36 自己の肉体を聖霊の器とせよ。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。
昨日7月7日は主の70周年を迎える御生誕日でした。1956年7月7日午前7時ごろ、主は一切の衆生救済と地球を越えて銀河系を超えた宇宙の法を説くべく、徳島は川島の地にご生誕されました。
この日は、人類史上最大の奇跡として後世に語り継がれます。私たちは、2000年、3000年後には神話として残るであろう歴史的事実に立ち会っているのです。本日はこの奇跡の御生誕に主に最大の感謝と報恩を捧げるべく「御生誕祭」を開催いたします。
伊勢支部では、7月12日(日)まで連日御生誕祭を開催いたします。
この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。皆様万難を排してご参集ください。
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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『大川隆法
初期重要講演集⑥悟りに到る道』から第2章の「仏陀再誕」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、一九九〇年十月二十八日に、一九九一年七月の「エル・カンターレ宣言」に先立ちて、縁生の弟子達へ、仏弟子の本懐である伝道に邁進せよと激励された、再誕の仏陀の獅子吼です。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1800円】
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■『大川隆法初期重要講演集⑥悟りに到る道』第2章「仏陀再誕」
1 「三千年に一度」の奇跡とは
悠久の時の流れのなかで、私たち人間は、川にできては壊れ、できては壊れして流れてゆく泡沫(ほうまつ)にも似た人生を歩み続けております。
あなたがたは、この地上に生まれてより数十年、この地上を自分の終(つい)の住処であるかのごとき錯覚のなかに生きているのではないでしょうか。
この今日の日に、わが講演会にお出になったみなさんであるならば、おそらくは、思想として、人間が幾転生、幾十転生を繰り返し、無限とも思われる時間のなかを魂の修行に生きているということを、認めてはおられることでありましょう。
されど、されど、されど、私はあなたがたに問う。
私の言っていることの真なる意味が、
あながたのうち、ただ一人なりとも分かっているのであろうか。
この私の唇から発せられるところの、この言葉の響きを、
その耳によるのではなく、
その胸の内に秘められたる魂の、真実のその鼓膜で、
聞き取ることができるであろうか。
おもえば、百冊を超える真理の書を、あなたがたの前に、私は問い続けてきた。【※1990年時点・現在3300冊の書籍を発刊―2026年時点】
この四年余りの歳月の間に。【※立宗1986年10月6日から説法当時1990年12月時点】
しかし、あなたがたのうちの一体どれだけの人が、
その活字に盛られ、書店のなかの一角に積み上げられているところの、
わが書籍の、真理の書籍の真意を読み取ることができたであろうか。
私はあえてあなたがたに言う。
これは決して、
宣伝のために言っているのでもなく、
吹聴のために言っているのでもない。
わが言葉を聞くことは、三千年に一度しかできない。
私はそれを真実として、今、あなたがたに語る。
今より二千六百年前の昔、あなたがたの多くは、
あのインドの地において、わが声を聞いたであろう。
そして、この今生(こんじょう)の機会を逃しては、
この次にあなたがたが地上に生まれてわが声を聞くは、
今より二千八百年の後となる。
あなたがたは、その間、幾回、
そう、多くの者は十回近く地上に生まれ変わらねばならぬ。
そのたびに、現代の日本で私が説いているところのこの真理を、
あるいは日本語で、
あるいは、あなたがたが再び他国に生まれたときに、その国の言葉にて、
過去の思想として読むことに耐え続けねばならないのだ。
私はそれを予言しておく。
この世において、
さまざまなる出会いがあなたがたを待っているであろう。
しかし、真理との出会いは最も尊いものであり、
現成(げんじょう)の仏陀の声を聞くは、
人間として生まれて、
奇跡以外の何ものでもないことを知らねばならない。
さらに、さらに、さらに、重ねて私はあなたがたに言う。
本日、一万数千人の聴衆がわが前に並んでいるが、
このなかにおいて、
わが説くところのこの仏説を聞く資格があるものは幾人あるか。
あなたがたのうち一万数千人は、聞く資格なく、今、この場にすわっている。
それもやむをえまい。
法輪がまだ回転して間もない今であるならば、それもやむをえまい。
