16 妖怪は、自分の失敗を指摘されると、記憶が遠くへ飛んで、自分へのほめ言葉は、過大に、岩に刻む。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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はじめに、『常勝思考』の教えを通して、「人生には敗北はないのだ」という主の熱いメッセージを受け取ります。経典をお持ちでない方は、全国の支部や精舎、書店にてお求めください。【税抜き1500円】本書アフリカなど外国おいて、教科書の副読本としても使われています。
「本書には、読者の方がたに、よきリーダーとなり、人びとを導いていける存在になってほしい―という願いが込められています。すなわち、「常勝思考」(常に勝ち続ける思考)とは、成功からも失敗からも教訓を学びとり、人びとを導いていける人間へと成長していくための方法論であり、そのいみでは、光明思想と反省の両方を織り込んだ「全天候型」の運命開拓法なのです」―新版への「まえがき」より
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■『常勝思考』第一部「常勝の原理」
3 人格拡大への試練
セールスの例で話しましたが、そうした、他人のことはおかまいなく数字だけを伸ばして、トップ・セールスマンをやってきた人がいるとして、次に、その人が、その結果を会社によって認められて、営業部長になったとしましょう。
いままでは、自分ひとり突っ走って、その結果が上の人に判定されれば、それですみました。ところが、自分が営業部長となって部下を持つようになれば、その人の部下は、いったいどうなるでしょうか。
その人は、自分がやったことと同じことを部下にもさせようとするでしょう。すなわち、その人が部下は、いったいどうなるでしょうか。
その人は、自分がやったことと同じことを部下にもさせようとするでしょう。すなわち、その人が部下に与える指示は、いつも数字だけのはずです。「おまえの今月の目標は○○台である」、こうした指示を出すはずです。そして、そのノルマが達成できなければ、優秀ではない、”お荷物社員”だと言い、それを達成できればよい社員だという、こうした評価の仕方しかできなくなってくるわけです。
そして、部下のセールス活動を見ていて、だんだん我慢がならなくなってきます。自分であれば十五台売れるのに、その部下のやり方を見ていると、三台、五台しか売れないように思えるからです。
そうすると、ほんとうなら、売り方をていねいに教え込めばいいのですが、そうではなく、自分でやりたくなるのです。そして、その部下を尻目に、相手先、取引先の上司と、頭越しで話をするようなことが起きてきます。
部下はどうなるかというと、「それなら部長が自分でやればいいでしょう」と、次第にむくれはじめるのです。こうして、部下が育たなくなっていきます。
これはなぜかというと、「自分の成功」という結果だけに目を奪われ、それだけを学んできて、真実、人間の真理というものを深く考えたことがないからです。
たとえば、その人はかなり厚かましくやってきたのかもしれません。実際、営業面で高成績を上げる人のなかには、そうとう厚かましい人がいます。そうした厚かましい人というのは、なかなか自己分析ができないのです。
そうした人は、どこにでもズカズカと入っていって商売をするのですが、それを、「自分は人に好かれているので、みんなが心を開いてくれる」などと言っているわけです。しかし、その人が帰ったあとは、みんな、「ああ、帰ってくれた。さっぱりした。やっと解放された」と、ホッとしているのです。
ところが、当のご本人は、そうは思っていません。自分が厚かましいなどということはつゆ知らずに、「誰でも私の友達になってくれるんです」といような気持ちで、どんどん攻め込んでいきます。こうしたことは、いくらでもあります。
しかし、これとは違って、慎重なタイプの部下、あるいは神経質なタイプの部下だと、とても、そのように厚かましくはできません。彼らは、そうした上司の指導だけでは、とうていやっていけません。それではどうするかというと、自分なりにいろいろな工夫をするわけです。
たとえば、自分の趣味というものをつくって、趣味の話をしながら次第に相手に溶け込もうとしたり、あるいは、それ以外のスキンシップを大事にしたり、そうしたことから始めていこうとします。ところが、やり手の営業部長から見れば、それは我慢ならなくなります。
