(6/4-2) 【阿羅漢への挑戦】155―64『仏陀再誕』を読む―静かに歩め―『反省の原理』⑦正念―『真説・八正道』仏法真理の学習と結果は「悟りへの『入場券』であり、『乗車券』ではない」―『漏尽通力』仏法真理への道

『仏陀再誕』

69 近未来のヨーロッパが、寒波で凍りついた。地獄の住人の上にも、雪が降り積もった。凍り付いた街の入り口に、「グレタの町」という看板がかかっていた。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

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■何を祈るべきか

「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―

このように祈ることが大事です。

【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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ここで、心の浄化である反省についての基本を深めるために、1988年10月2日に説かれました「反省の原理」を学びます。本経典は『幸福の科学の十大原理(下巻)』に収められています。経典をお持ちでない方は、とても大切な教えが凝集されていますので、上巻と下巻あわせて、お近くの支部や精舎、全国の書店にてお求めください。【税抜1800円】

悟りとは実に厳しいものである。しかし、この厳しさを経て得た「悟り」こそ、真の「幸福」であるのだ。
人間とは実に、霊的なる存在である。この地上を去った時、あの世に持って還れるものは「心」しかない。ゆえに、心の幸福であるところの「悟り」こそがすべてなのである。霊性を開発し、真なる目覚めを体験せずして、今の自分を幸福だなどと思うな。それは迷妄そのものである。
私が、ここに全人類に告げる『悟りの原理』こそが、永遠の真理として語り継がれるものなのだ。ここに永遠の仏陀の声が記されているのだ。

聞け、この獅子吼を―。【悟りの原理「まえがき」】
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■『反省の原理』
4真説・八正道
⑦正念

八正道の残りは「正念」と「正定」です。

ここから先は、いよいよプロの域に入ってくる八正道です。この「正念」「正定」を乗り越えることができたときに、みなさんはまず第一段階の覚者となることができます。その第一段階の覚者のことを、私は「阿羅漢(あらかん)」と呼んでいます。

それは、その段階に到達したとき、みなさんの頭のまわりには後光が出、守護霊たちからの通信を受けることができるようになり、他の人々に光りを分けてあげられる段階に近づいてくるからであります。この第一段階の悟りを得るためには、「正念」「正定」がどうしても不可欠となってきます。

「正念」とは、単なる「一日のなかを流れていく想い」ではないのです。それは「はるかなる未来に向けて投げかけられる念いの方向性」です。

そして、その「正念」が、実は、先ほど述べた「正精進」を引きずっているのです。これは引っ張っていくための牽引車が、実は「正念」であります。

そして、この念いは単に「未来への自己設計」のみを意味しているのではありません。そうではなくて、守護・指導霊への念い、われわれが「祈り」と呼んでいるもの、称しているものも、八正道のうちの「正念」のなかに含まれます。

「目的性を持って発された想念」のことを「念」というのです。

したがって、「神への祈り」もこの中には入ってきます。

神近き高級霊への祈り、それは「自らを正すための祈り」でもあろう。

また、「感謝の祈り」でもあろう。

また、「生かされていることへの、大いなる恵みへの、光満てる念い」でもあろう。

あるいは、「未来の素晴らしきビジョンに向けての念い」でもあろう。

さまざまな念いが自ずと発されていくでありましょうが、これは、結局において、次のように結論づけられるのです。

われわれは、「三次元のなかに生き、この縦・横・高さの世界のなかに生きておりながら、同時に、三次元を超える存在である」という命題を背負っているのです。三次元存在でありながら三次元を超えている、その魂の位置づけにおいて多次元世界を内包する存在、それが人間なのであります。

したがって、「正念というものは、『その念いをあらゆる方向に発することで、実在界にも架け橋を渡すことができる』ということにおいて、われわれが三次元を超えていくための方法論である」ということを知らねばならないのです。

すなわち、「神近きものへ近づいていくための、そうした地上における一つの方法論である」ということを知らねばならないと思います。そのために、「三次元にあって三次元を超えるもの」として「正念」があるのです。

【大川隆法『幸福の科学の十大原理(下巻)』第4章「反省の原理」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第7章「正精進」
1神仏へのお心への精進
〇仏法真理の学習と結果は「悟りへの『入場券』であり、『乗車券』ではない」

(当会の資格セミナーで)上級試験に合格し、賞状を手にされた方々にも言っておきたいのですが、上級試験に合格された方は、ある程度、仏法真理の理解ができ、ある程度の心境に来ていることを認定されたわけです。しかし、これは「悟りの入り口に立った」ということであって、「悟った」ということではありません。

これを勘違いすれば、簡単に、あるいは一日で転落していきます。それを間違えないでいただきたいのです。

「賞状を手にする」ということは、みなさんが天国で天使として生まれ変われることの保証ではないのです。これは、「悟りの入り口に立った」ということなのです。それ以外のものではありません。

