34 生前、詐欺師だった人たちが、文字通りサギの姿になって、小魚を、騙し合い、取り合っている姿を見た。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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はじめに、『不動心』より、信仰において不退転であるための力を主よりいただきます。本書は、アフリカのケニアなどで教科書の副読本としても読まれ、世界中で愛されています。まだお持ちでない方は、是非お求めください。【税抜き1700円】
―「不動心」に盛られた力強い言魂が、読者の人生の帆柱に一陣の強風を与え、苦悩の大海を渡り切るための推進力となることを、切に願うものです。―本書より
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■『不動心』―人生の苦難を乗り越える法 第1章「人生の氷山」
2 氷山の姿
人生の基礎づくりという観点は、海原に浮かぶ氷山の姿に置き換えることもできるでしょう。
氷山というものは、水面上に出ている部分は全体の一割か二割にすぎなくて、その下には非常に大きな氷のかたまりがあります。水面上だけをみれば小さな氷のかたまりに見えても、その下の部分は意外に大きいのです。
氷のような自然現象であっても、水面上に安定して浮かぶために、達磨のような安定感のある姿をとっているわけです。
みなさんは、こうした氷山の姿に学び、それをまねいていく必要があるのではないでしょうか。
それでは、氷山の姿に何を学ぶのかといえば、その安定感を学ぶのです。
氷山は全体を水面上に出すのではなく、必ず水面下の部分を持っています。水面下の部分が水を押しのけているのと同等の力が氷山に働き、それが浮力となって氷山を支えているのです。
同じように、人生においても、水面下の部分が大きければ大きいほど、押しのけた水の量に見合った浮力が働くのです。
この水面下の部分というのは、世間の人々からは見えない部分のことです。どの人も、他人から見える自分と、他人からは見えない自分とを持っています。
そして、通常、他人からは見えない自分のほうが、見える自分よりもはるかに大きな人のことを、「人物ができている」と言うのです。
だれが見ても裏が透けて見えるような人物は、大人物とは言われません。いぶし銀のような光を放ち、内面に奥深いものがある―それが偉大な人物の姿なのです。
結局、人間としてどれだけできているかは、水面下の部分、基礎の部分がどれだけあるかにかかっているのです。水面上には一部しか出ていなくても、水面下に大いなるものがある人には、安定感があります。
人生の基礎をつくるにあたっては、「氷山の姿にまねよ」という言葉を記憶する必要があるのです。
【大川隆法『不動心』第1章「人生の氷山」より抜粋】
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さて、ここからは、「お釈迦様の八正道」を共に学んでまいります。復刻版で経典『真説・八正道』が再販されていますが、これは、主が現代の時代に合わせて再整理されたものです。その意味では八正道の現代応用ともいえる尊い経典なのですが、これを学ぶ前段階として仏教オリジナルの八正道を共に学んでまいりたいと考えています。
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〇正念―正定―正信から正念までの点検作業
八番目に「正定」―正しく定に入るということがあります。
正定とは、もともとは座禅そのものを指します。確かに、日常生活のなかで、電話をかけたり、人と話したり、事務仕事をしていたりすると、この三次元世界から心を遊離させていくことが非常に難しいのです。
その意味で、部屋の中でも別なところでも結構ですが、外部から邪魔されない環境において、自分の独りの静かな時間をとって、澄みきった湖水を通して湖底の貝殻や小石を眺めるように、自分自身を静かに眺めていく必要があります。座禅のポーズそのものに、それほどこだわる必要はありませんが、静かな瞑想的な時間をとって、正信・正見・正思・正語・正業・正命・・・と点検していきます。この点検作業そのものが、実は正定になっていくのです。
これをずっと行っていくことにより、だんだん禅定が深くなってきて、心が三次元から遊離してくるようになります。そうすると、心の中のモヤモヤ、イライラといったものから離れることができるようになります。また、悪霊波動からも離れることが可能になってきます。心が非常に落ち着いて、精妙な気分になってきます。
