44 他人(ひと)を心の中で小バカにしている人は、鼻の穴がピクピクと開く。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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映画『影を売る女』の109シネマズ明和での上映時間は以下のとおりです。
映画館へのお誘いと動員へのご協力を何卒よろしくお願いいたします。
10/31(土)【復活の祈り①10:00 ②14:30 ③19:00】
①11:50~13:40
映画『影を得る女』は、「平凡であること」「普通であることの幸福」「玉の輿願望や裏道の成功を望むことの空しさ」といった教えが込められた大切な宗教映画です。自分の影を売ることを引き換えに、さまざまな自己実現をする主人公が、さまざまな葛藤を持ちながら、本当の幸福とは何であるのかを知る文学的作品となっています。
日本神道にありがちな御利益信仰による幸福がいかに虚しいものであるか。物質的幸福に目が眩む現代人に目覚めを与える映画となっています。この映画を機縁として、一人でも多くの方を入会・三帰へと導いてまいりましょう。
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。
ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、ひきつづき教典『悟りの挑戦(下巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
―本書をていねいに精読するならば、『悟りの挑戦』が、仏陀自身の仏教解説であることがわかることだろう―上巻「あとがき」より
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■『悟りの挑戦(下巻)』第3章「涅槃とは何か」
1 涅槃(ねはん)と解脱
本章では、「三法印」のなかの「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」に関して述べたいと思います。
三法印には、まず「諸行無常」があります。これは「この世のものすべてははかないものであり、移り変わっていくものであって、それに執われてはならない」という教えです。この世のはかなさ、移り変わっていくものの無常さを説いた教えです。
二番目の「諸法無我(しょほうむが)」という教えは、結局、「一切皆空」という教えと同じことなのです。「すべてのもの、この世的存在というのは、一切が『空』なのだ。本来、霊的なる存在のみが実在であって、それ以外のものは実体がないのだ」という教えです。
すなわち、「諸行無常」も「諸法無我」も、執われるなかれ、執着を持つなかれという教えであるわけです。
三法印の「法印」とは、教えの旗印、目印という程度の意味です。「この三つを説けば仏教だということがはっきりわかる」という目印なのです。この三つともが執着を戒める教えであって、「執着を断つ」ということが仏教の中心的な教えであることを意味しているわけです。
では、三番目の「涅槃寂静」の教えとは、いったいどのようなことなのか、これが本性の本題です。
まず、「涅槃」という言葉の意味から説明していきたいと思います。「涅槃」という感じはかなり難しい字ですが、サンスクリット語の「ニルヴァ―ナ」あるいはパーリ語の「ニッバーナ」という言葉の音写(音を引き当ててつくった漢字)ですから、漢字自体に意味はありません.確かに「ニッバーナ」という言葉を中国人が聞いたら、「涅槃」と聞いてもおかしくないという感じがします。
この「涅槃」というのは、仏教においては、一種の究極の目的を表わす言葉でもあります。仏教における目標、目的と言うべきものなのです。
また、「涅槃(ねはん)」という言葉は、別の用語を使うと「解脱」という言葉に置き換えることも可能です。ほとんど同義語として使われることがあります。
しかし、厳密にいえば、「涅槃」と「解脱」には若干のニュアンスの違いがあります。「解脱した結果、あるいは解脱した境地のことを涅槃といい、解脱そのものはその涅槃に到る過程のことである」と、動的な動きを中心に捉えて区別することもあります。解脱した結果が涅槃なのです。ほとんど同意語ですが、このようにニュアンスの違いを指摘する向きもあることはあります。
そこで、「解脱」とは何かということ、この世的なる束縛、肉体的な束縛から解き放たれて自由になることです。すなわち、霊性の自由を得ること、これが解脱であるわけです。そして、その結果、得られる境地が「涅槃」であるということになります。
【※四諦(苦・集・滅・道)の滅諦は、涅槃を意味しています】
【大川隆法『悟りの挑戦(下巻)』第3章「涅槃とは何か」より抜粋】
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【参考】
○煩悩の炎を鎮め、平安の境地に入れるか(涅槃寂静)
諸行無常、諸法無我という教えに続いて、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)という教えがあります。
