(9/16-2)【阿羅漢への挑戦】259―77『仏陀再誕』を読む―仏神とは―「独立する精神の軌跡」失敗を打ち破る―『真説・八正道』霊的自己実現の具体例―希望通りの住まいを見つけた体験―『漏尽通力』学習の大切さ

『仏陀再誕』

84 黒竜は守護の大将、金竜は、仏宝護持のための財宝を護る使命がある。ただし地獄界にも悪魔が使用するものが一部あるので、注意が必要だ(中国)。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
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■何を祈るべきか

「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―

このように祈ることが大事です。

【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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はじめに、主のマインド・セットである人生観に迫るべく『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』より第二章の「独立する精神の軌跡」を共に学びます。この経典は現在、会内経典にて頒布されている『若き日のエル・カンターレ』【※旧題「平凡からの出発」】の講義としていただいたものです。会内経典『若き日のエル・カンターレ』は1万円目安で、全国の支部や精舎にて拝受可能です。是非拝受ください。これから共に学ぶ『人を愛し、人を生かし、人を許せ』は全国の書店、支部や精舎にて購入いただけますので、ぜひこの機会にお求めください。とても重要な教えが詰まっています。【税抜1500円】
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■『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』第2部「独立する精神の軌跡」
二 独立する精神
2 失敗を打ち破る

自分の失敗はもとより、他の人の失敗であっても、自分にかかわりのある世界において起きたことには、なんらかの教訓があります。この教訓を学び尽くすことが大事です。これは「常勝思考」の芽になる考え方です。

無責任に「自分の問題ではない」「自分の責任ではない」と思ったときには、何も教訓がありません。しかし、「自分にも関係がある」と思ったときには、失敗の原因は何だったのかを学ぶことができます。

結局、「偉大な人格とは、人生という名の小冊子から、より多くの教訓を読みとった人である」と言えるのです。

なぜ失敗が起きたか、なぜ間違いが起きたか、そのプロセスをつぶさに探究したならば、同じような過ちに陥らないようにしなくてはなりません。同じパターンに二度と陥らないための予防線を張っていくことが大事です。

この考え方を、魂の奥底までよく落としてください。ほとんどの不幸の原因と、その不幸を幸福に変える鍵は、この辺りにあるのです。

失敗や不幸を第三者の目でみると、同じ過ちを何度も繰り返しています。しかし、傍目には分かるのに、自分では分からないものなので、これを何とか自分でも分かるようにしなければなりません。

そして、「いつもの失敗パターンに陥っていくな」と気づいたときには、そこでブレーキを踏まなくてはならないのです。

たとえば、過去をふり返ってみて、「こうしたことを自分が言いはじめるときは、どのようなときか」という、自分の傾向性、パターンを分析するのです。そして、似たようなことを言いはじめたときには、「危ない」と思ってブレーキを踏まなければいけません。

ところが、たいていの人は同じ過ちを性懲(しょうこ)りもなく何度も繰り返します。特に強い失敗や挫折を経験すると、その兆候が現われただけで、結果が出たのとまったく同じようなってきます。

これは、くしゃみをしている人を見て「流感(りゅうかん)だ」と思うと、自分も急に悪寒が始まり、風邪をひいてしまうのと同じです。失敗というものは、しだいに条件反射的になってくるのです。

幸福になっていくためには、この部分をどうしても克服しなくてはなりません。自分の過去の失敗パターンを振り返り、「どのような兆候が出ると、自分はどう行動し、その結果、どうなるのか」ということを分析しなければないないのです。

そして、「また同じパターンに陥りはじめたな。危ない」と思ったときには、絶対にブレーキをかけなければいけません。そのときには、逆のこと、違った方法を考えるのです。そして、「よし、負けるものか。ここで負ければ、いつもと同じではないか」と思って踏ん張ることが大事です。