こうした人は、やはりどこかで魂の休養、休息が必ず必要であると思います。そして、そうした不幸や逆境のなかに、みずからがいったん身を置いて初めて、人びとの心というものがわかるようになってきます。「自分こそが会社の表看板であって、自分がやらなければ何も動かない」と思っていた会社が、自分が病気で休んでも、意外に順調に回っているのを見て、ショックを受けるのです。
このようなときに受けるいちばんのショックは、同僚や部下が見舞いに来て、「あなたが休んでいても、ほんとうにうまくいっていますから、心配しないでください」と言われることです。この励ましが、いちばんこたえるのです。ほんとうは、「あなたがいないと、もう全然動きません。困ります」と言ってほしいのに、「全然、心配ありませんから、どうぞゆっくり休養してください。しっかり療養してください」と言われるのが、いちばんこたえます。
そして、「こんなはずでは・・・」という感じになります。いつのまにかピエロになっているのです。ライトに当たって、自分の踊りに夢中になっているうちに、観客がいなくなる。そのようなことがあります。
こうした人は、やはり、いったん試練のなかをくぐる必要があると思います。しかし、これは決して後退ではありません。それは後退ではなく、その人がさらに大きな人格となっていくために、どうしても必要な試練であるように思います。
【大川隆法 『常勝思考』第1部「常勝の原点」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』
5正しく人を見るための判断基準【正見】
⑤神仏と心を通わせる気持ちで、自他の思いを見る
四段階目で「仏法真理の基準において正しく見る」ということを挙げましたが、これはまた違ったかたちで見ることも可能です。四段階目の「仏法真理の基準に照らして、あるいは仏法真理の知識に照らして見る」ということもなかなか困難な部分はあるので、そのときには、もう一つ違った方法があります。
【※第一段階は「映像を客観的に捉える」、第二段階は「自分の感じ方を知る」、第三段階は「相手を相手の立場から見る」第四段階は「仏法真理の立場から見る」でした】
それは何であるかというと、「心を空しゅうして、神仏と心を通わせる気持ちで、神仏の心に通じる気持ちで、静かに自分の思いと相手の思いを見てみるということです。空しく、まったく利害というものを放下(ほうげ)し、そして、執着というものを去って、自分のあり方、他人のあり方などについて見てみるのです。「自分の見た相手の像が間違っていないか。あるいは、相手の『自分はこうだろう』と思っている自己像のほうが本当に間違っているのか。また、こうした像のズレを知ったときに、いったいどのように埋めていけばよいのか」ということを、心を空しくして見なければならないのです。
こうしたときに、例えば、自分の受ける相手の印象が悪かったとしても、「実はとんでもない考え違いであった」と気づくこともあります。「相手の立場のほうがやはり正しかった。そのように見られたら、相手は『不当だ』と思うだろうけれども、そう思う方が正しい」ということもあるのです。
【大川隆法『真説・八正道』第二章「正見」65p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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■『永遠の仏陀』
第三章 不滅の力
〇人生最大の悦び
我の記憶のなかには、
幾代、幾十代、幾百代、昔に、
さまざまな国において法を説いた、
その思いが遺っている。
それぞれの地で、
たとえ、おまえたちの姿形は変わるとも、
おまえたちは、いつもわが弟子として、
わが身辺を固め、
そして、我に従いてきたものであった。
そのような、ある時代の、ある時に、
わが法を学ぶために、
生命(いのち)を捨てることも惜しいと思わなかった者は数知れない。
その身、虎に食わるるとも、
求道の心はやまずと言った人は多かった。
その教えを知るためには、自分の生皮をはいででも、
そこにでも教えを書きとめたいと願った求道者もいた。
そのように、過去の求道者は、すべて、
己の生命をかけて精進してきたのだ。
精進とは、そのようなものなのだ。
生命(いのち)をかけて行うものなのだ。
生命をかけるとは、いかなることか。
それは、
自分の求めているものの値打ちを
知るということなのだ。
その真なる値打ちを
知るということなのだ。
これが、人生最大の悦びとなる。
