(9/29-2)91『真説・八正道』を読む―総論―八正道の現代的意義―漏尽通力と観自在力

『真説八正道』を読む

〇最後に、「おかめ」あるいは、「お多福」と呼ばれる妖怪についても書いておこう。下ぶくれした、おメン顔をした女性妖怪である。その本質は、「本質を悟られないこと」にある。おそらく妖怪の総大将を張る大天狗をも超える霊力を持っている。

〇妖怪「お多福」は、一見幸福を呼ぶものである。しかし、仏教的に心をコントロールするのではなく、「コントロールすれば、心は何とでも見せられる」と考えている。この点、妖怪の中心部分に存在すると思われる。人間とは「お面をつけていきている存在」だと考えているのだ。形にとらわれ、外見や所作が美しければ、心も美しいと考える。心が美しければ、外見も所作も美しくなるとは考えない。ここに本質的な妖怪性があるが、常人には見抜くことは不可能なので、その存在だけは伝えておく、例えれば、国民的俳優や有名歌手の「心」は読めますか、という公案だ。それが読めないため、この世的には大変人気が出ることもある。実例は挙げないこととする。

心の勉強には限りはないのだ。

二〇二三年 二月一三日 
幸福の科学創始者兼総裁 大川隆法

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

1 信仰心なき者に、良き未来はない。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】

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〇大乗仏教の中心は六波羅蜜多―⑥般若波羅蜜多(パンニャー・パーラミター)
智慧の完成です。この智慧こそ、釈迦の教えの中核であり、釈迦の光は、黄金色に輝く知性の光線なのです。すなわち、釈迦は知性的に法の全体像、体系を説くことを使命としている光の指導霊だからです。実在界の智慧の宝庫の扉を開く鍵を持っているのは釈迦なのです。

【大川隆法『黄金の法』より抜粋】
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○般若波羅蜜多
六波羅蜜多の最後の徳目は、「般若波羅蜜多」です。
「般若(はんにゃ)」という言葉は、『般若心経』などによって有名ですが、これは「智慧」という意味です。それも単なる知識的な知恵ではなく、深いところから出てくる叡智のことなのです。

これは「般若の智慧」ともいわれています。深いところから、こんこんと智慧があふれ出てくるさま、湧き出て止まらないさまが、真の智者の姿です。般若の智慧を得る段階に至ると、この世的なる学問や経験は、砂と砂金にふるい分けられ、砂金のみが一層光の輝きを増すのです。

人格が完成して、ある程度の人物、偉人となるためには、確かに、数多くの読書や経験を経ることが必要であり、そうして得た知識や経験は珠玉のごとく輝いています。

しかし、そうした知識や経験も、般若の智慧が出てきたときには、もはや光を失っていくように見えます。それほど、般若の智慧は偉大なものなのです。というのは、心の窓を開かなければ、般若の智慧の智慧に至ることは決してできないからです。

八正道を中心にして、みずからの心を正していくと、やがて心の窓が開き、みずからの守護霊・指導霊たちは、地上の人間をはるかにしのぐ智慧を出す力があります。なぜなら、実在世界においては、それぞれの霊たちが、過去世で経験したことや学んだことをすべて持っているからです。

地上においては、表面意識はわずか一割程度になり、残りの九割近くは潜在化しています。しかし、霊的世界においては、反対に、潜在化していた九割の部分、すなわち過去世の知識の部分が表面意識として顕在化し、地上に生きていたときの意識が、残りの一割として潜在化していくことが多いのです。
したがって、比率だけを見ると、霊人は地上の人間の約九倍の智慧を持っていることになります。これが霊人の本質です。同じ霊格であっても、地上に下りている人間の智慧と比較して、霊人は約九倍の智慧を持っているのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」から抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、この世へ執着と煩悩を断つ方法として『漏尽通力』を共に学びます。経典をお持ちでない方は、ぜひお求めください。【1700円税抜】

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第10章 総論―八正道の現代的意義 
何のための「真説・八正道」なのか