あなたがたは、涅槃という言葉を、「この世を去った、あの世の世界のこと」と考えているかもしれません。そう、それもまた涅槃の世界―「涅槃界」であります。
しかし、釈迦仏教における涅槃とは、この世を去った、あの世における理想の世界のことのみを言うのではありません。そうであれば、生きている人間には、涅槃の世界というものは永遠に訪れないことになります。死後のみが、その世界であるならば、人間がこの地上に生まれてくること自体が間違いなのではないでしょうか。
しかし、人は繰り返し、繰り返しこの世に生まれてきます。そして、欲望の苦しみのなかで、「その苦から、いかに逃れるか」ということで、その苦と格闘し、浮きつ沈みつしながら人生を流れています。
そのなかにおいて、実在界におけるところの理想の世界を体現することができるでしょうか。身をもって知ることができるでしょうか。
それができたならば、それを「悟りを開いた」と称し、その悟りを開いた人間のことを「仏陀」というのです。
それは不可能なことではありません。ゴーダマ・シッダールタが仏陀となりえたがゆえに、二千五百数十年にわたる仏教の歴史はあったのです。
さすれば、その方法は、可能なるものであり、また、正しい方法に則って修行をするならば、教えが正しく説かれ、弘(ひろ)まり、人々に受け継がれ、体得され、実践されたならば、その法を伝えられた人々もまた、自ら修行をして、悟りの世界に入ることができるのです。それが伝道の持つ意味であり、大乗仏教の始まりでもあります。
では、涅槃の境地とは、いかなる境地でしょうか。
あなたがた一人ひとりは、肉体から発するところの、さまざまな悪しき精神作用に執(とら)われているはずです。それを「煩悩」と称します。
煩悩は、燃え盛る炎にも似て、自ら自身から炎を出して、自ら自身をその炎によって焼き尽くします。また、煩悩は、鉄から出た錆(さび)にもたとえられます。錆は、確かに鉄から生まれ、鉄そのものを滅ぼします。
同じように、煩悩は、みなさんの生きるエネルギーのなかから生まれてきたものでありますが、そのエネルギーを生んでいるところの、あなたがた自身をも滅ぼす性質を持っています。
この煩悩の炎を鎮めること、吹き消すこと、そこに現れたる平安の境地、平和の心、これが涅槃の境地です。
その涅槃の境地に入ることを「解脱」といいます。
【大川隆法『大川隆法 東京ドーム講演集』第10章「未来への選択」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第4章「悟りの極致」
7太陽界の悟り
如来界の悟りとは、人体的な人間感覚を超えた一即多、多即一の悟りであり、霊とは、仏の分光であり、形なきエネルギー体であり、姿なき知性であるということを悟得することなのです。そして、生きている人間の悟りとしては、この境地は、ほぼ限界に近い境地だといえます。地球霊団の霊界人口は、数百億人おりますが、八次元如来界人となると、わずか五百名足らずにすぎません。この事実をみても、如来の悟りというものが、いかに厳しいかがわかるでしょう。
如来の悟りとは、善悪二元を超えた、統一、止揚の段階に入った悟りです。【※弁証法でいう正―反―合の最終段階である統一(総合)の段階】ですから、単なる人生修行で自らを磨くだけでは不十分で、壮大な宇宙ドラマと、宇宙法則を理解し、体得するだけの明晰な理性と透徹した悟性が必要です。
かつて、日本に生まれている八次元如来界人としては、どういう方がいるでしょうか。神代の時代はさておくとして、大化の改新のころの聖徳太子がそうです。平安時代の僧侶、空海。昭和期にはいってからは、先ほどの西田幾多郎などがそうです。ここにあげた以外にも、あと数名はおります。
この八次元如来界には、五百人弱の如来がいるわけですが、そのなかで、約四段階ぐらいに分かれています。一番下の段階が、梵天界といわれている境涯の上位部分で、ここには、約四十名ぐらいの如来がおります。そのうえが、亜神霊界といわれる部分で、約百二十名。さらにその上が、光神霊界と呼ばれる部分で、約二百八十名。八次元如来界の最上段階が、狭義の太陽界です。広義の太陽界というと、九次元の宇宙界までもふくみますが、狭義の太陽界には、九次元と八次元の中間の約二十名ぐらいの大如来がおります。
この太陽界にいる大如来とは、どういう方々でしょうか。日本神道系では、神産巣日神(かむむすひのかみ)、キリスト教系では、アウグスチヌスやトマス・アキナス。道教の老子、墨教の墨子もこの太陽界の住人です。ギリシャ哲学のソクラテス、プラトンもここの住人です。仏教系では、阿閦(あしゅく)如来、薬師如来などがおります。回教のマホメットは、太陽界のひとつ下の光神霊界にいるようです。
さて、太陽界にいるこうした方がたに共通する「太陽界の悟り」とは、どういうものでしょうか。
それは、ひとことであらわすならば、もはや人間としての悟りではないということです。すなわち、個人が努力して悟れる境地ではなく、彼らには神格が与えられているということです。
この太陽界あたりからは、人間的修行で悟る段階とはいえず、大霊の仲間入りをしてくるのです。ほとんどの宗教ならば、根本神になりうる方々なのです。