それも認めよう。【※立宗から四年の当時、本会場にあつまる聴衆の多くが未会員でした】
しかし、私は言う。
後の世の人々は、あなたがたに問いたいであろう。
どのような悟りを持って、あなたがたはわが声を聞いたかを。
おそらく、まだ、わが言葉の真実なる光を受け止めることができないままに、
並んでいるところの多くの魂たちよ。
わが願いをまず述べておく。
よく聞いてほしい。
私は、あなたがたに、今、語っているが、
私の言葉は、今わが前に座している人びとだけに語られる言葉ではない。
永遠の法として語り継がれてゆくべきものを、私は語る。
今に生きる者のみでなく、後の世の人々のために、
人類の未来のために、人類の幸福への遺産のために。
しかも、私はさらに言葉を継いであなたがたに言おう。
もちろん、私は、多くの書物に書かれているように、
仏陀の魂の、その生命体の生まれ変わりではあるが、
皆様がたの前に大川隆法として立っているところのこの存在は、
通常、地上には生まれることのない存在であることを。
あなたがたは真の意味において、
今、わが名で呼ばれているところのこの魂を見ることは、
今後、地上においても、天上界においても、ありえない。
それを言っておこう。
通常、「法身」という名で、
「法の身」という名で呼ばれているのが私の本当の姿であって、
人間の姿をとって出ることは、もう、ない。
そう思って、
今回の、「幸福の科学」という名を借りての、
地上における、この真理の活動の意味を知ってほしい。
【『大川隆法初期重要講演集⑥悟りに到る道』第2章「仏陀再誕」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第七番目、最後の経文である『仏説・降魔経』についてです。
『正義の言葉「仏説・降魔経」』は、『仏説・正心法語』の最後を飾るお経であり、今までにない経文だと言われています。悪魔との対決についても、「幸福の科学」の基本教義として、明確に根本経典の中に入っています。それでは、引き続き経典『仏陀の証明』より主の御解説をご紹介いたします。
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●悪魔の軍隊 ③ 飢渇(きかつ)
「飢渇」というのは、食べ物がなかったり、喉が渇いたりする、飢えと渇きのことです。当時は山林修行者が多かったという特殊事情がありますから、これは現代の日本人には必ずしも通じないかもれしません。
しかし、世界各国を見れば、この飢えと渇きのために苦しんでいる人というのは、アフリカから始まって、南米その他、いろいろな所にいます。食べ物と飲み物で苦しんでいる人は、現在でも、何億、何十億といるわけです。そして現実に死んでいます。人間がハゲ鷹(ハゲタカ)の餌になっているのです。
これでさえ、やはり悪魔の攻撃の武器なのです。食べる物が食べられ、飲める物が飲めていれば、平和に暮らせる人間でも、それがないと、最後は、人殺しをして人肉を食べることさえあります。
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☆悪魔の十の軍隊☆
①欲望
②嫌悪
③飢渇
④妄執
⑤ものうさ・睡眠
⑥恐怖
⑦疑惑
⑧「みせかけ」と「強情」
⑨誤って得られた利得・名声・尊敬・名誉
⑩自己をほめたたえ、他人を軽蔑する
悪魔の軍隊の第三は「飢渇(きかつ)」でした。ものがあふれかえっている日本では、あまりピンとこないかもしれませんが、歴史的には、仏教では、お釈迦様が悟りを得られる前、苦行をされていた時、極端な断食をされている時に、マーラ・パピヤス(悪魔)の惑わしがあったことが歴史的に残っています。
また、托鉢が順調にいかない仏弟子に対して、遠く離れたあの家に行ったら托鉢をもらえるぞ。と言って、戒律で定められた時間外に托鉢に出ることをそそのかしたりしています。
本当に悪魔は嫌な奴ですね。ずるがしこく肉体煩悩をくすぐって魔の道に落とそうと虎視眈々と私たちの心の隙を狙っています。
また、西洋のキリスト教でも、イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けて、伝道活動を開始する前に「荒野の誘惑」をサタン(悪魔)から受けています。これは信仰の試しとして有名ですが、40日間断食をしていたイエス様に対して、飢渇による惑わしをサタンは試みています。例えば聖書ではこのように記されています。
さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊” に導かれて荒れ野に行かれた。
そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。
「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』 と書いてある。」
