たちが相争う姿を見て、
どうして国民が心穏やかに生きてゆくことができるだろうか。
争いを上において、下が、何ゆえに穏やかになるだろうか。
調和できるであろうか。
調律できるであろうか。
そんなことは、矛盾でしかない。
矛盾以外の何ものでもない。
人の上に立たんとする者は、
秩序と調和というものを大切にしなくはならない。
そして、常に多くの人に見られ、
多くの人びとに、
徳ある人として尊敬される人間でなくてはならないと思う。
国会という国の政治を議論する場において、
粗暴なる言動は許されない。
人間として恥ずかしい行為は慎まなくてはならない。
そして、いかに自らが当選し、自らの権益を拡張したいからといって、
他を追い落とし、他の人格を批判するがごとき言動は、
厳に慎まなければならない。
そうしたことを、言論の自由と呼んではならない。
私はそう思う。

政治の貧困は、心の貧困に起因する。
政治は、国民から選ばれる人びとによって行われている。
国民から選ばれたる人々が、心不在の政治をするというのであれば、
彼らは選ぶ国民の側にも心が不在していると言わざるをえない。
そんなことであってよいはずはない。
真心の政治をせよ。
誠心誠意、人々のために尽くす人を選べ。
誠心誠意、世の中をよくするために行動する人を選べ。
そういう風潮を出してゆかねばならない。
今の政治は、憂うべきことである。
誰選ぶか、それが分からないのであるならば、徳高き人をまず選べ。
いちばん徳高き者は誰であるかを互選によって選べ。
数の力でもって決めてはならない。
金銭の多寡によって決めてはならない。
その人の政治手腕のみによって決めてはならない。
いかに仏に近き人を選ぶかということが、大事であるのだ。
そうして、政治のなかには、
決して諸党派の相争いを持ち込むのではなく、
どういうふうなことをするならば、
国民が豊かになり、幸せになるかということを、
常に念頭に置かねばならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第4章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第6章 人間完成の哲学
9 如来の本質

「千人の阿羅漢向のうち、菩薩になるのは五人もいればよいほうであり、また、阿羅漢から菩薩への修行には千年の年月がかかる」という話をしました。

それでは、菩薩が如来となるためにはどうすればよいのかと言うと、いろいろな時代や地域に、菩薩として、二十回、三十回と生まれ、どの時代のどの地域に生まれても、自分の目標を八割から九割以上達成できた人が、魂の安定感と仕事の能力を買われて如来になるのです。

それゆえ、菩薩が如来となるには、成功の経験を一万年以上は続けていかなければなりません。それも、「上段階の菩薩として」という条件があるので、非常に難しい修行となります。

菩薩として進化して、上段階の菩薩となったとしても、一万年ものあいだには、転生輪廻の過程で、ある程度の浮き沈みをつくり、間違いを犯すことがあります。菩薩として、人を生かし、利他行に励む立場にあるにもかかわらず、あるときには、新興宗教の教祖となり、魔にそそのかされて自分を宇宙の根本神のように思ってしまい、間違いを犯す例もなきにしもあらずです。

ただ、そうした間違いを犯しても、本来は霊格の高い人であるため、やがて立ち直り、元の世界に戻ってきます。しかし、そのときはまたゼロからのスタートになります。菩薩として千年二千年の修行をしていても、いったん転落し、二百年か三百年、心の垢落としをした場合には、もう一度、初めから修行を始めなければならないのです。

このように、「上段階菩薩として、一万年間、成功し続ける」ということが如来の条件であり、たとえ九千年間は成功したとしても、残り千年でつまずいた場合には、その九千年がふいになり、またゼロから一万年を始めることになります。それだけ難しい修業となっているのです。

そのため、上段階菩薩のなかで如来になる魂は、一万年間で五百人に一人ぐらいしかいません。五百人の上段階菩薩が努力に努力を重ねた結果、一万年に一人だけ如来になるということです。

現在、霊天上界には、如来を目指して修行中の上段階菩薩が二千人前後いると言われています。五百人に一人の割合だと、二千人では四人になります。つまり、一万年間に四人だけ、菩薩のなかから如来が出るのです。すなわち、如来が出るのは、平均すると二千五百年に一人ということになります。

現在、地上に約六十億人、霊天上界をふくめると約五百億人います。その五百億人が修行に修行を重ねた結果、二千五百年に一人だけ如来が誕生するのです。如来となる道はこれほど難しいものなのです。

しかし、たとえ二千五百年に一人であっても、その一人が出ることは、人類全体にとって大変な喜びです。部屋に一〇〇ワットの電球をつけるとパッと明るく輝くように、実在の世界においても、二、三千年に一度、如来が誕生すると、大きなシャンデリアが飾られたようになり、そのたびに喜びが満ちあふれます。新たな如来を迎えて、天上界の力が増すのです。

天上界では、こうした根気強い活動をうまずたゆまず続けています。如来となった人は、女王蜂のごとく、数多くの”卵”を産み、多くの者たちの精神的な中心になっていきます。新たな指導者の誕生です。如来はそれだけの年月をかけて努力を積んでいるので、不動の実力を持っており、その実力でもって多くの人びとを導いていくのです。

現在、天上界にいる如来は五百人にも満たず、四百数十名であると言われていいます。それだけの人数で五百億近い人間を指導しているのですから、如来には、一人で一億人ぐらいを指導できるだけの力が必要となります。

そうした指導力を養うために、上段階菩薩としての修行を一万年も成功させ続ける必要があるのです。しかし、それだけの実績を積めば、誰もが必ず入っていける道であることも時事なのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第6章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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42 医者は、病状の悪さをいう習慣がある。「心配してくれているのだ。」と思おう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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エル・カンターレ・大好き

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