最後に、総論として、反省法全体を通しての締めくくりをしておきたいと思います。

「何のための『真説・八正道』なのか。いったい何のために、この『真説・八正道』はあるのか」ということです。それを三点、挙げておきたいと思います。

①八正道の現代社会への適応
「真説・八正道」の生きの第一点は、釈尊が説いた「八正道」は、二千数百年の歳月のなかに埋もれてしまって、現在、その正しい精神が伝わっていないということです。仏教学者によってさまざまに解釈されたに止まっていて、「いったい、どのように八正道を使えばよいのか」「その真意がどこにあったのか」ということが分からないままになっていたのです。

それゆえに、今、この「人類の秘宝」ともいえる八正道を、現代の社会に適応させるかたちで、また、実用性を加えるかたちで説いたということです。八正道は、決して、みなさんが使えない内容ではないはずです。それを明らかに説いたところに、「真説・八正道」の第一の意義があります。

②修行目標としての八正道
「真説・八正道」の意義の第二点は、みなさんに明確な「修行の目標」を与えたということです。

「悟り」という言葉のニュアンス、および、解釈は各人違っているかもしれませんが、この「悟り」というものに関しては限界がありません。「これで悟った」ということはないのです。「悟りの入り口に立つ」ということ、また、「悟りを、ある程度、維持する」ということはあっても、悟ったかどうかは、あの世に還ってみないことにはわかりません。生きている間中、修行は続くのです。

したがって、「自分はもう充分だ」と思ったときに、それが転落の始まりとなります。心境がある程度のレベルまで来ても、その後はさまざまです。さらに向上していく人、現状維持で止まる人、心境が下がってくる人など、さまざまな人がいます。その人の一年というものを取り出して輪切りにすると、やはり、進んだところ、後退したところがあるのです。

そういう意味では、現時点において、ある程度の心境に達している人も、「一ヵ月後にその心境にいる」ということを意味しないし、一年後は、なおさら測りがたいものです。

そのために、幸福の科学でも、試験制度などによって、ある程度「悟り」を測っていますが、これは決して誤解してはなりません。”その時点においての実力と心境”はあるかもしれませんが、それは条件が変わってきたときに、明らかに違ってくるのです。

その人に、いろいろな事件が起きてくるでしょう。いろいろな人生模様が展開してくるでしょう。そのときに、まったく同じ状態でいられるかどうかは、まだまだ、それからの修行の問題です。そのつど、そうした事件や出来事を乗り越えていくために、「真説・八正道」が与えられているのです。一度悟って、それで終わりではないのです。

したがって、「いろいろな環境の変化のなかにおいて、この真説・八正道を使って、そのつど、自分の心の曇り、垢を落としていく」ということ、そして、「正念」で語ったように、「正しい未来に向けての自己実現をしていく」ということが非常に大事なのです。やはり、その人の立場や役割に応じた現象がさまざまに起きてくるのでその中で自分の心境を維持するための全力の戦いを続けていかなければなりません。


その意味で、この「真説・八正道」の修行は、今世の修行を終えるまで、死ぬまで「終わり」ということはないし、おそらく、来世でも続くでしょう。かたちは多少変わるでしょうが、この修行は来世でも続くこととなります。

③ユートピアの原理としての八正道
「真説・八正道」の意義の第三点は、実は、「ユートピアの原理そのものである」ということです。

わたしは、ユートピアの原理を、「小さなユートピアから大きなユートピアへ」「私的ユートピアから公的ユートピアへ」という言葉で、さまざまなところで語っています。その意味は、どこにあるのでしょうか。

まず、ユートピアというのは、「心の世界」と「この人間世界、地上世界という外界」の二つの世界から成り立っています。そして、「小さなユートピア」「個人のユートピア」はどこから始まるかというと、実は、みずからの心を支配し、「心の王国」を守り抜くことから始まっていくのです。

