最後に、「おかめ」あるいは、「お多福」と呼ばれる妖怪についても書いておこう。下ぶくれした、おメン顔をした女性妖怪である。その本質は、「本質を悟られないこと」にある。おそらく妖怪の総大将を張る大天狗をも超える霊力を持っている。
妖怪「お多福」は、一見幸福を呼ぶものである。しかし、仏教的に心をコントロールするのではなく、「コントロールすれば、心は何とでも見せられる」と考えている。この点、妖怪の中心部分に存在すると思われる。人間とは「お面をつけていきている存在」だと考えているのだ。形にとらわれ、外見や所作が美しければ、心も美しいと考える。心が美しければ、外見も所作も美しくなるとは考えない。ここに本質的な妖怪性があるが、常人には見抜くことは不可能なので、その存在だけは伝えておく、例えれば、国民的俳優や有名歌手の「心」は読めますか、という公案だ。それが読めないため、この世的には大変人気が出ることもある。実例は挙げないこととする。
心の勉強には限りはないのだ。
二〇二三年 二月一三日
幸福の科学創始者兼総裁 大川隆法
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
※〈参考1〉58 「ぶりっ子」の心の奥は真っ黒だ。(※S氏を前提にした箴言であると考えられます)【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】
※〈参考2〉「間違えた真珠理論」について、(『「妖怪にならないための言葉」余話』78
頁参照)この間違った真珠理論は、「たぶん、“お面”にまでつながってくる理論だろう」とも、主は指摘されています。善悪が曖昧で、修行論がない日本神道に対し、仏教では善悪を峻別し、人間として正しく生きる道を説きます。さまざまな人生の苦しみや失敗も「人生の問題集」と捉え、反省や自己変革を通して心を正し、それらの経験を「智慧」や「悟り」に変えていくことが、仏陀が説かれた仏教の本来の教えです。したがって、「自分の中に醜いものがあっても、フェイクの真珠で覆ったり、汚いものに蓋をするようにコーティングをすれば、真珠のような素晴らしいものがつくれる」という日本神道的な考え方は、「仏教の教え」や、主が「真珠のたとえ」として示されている教えとは対極にあるものと言えます。「反省が�
�きない」、善悪や反省を説く「仏教の教えが嫌い」というのは、日本神道の裏側の霊人に共通する特徴です】
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〇大乗仏教の中心は六波羅蜜多―⑥般若波羅蜜多(パンニャー・パーラミター)
智慧の完成です。この智慧こそ、釈迦の教えの中核であり、釈迦の光は、黄金色に輝く知性の光線なのです。すなわち、釈迦は知性的に法の全体像、体系を説くことを使命としている光の指導霊だからです。実在界の智慧の宝庫の扉を開く鍵を持っているのは釈迦なのです。
【大川隆法『黄金の法』より抜粋】
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○般若波羅蜜多
六波羅蜜多の最後の徳目は、「般若波羅蜜多」です。
「般若(はんにゃ)」という言葉は、『般若心経』などによって有名ですが、これは「智慧」という意味です。それも単なる知識的な知恵ではなく、深いところから出てくる叡智のことなのです。
これは「般若の智慧」ともいわれています。深いところから、こんこんと智慧があふれ出てくるさま、湧き出て止まらないさまが、真の智者の姿です。般若の智慧を得る段階に至ると、この世的なる学問や経験は、砂と砂金にふるい分けられ、砂金のみが一層光の輝きを増すのです。
人格が完成して、ある程度の人物、偉人となるためには、確かに、数多くの読書や経験を経ることが必要であり、そうして得た知識や経験は珠玉のごとく輝いています。
しかし、そうした知識や経験も、般若の智慧が出てきたときには、もはや光を失っていくように見えます。それほど、般若の智慧は偉大なものなのです。というのは、心の窓を開かなければ、般若の智慧の智慧に至ることは決してできないからです。
八正道を中心にして、みずからの心を正していくと、やがて心の窓が開き、みずからの守護霊・指導霊たちは、地上の人間をはるかにしのぐ智慧を出す力があります。なぜなら、実在世界においては、それぞれの霊たちが、過去世で経験したことや学んだことをすべて持っているからです。
地上においては、表面意識はわずか一割程度になり、残りの九割近くは潜在化しています。しかし、霊的世界においては、反対に、潜在化していた九割の部分、すなわち過去世の知識の部分が表面意識として顕在化し、地上に生きていたときの意識が、残りの一割として潜在化していくことが多いのです。