彼らの悟りが、すでに、人間的悟りでないといいうる根拠は、どこにあるのか。つまり、地球人類の進化計画に直接タッチしているのです。九次元宇宙界の人々を助けながら、具体的に、地球上の文明の開化だとか、宗教の革新だとか、新しい時代の波などを計画、立案、遂行しているのは、主として、この太陽界の方がたなのです。
【※八次元如来界 最上段階=太陽界20名 光神霊界280名 亜神霊界120名 如来界最下層=梵天界40名 如来界では他の霊層に見られるようなピラミッド型の人口構造になっていないのが印象的です】
【大川隆法『太陽の法』第4章「悟りの極致」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。
人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第3章 六次元の世界
5永遠の旅人
進化ということを中心に六次元の話をしていますが、ここまで読んできて、多くの読者が気づくのは、「結局、人間というものは永遠の旅人なのだな」ということだろうと思います。
なかには、「進化、進化と、なぜそんなに進化を目指して努力しなくてはならないのか。あるがままでいいではないか」と考える人もいると思います。ある面から見れば、これも一理あります。
しかし、この考え方を霊的な面から具体的に検討してみると、必ずしも正論だとは言えないのです。なぜかといえば、本当の意味において、人間の生命は有限ではないからです。
もし人間の生命が百年や二百年でできては消えていくようなものならば、確かに、あるがままの人生でいいと言えるかもしれません。しかし、人間の本当の生命体というものは、何万年、何十万年、何千万年、さらには何億年にもわたって、生き通しの生命なのです。
そうした生き通しの生命が、あるがままでいいのであれば、魂は停滞してしまいます。しかも、長い年月にわたる停滞のなかにあっては、魂はほんとうの喜びを味わうことができないのです。つまり、退屈していくわけです。
百年、二百年なら同じことをしていてもいいかもしれませんが、永遠の時間というものを考えたとき、魂はフワフワと宙に浮かんでいるわけにはいきません。人間には個性があり意志がある以上、やはり、「何かをしておかねばならない」という気持ちがあるのです。
たとえば、会社勤めをしているサラリーマンのおおくは、「一日も早くサラリーマンをやめて、毎日、自由に暮らしたい」と思いつつ、定年まで生きていくわけですが、やっと定年を迎え、会社勤めがなくなると、今度は自由な時間である半面、する仕事がないので困ってしまいます。
たいていの人は、こうした状況のかなでは一年と持たないのです。仕事がなくなると一年も持ちません。そこで、何かしたくなって、再就職したり、自分の趣味に励んだりすることになります。
これは魂の本質にかかわることです。魂というものは本質的に勤勉にできているのであり、怠けるようにはできていないのです。だからこそ、ときどき、休みたくなり、さぼりたい気持にもなるのですが、そうした怠惰な気持ちでは長い年月を堪えられないようになっています。人間は、仕事をするように、働くようにできているのです。
すなわち、魂は本質において生産的であり創造的なのです。これが魂の性質です。「私は仕事がきらいだ」という人は多いのですが、そうした人たちから実際に仕事を奪ってみると、彼らはまた困るのです。そうしたものです。
このように、魂そのものの中に熱心に仕事をする勤勉さという面があるのですから、人間はやはり向上を目指していくしかないのです。不完全な仕事ばかりしていて満足できる人はいないのです。魂が満足し、やすからぎや喜びをえるためには、より完全な仕事を目指して努力していかねばなりません。
そうした意味において、魂というものは、あるいは人間の本質というものは、永遠の旅人なのです。それが実際であると言えます。
【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第3章「六次元の世界」より抜粋】
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本日も気の遠くなるような如来の悟りについて教えをいただきました。人間として得られる最高の悟りでありながら、同時に人間離れした悟りの世界です。たまた、如来界の霊人には、神格が与えられていると教えていただきました。
梵天界は八次元如来界の四段階あるなかの最初の階層です。まとめると、如来界は下の階層から梵天界【40名】→亜神霊界【120名】→光神霊界【280名】→(狭義の)太陽界【20名】という四つの霊層にて構成されています。
また、梵天界はどこからどこまでなのかという点は、同じく『太陽の法』の「観自在」の節で、このように説かれていました。
『観自在菩薩とは、人の名前ではありません。修行が進んで、観自在となった菩薩の境地のことを意味します。
菩薩とは、一応、自分づくりという「小乗」の段階を通過して、「大乗」、すなわち、衆生済度に立ち上がり、人々を救おうという気持ちになっている魂の段階です。とはいえ、この菩薩の境地にいたってもまだ、人間的な悩み、苦しみがあり、いつもいつも神通力(法力)を発揮できるような状態ではありません。しかし、菩薩の心境が進み、菩薩界上々段階の悟り、すなわち、梵天の境地であり、実在界では、菩薩界と如来界の中間、七次元とも八次元ともいえる霊域に達した魂のことをいうのです。
