33 家族や友達に信用のない人は、会社でも出世しない。
35 演技も言い訳も通用しない。仕事は、公も私も貫く、「誠実さ」が大事である。
【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
本日3月26日は、津支部精舎の落慶記念日です。皆様誠におめでとうございます。われらが愛する三重の地に、大いなる光の灯台をお許しくださった主に心より感謝を捧げます。主よ、まことにありがとうございました。
3月23日は45周年を迎えます「大悟祭」でした。皆様誠におめでとうございます。大悟祭とは、1981年3月23日に、大川隆法総裁先生が、霊的覚醒を経て、自らが、根本仏にして地球神であるエル・カンターレであるという大いなる悟りを得られたことをお祝いする日です。
伊勢支部では、3/29(日)まで、10時・13時・19時に復活の祈りと共に「大悟祭」を開催いたします。大宇宙の根本仏であり、宇宙のマスターでもあられる主エル・カンターレ大川隆法総裁先生の「大悟の瞬間」(1981
年 3 月 23 日)に思いを馳せ、人類救済の原点である主の大悟への心からの感謝を捧げます。
信仰は、悟りの高まりと共に深みを増していくものであると教えていただいています。『永遠の仏陀』ならびに、経典『「永遠の仏陀」講義』からの学びを通して、大宇宙を創られた主の偉大さへの理解を深めるとともに、主に向かって悟りを高めていく精進を誓い、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てていく決意を固めさせていただきます。
そして、主が「エル・カンターレの法」をお説きくださる未来を心から願い、主の心と一体となる念いを込めて、「復活の祈り」を捧げさせていただきます。
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さて、ここからは2002年7月7日に説かれました御生誕祭御法話『大悟の瞬間―大いなる悟りが明かす多次元空間の神秘』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。
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■『大悟の法』第4章「大悟の瞬間―大いなる悟りが明かす多次元空間の神秘」
2無我の思想
〇偉大なる大我
これを無我の思想に当てはめてみると、どうなるでしょうか。
人間は、この世で生きていると、「この体が自分だ」というように認識してしまいますが、体だけが自分ではないのです。
もちろん、体とぴったり合った形をした霊魂というものもあり、これもまた、形は有限のように見えます。しかし、これは実は、有限なものであって有限ではないのです。それは大宇宙とつながっていて、共有意識、あるいは共通意識というような、全人類に共通している霊的想念の世界とも、つながっているのです。
それはちょうど電話やテレビの世界と同じで、あらゆる霊的存在と、一瞬にして、つながるような世界です。
各人は、ばらばらに住んでいるように見えても、ちょうど、電話の配線工事がなされていて、それぞれの電話機にコードがつながっているようなものなのです。各人の存在は、そういうものであるのです。各人は各個の”ナンバー”を持っていながら、実は、すべてがつながっている存在なのです。
そして、それをつなげているものは、いったい何かといえば、それこそが、心の法則にほかなりません。
心の法則は普遍のものであり、その法則には、人種や性別、年齢、あるいは時代を超えて、共通のものがあります。
「このような心であれば、こういう世界に通じる。こういう人たちと通じる」「このような思いを出せば、こういう未来が展開する」という、共通の、心の法則があるのです。
釈尊は、内なる自分を見つめると共に、「この霊的存在が、実は個別の自我ではなくて、永遠の魂ともつながっている。永遠の大我(たいが)ともつながっている。そして、個々別の人たちの心が、みな、つながっている」ということを悟るに至ったわけです。
現代的な言葉で言えば、「表面意識だけが自分なのではない。潜在意識のなかにも、自分と通じるものがある。自分は潜在意識とも同通している」ということです。
その潜在意識とは、自己の潜在意識であると同時に、霊界世界にある、他のさまざまな霊的存在とも一瞬でつながるものなのです。
これは私も経験していることです。テレビの画面を観ていても、そこに出てくる人の意識と一瞬にして通じます。写真を見てもそうです。いろいろな人の意識と通じます。また、その人の守護霊や、その人に取り憑いている不成仏霊と通じることもあります。写真の人物が故人であれば、その人自身の霊が出てくることもあります。
このように、あの世というは、瞬間的にすべてがつながるような世界です。そういう強力なネットワークができている世界なのです。
要するに、釈尊は、物質的に視える自分とは異なった、「霊的世界につながる我」という自我観を持ったのであり、それを「無我」という言葉で表したのです。