この意味において、仏法真理の学習とその結果は、「悟りへの『入場券』であり、『乗車券』ではない」わけです。

「悟った」ということは、そう簡単にはないのです。十年、二十年、あるいは一生を通じ、ぐらつかない心で、それだけのレベルの心で、どんな環境下でも生きていけるだけの自覚ができ、そして実績ができたときに初めて、「悟った」と言えるのであって、それは「悟りの入り口に立った」ということとは違います。

「一年や二年で出来上がる」ことは決してないのです。幸福の科学ができて二年余りです(1989年説法当時)「これで悟った人がいるはずはない」というのが前提です。悟りの入り口に立った方はいるでしょう。また、途中にある方もいるでしょう。しかし、悟った方はいないのです。

試験で何点取っても同じです。それは「入口に立った」ということです。入場券ではあるけれども、それを乗車券として使うためには、それだけの努力を連綿と続けていくことが必要なのです。

一定の心境に達したとしても、環境が変わったときに、ぐらりと崩れていくようであれば、その程度のものです。今は、何不自由なく悩みもないから、その心境で学びができているとしても、それを維持していく過程において、まったく違った環境が出てきます。そのときに、それを乗り切ることができれば、その悟りが簡単に壊れていくことがあるわけです。

【大川隆法『真説・八正道』第7章「正精進」228pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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第5章 忍耐と成功 
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
今日は、あなたがたに忍耐と成功の話をしよう。
この話はとても大事だ。

○静かに歩め
私はいつもあなたがたに、
執着を去れと教えてきたはずだ。
執着のなかでも、あなたがたを成功から遠ざける最たるものは、
時間における執着だ。
時間における執着とは、焦りのことをいう。
あなたがたは、焦りという名の執着によって、
常に苦しんでいる。
あなたがたは、焦りという名の執着によって、
常に迷っている。
あなたがたは、焦りという名の執着によって、
常に苦しんでいる。
あなたがたは、焦りという名の執着によって、
常に虜(とりこ)となっている。

人びとよ、まさしく焦りは人生の敵である。
静かにゆく者は遠くまでゆくのだ。
音少なくしてゆくものは、千里を駆ける。
騒がしく鉦(かね)や太鼓の音ともに歩む者は、
さほど遠くまで進むことはできない。
なぜならば、鉦(かね)を打ち、太鼓をたたく音を聞いて、
まわりからゾロゾロといろいろな人が集まってきて、
やがて話しこむうちに、
本来の旅の目的を忘れ去ってしまうからだ。

ゆえに、諸人よ、
先を急ごうとするならば、静かにゆけ。
目的が遥かに遠くにあるならば、すみやかにゆけ。
深く、静かにゆくがよい。
その際に、決して焦ってはならない。
決して急いではならない。
焦りの気持ちとは何であるか、考えたことがあるだろうか。
焦りの気持ちとは、いち早く結果を手に入れたいとする気持ちだ。
努力を惜しんで、努力の目的であるところのその成果を、
人より早く手に入れたいとすることだ。
ゆえに、諸人よ、よくよく心せよ。
もし、あなたがたの人生に迷いが生じてきたならば、
この迷いとは、実は焦りにほかならないのではないかと、
焦りこそが迷いを生み、迷いの根源が焦りではないのかと、
その時に、深く深呼吸をして、
何ゆえに焦るのかと、自問自答するがよい。
何ゆえに焦るのか、
何ゆえに急ぐのか、
何ゆえに慌てるのか、
考えてみれば、さして根拠のあることであるまい。
さしたる根拠はないのだ。
焦りの根源は、いつも似たようなところにある。
さしたる根拠もなく、焦っているのだ。
それは、時間が経つうちに、
何か漠然と不安な出来事が自分を襲うのではないかと感じているのだ。
何か将来に不安なるのが現われて、
自分を害するのではないかと思っているからだ。
およそ、焦りの原因は不安の影におののくところにある。
自分を害するものが、自分を傷つけるものが、
立ち現われてくるのではないかという不安感に焦りの根源がある。

諸人よ、よくよく考えてみよ。
あなたがたの人生の使命とは、いったいどこにあったかを。
あなたがたの人生の目的とは、いったいどこにあったかを。
さすれば、思いつくことがあるであろう。
それは、我らは決して地上において、
人生をはやく行き過ぎることを目標とはしていないということだ。
駆け足で通り過ぎてしまったところで、
人生に何らの味わいもあるはずがない。
肉体の成長がその山の頂を極めたところで
さしたることがあろうはずもない。
平坦であることを恐れてはならない。
平凡であることを恐れてはならない。
一時の流行に心を動かしてはならない。
世の常識に妥協してはならない。
世人の声に迷ってはならない。
また、あなたがたを深く愛していると称する人びとの心にも、
迷ってはならない。

道を進むものは、静かにゆけ。
道を歩むものは、静かにゆけ。
その足音を他の者に気取(けど)られてはならない。
これから、自分が長旅を行くのだということを、
他の人びとに告げる必要はない。
いや、告げてはならない。
長旅をゆくことを告げることによって、
あなたがたの道を妨げる者があるであろう。
それは、必ずしも悪意の妨げのみではない。
善意の妨げというものもあるであろう。
そのような長旅は危険が伴うからこそ、
やめておいたほうがよいと言う人も、跡を絶たないであろう。