そのときに、身体が温かくなって、何ともいえない幸福感が満ちてきます。この幸福感は、この世的な幸福感とは取り替えることができないものです。このしみじみとした悟りの幸福感、悦び、魂の自由さ―これは、この世的に値打ちがあるといわれる他の何物にも替えがたいものなのです。
この正定の体験をすることによって、人は実在世界との交流をすることが可能になり、本来の自己のあり方というものを知るようになっていきます。
かくして、正見から正定までがつながってくるわけです。
もともと八正道は、正しい宗教的信条に基づく見解を持って、「ものごとを見る」「考える」「語る」「行為をなす」「生活をする」「精進(努力)をする」「精神の統一をなす」「静かに瞑想状態に入る」ということをしていきます。・・・
「解脱」とは、この世的なる束縛、軛(くびき)から離れることです。それによって解脱します。解脱によって得られる境地が、「涅槃」の境地です。解脱による涅槃の境地は、自由自在の境地、生きながらにして実在界に遊ぶ境地です。
すなわち、この世は間違いが非常に多いですから、間違った価値観・行為観・道徳観によって、人々は動いています。八正道とは、これを正して、実在界の心が我が心とした自分を取り戻す修法なのです。
ですから、正見から正定までの論理プロセスをたどっていくなかで、自分自身の心の垢を落としていき、本来の自己を確認し、人生観を深めていくことによって、八正道の最終目標である。十正道の最後の「正解脱」―正しい解脱に到ることができるということです。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第3章「正思」
4天上界における意思統一
〇自分の認識を超えた「神仏の創られた世界」があることを受け入れる
本書の序論でも、大きな意味における信仰心という土台に立っての仏法真理の「探究・学習・伝道」であると述べたはずです。
それは自然科学的なものではないのです。単に実験をして、「これはプラスと出たからオーケー」「これはマイナスと出たから違う」という意味での探究を言っているのではないのです。
神仏の創られた世界は、人間が探究しようがしまいが厳然としてあるのです。また、この世界の法則は厳然としてあるのです。それは、人間が見ようと見まいと、聞こうと聞くまいとあるのです。これが前提であって、そうした前提が分からない者は、探究の入り口に立てないということなのです。
自分の目を通して認識できるものだけを理解することが探究だというのであれば、これは大変なことになります。そのようなものは、顕微鏡を通して宇宙を見ようとしているのだと同じことでしょう。あるいは、万華鏡を通して宇宙を見ようとしているのと同じことです。それほどに違いがあるのだと考えてください。
【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」103pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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■『永遠の仏陀』
第4章 跳躍の時
〇魂の生地の洗濯
しかし、この際に、
おまえたちに、さらに、分かりやすく話をしてゆくとしよう。
おまえたちは、偉大な考えを持つということを、
非凡な考えを持つことと捉え
他の人が考えないようなことを考えることと捉えるだろう。
けれども、私は言う。
確かに、そのように、非凡な内容のことを考え、
他の人が決して思いつかないような
偉大なことを考えることは、
重要なことであるが、
その前に、前提があるということを。
それは、おまえたちの心が清らかでなければ、
どのような偉大な思想も無駄になるということなのだ。
人間の魂にとって、いちばん大切なことは、
その魂の基(もとい)が清らかであるということなのだ。
魂の根っこがよく洗われ、
不純なものがないということなのだ。
魂が透明であるということなのだ。
これがまず先決のことであり、
これを考えることなく、膨大な知識を詰め込んでも、
残念ながら、それは実りあるものとならないのだ。
そう、これもまた、砂上の楼閣(ろうかく)の一つにしかすぎないのだ。
見よ。
世の中で、成功したと言われる人を。
彼らは、まさに、
この砂上の楼閣を築いているのではないだろうか。
人間としての、その本性において、
清らかなるものを持っているか。
無私なるものを持っているか。
そういう心を持つことなく、
自分の事業欲のために、
知識欲のために、
出世欲のために、
さまざまな思想を詰め込み、
学問をし、専門知識を吸収したとしても、
それらのものは不毛である。
一陣の風が吹いてきた時に、
やがて、砂上の楼閣は、もろくも崩れてゆくであろう。