【マタイによる福音書 4章1~4節】
このように、断食をともなう宗教修行において、イエス様は悪魔の誘惑を退けられていますが、「飢渇」は常に修行者の退転を狙う悪魔がよく使う手として有名です。つまり人間の営みのところである衣食住において、この世的価値観や唯物的に惑わしてくる悪魔の常套手段です。
悪魔は、常に人から、「人間は本来、肉体存在ではなく、人間は魂であり、霊的な存在である」という真理を奪い取ろうとしますので、肉体生存に欠かせないものに対する執着をかきたてては、人間を悪に引きずりおろそうとしています。何があっても人間の本質は魂であり、霊であるという霊的人生観を持ち続けましょう。それが魔を退ける心掛けです。
私たちに必要な霊的な生活は、肉体的な生存が中心ではありません。
地上で送る霊的な生活とは、
例えば朝食を食べるように主へのお祈りと隣人へのお祈りをする。
主と共にある幸福と奇跡に感謝して、
太陽が昇る日中は、主と共に隣人を救い助けるために働き、
昼食を食べるように瞑想してまた祈り、また主のため、世のため、人のために働く。
自分の持てるものは全て隣人に与え、見返りを求めない。
そして、主からすべてを与えられていることの奇跡に感謝を捧げる。
病める者がいれば、修法エル・カンターレ・ヒーリングを手向けて、主と一体となり。
悪霊と戦う時は、修法エル・カンターレ・ファイトを手向けて、主と共に戦う。
そして、たとえ何があろうとも、主と共にあって一歩も退かない。
夕食を食べるように主の経典を読み、自らを振り返る。
太陽が沈めば、主のことを思い、隣人の幸福を願う。
お風呂に入るように、一日を反省して心を清め、祈り、眠りにつく。
夢のなかでは、この地に仏国土が実現している姿をありありと思い描き、
目が覚めれば、今日生命がある奇跡を主に感謝する。
このような一日を、仏弟子として共に過ごしたいものです。
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心の指針100 『欲の調節の加減』
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人生とは、自分自身を知る旅でもある。
異なる性格の人々の群れの中で、
様々に、もまれながら生きてゆかねばならない。
好きな人ばかりではなかろう。
ほめられてばかりでもなかろう。
否、むしろ、
批判や非難を、
雨あられと受けつつ、
ボロ傘をさして、
やり過ごす日々のほうが多かろう。
ただ、その日々を送るなかで、
不平不満で心を一杯にしたなら、
それが地獄なのだ。
嫉妬に狂ったなら、
そこに悪魔が出現するのだ。
他人の悪口しかいえない心は、
限りなく悲しい心だ。
わずかな幸福でも、
数えあげれば大きなものとなる。
極端に不幸でもなく、
他人がうらやましがるような幸福でもない。
中間的な幸福に、
十分な生きがいを感じよ。
この世の幸不幸とは、
欲の調節の加減でもあるのだ。
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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第6章「世界宗教への道」
○キリストとマホメット、モーセとの比較
さらに、もう一つ比べてみます。砂漠の地帯にイスラム教を広めたマホメット(五七〇年頃~六三二年)の『コーラン』は、もちろんアッラーから啓示を受けたというかたちになっていますが、このアッラーの啓示を、ガブリエルという大天使がマホメットに伝えた。というように信じられています。もっとも、メッカ時代の初期の啓示には天使は出てきません。マホメットがユダヤ教やキリスト教の教義の影響を受けて後の、メディナ時代の啓示(『コーラン』第二章九一七節~九一八節、同第六十六章四節)にはじめてガブリエルの名が登場するわけです。
このガブリエルというのは、天上界においては通信役をしている天使です。彼が仲介しているということは、マホメットは、アッラーの啓示を直接受けつづけて、全部をアッラーに問い合わせをするほどの霊格はなかった、ということになります。【※その後の霊査で、アッラーはエル・カンターレの分身の一部であり、マホメット(ムハンマド)の魂の兄弟に神日本磐余彦(かんやまといわれびこ―神武天皇)や西郷隆盛がいることが明らかにされています】もちろん、肝要なところではアッラーの直接の霊示もあったでしょうが、『コーラン』全体を綴るような膨大な思想を受ける場合には、ガブリエルに伝えてもらったわけです。要するに途中で一回変電所を通したようなかたちで、トランスをされているわけなのです。