【大川隆法『仏陀再誕』第4章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力
第1章 霊的人生観
4 仏法真理への道

「人生の転機」「霊性への目覚め」「物質と誘惑」という問題を考えてきて、次に「では、どうやって仏法真理への道に入っていくべきか」ということを考えてみたいと思います。

仏法真理への道に入っていくときに、いちばん大事なのは、やはり、「導き手」であろうと思います。

今、「本当であれば、仏法真理のことを勉強したい。学びたい。求めたい」という人は数多くいると思いますが、残念ながら、「善き指導者に恵まれない。巡り会えない」ということが最大の難点です。世の中に、道を求める人は数多くいますけれども、「真の指導者に巡り会えない」ということが最大の難点となっているのです。

では、どうしたら真の指導者に巡り会えるのでしょうか。

「あちらの宗教、こちらの宗教と遍歴しながら、よくなるならともかく、どんどん悪くなっていく人が数多い。また、いろいろなところで霊的な作用を受け、帰ってくる人が数多い」という問題がありますし、「宗教に凝って、おかしくなる」というのは日常茶飯事です。

そのため、家族や親族が反対するのは常です。「宗教に凝って、おかしくなった。変な新宗教に凝った」という話になって、問題とされるわけです。

ですから、「仏法真理への道」ということを考えるに際しては、どうしても、師の存在、優れた指導者の存在が大事です。私はそう思います。

優れた指導者がいるところには、また、優れた教えがあります。同様に、優れた教えがあるところには、優れた結果があるはずです。優れた指導者の存在、優れた教えの存在、そして、優れた人間完成への道、導き、こういうことがあると思われるわけです。

こうしてみると、「師の存在」、「教えの存在」、あるいは「効果の存在」「結果の存在」は、非常に立派な道筋であり、素晴らしい道筋であると思います。

大事なことは何であるかというと、やはり、優れた指導者になろうとする方々が数多く出てくることです。その必要性を私は感ずるわけです。優れた「仏法真理の指導者」を数多く出していく必要があります。

そして、優れた指導者が出ていくための材料として、優れた教えが数多く出ていく必要があるのです。そして、数多くの優れた教えが出たならば、「それをどう学び、それをどう実践に移していくか」という課題が残っていると思います。

私は幸福の科学で人類幸福化運動を起こしておりますが、この背景には、やはり、「優れた指導者を養成したい」という気持があります。

また、「優れた指導者を養成するためのテキスト」としての仏法真理の客観性、あるいは多様性をつくり出し、取り出していく必要があると考えていますし、その指導・学習方法の確立が急務であろうと思います。優れた教え、仏法真理があっても、それをどう学習すればいいかが分からねば、どうにもなりません。

この仏法真理の学習方法に関しては、まだまだ確立されていないものがあります。

悟りの関しても、古来、「どうやったら悟れるのか」ということが分からなくて、「とにかく、一千日、山の中を歩けばよいのだ」という、千日回峰行的な考え方もありますし、「とにかく座禅を組めばよいのだ」という考えや、「物質を断ち、執着を断てばよいのだ」「一切のしがらみを断てばよいのだ」「滝に打たれればよいのだ」という考えもあります。

このように、いろいろな考え方があり、これらは、そうした精神を何らかの形で体現しているのですが、「本来の仏法真理学習」という面から外れているわけです。

また、仏法真理学習の一面には、「単に経文を唱えればよい」という形式主義もあります。「内容が分からずとも、経文を唱えておればよい」というものです。その経文はいくつかあります。あるいは、「経文を筆写(ひっしゃ)するだけでもありがたいことであり、何万巻も書写すれば幸福になれる」という人もいますし、「自分の名前を変えればよいのだ」「神社に寄付すれば救われるのだ」という人もいます。

このように、仏法真理の学習方法が確立されていないため、巷(ちまた)では、さまざまな方法論が跋扈(ばっこ)していますし、それに人々が迷わされている面があると思います。

私は、まず、「仏法真理への道」の第一歩として、教材として、すなわち、学びの材料として確立されたものが必要でないのか。このように感じるわけです。【※大川隆法総裁先生は、説法された内容を経典として出版して、2026年に『祈りと希望』において、全世界発刊点数が3300書を突破しています】

それがなければ、やはり、常識人としての、あるいは、この世的な人間としての、まっとうな学びができないのではないのか。この世ならざる世界に一超直入(いっちょうじきにゅう)しなければ悟れないのならば、大部分の人は、すでに救いの外にあるのではないのか。このように思われます。

したがって、地上人の常識に照らしてみても納得のいくような内容で、仏法真理の存在をつくることが大事ですし、これを知的なベースから学んでいく、学習していく方法論の確立が大事であろうと思います。その意味で、学校教育的な手法も、多少、導入せねばならないと考えます。

【大川隆法 『漏尽通力』第1章「霊的人生観」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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37 もし、健康が回復したら、どんなことができるか、空想してみよう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き

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