地上において、この仏法真理のみならず、
さまざまなる学問があるであろう。
それぞれの学問を学んでいる途中でも、
さまざまな悦びはあるであろう。
しかし、仏法真理を学びたる悦びは、
これは何物にもかえがたいものなのだ。
魂は打ち震え、手は踊り、足は宙に舞うであろう。
それだけの悦びを持たねばならぬ。
大宇宙の秘密を教えられ、
人間の秘密を教えられるということの素晴らしさよ。
また、この地上を離れた世界があるということを確信した時の、
あの悦びよ。
それは、王侯貴族の位ともかえがたいものだ。
この事実は、何度繰り返しても、充分すぎるということない。
まさしく、そのとおりなのだ。
頭上に飾る一つの純金の王冠よりも、
一巻の仏法真理の書を選ぶことが、
どれほど素晴らしいことであるかが分かるだろうか。
それは、人間として生まれて味わいうる、
最大の悦びであるのだ。
【大川隆法『永遠の仏陀』第三章「不滅の力」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第二章 八正道の発見
7 正命
次に、「正しく命を全うする」「正しく生活する」という観点から反省を考えてみましょう。
だれにとっても、一日は二十四時間、一年は三百六十五日で成り立っています。また、誰もがやがては地上を去ることになっています。大多数の人は百歳まで生きることさえできません。
人間は一日の枠のなかで何時間かを睡眠にとられ、さらに何時間かは食事など生活に必要な時間にとられます。そして残された時間が、仕事の時間だったり、自分のための時間だったりするのです。
だれに対しても一日が同じ枠として与えられているという事実は、恐るべきことです。生まれつきの才能などに関係なく、誰に対しても同じく二十四時間が与えられており、その二十四時間をどう使うかによって、その人の人生が決まっていくというのは、このうえなく、公平なことだと私には思えます。
この二十四時間を使って、ある人は一国の宰相となり、ある人は大学者となり、ある人は思想家となりますが、ある人は単なる無為徒食の輩となることがあります。この差は、時間という観点から見たときには、結局、「時間の中身をどのように充実させていったか」ということに起因するのです。
したがって、正命を現代的に翻訳し直すならば、「どのように一日を生きているか。どのように二十四時間を使っているか」という考え方になります。また、「二十四時間の積み重ねである毎月毎年を、どう生きているか」ということにもなります。
ここで私は大事な事実を指摘しなければなりません。それは、「時間を貴重なものだと考えるならば、一日の枠を一生として考え直し、そのなかで時間をいかに使うべきかに、思いを巡らせなければならない」ということです。
たいていの人は、「きのうがあったように、きょうがあり、きょうがあるように、あすもあるだろう」と楽観していますが、あすの生命があるという保証はないのです。もし、きょう一日で、きょうの夜中の十二時で、みずからの人生が閉じてしまうならば、さお、どうしますか。あなたはどう生きますか。「しまった」と思うことのほうが多いのではないでしょうか。
結局、正命とは、「きょうで生命が終わると考えたならば、おそらく自分はこのように生きただろう」という観点なのです。こうした観点から見たとき、反省すべき点が出てくるはずです。あちらにもこちらにも、さまざまな可能性があったのに、その可能性を捨てて生きていた自分を思い知らせさるのです。
要はこの一点です。「一日を一生と思い、その一日で死んでしまうと思ったとき、はたして悔いのない一日であったか」という観点から、一日の出来事や自分の言動を判断していくことです。これを続けることによって初めて、「正しく生活をしている」と言うことができるようになるのです。
なお、伝統的仏教的解釈としては、違法な手段(犯罪的行為)で生計を立てることや、明確に仏法真理に反することを職業とすること(邪教、唯物論の思想家など)も、正命に反するとされます。
【大川隆法『釈迦の本心』第2章「八正道の発見」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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84 友情があなたを育て、友人があなたを成長させてくれた。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き