したがって、比率だけを見ると、霊人は地上の人間の約九倍の智慧を持っていることになります。これが霊人の本質です。同じ霊格であっても、地上に下りている人間の智慧と比較して、霊人は約九倍の智慧を持っているのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」から抜粋】
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はじめに、主のマインド・セットである人生観に迫るべく『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』より第二章の「独立する精神の軌跡」を共に学びます。この経典は現在、会内経典にて頒布されている『若き日のエル・カンターレ』【※旧題「平凡からの出発」】の講義としていただいたものです。会内経典『若き日のエル・カンターレ』は1万円目安で、全国の支部や精舎にて拝受可能です。是非拝受ください。これから共に学ぶ『人を愛し、人を生かし、人を許せ』は全国の書店、支部や精舎にて購入いただけますので、ぜひこの機会にお求めください。とても重要な教えが詰まっています。【税抜1500円】
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■『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』第2部「独立する精神の軌跡」
六、非凡なる愛の高みへ
2 思想の結晶化
それから、「人を愛し、人を生かし、人を許せ」という言葉についての話も書いてあります。この言葉について、私は何年も考えつづけました。
私はさまざまな思想を説いていますが、それらのなかには、思想の核となるものを見いだし、それについて考えつづけているうちに、思想として成熟してきたものがかなりあるのです。
氷や雪の結晶ができるためには、その核になるものが必要です。そして努力しているうちに、その核の周りに結晶ができ、自分なりの思想が形成されるのです。
したがって、まず核を見つけ、それについて考える時間を取ることです。半年、一年、二年、三年と考えるうちに、そのまわりに枝や葉が茂ってきます。それがみなさんの思想になってくるのです。
「自分の考えを述べよ」と言われたならば、それが一時間でも二時間でも三時間でも出てくる人になってほしいと思います。何も言うことがない、何も意見がないというのではなく、自分なりの思想を持っていただきたいのです。
努力して、さまざまな教訓を学び、さまざまな体験をするうちに、それらが、心の奥に植えつけた核の周りに集まって固まり、一つの大きな結晶になってきます。こうした結晶をいくつか蓄えていくと、しだいに、人を導ける人間になるのです。
自分なりの思想があるというのは大きなことです。それは地上を去ったあとに行く世界が違うということです。何も考えたことがない人は、あの世に還っても、物事を条件反射的にしか考えません。しかし、考える習慣ができた人は、地上を去ったあと、非常に豊かな人生を送っているのです。
地上を去った世界は、「考える」「念(おも)う」というこがすべてである世界です。したがって、地上にいるうちから、考える世界、念う世界を充分に広げておくことが大事です。それが自分の将来の活動空間を広げることになるのです。生きているうちに、そうした自分の世界を、できるだけ開拓しておいてほしいと思います。
自分の世界を開拓するとは、遊びに行く場所を開拓することなどではなく、「内的空間の拡大」のことです。内的空間をできるだけ広げていただきたいのです。
3 悪魔との対決
そして、「悪魔との対決」について書いてあります。
みなさんのなかには、今後、潜在意識層が開け、霊界と同通する人もいるでしょうが、これは大変なことですから、心してください。
霊界と同通していないときには、一時的な迷いや悩みですんだものが、霊界と同通してしまうと、いろいろなものが直通で入ってくるようになります。
これはだれにとっても同じです。「一念三千論」のとおり、念いの方向に全部同通します。天上界という一定方向しか向かないということはなく、念いに応じたすべての方向に必ず向きます。したがって、いつも自分の心が調和されていなければなりません。そうでなければ危険なのです。
心の針を常に天上界に向けるためには、執着を断つことが非常に大切です。
執着を断つという修行は、道徳的にすばらしいことだから説かれているのではありません。潜在意識層が拓いてきたときには、執着を持っていると本当に危ないのです。ほんの小さな隙に、魔がポーンと入ってきます。これは非常に危険だと思ってください。たとえ光の菩薩であっても危ないのです。
そのため、「常々、自分の原点を振り返り、着実に歩みを進めていくという考え方を持っていない人は、危ないですよ」という警告の意味も込めて、私は『平凡からの出発』【※現在『若き日のエル・カンターレ』〈会内経典〉】を書いたのです。