観自在菩薩は、インドの釈迦の時代には、アブァローキタ=スヴァラと呼ばれておりました。観世音菩薩も同義語です。六大神通力とは、天眼、天耳、他心、宿命、神足、漏尽の六つです』
とありますように、菩薩界最上段階で六大神通力という法力をえた修行者を梵天とされていますので、梵天の範囲は菩薩界最上階から如来界の最下層のあたりを指していることが分かります。七次元と八次元の間にあるのが梵天界です。
これは、六次元最上段階の阿羅漢と七次元菩薩界がはっきり分かれていることに比べると少し対照的ではないかと思いました。
特に印象的だったのが、
『如来の悟りとは、善悪二元を超えた、統一、止揚の段階に入った悟りです。ですから、単なる人生修行で自らを磨くだけでは不十分で、壮大な宇宙ドラマと、宇宙法則を理解し、体得するだけの明晰な理性と透徹した悟性が必要です』
という教えでした。もう如来の方々の悟りは善悪を越えているというので、相当大きな魂の器でなければ、理解できない世界になっていると思われます。このあたりは、小説『十字架の女―宇宙編』でも取り上げられていますので、参考にしたいところです。
ちなみに、『太陽の法』は2024年の第17刷の版から旧版では、太陽の界の霊人として記述のあった、天御中主神、天常立神、荘子、アポロン、が削除されています。旧版をお持ちの方は、是非最新の版に買い替えていただきますようにお願いいたします。
また、後半の『永遠の法』では、人間は永遠の旅人である。という教えを頂きました。旅の終着点は根本仏の胸のなかということです。そのために人間は永遠の修業をもとめられており、人間はそのために勤勉に働くことの喜びを私たちの魂に埋め込まれたということでした。
『もし人間の生命が百年や二百年でできては消えていくようなものならば、確かに、あるがままの人生でいいと言えるかもしれません。しかし、人間の本当の生命体というものは、何万年、何十万年、何千万年、さらには何億年にもわたって、生き通しの生命なのです。
そうした生き通しの生命が、あるがままでいいのであれば、魂は停滞してしまいます。しかも、長い年月にわたる停滞のなかにあっては、魂はほんとうの喜びを味わうことができないのです。つまり、退屈していくわけです。
百年、二百年なら同じことをしていてもいいかもしれませんが、永遠の時間というものを考えたとき、魂はフワフワと宙に浮かんでいるわけにはいきません。人間には個性があり意志がある以上、やはり、「何かをしておかねばならない」という気持ちがあるのです』
私達の魂には、仏と同じ性質が仏性として宿されており、その仏性は親なる種の下へと還るように定められています。だから、私たちは本質的に勤勉にできており、根本仏の下に還るために、正しき心の探究を経ながら悟りを得て、仏に近づく永遠の修行をしています。私たち仏子は永遠の師の下に還るために永遠の修行をしている永遠の弟子です。本日の引用ではこのようにありました。
『魂というものは本質的に勤勉にできているのであり、怠けるようにはできていないのです。・・・すなわち、魂は本質において生産的であり創造的なのです。これが魂の性質です。・・・
このように、魂そのものの中に熱心に仕事をする勤勉さという面があるのですから、人間はやはり向上を目指していくしかないのです。・・・
そうした意味において、魂というものは、あるいは人間の本質というものは、永遠の旅人なのです。それが実際であると言えます』
最後の部分がとても印象的でした。勤勉にコツコツ努力を重ねて、悟りを重ねて、魂の親であるエル・カンターレのもとに里帰りの旅を共にさせていただきましょう。今日も、光に向かって、その一歩を踏み出して。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。
エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。
【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。
■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】
■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える
■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする
信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え
戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。
これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史
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