これを見るかぎり、マホメットの霊格は、イエス・キリストの霊格より、若干、下にあるということが推定がつくわけです。イエスは、エホバあるいはヤハウェという、その中東の最高の神から直接に啓示を受けることができた。また、イエスの中に入って、その神がチャネリングして語ることもできたが、マホメットの場合には仲介者が存在している。要するに、もう一段落ちているということが言えるわけです。
ですから、この史実を見るかぎり、ここ二、三千年の地上における世界宗教の創始者の霊格の順序を見ると釈迦、キリスト、マホメットの順になっているということが推定されるのです。
それでは、キリストとモーゼとでは、いったいどうでしょうか。
モーゼは、エホバあるいはヤハウェの啓示を受け、「十戒(じっかい)」をもらい、それで政(まつりごと)をしています。つまり、神と契約をかわしたわけで、これを「旧約」と言います。そのモーゼの旧約の流れを受け継ぐ者としてイエスが出たのです。しかも新たに神と契約(新約)を結ぶために。
しかし、イエスは、残念ながら、モーゼの後継者としてはイスラエルの民に承認されませんでした。つまりユダヤ人は、イエスを旧約聖書に予言されたメシア(救世主)とは認めていないわけです。しかし、キリスト教はイスラエル以外の地に出て世界宗教になったわけです。
現代では、キリスト教はローマ・カトリックだけで世界に約十億人の信者を持っておりますし、それ以外の宗派を合わせると信者数十七億人以上と言われていますが、ユダヤ教そのものは、もう千五百万人余りしか信者はいません。つまりユダヤ教とキリスト教との争いは、歴史的には既に勝負がついております。
では、モーゼとイエスとでは、どのような違いがあるかということです。これは政治的背景、時代的背景に違いがあり、教義や行動様式も違いますが、だいたい互角に近いとみてよいでしょう。
モーゼの場合には、政治的、あるいは軍事的な思想を相当強く持っておりましたから、この世的な勝利という意味では、確かにイエスよりも優れている点が多いと思います。
イエス自身の地上での伝道期間は、最大見積もって三年半、短ければ一年半と言われていますが、助走期間を入れても、だいたい三年前後しか教えは説いていないでしょう。イエスにおいては、この伝道期間の短かさ、そして処刑されたことなども考慮に入れなくてはなりません。もし、イエスの代わりに、その時代にモーゼが出ていたらどうなったでしょうか。そういう政治的背景のなかで、神がモーゼをイスラエルに遣わしたとしたならば、やはり救世主として、民衆と共にローマ軍と戦ったのではないでしょうか。ローマ軍と戦って、おそらくイスラエル独立を果たし、政治的にも英雄として認められるような活躍をしたのではないでしょうか。この意味で、同時代に引きなおしたならば、モーゼのほうがこの世的な成功をおさめる�
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�あろうと思われるわけです。
しかしながら、その教えの傾向性において、イエスはより文学的で、より感性的な教えを説きました。そしてその影響力が、民衆宗教であったモーゼのユダヤ教をはるかに超えて世界的な普遍性を持ったのです。
すなわち、政治的な手腕、あるいは実現力においては、イエスはモーゼに及ばなかったけれども、その文学性および感化力において、普遍性を持って全世界の人々の心の襞(ひだ)のなかに分け入ることができたわけです。
以上を総合すると、両者はほぼ対等であった、というように考えることができると思います。
【大川隆法『宗教の挑戦』第6章「世界宗教への道」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。
エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。
【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。
■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】
■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える
■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする
信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え
戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。
これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
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文責:蒲原宏史
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