無我とは、「我がない」ということではなく、「偉大なる大我(たいが)とつながっている我」ということであったのです。「大我(たいが)とつながっており、相互に影響し合っている存在、お互いに、別なもののようでありながら別なものではなく、同じようでありながら同じではない存在」ということです。
そういう世界であったということ、「根本仏(根本神)の大きな念い、自己実現の念いが、個別の生命として表れて、花を咲かせているのだ」ということを、釈尊は知ったのです。
これが空間領域での無我の思想です。
〇利他、愛他の思想へ
この無我の思想は、言葉を換えて言うならば、当然ながら、利他、愛他の思想とつながっていくものであったのです。
「自分は、孤立して独りで生きているものではない」ということを悟ったとき、利他、愛他の行為とは、元なる自分自身を知ること、元なる自分自身を生かすことであり、利他、愛他の思いとは、同時代の同級生として生きている魂たちを、共に愛し、慈しむ心なのです(拙著『愛の原点』〔幸福の科学出版刊〕第1章、第2章参照)。
したがって、愛他、利他の思いそのものもまた、一つの無我なのです。「この世的なる自我のみならず、孤立した我のみならず」ということを知ったがゆえに、愛他、利他の思いが開け、そういう行動観が生まれてくるわけです。
釈尊の無我の思想には、「自分の心の内なる広大無辺な領域を知り、その法則に精通する」ということと同時に、人間の生きていく意味として、「他の者、同じく魂修行をしている多くの人々を、慈しみの目でもって見、そして、はぐくみ、導いていき、共に幸福になっていこう」という悟りがあったのです。この点を忘れてはいけないと思います。
宗教の世界、あるいは超能力の世界において、霊的な感覚を持っている人は数多くいますが、愛他、利他の思いにまで届かずに、霊的なもののみに関心を示しているうちは、まだ、霊的には、仙人界や天狗界と呼ばれる裏側の世界に属していると言わざるをえないのです。
菩薩や如来といわれる人たちのいる、本来の表側の魂系団に入るためには、「真実の自己を知る」ということと共に、「その真実の自己を知る行為が、利他、愛他へとつながっていく」ということが必要です。そういう悟りが必要なのです。
これは、共に、社会を発展させていく力とつながる宗教であることを意味します。
【大川隆法『大悟の法』第4章「大悟の瞬間―大いなる悟りが明かす多次元空間の神秘」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。たくさんの仏法真理を主よりいただいていますが、数多の経典は「正心法語」を正しく理解するためにあるといっても、けっして過言ではありません。
「仏説・正心法語」は仏の光であり、仏の生命であり、私たちの力であり、仏弟子の生きていく寄る辺です。
七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。理屈抜きで、毎日、正心法語を読むと元気になるからです。
経文にも、「ああ 七色が 相集い 仏の御国を 照らし出す」とあるように、「仏説・正心法語」は本来、七つの経文が合わさって一つの法身を表現しています
正心法語は法華経・般若心経の一万倍の力があると教えていただいていますが、私たちサンガは正心法語の威力を十分に使いこなせていないのではないかと思います。
私も含めて皆様の中で、今日からさかのぼって一日のうち、正心法語の全編読んだ人がどれだけいるでしょうか。読経の習慣化が法力を生むことを私たちは主から教えていただき知りながら、なかなか実践できずにいます。実にもったいないことです。
私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。
このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれていますので、伊勢支部にてぜひご拝受ください。「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。
それでは、「真理の言葉 正心法語」から始めましょう。「正心法語」はこのように続きます。
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しからば 共に 愛し合い
しからば 共に 生かし合い
しからば 共に 許し合え
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本日の引用部分は英語版の「正心法語」-The True Words Spoken By Buddha-では、このようになっています。
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Now then, Love each other.
Let us bring up each other.
And, it’s time to forgive each other.
