(12/18-2)81『仏陀再誕』を読む―信仰と仏国土建設への道―百パーセントの信仰―高級霊への関心

『仏陀再誕』を読む

90 それが狐の霊の場合もあるが、救われたくて集まっている霊体であることもあるだろう。何百人もの祈願や感謝の念を受け取った存在は、霊力を増し、それが一種の妖力を増したのだと思う。それはここ三千年は続いている。【※前回の論点の続き】

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

15 血の池地獄で試されているのは、「お前の本質は、人間か、それとも動物か。」ということである。

14 血の池地獄は、初級者の地獄である。ここから出られない人は、性犯罪者として悪質な者である。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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7「待ちの間」の蓄積【正念】
〇自己否定的な思いを止め、「明るい心」を持てば道は開ける

したがって、繰り返し出てくる自分の念いのなかに、「自己否定的なものがないか」「自己処罰的なものがないか」「他人を悪人視するような見方がないか」「他人を害したい気持ちがないか」というようなことを、まずチェックしてください。

「明るい心」を持っていなければ、絶対に道は開けないのです。「自分は駄目な人間だ」「自分は本当に頭が悪い」「自分は過去に悪いことばかりしてきた」「自分は本当に失敗ばかりする」「自分は見てくれも悪い。頭も悪い。何もかも悪い。もうどうしようもない」などと思っているのであれば、幸福になどなるはずもありません。やはり、そういう思いを止めて、もっと明るいものを入れていくべきです。

「自分も神様に愛されているんだ。これほど幸福の科学で勉強しているのに、不幸になるはずがない。もうちょっとの辛抱だ。頑張ってみよう」と思うことができれば、必ず、道は開けていくわけです。個々の頑張りどころが大事です。

心のなかに入っているもの、詰まっているものを、「明るい心」に入れ替えていかなければなりません。

また、他人を憎んで幸福になることは、絶対にありません。他人を憎んだり、悔しく思ったり、妬(ねた)んだり、嫉(そね)んだりして、幸福になることは絶対にないので、これは努力して捨てることです。

【大川隆法『真説・八正道』第八章「正念」281pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

エル・カンターレ祭は、7月の御生誕祭と並んで幸福の科学の二大祭典です。22日(日)までエル・カンターレ祭を10時、13時、19時にて連日開催いたします。皆さまご参集ください。

主に心から今年一年の慈悲と知恵とご指導へと感謝と、さらなる報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

エル・カンターレ祭では、大宇宙を創り、生きとし生ける者を創り出され、永遠の愛を与え続けておられる「創造主の愛への感謝」を深め、主 
大川隆法総裁先生より、この一年間に賜った数々の御慈悲を振り返り、心からの感謝・報恩の念いを捧げさせていただきます。そして、大川隆法総裁先生のご復活を心より祈念し、全世界の信者一同で、エル・カンターレ祭版「復活の祈り」を執り行います。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第七章 信仰と仏国土建設への道 
○百パーセントの信仰

このように、地上に降りたる仏陀への帰依の姿勢があってこそ、
はじめて法というものは説かれてくるのだ。
仏陀への帰依の姿勢なくば、真実の法は説かれない。
疑いのなかで真実の法は説かれない。
疑いのなかに広がるものは悪魔の領域である。
悪魔はいつの時代も、人びとの疑いのなかに入り込み、
人びとの疑いのなかに入って、お互いの意見を合わせなくする。
お互いにわけのわからないことを言わせ、仲たがいをさせ、
そして、引き裂いてゆく。
信仰を引き裂こうとする。
信ずるものの心をかき乱そうとしてゆく。
しかし、人びとよ。決して迷ってはならない。
決して迷ってはならない。
自分の小さな頭で何がわかるか。
自分の小さな頭で、理解したところで、いったい何がわかるか。
小賢(こざか)しい知恵で何がわかるか。
なにゆえに、そのような小さな頭で、
なにゆえに、そのような小さな知恵で、
仏陀の叡智をはかることができるか。
仏陀を送りたもうた人格大霊の意図を見抜くことができるか。
自らの小ささをあざ笑うがよい。
自らの小ささを卑下(ひげ)するがよい。
そのような立場に、今、自分がないということを知るがよい。
疑いは、これは悪魔の心。
猜疑(さいぎ)もまた悪魔の心。
恐怖もまた悪魔の心。
このような心をもって探求とは言わない。
仏法真理を学ぶ者には、探求の姿勢が大事だ。
探求の姿勢とは、猜疑の姿勢ではない。
探求心とは、猜疑心ではなく、疑念の心でもない。
そのような心が起きた時、
もはや修行の途上にはないと言わざるをえない。
そのような時、その者はもはや修行者とは言われない。