魔の世界は狂暴な世界です。立場が高くなればなるほど、仕事が重くなればなるほど、狙われやすくなります。意図的にねらってくるので、「自分だけが偉い」というような思いを持つと、どうしようもありません。菩薩程度の魂では、悪魔の類が意図的にねらってくると、ひとりでは勝てないのです。
そうしたときには仲間が大事です。信仰で仲間とつながっていることが最も大切なのです。また、信仰心があると、仏とも一直線でつながっています。そのため、悪魔の側も、その人と戦うのではなく、仏と戦わなければならないのです。
したがって、悪魔たちは一生懸命、信仰心を切る方向に動いてきます。疑いを持たせ、利害のところで混乱を起こし、甘い言葉をささやいていきます。
たとえば、「おまえは不利に扱われた。おまえはほんとうはもっと偉い人間なのに、正当に扱われていない。おかしいではないか」とささやいて、信仰心のところを切りにかかります。
そこで切られて、ひとりになってしまえば、残念ながら勝てなくなるのです。
これが現代まで続いている問題です。非常に厳しい問題ですが、これにどうしても勝たなくてはなりません。
そのためには、こだわりを捨てることが重要です。「自分はこれにこだわりすぎているな」と思ったときには、思いを切り換え、穏やかでとらわれない心に持っていくことです。「さっぱりした性格になる」ということが強みなのです。
また、悪霊に襲われたときには、私がとった次の方法も参考にしてください。
霊的世界に踏み込んで、いろいろと現象が起きたり、悪霊から日夜脅かされているという感じが強くなったならば、霊的なものをいったん切るのです。
そして、人間としての自分、裸の自分、実社会のなかに生きている自分を、もう一度、見つめ直し、自己を再確立することです。平凡な一市民として生きても、「善良な人だな」と言われる自分をつくることです。
悪霊に惑わされはじめると、何が正しくて何が間違っているのか分からなくなります。無そのときに、善良な市民として、まわりの人から、「この人がいてくれてよかった」「一緒に生活していてうれしい」と言われるような自分かどうかを振り返ることです。
これが個人としての最後の点検になります。この点検ができるだけで、悪霊から自分を守れます。
霊的な関心、霊的な現象をいったん切って、「裸の自分で生きていこう。他の人に喜ばれる自分になろう。与え愛に生きよう」と思い、そうした自分をつくっていかなくてはなりません。自分を特殊な人間だと思うところに魔がつけこんでくるので、そうした思いを切ることです。
そのときに、また大きな発展があるのです。(完)
〇あとがき
私が総裁をしている「幸福の科学」という団体には、たいへんすぐれた人びとが集っています。その優秀さは何に起因しているのかと考えてみると、たいていが自助努力の姿勢からきているものでした。
本書で私が述べている自己修練と愛他の実践に励んでいる人びとは、一日一日、確かに成長し、半年、一年のうちに、まるで別人かと思うような変身をとげるのです。
本書を縁として、さらに多くの方がたが、「人を愛し、人を生かし、人を許せ」を合言葉に、与えた愛を実践して、豊かな人生を切り開いていくことを願ってやみません。
一九九七年 四月
幸福の科学総裁 大川隆法
【大川隆法『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』第2部「独立する精神の軌跡」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』の総論を振り返ります。
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■『真説・八正道』
第10章 総論―八正道の現代的意義
何のための「真説・八正道」なのか
最後に、総論として、反省法全体を通しての締めくくりをしておきたいと思います。
「何のための『真説・八正道』なのか。いったい何のために、この『真説・八正道』はあるのか」ということです。それを三点、挙げておきたいと思います。
①八正道の現代社会への適応
「真説・八正道」の生きの第一点は、釈尊が説いた「八正道」は、二千数百年の歳月のなかに埋もれてしまって、現在、その正しい精神が伝わっていないということです。仏教学者によってさまざまに解釈されたに止まっていて、「いったい、どのように八正道を使えばよいのか」「その真意がどこにあったのか」ということが分からないままになっていたのです。
それゆえに、今、この「人類の秘宝」ともいえる八正道を、現代の社会に適応させるかたちで、また、実用性を加えるかたちで説いたということです。八正道は、決して、みなさんが使えない内容ではないはずです。それを明らかに説いたところに、「真説・八正道」の第一の意義があります。