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本日の解説も、経典『信仰論』から引用させていただきます。
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この「愛し合い、生かし合い、許し合え」の部分は、『太陽の法』のなかに「愛の発展段階説」として書いてあります。
愛を与えることは非常に大切です。「与える愛」こそが天国的なる愛なのです。これに対して、「奪う愛」は地獄的なものであり、これを中心に考えるのは間違っています。奪う愛の原点は何かといえば、本章の9節の四顛倒(してんどう)のところでも述べたように、肉体の欲です。それが中心的なものです。肉体の欲のままに生きると、すべてが奪う愛の方向に行くので、気をつけてください。
魂修行のためにこの世に生きている以上、人間は多くの人の幸福を目指すべきです。そのためには、愛を与える方向で生きなければなりません。
「与える愛」のことを、仏教的には「慈悲」ともいいます。
愛の発展段階においては、まず「愛する愛」があります。これは五次元的愛です。五次元善人界に還るためには、与える愛の大切さを知っている必要があるのです。
次に、「生かす愛」があります。これは指導者の愛、リーダーの愛、先輩の愛であり、六次元的な愛です。したがって、この愛には智慧が入っていなければいけないのです。
たとえば、現在の世界的問題の一つに「南北問題」があります。「地球の南と北では経済状況が非常に違っており、南は貧しく、北は豊かである。貧しい南の地域では人口爆発が起きているのに、北の地域では人口が少なく、少人数で豊かな生活をしている。したがって、北の人々は南の人々を助けるべきでないいか」という問題です。
困っている人々に物資やお金を送ることも、確かに「与える愛」には違いありません。しかし、それで彼らがほんとうに救われるかといえば、先行きを考えると心もとないものがあります。彼らが自分たちの力で素晴らしい国をつくれるような方向に導いていかなければ、根本的な救済にはなりません。理想的な国をつくるためには、彼らのなかから指導者を養成していくしかないのです。
「愛する愛」は、感情的に「かわいそう」と思って手を差し伸べる愛ですが、「生かす愛」の段階になると、そこに智慧が働いてこなければいけません。「本当の意味で、この人を最高に生かす方法は何か」と考えたときには、知恵が必要になるのです。
ほんとうの意味で「生かす愛」を実践するためには、単に物質の援助をするだけではなく、研修生を日本に招くなどして、彼らに技術や学問、思想を教える必要があります。そうした援助の仕方をすることが根本的な解決になるのです。
これは日本が実際に経験してきたことです。日本は明治以降、他の国に物資の援助を頼ったことはほとんどなく、自分たちの力でやってきました。結局、教育的な面からの援助をしたほうが根本的な解決になるのです。
これが「生かす愛」です。
それから、「許す愛」があります。『太陽の法』では、これについて、「宗教的境地であり、七次元的な愛である」と述べています。
「許す愛」の段階に至るためには、ある程度、我執、自分に捕らわれる心を解き放たなければなりません。許す愛の段階では、ほんとうに、「与えるのみ」の世界になってくるので、地上的な人生観よりも一段高い心境が必要です。それによって初めて許すことが可能になるのです。
もっとも、「許す愛」の例外として、悪魔の活動があります。キリスト教においても悪魔は絶対に許さないので、ときには戦争の原因になったりします。悪魔の活動というものは現実にあるのです。
本章の3節で「和合僧破壊の罪」について述べましたが、当会においても、いつ悪魔に狙われるか分かりません。霊的な状態になりやすい体質の人は、サタンに入られることがあり、そうした状態になると、教団を揺さぶるような行動を取るようになります。
釈尊の時代に提婆達多(だいばだった)がその典型です。提婆達多は悪魔に入られ、釈尊を裏切り、多数の仏弟子を連れ出して、別派をつくろうとしました。魔に入られた者が賢かったりすると、他の弟子たちも惑わされて、そのひとについていってしまうのです。そのときは舎利弗(しゃりほつ)と大目連(だいもくれん)がその弟子たちを説得して連れ戻したからよかったものの、そうした有能な弟子がいなければ、ほんとうに連れていかれてしまいます。
このような場合に、「別派づくりを許さなければいけない」などと考えてはなりません。許す愛を逆手に取られてはいけないのです。
たとえば、提婆達多が「『しからば共に許し合え』という教えがあるのだから、おれが別派をつくっても許せ」と言ったとしても、和合僧破壊の罪は許されません。
この場合には、「折伏せよ」とまでは言いませんが、きちんと説得しなければいけないのです。このへんを間違ってはいけません。愛の教えを逆手に取られないようにしてください。
「人を許す」ということは、「罪を憎んで、人を憎まず」という意味に考えるべきです。行為や考え方を憎むことです。「この人の行為は許しがたい」「この人の考え方は許せない」ということはあっても、その人自身の仏性、人間としての尊厳自体は許していなければいけません。
罪を犯している人に対しては、「あなたの行為は罪である。その行為は許されない。反省しなさい」と言わなければなりませんが、その人の仏性と限りない可能性を知っておくべきです。相手を根本的に否定してはいけないのです。
「すべての人間は立ち直るきっかけをもとめている存在であり、人間はきっかけさえあれば、立ち直るものだ」ということを知っておく必要があります。ここを間違わないでください。
人間は、行為としては、罪や間違いを犯すことがあります。それに対しては、やはり悔い改めをすべきであり、そのためには説得も必要です。ただ、根本的には、すべての人が仏の子であることは間違いないので、仏性を信じる心を忘れてはなりません。これは、大きな意味での「許す愛」になっているのです。