失敗のパターンは各人が必ず持っています。それを打ち破るのは自分自身の心です。「また失敗や挫折をするのではないか」「大事なところで人の機嫌を損ねるのではないか」などといった思いを持っていると、やはりそうなっていきます。しかし、心のなかでこれをパシッと断ち切ると、必ずよくなっていくのです。

対人関係においても、一度、失敗をすると、だれもが同じように見え、何か兆候があると、「また失敗するのではないか」「また厳しいことを言われるのではないか」という気持ちが起きてきます。

そのときには、「そんなことはない。人間はそれぞれの状況によって考え方が、違う。きのう私を怒った人であっても、きょうもまた怒るとは限らない。きょうはほめてくれるかもしれない」と思えばよいのです。

ところが、「きょうも怒られるだろうな」と思って、しっぽを巻いていると、また怒られるのです。そのくり返しです。

したがって、「一日一日、新生していくのだ」という気持ちを持たなければなりません。そう自分自身に説法する気持ちが大事なのです。

【大川隆法『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』第2部「独立する精神の軌跡」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第8章「正念」
6正念の実践
〇霊的自己実現の具体例―希望通りの住まいを見つけた体験

あまり抽象的な話をしても分かりにくいかもしれないので、もう少し具体的に希望実現について述べていきます。

私は、宗教家としてさまざまな分野について読書をし、勉強しているので、あるていど、本を置く場所がないと困るのです。そのため、幸福の科学をはじめた頃から、家が非常に手狭に感じていました。

一九八八年の八月ごろだったでしょうか。ある霊人が「君はしっかり働いているから、必ず大きな家に移してあげる」と言ってくれました。

その翌月ごろには、だいたい希望していたような大きさの家が見つかりました。それは、庭付きのかなり大きな家で、仕事にも都合がよい場所にあっため、「これはいい」と小躍りしたのです。

ところが、話がある程度進んだ段階で、相手側から「困る」と言ってきたのです。なぜ困るかということについてははっきり言わないのですが、「調査した結果、どうやら、何だか恐ろしそうな団体の主宰者ではないか」ということが原因のようでした。それなら、やむをえません。こういうことで強引に押し込んで取り上げてもしかたがいないし、天上界のほうで家を探してくれても、地上の人の自由意志もあるので、「どうも、そういう団体は恐ろしそうだ」と思われたらそれまでです。ですから、私はあっさりと、「ああ、そうですか。また次が出るでしょう」と思い直したわけです。

そうすると、さらに翌月ごろになると、次の候補が一軒出てきました。今度は、以前紹介されたものよりも、場所的によいところが出てきたのです。

私は、夜に考えごとをしたり、瞑想をしたりするので、風景がよいところが好きなのですが、その家は大きな公園の近所だったのです。それで、内見に行ったときに、「これはいい」と思ったわけです。

そこは、二棟続きの家でした。おそらく、一棟丸ごとでは広すぎて借り手がないと思ったのでしょう。真ん中を仕切って二軒で貸すつもりでいたようなのです。裏には、木が生えている庭がありましたし、近くには大きな公園があったので、「これは実によい」と喜び勇んで話を進めていきました。

しかし、家主が大変で、某国立大学の応用物理か何かの教授で、いわゆる唯物論の最先端を行っている人だったのです。そして、面談とやらを受け、多少、話をしたのですが、向こうは理学博士で、霊など少しも信じていない人だったので、どうも、つれない反応で、色よくなかったのです。ですから、「ああ、やはり、これは駄目だな」と思っていたのです。

しかし、翌月の半ばごろになると、さらに次の候補が出てきたのです。

私は、その二、三日前にダイヤモンドがたくさんついている三角形の家の夢を見たのですが、その後、また話がきたわけです。

それは、ガラス張りに近いような家で、今までのなかでは一番良かったのです。大きいし、庭もあるし、公園も近いし、そして、何よりも家賃が安かったので、驚きました。おそらく、今まで見たところの半額ぐらいの家賃だったのです。