この一陣の風とは、無常の風である。
あの世から吹いてくる風である。
どのような人間も逃れることのできない、
人生の終わりの時に吹いてくる風である。
この一陣の風に見舞われたら、
このような砂上の楼閣は、ひとたまりもないのだ。
その土台から崩れてゆかざるをえないのだ。
ゆえに、魂が跳躍する前には、土台を固めよ。
これが大事なことなのだ。
日々、己の心を振り返り、
邪悪なるものが、そのなかにないかどうかを振り返るのだ。
みずからの心のなかに、よこしまなる思いはないか。
みずらかの心のなかに、虚栄心に満ちたものはないか。
みずからの心のなかに、他を見下す心がないか。
みずからの心のなかに、
自分自身の魂を破壊させるようなものがないかどうか。
そうしたことを考えるのだ。
こうして、日々、己の魂の生地を洗濯するのだ。
魂の生地をきれいに洗濯し、それを乾かしてこそ、
見事な色柄をつけることも可能であるのだ。
白い生地には、さまざまな絵を描くことができるのだ。
このことを大事にしなさい。
【大川隆法『永遠の仏陀』第4章「跳躍の時」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第3章 六波羅蜜多の思想
9 般若波羅蜜多
六波羅蜜多の最後の徳目は「般若波羅蜜多」です。
「般若(はんにゃ)」という言葉は、『般若心経』などによって有名ですが、これは「智慧」という意味です。それも単なる知識的な知恵ではなく、深いところから出てくる叡智のことなのです。
これは「般若の智慧」ともいわれます。深いところから、こんこんと智慧があふれ出るさま、湧き出て止まらないさまが、真の智者の姿です。般若の智慧を得る段階に至ると、この世的なる学問や経験は、砂と砂金にふるい分けられ、砂金のみがいっそう光を増すのです。
人格が完成して、ある程度の人物、偉人となるためには、確かに、数多くの読書や経験を経ることが必要であり、そうして得た知識や経験は珠玉のごとく輝いています。
しかし、そうした知識や経験も、般若の智慧が出てきたときには、もはや光を失っていくように見えます。それほど、般若の智慧は偉大なものなのです。というのは、心の窓を開かなければ、般若の智慧に至ることは決してできないからです。
八正道を中心にして、自らの心を正していくと、やがて心の扉が開き、自らの守護霊や指導霊の声が聞け、彼らと話ができるようになります。実在界の守護・指導霊たちは、地上の人間をはるかにしのぐ智慧を出す力があります。なぜなら、実在世界においては、それぞれの霊たちが、過去世で経験したことや学んだことをすべて持っているからです。
地上においては、表面意識はわずか一割程度になり、残り九割近くは潜在化してしまいます。しかし、霊的世界においては、反対に、潜在化していた九割の部分、すなわち過去世の知識の部分が表面意識として顕在化し、地上に生きていたときの意識が、残りの一割として潜在化していることが多いのです。
したがって、比率だけで見ると、霊人は地上の人間の約九倍の智慧を持っていることになります。これが霊人の本質です。同じ霊格であっても、地上に降りている人間の智慧と比較して、霊人は約九倍の智慧を持っているのです。
ましてや、霊的世界には、自分より高い霊格の人たちが数多くいます。地上では同時代に会うことができないような最高の知者たちが、実相の世界にはキラ星のごとくいるのです。
現代の日本において、どれほど頭がよいと言われる人であっても、どれほど優秀な大学教授であっても、はたしてソクラテス以上の叡智を持っているでしょうか。あるいは、孔子を凌駕するほどの思想家でありえましょうか。
実在の世界には、そうした人たちが数多くいます。また、歴史上、名前が残っている人だけでなく、過去の文明において活躍した数多くの高級霊たちもいます。その数はとても数え上げることができないほどです。こうした霊人たちが結集して指導にあたったとき、地上的な知識や努力が何ほどの力を持ちうるでしょうか。
高級霊たちは私にさまざまな霊示を送ってきていますが、それは地上の人間の三次元的知識では及びもつかないほどの質と量を持っています。こうした霊示を受けることも、「般若波羅蜜多」の実践を行っていることになるでしょう。
「人間として最大の智慧を得る段階に至るために、努力というものがある」ということを知らねばなりません。それは結局、「仏法真理を知ることが、自分を自由自在となし、大力量人へと変えていく」ということを意味しているのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第3章「六波羅蜜多の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き