【大川隆法 『信仰論』 より抜粋】
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私たちが、お互いに憎しみ合い、嫉妬し合い、傷つけ合い、許さないことが間違えているのは、すべての人に宿っている仏性を、結果的に否定することになるからです。肉体的な視点でなく、霊的な視点では、私たちは人間はすべて仏の子であり、人類はすべて兄弟あり、大きな家族です。私たちは本来、仏性をとおして一体です。もともと、主なる根本仏とも一体であるがゆえに、仏は、私たちに愛し合い、生かし合い、許し合うことの大切さを教えてくださっています。この教えこそが慈悲であることをしみじみと感じます。このように「正心法語」自体が仏の慈悲であることがよくわかります。
仏が転生輪廻のシステムをつくったのは、すべての人間が仏になる可能性を与えるためでした。それは地上や天上界における魂修行によって人間が等しく仏になるチャンスを平等に与えられています。
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互いに「愛し合い、生かし合い、許し合う」という世界(仏国土ユートピア)を創造するために、主におかれましては、「太陽の法」をはじめ莫大な教えを説かれています。
本日は、経典「人を愛し、人と生かし、人を許せ」より箴言集のようなかたちで、抜粋をお届けいたします。
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〇人を愛すること
「『人を愛し、人を生かし、人を許せ』という、一行の言葉が、私の今世の仕事の内容でもあり、今後、私がいろいろな思想を出していくときの一つの核になるものである」ということを悟ったのです―p16
「人を愛せ」といことも、「人を生かせ」ということも、「人を許せ」ということも、自分から他の人に対する積極的な働きかけ、アプローチを意味しています。そして、自分自身に対する見返りについては一切ふれていません。つまり、「利他の教え」しか語っていないのです。―p18
本当の意味での自己拡大とは、自分自身の魂の一部を、精神、心の一部を、他の人びとのなかに種まきしていくことです。自分の生き方や考え方によって、他の人びとに影響を与えていくことが大事なのです。普通は「与えれば損をし、もらえれば得をする」と思うものですが、心の世界においては、与えれば与えるほど、自己が拡大していくのです。―p30
「愛を与えることは一つの修行目標であり、愛の思いを発することで、人生は変わりはじめる」ということを知るのが出発点なのです。―p36
「与える愛とは無償の愛の別名である。ただ与えることに意味がある。見返りを求めたときに愛は死ぬ」―p38
「人を愛する」とは「与える愛」ということであり、すべてはこの一点に集中してきます。幸福の科学では、幸福の原理として「愛・知・反省・発展」の四正道を掲げていますが、すべては「愛」に集まってくるのです。何のために「知」があるのかといえば、より多くの人を愛するためなのです。より多くのことを知ると、より多くの人のために役立つ生き方ができるのです。―p47
愛を与えるという行為は、仏の思っておられることそのものである。仏の代わり、仏の一部、その手足となって愛を与えるという仕事は、非常に貴重ですぐれた仕事であり、すべてのものに勝る仕事なのだ。―p50
〇人を生かすこと
幸福の科学で説いている「知」は、実は「原因・結果のプロセスを見抜く力」と言ってもよいでしょう。「こうした種をまけば、こうした実ができる」という関係を知ることが大事なのです。―p53
人間の考えることや行なうことには、ある程度のパターンがあり、その数は限られているため、いろいろなことを経験することによって、「こうした状況に置かれると、人間はこのようなことをする」ということがわかるようになります。経験を積むことで、他の人を導けるようになるのです。―p54
知を高めること、経験を深めること、この両者が「生かす愛」の両輪です。―p55
〇人を許すこと
人を許せるようになるためには、実は、ある程度の試練を魂が受けなければなりません。人を導き、生かすことは、優秀であれば、ある程度できるようになりまずか、人を許せる器というも、一朝一夕にはできないのです。
みなさんは、苦難や困難、悲しみや苦しみを、できれば避けたいと思っているでしょう。そう思うのは人情であり、当然のことなのですが、こうした一見マイナスと見える事柄が、「人を許す」という段階においては、プラスに転じることがあるのでする。―p57
結局、人を許すことができるためには、人びとの悲しみを知らなければならないのです。なぜその人が苦しむのかが分からなければ、なかなか許すことはできません。―p58
人を許す境地は、人を生かす境地より大きなものであることを知らなければなりません。それは仏の境地に近いものです。人を生かしていく過程では、善悪、正邪をしっかりと知る必要がありますが、それを超えたとき、おおいなる包み込むものを知るにいたるのです。
そこにいたるまでのあいだ、魂は、幾転生、幾百転生、幾千転生を経て、数多くの挫折を経験することでしょう。多くの人の苦しみや悲しみを見て、そうしたことに共鳴するものを自分の心の中に数多く持つことでしょう。様々な苦境を通り越してはじめて、慈悲の心が湧いてくるようになるのです。―p61
慈悲とは、人を愛し続けてやまない心であり、決して尽きることのない泉のような心です。そこに達するまでには、多くの試練を経ることでしょう。しかし、試練を経ていることを喜ぶ気持ち、「自分の魂はいま磨かれているのだ」という気持ちを持つことが大事です。―p63
人を許すためには、成功と失敗の両方をくぐり抜ける必要があります。その両方を学んだとき、人間は大きな愛の器となり、すべての人を許していける気持ちになるのです。そして、仏の心もまたここにあるのです。このことを忘れてはいけません。―p64