そして、家のなかには蔵書が一万五千冊程度置けるぐらいの作り付けの本棚をだいぶ作ましたが(約三十年前当時※1990年頃)、これもだいたい私の希望どおりになりました。

この期間が約二か月です。九月から探し始めて十一月に決まったので、二ヵ月ほどズレました。

その家を契約した後、一ヵ月ほどたってから、先ほどの某国立大学の教授が「借りてくれ!」と言ってきたのです。「いろいろと調査した結果、実に本がよく売れているようなので、それなら貸してみたくなった」というのですが、「よく言うなあ、もう遅いよ」と思いました。向こうは商売気を出して「家賃をグッと安くするから、借りてくれ」と言ってきたわけですが、後の祭りです。

実際に借りたところのほうが値段も安いし、広いし、大きかったのです。二棟続きの家を借りたら、片方を書庫にしようと考えていのですが、それでは不便だったと思いますし、あとから見つけた家の方がもっと便利になりました。まことに不思議ですが、こういうこともあるのです。

某大学の教授は、「しまった、しまった。失礼した」などと言っていたのですが、私はそのようになると思っていました。

私が教授と会ったときに、「この人は『毎日新聞』をとっている」と霊感でわかったのです。そして、十二月には「毎日新聞」に私の本の「百人十万部突破!」という広告が五段抜きで四本出たので、「それを見たら、『貸す』と言うだろうな」と思っていました。

これは、十一月に出すはずだった広告が一ヵ月ほど遅れたのです。この広告が十一月に出ていたら本当は、私はその家を借りられたのです。しかし、編集部の手落ちで一ヵ月も遅れたので借りられなかたわけです。こういうこともあります。

結果的には、その次にもっとよいところに移れたので、それは借りなくてよかったということです。

現在は、教団施設として『大悟館』その他の教祖殿が建設されている。

【大川隆法『真説・八正道』第8章「正念」271pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第7章 信仰と仏国土建設への道 

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
さて、いよいよ信仰について語るとしよう。

○仏神とは
あなたがたの多くは、信仰心を持っているであろう。
しかし、その信仰心がいったい何であるか、
十分につかみきっているだろうか。
もちろん、信仰には仏神へと向かう大きな念(おも)いが入っている。
これなくしての信仰ということはないであろう。
しかし、あなたがたは、
信仰する対象としての仏神とは、
いったい何であるかが、わかるだろうか。
これが世界各地の宗教において、さまざまに岐(わか)れており、
さまざまな名で神を名乗っているために、
さて、何を信じたらよいものやら、
わからなくなっているのが現状であると思う。

しかし、諸々の比丘、比丘尼たちよ。
それはやむを得ない面もあると思うのだ。
なぜならば、
大宇宙の大霊ともいうべき仏は、遥かに大きく偉大なものなのだ。
そして、人間の理解を超えているのだ。
あなたがたの理想できる仏神は、
あくまでも、あなたがたの肉体、
あなたがたの霊知識、
あなたがたの知覚を通して感じ取るところの霊でしかないのだ。
しかしながら、
あなたがたの認識を遥かに超えた世界があるということは
わかるであろう。
そのように、あなたがたの認識を超えた力があるということだ。
その力とは、叡智を含んでいる。
その力は、光を含んでいる。
その力は、愛を含んでいる。
その力は、慈悲に満ちている。
その力は、建設的な念いで満ちている。
その力は、美しい調和に満ちている。
すべての善きものと思われるものを総合した力、
それを仏の力というのだ。

あなたがたは、また、
仏と神の違いがわからずにいることも多いであろう。
あえて、その違いを説く必要もないという考えもあるであろう。
仏教的には仏といい、
またそれ以外の宗教、キリスト教や、あるいは日本神道などで、
神という概念があるように思われているかもしれない。
ただ、これだけは言っておかねばならん。
仏とか神とか称されているもののなかには、
いわゆる高級霊としての仏神、
人格神としての仏神が存在するということは事実だ。
仏と呼んでも、神と呼んでも、高級霊を称していることも事実だ。
しかしながら、高級霊を超えるものがあることも事実なのだ。
高級霊というものは、
少なくともかつて地上で肉体を持ったことのある方、
そういう方だと言える。
しかし、この天地を創り、大宇宙を創った仏が、
小さな人間の肉体に宿って、
魂修行をするということはないと思ってよいだろう。
その意味において、人間の人格というものを遥かに超えた、
大きな意識があるということは、真実なのだ。