②修行目標としての八正道
「真説・八正道」の意義の第二点は、みなさんに明確な「修行の目標」を与えたということです。
「悟り」という言葉のニュアンス、および、解釈は各人違っているかもしれませんが、この「悟り」というものに関しては限界がありません。「これで悟った」ということはないのです。「悟りの入り口に立つ」ということ、また、「悟りを、ある程度、維持する」ということはあっても、悟ったかどうかは、あの世に還ってみないことにはわかりません。生きている間中、修行は続くのです。
したがって、「自分はもう充分だ」と思ったときに、それが転落の始まりとなります。心境がある程度のレベルまで来ても、その後はさまざまです。さらに向上していく人、現状維持で止まる人、心境が下がってくる人など、さまざまな人がいます。その人の一年というものを取り出して輪切りにすると、やはり、進んだところ、後退したところがあるのです。
そういう意味では、現時点において、ある程度の心境に達している人も、「一ヵ月後にその心境にいる」ということを意味しないし、一年後は、なおさら測りがたいものです。
そのために、幸福の科学でも、試験制度などによって、ある程度「悟り」を測っていますが、これは決して誤解してはなりません。”その時点においての実力と心境”はあるかもしれませんが、それは条件が変わってきたときに、明らかに違ってくるのです。
その人に、いろいろな事件が起きてくるでしょう。いろいろな人生模様が展開してくるでしょう。そのときに、まったく同じ状態でいられるかどうかは、まだまだ、それからの修行の問題です。そのつど、そうした事件や出来事を乗り越えていくために、「真説・八正道」が与えられているのです。一度悟って、それで終わりではないのです。
したがって、「いろいろな環境の変化のなかにおいて、この真説・八正道を使って、そのつど、自分の心の曇り、垢を落としていく」ということ、そして、「正念」で語ったように、「正しい未来に向けての自己実現をしていく」ということが非常に大事なのです。やはり、その人の立場や役割に応じた現象がさまざまに起きてくるのでその中で自分の心境を維持するための全力の戦いを続けていかなければなりません。
その意味で、この「真説・八正道」の修行は、今世の修行を終えるまで、死ぬまで「終わり」ということはないし、おそらく、来世でも続くでしょう。かたちは多少変わるでしょうが、この修行は来世でも続くこととなります。
③ユートピアの原理としての八正道
「真説・八正道」の意義の第三点は、実は、「ユートピアの原理そのものである」ということです。
わたしは、ユートピアの原理を、「小さなユートピアから大きなユートピアへ」「私的ユートピアから公的ユートピアへ」という言葉で、さまざまなところで語っています。その意味は、どこにあるのでしょうか。
まず、ユートピアというのは、「心の世界」と「この人間世界、地上世界という外界」の二つの世界から成り立っています。そして、「小さなユートピア」「個人のユートピア」はどこから始まるかというと、実は、みずからの心を支配し、「心の王国」を守り抜くことから始まっていくのです。
したがって、そのために、この真説・八正道によって、各人が自らの心をユートピア化していくことこそが、「外の世界に光を点灯していくこと」にほかならないわけです。
はるかなる上空から霊的な目で見たならば、この八正道によって目の鱗を落とし、神仏の光を得ている人たちは、ちょうど、”ロウソクの炎”のようにも、”灯台の光”のようにも見えます。それは、神仏の火が、一点一点、いろいろなところから灯ってくる姿であり、「上空から見た夜景に似ている」とも言えましょう。闇に沈んだように見えた町に、一つひとつ、光が灯っていく姿でもあるわけです。
そして、これが「すべての始まり」であるということです。この「各人の心をユートピア化していくこと」から、「世界のユートピア化」は始まるのです。
これなくして、理想を一挙に実現することもできなければ、政治改革も経済改革も宗教改革もありえません。制度的なものや環境的なものに騙されてはならないし、「〇〇のような人が来れば、そうなる」とは、「□□のような環境が出れば幸福になる」とか、そのようなものではないということです。
○「悟り」という名の本当の幸福をつかむための「自己変革」
それぞれの環境において、それぞれの課題や問題を背負いながら、光を灯すことです。そして、その光を灯す方法こそが「真説・八正道」であるということを知っていただきたいのです。この真説・八正道によって、人々に、自らの”ロウソクの芯””ランプの芯”に光を灯していただきたいと思います。
そうした光を灯すのは、一人ひとりの仕事です。ランプに火をつけるのは、各人の仕事なのです。私は火のつけ方はお教えしますが、火をつけるのはあなた自身であるわけです。火がつかなければ、それはつけようとしていないからではないでしょうか。