したがって、そのために、この真説・八正道によって、各人が自らの心をユートピア化していくことこそが、「外の世界に光を点灯していくこと」にほかならないわけです。

はるかなる上空から霊的な目で見たならば、この八正道によって目の鱗を落とし、神仏の光を得ている人たちは、ちょうど、”ロウソクの炎”のようにも、”灯台の光”のようにも見えます。それは、神仏の火が、一点一点、いろいろなところから灯ってくる姿であり、「上空から見た夜景に似ている」とも言えましょう。闇に沈んだように見えた町に、一つひとつ、光が灯っていく姿でもあるわけです。

そして、これが「すべての始まり」であるということです。この「各人の心をユートピア化していくこと」から、「世界のユートピア化」は始まるのです。

これなくして、理想を一挙に実現することもできなければ、政治改革も経済改革も宗教改革もありえません。制度的なものや環境的なものに騙されてはならないし、「〇〇のような人が来れば、そうなる」とは、「□□のような環境が出れば幸福になる」とか、そのようなものではないということです。

○「悟り」という名の本当の幸福をつかむための「自己変革」
それぞれの環境において、それぞれの課題や問題を背負いながら、光を灯すことです。そして、その光を灯す方法こそが「真説・八正道」であるということを知っていただきたいのです。この真説・八正道によって、人々に、自らの”ロウソクの芯””ランプの芯”に光を灯していただきたいと思います。

そうした光を灯すのは、一人ひとりの仕事です。ランプに火をつけるのは、各人の仕事なのです。私は火のつけ方はお教えしますが、火をつけるのはあなた自身であるわけです。火がつかなければ、それはつけようとしていないからではないでしょうか。

この「火をつける」ということが、「自己変革」ということです。「自分を変えていこう。自分の心を、より神様仏様の心に近い方向に向けていこう」という気持ちのない人は、幸福の科学に来ていただきたくないのです。

そのような人のために、私は幸福の科学を運営しているのではないからです。幸福の科学は正しい道を示し、「その方向についていきなさい」と言っていますが、やはり、その内容において、”ランプの芯に火をつけ、光を灯す”のは、それを志す一人ひとりの人に自分でやっていただきたいと思います。

それが、その人の、「悟り」という名の本当の幸福でもあるからです。

【大川隆法『真説・八正道』第十章「総論」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第七章 『漏尽通力』講義
4 漏尽通力と観自在力

さらに次なるテーマとして、「漏尽通力と観自在力」について話をしておきたいと思います。本書『漏尽通力』のなかでも、「観自在能力」ということで説明が入っています。この観自在力については、また時を改めて一冊のテーマとして書物をつくりたいと考えています。

では、現代における漏尽通力と観自在力の関係をどう考えるのか、どのように理解すればよいのかということについて、私の見解を明らかにしておきたいと思います。

それは、観自在力と漏尽通力は、「内に向かうベクトル」と「外に向かうベクトル」という相反するベクトルを意味すると同時に、両者のベクトルのつり合いを取れることが人間性の安定感となっているということです。

これがどういう意味を持っているのでしょうか。霊的能力が開発され、発展していくにつれて、さまざまなことが分かるようになっていきます。人の気持ちはもちろんのこと、実在界の諸霊の姿や考え方、あるいは現実に自分の周りにはない世界が見えてきたり、また過去の事実が分かったり、未来のことについてある程度の予知ができたりと、さまざまな現象が起きてきます。さらに、拍車をかければ、どんどんどんどんと進んでいくことになります。

この「現実に立つ自分」という肉身のわれを考えたときに、観自在能力が巨大化することによって、人格のバランスを崩すことにもなっていきます。それゆえに、観自在能力が高まれば、高まるほど漏尽通力がまた強くなっていく必要があるのです。

この両能力は、霊的能力を駆使するという面において共通していますが、「外に向かうもの」と「内に向かうもの」という二つの方向性がある点で違っているわけです。つまり、観自在力が「外を見ていく能力」であるのに対し、漏尽通力は「自分の内をどのように引き締めていくか」「自分の内部をどのようにつくっていくか」といった自己確立ということと非常に大きな関係があるのです。