こうした言い方は、ある意味で、
あなたがたの、信ずるという力を弱めるかもしれない。
しかし、よくよく聞いてほしい。
真実を知るということは、それは力に満ちてゆく行為なのだ。
真実を知ることによって、確信はいっそう強まり、
さらに大いなる帰依の精神というものが出てくるのだ。

【大川隆法『仏陀再誕』第7章「信仰と仏国土建設への道」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力』
第5章 仏法真理と学習
1 学習の大切さ

私たちは、今、「幸福の科学」というところで、「仏法真理の探究、学習」ということを非常に大切なものとして考えています。そして、私自身の考えとしても、「仏法真理の探究あってこその学習であり、学習あってこその伝道である。『探究・学習・伝道』というこの順序を間違えたときに、仏法真理の普及は道を誤るのである」という話をしています。「探究・学習・伝道」の三段階的な考え方、これが非常に大事である」と言っているのです。

ただ、探究するという姿勢は、個人個人の立場から探究するということも可能ですが、主として宗教的指導者の仕事であろうかと思います。あとは、その探究結果をどのように学習していくか、ここに重点があるわけです。この意味において、「学習の大切さ」ということが強調されるわけです。

では、なぜ、仏法真理の学習が大切なのでしょうか。私はこの点について、さらに詳しく話をしていきたいと思います。

仏法真理の学習が大切であるというのは、実は「深い判断の基準」となるからです。人間は生れ落ちてから成人するまでの間に、自分が学校で学んだこと、あるいは、友人から学んだこと、両親から学んだこと、こうしたものでもって、「認識と判断の基礎部分、基底部分」がほとんどできているのであって、これ以外からの吸収ということは、非常に少ないのです。また、彼らの常識、知識というものも、極めてこの世的なるものであることが多いと思います。

こうしてみると、一段と高い見地に立った仏法真理というものを彼らが知っている可能性は非常に少ないわけです。幸いにして、両親が深い宗教的環境に育っていたり、現にそういう職業に就いていたり、そういう趣味を持っていたりすることもあるでしょうが、たいていの場合はそうではありません。

この意味において、「仏法真理」というものは新たに学習しなければ、その本質を知ることができない。つかむことができない」ということが言えると思います。

では、なぜ、仏法真理そのものに、そうした学習対象としての値打ちがあるのでしょうか。これについて話をしてみましょう。

それは、仏法真理は、三つの真理を人間に与えるからだと言えます。神仏の理が、真の理を三つ教えてくれるからです。

その真の理とはいったい何であるかというと、第一が、「人間とは何か」ということへの答えです。「人間とは何か。人間とは何者であるのか」、これは永遠のテーマ、課題です。そして、多くの文学や芸術、哲学、思想というものは、「人間とは何か」というテーマを追求してきたのです。また、そうした文学部系統、あるいは、文科系統の学問のみならず、医学にしても、生物学にしても、科学にしても、やはり、「人間とは何か」というものを探究している学問と言えるかもしれません。

この「人間とは何か。いったい何者なのか」という根源的な問いは、古来止むことなく、また、古来、解決されたこともありませんでした。「こうした根源の問いに答える」といういみでの仏法真理が必要なわけです。

「人間とは何かを知る」ということは、ある意味においては、「人生とは何かを解読する」ということです。「偶然にただ生きているのか。人間とは、本当に投げ出された存在であって、ただ偶然に、漫然として生きているのかどうか」ということを、今、問われているわけです。その「人間とは何かを知る」ということが、結局、人生の謎を解く鍵となってきます。人間の本質を知るときに、人生が見えてきます。人間を離れての人生はないということです。