修行者たちよ。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
もし、そなたがたのなかに、信仰にて迷いがあるならば、
静かに群れを離れて、心穏やかになるを待て、
その時を待て。
決して、何も批判を口にしてはならない。
静かに自らの心を平らかにして、過去の人生をふり返れ。
そして、自分がどれほど多くの光を、多くの愛を、
与えられてきたかということを感謝せよ。
そのことを感謝せずして、みだりに疑いをはさみ、
みだりに人の心を迷わせてはならない。
そのような心と行為は、
最も地獄に近いところにあるということを知らなければならない。
もし、四十年間仏陀に仕え、
その法をよく護持し、人びとを導くとも、
最後の一年において、仏陀のほうを疑い、これを攪乱し、
そして人々の心を迷わしたとするならば、
その者、必ずや地獄に堕ちん。
そのようなものである。
信仰とは、百パーセントの信仰にして、
九十九パーセントの信仰はありえないのだ。
九十九パーセントの信仰はゼロに等しい。
信仰は、百パーセントを求める。
それは、仏はすべてであるからだ。
仏はすべてであるからこそ、百パーセント信じなければ、
すべてを得ることはできない。
たとえ、九十九年の人生を信仰に生きても、
最後の一年において、間違いたる唯物論者となって生きたならば、
その者、必ずやまた地獄に堕ちん。
かくのごとき厳しきものがあるということを、知らねばならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第七章「信仰と仏国土建設への道」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第五章 仏法真理と学習
5 高級霊への関心

この「仏法真理と学習」という本章の課題の一つとして、私は、「高級霊への関心」ということを挙げておきたいと思います。

本章以外でも、さまざまな書物で、私は高級霊の言葉を伝えてきました。それをあるときは「霊言」と呼び、あるときは「霊訓」と呼び、あるときは「霊示」と呼んでいますが、本質は同じです。高級霊からの通信を明らかにしているわけです。

では、なぜ、そういうことをしているのでしょか。この点について、話をしておきたいと思います。

「イエス・キリストが出た」とか、「モーセが出た」とか、いろいろな者が出たということで通信を公にしていますが、これらは決して、私が「自分が偉い」ということを示さんがためにやっているのではないのです。そうしたことは、結局、多くの読者の皆さんに「高級霊の本質とはいったい何か」ということを知ってもらいたいためにやっているのです。なぜ、高級霊の本質とは何かを知っていただきたいかというと、それはそこに、みなさんの「人生の理想」というものがあるからです。これが大事なのです。

人間は、手本となるべき人が欲しいのです。先生となるべき人が欲しいのです。この世の人間には、やはり限界があります。この世には完全無欠な人はいません。完全無欠な人格の人もいません。また、完全に生き切った人間もいません。しかし、あの世の世界のなかには、限りなく神や仏に近い人たちがいることは事実です。それも、この世的なる誘惑や欲望を断ち切って魂としてキラキラとした光を放っている高級神霊たちが数多くいるのは事実です。

われらが三次元にあって、この地上世界にあって目標とするものも、結局、「肉体の束縛、物質の束縛のなかにいて、そうした高級諸霊にどのように近づいていくのか」ということであろうと思います。これが、結局のところ、人生を向上させる秘訣であるし、幸福の源泉でもあろうと思うのです。

私が数多く高級霊の言葉を紹介している理由も、彼らが幸福そのものであるからです。高級霊たちは幸福そのものなのです。自分の個性のままに生きて、幸福そのもので生きているのです。この事実が、非常に大きな手本となるであろうと思います。「高級霊であって不幸である」というような人はいないのです。

高級霊が高級霊である理由は、結局、「神近き幸福、仏近き幸福を享受している」ということであろうと思います。そして、その幸福の源泉は「悟り」という名の幸福であると思うのです。「悟っている」ということが、彼らの幸福の源であるわけです。

このように、高級霊への関心を増すということは、人間の幸福の源泉でもあろうかと思います。結局、仏法真理を学習するといっても、高級霊たちの考え方、神仏そのものの考えは私たちには分からないかもしれませんが、「神近き人たち、仏近き人たちの考え方を学ぶことによって、どれだけそうした人たちに近づいていくか、どれだけ神仏に近づいていくか」ということが大事なのではないかと思います。

したがって、霊言集などの学習の目標も、単に知力を磨くということではなく、そうした偉大な魂たち、魂の持ち主たちの考え方を学ぶということなのです。「どのように考え方を学んでいくか。どのように理解していくか。それによって、どれだけ自分の魂の糧にしていくか」ということが大事だろうと思います。人間は、生まれつき持っている知識というものがありますが、やはり、先生というもの、教師というものがいて、そこから学ぶことによって啓発されるのです。

独習というもの、独学というものがあります。それによって、学問を修めた方は立派でしょう。あるいは、立志伝中の人物かもしれません。ただ、立志伝中の人物が敬われるのは、まれなケースであるからです。

たいていの場合、八割、九割の人にとっては、正しい導き手、正しい先生がいることによって学習というものは進んでいくのです。もし、学校というものがなく、教師というものがいなくて、生まれ落ちた赤ん坊は自らすべての知識を得なければいけないとなると、これは大変なことです。ほとんど不可能に近いでしょう。やはり、教師というものがいて手短に教えてくれるからこそ、多くの人たちはその知識を吸収し、人類の遺産を受け継いでいけるのではないでしょうか。

そうであるならば、高級霊たちがすでに叡智として持っている思想や心情、考え方を私たちは吸収し、血とし肉とし骨とすることによって、より大いなる「魂の進化」がありえるのではないでしょうか。彼らの学んだことに、さらに一歩付け加えることができるのではないでしょうか。

このように、「仏法真理と学習」というテーマを取ってみると、「高級霊への関心ということは非常に重要なテーマだし、そうした関心を持てば持つほど、それは自分の向上を意味し、自分の幸福感の増大を意味する」ということが言えると思います。

【大川隆法 『漏尽通力』第5章「仏法真理と学習」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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