【大川隆法 「人を愛し、人を生かし、人を許せ」第一章より抜粋】
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仏性を通して私たちは一体です。だから私たちは互いに「愛し合い、生かし合い、許し合う」ユートピア世界をこの地上につくり上げる使命を根本仏からになっているのです。「正心法語」の世界観を全世界に広げてまいりましょう。
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■「日々の『戒め』として、読んでみましょう!」
・幸福の科学の三帰誓願者であるならば、戒めとして、一日に一回は「真理の言葉『正心法語』」を読むことや、一日に一回は自分を振り返る反省の時間を持つことを考えてもよいでしょう。
【大川隆法『信仰論』p.122より抜粋】
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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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第1章 縁起とは何か
6 仏教の本質―縁起の思想
このように、釈迦の考えた縁起というのは、空間的にも適用できますし、時間的にも適応できます。
この「縁起」ということが、神人隔絶型の宗教において「絶対神」と言われるようなものに相当する思想であるわけです。
ですから、これは、決して無神論や唯物論につながっていくわけではありませんが、宇宙を統べている法則を喝破したということにおいて、非常に優れた教えである、ということができるのです。そして、その縁起の法則を見抜いて、自らがそのなかで生きながら、最善の生き方をした釈迦が、天上界に還っても仏陀として存在し、「仏陀の上には神がいない」と言われているのは、そうした理由によるわけです。
もともと魂のなかには、神的なものがあるけれども、宇宙の理法を見抜いて、その理法に沿って最高の生き方をしたならば、自らが最高の霊格を持った存在となることができる―これが仏教の思想なのです。
このように、人間の最高の理想としての存在である仏陀である仏陀が登場したときには、もはや伝統的な神々というものは、仏陀の上にいる存在ではなくなってしまうのです。伝統的な神々というものも、ほんとうは、いずれかの時代に地上に肉体を持った高級霊であるわけですけれども、それ以上の存在としての仏陀が現れることがありえるわけです。
もちろん仏陀にしても、宇宙の理法そのものをねじ曲げるわけにはいきません。けれども、宇宙の理法を体現して最高のかたちで現わしたのが仏陀なのです。そして、その仏陀には、年数はかかるとしても、自らの修行によって、誰しもなれる可能性を持っている―これが仏教の持っているすごいところなのです。すべての人に法門が開かれているのです。
しかし、結果に対しては、また厳しい処遇もされるのです。「○○を信じたら救われる」という、そんな単純なものは、実際は仏教ではないのです。仏教の本質ではありません。たとえば、「南無阿弥陀仏を唱えたら救われる」「この仏像を拝んだら救われる」「この掛け軸を拝んだら救われる」「ただ坐ったら救われる」「板曼荼羅は幸福製造機だ」など、今、仏教の名のもとにいろいろな宗派がありますけれども、仏陀の教えとはまったくかけ離れたものなのです。
仏陀の教えは、いまのべたように、「縁起の思想があって、すべては原因・結果の連鎖のなかにある。その連鎖を見抜いて、その連鎖を善き連鎖とするために努力をしなさい。さすれば、あなたがたは、自らが自らを救うことができる。自らが自らを救うことができるものは、いったい何であるか。それが神というのだ」ということを終えているわけです。
要するに、「救う立場との神、救われる立場としての人間というのがあるのではなくて、自らで自らを救うことができる」というのは、「人間が、もはや神になったのと同じである」ということです。
いわゆる神格を持った存在になることができる。その理法を体得することによって、自らを救うことができる、救う側になれる、ということです。要するに高級霊になれる、これが、神人隔絶型宗教との大きな違いであるわけです。
これで、縁起についての基本的な骨格をお話ししました。専門的な考え方は、まだまだありますけれども、とりあえず、本章の内容を理解していただければ幸いです。
【大川隆法『心の挑戦』第1章「縁起とは何か」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。
エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。
【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。
■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】
■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える
■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする
信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え
戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。
これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史
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