霊的能力自体は、自分だけではなく他力によって開かれる面もそうとうあります。しかしながら、この漏尽通力という霊的能力は、他力だけによって得られることは決してありません。これは、あくまでも、「自分づくり」「自己づくり」に伴って現れてくる能力であるのです。

それゆえに、心しなければならいこととしては、観自在力が高まってくればくるほど、自分づくりに力を配分していくことが必要になってくるわけです。

5 修行の本道
さて、霊的能力の高まりとともに、自己内部の研鑽、自己確立ということがどうしても必要になり、「確立すべき自己」も次第しだいに大きくなっていきます。要求されるものもまた、大きくなっていくわけです。

ここにおいてある人は孔子のように「人間完成の道」を考えることもあるでしょう。あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチやスウェーデンボルグのような方を考えることもあるでしょう。また、プラトンやソクラテスといった方を考えることもあるでしょう。

いずれにせよ。私たちが大切にしなければならない指標とは、いったい何でしょうか。それは、霊的能力が伸びていくことを実感できたとしても、その伸びを実感すればするほどに、この世的にも世の中の人々のためになるような業績・実績を残していかねばならないということなのです。

この部分で、バランスが取れないと、やはり安定を欠くようになっていくわけです。霊的能力の発展が確認できればできるほど、この世において愛を還元していく、自分の幸せを還元していくことが大事になります。

それゆえに、進んだ修行者であればあるほど、自らが生かされていることへの感謝、またそのような恵まれた能力を与えられたことに対する感謝をもって、これを世に、人々に還元していく方法を取っていかなければならないのです。

これが、ある面では、ダ・ヴィンチのような芸術となる場合もあるでしょうし、スウェーデンボルグのような現実でのさまざまな発明・発見や霊界ものの書物を含めて百五十冊も書くこととなったり、プラトンのような哲学体系になったりしたかもしれません。彼らに共通しているものは、自分自身の霊的能力を伸ばし、自己満足に耽るのではなく、それで得た者を知的遺産、霊的遺産として後世の人々に遺そうとして努力したということです。また、同時代人に対する教育という効果やそのほかの効果によって、自分の得たものを流布していこうとした点、彼らにも享受できる機会を与えようと努力した点が発見されるのです。

すなわち、ここに、単に滝行をしたり千日回峰行をしたりして「悟りを得た」と自称している天狗たちとの違いがあります。悟れば悟るほどに、霊的能力を伸ばせば伸ばすほどに、より多く愛が無限に湧き出て、多くの人々に還元せざるを得なくなるような自分となっていかなければならないのです。

この部分が欠けている人であるならば、霊的能力の発展そのものをも疑っていく必要があります。それは、違った方向に曲がっていくこともありうるからです。

霊的能力の発展は、他の人によってはなかなか確認することができません。これは自分だけの自己確認であります。

それゆえに、この「愛の還元」の部分、「現実生活への適用」の部分をこそ、あなたがたは、日々点検し、確認していかなければならないのです。これは、人間の目で確認できることなのです。

どれだけ多くの人を幸せにしたか。彼らによき感化を与えて教育したか。また、人生に迷っている人に対して一転語を与え、救うことができたか。

そうしたことを考えてほしいと思います。そこに修行の本道があるのです。(完)

【大川隆法 『漏尽通力』第7章「漏尽通力」講義 より抜粋】

あとがき

本書は霊能力の全体像を説き、悟りに至る道を歩むものへの手引書とするために編まれたものです。

第1章の「霊的人生観」、第2章の「霊的現象論」は、本書のガイダンス的な部分であり、初心者にもよく分かるように書かれています。第3章の「霊能力の諸相」、第4章「漏尽通力」は、本書の核の部分であり、真理学習者にとっては上級用の内容を含んでいると考えます。第5章「仏法真理と学習」、第6章「心の平静と祈り」は漏尽通力の実践面への展開であり、一般人にも分かる内容となっていると思います。

とまれ、釈迦仏教の神髄の一つを、現時代において公開できたことは、私にとって大いなる喜びであります。

一九八八年 三月 
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法

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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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