このように、「人間とは何か」という問いに対して総合的に答えてくれるもの、それが仏法真理です。

第二に、仏法真理そのものの値打ち、学習の対象としての存在意義は、結局のところ、「方向性を与える」ということです。北極星があるから、「北がどちらにあるか」ということが人間には分かります。北極星があるから、衆星相集いて北を指して並んでいるのであって、北極星がなければ北がなかなかわかりません。

このように、「どの方向に向かっていくのが真の人間にとっての発展であり、繁栄であるのか、向上であるのか」を教えてもらわなければ、永遠に分からないわけです。

「真に人間にとっての向上とは何なのか」を知ったとき、向上と思っていたものが、実は堕落であったということはあるわけです。

例えば、ある女性同士が「女性の地位の向上だ」と思って闘っていることが、実は人間性の堕落につながるというようなこともないわけではありません。それがもし、本来の人間性の理解に誤りがあって、人間性に反するような行動を取っているなら、そうしたこともあるということです。

このように、仏法真理というものは、「人間の向かうべき方向性、あるいは目標を教えてくれる」という大切な指標を意味しています。これがなければ、人々は「人生」という名の旅を歩んでいくことができないのです。そうではないでしょうか。あてどもなく放浪するということも可能かもしれないし、芸術的な人にとってはそういう旅もあるでしょうが、たいていの人間にとっては、あてどない旅というものは許しがたいものです。

やはり、旅には「目的地」が要ります。旅の目的が必要です。そして、いつごろ旅に出て、いつごろ帰ってくるのかという、この旅行日程が要るものです。それが旅です。「旅をする以上は目的地が要る。目的の方向が要る」ということです。この方向性を与えるものとしての仏法真理が、非常に大事なわけです。

仏法真理の三番目の本質、「なぜ仏法真理の学習が大切か」という三番目の答えは、結局のところ、「幸福の増進」ということになるでしょう。お互いがそれぞれ「自分によかれ」と思って人間は生きているわけですが、「自分によかれ」と思って生きていることが、結局のところ、お互いを傷つけ合ったり、歪め合ったり、苦しめ合ったりすることはよくあるわけです。

こうしてみると、人間は、「いったい、どういう生き方をすれば幸福となっていくのか」、あるいは、「どのような行動様式をとれば、”幸福の空間”が広がっていくのか」ということを問われているわけです。どのように生きていけば、その場が”幸福空間”となっていくのかということです。

Aという人と、Bという人と、Cという人とがいるとします。彼らは個人個人で幸福に生きようとして努力しているのですが、具体的には、この三人がそれぞれ幸福を求めると、お互いに傷つけ合うことになってしまうことがあります。「では、この三人はどのように生きれば、全体が幸福となっていくのか」といった「協調の方法」を教えるのも、また仏法真理の役割です。

二番目に、「向上の方法、方向性というものを教えるのが仏法真理だ」と言いましたが、三番目は「横の広がり」では。そうした広がり、空間をつくっていくのも、また仏法真理のあり方です。「どのようにして個人の幸福のみならず、全体の幸福をも増進させていくのか」という問い、課題に答えていかなければなりません。なぜならば、幸福とは、すべての人間が求めているものでもあるからです。

結局、仏法真理の学習の大切さは、その根拠を三点に持つわけです。第一は、「人間とは何か」という問いに答えるためです。第二は、「向かうべき方向」を教えるためです。第三は、「幸福の根拠」を示すため、あるいは、「幸福な生き方」を教えるためです。主として、こうしたことでしょう。このように、「人間」「向上」「幸福」という三つの言葉が仏法真理学習のためのキーワードとなるわけです。

【大川隆法 『漏尽通力』第5章「仏法真理と学習」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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23 この世に異性が存在したことに感謝しよう。 
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き

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