この「火をつける」ということが、「自己変革」ということです。「自分を変えていこう。自分の心を、より神様仏様の心に近い方向に向けていこう」という気持ちのない人は、幸福の科学に来ていただきたくないのです。
そのような人のために、私は幸福の科学を運営しているのではないからです。幸福の科学は正しい道を示し、「その方向についていきなさい」と言っていますが、やはり、その内容において、”ランプの芯に火をつけ、光を灯す”のは、それを志す一人ひとりの人に自分でやっていただきたいと思います。
それが、その人の、「悟り」という名の本当の幸福でもあるからです。(完)
〇あとがき
端的にいえば、本書は現代的悟りの方法論の集大成です。しかも悟りの本道である反省法の道筋を明らかにした点では、釈迦仏教の神髄を公表したことにほかなりません。
釈迦の八正道とはいったい何だったのか。初学者にも、専門家にも参考になる内容を語ってみました。本書を座右の書として、日々の精神修行にあてていただければ著者としては、これに勝る幸せはありません。
1989年 三月
幸福の科学グループ奏者兼総裁 大川隆法
〇改訂・新版へのあとがき
本書では、原著の八正道の順序を、伝統的な順序に並びかえた。
具体的には「正思」「正語」「正業」といった順に戻した。
今世では、自分自身が「正語」の悟りから入ったので、前著ではそのようにしたのだが、釈迦の八正道と同じ順序にしておいた方が仏教を学ぶには良かろう。
また、講義時点では、商社マンをやめて二年半ぐらいだったので、ややビジネス的な解説が多かった。
それゆえ、今回は、章の終わりに、仏教的な要点解説もつけ加えておいた。勉強が進んでいる方は、こちらも重視してくださるとよいと思う。
現代人には「八正道」は難しいと思うが、私の現代の気持ちを込めて、『真説・八正道』として改めて世に問うものである。
二〇二〇年 五月三十日
幸福の科学創始者兼総裁 大川隆法
【大川隆法『真説・八正道』より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力』
第7章 『漏尽通力』講義
4 漏尽通力と観自在力
さらに次なるテーマとして、「漏尽通力と観自在力」について話をしておきたいと思います。本書『漏尽通力』のなかでも、「観自在能力」ということで説明が入っています。この観自在力については、また時を改めて一冊のテーマとして書物をつくりたいと考えています。
では、現代における漏尽通力と観自在力の関係をどう考えるのか、どのように理解すればよいのかということについて、私の見解を明らかにしておきたいと思います。
それは、観自在力と漏尽通力は、「内に向かうベクトル」と「外に向かうベクトル」という相反するベクトルを意味すると同時に、両者のベクトルのつり合いを取れることが人間性の安定感となっているということです。
これがどういう意味を持っているのでしょうか。霊的能力が開発され、発展していくにつれて、さまざまなことが分かるようになっていきます。人の気持ちはもちろんのこと、実在界の諸霊の姿や考え方、あるいは現実に自分の周りにはない世界が見えてきたり、また過去の事実が分かったり、未来のことについてある程度の予知ができたりと、さまざまな現象が起きてきます。さらに、拍車をかければ、どんどんどんどんと進んでいくことになります。
この「現実に立つ自分」という肉身のわれを考えたときに、観自在能力が巨大化することによって、人格のバランスを崩すことにもなっていきます。それゆえに、観自在能力が高まれば、高まるほど漏尽通力がまた強くなっていく必要があるのです。
この両能力は、霊的能力を駆使するという面において共通していますが、「外に向かうもの」と「内に向かうもの」という二つの方向性がある点で違っているわけです。つまり、観自在力が「外を見ていく能力」であるのに対し、漏尽通力は「自分の内をどのように引き締めていくか」「自分の内部をどのようにつくっていくか」といった自己確立ということと非常に大きな関係があるのです。
霊的能力自体は、自分だけではなく他力によって開かれる面もそうとうあります。しかしながら、この漏尽通力という霊的能力は、他力だけによって得られることは決してありません。これは、あくまでも、「自分づくり」「自己づくり」に伴って現れてくる能力であるのです。
それゆえに、心しなければならいこととしては、観自在力が高まってくればくるほど、自分づくりに力を配分していくことが必要になってくるわけです。
5 修行の本道
さて、霊的能力の高まりとともに、自己内部の研鑽、自己確立ということがどうしても必要になり、「確立すべき自己」も次第しだいに大きくなっていきます。要求されるものもまた、大きくなっていくわけです。
ここにおいてある人は孔子のように「人間完成の道」を考えることもあるでしょう。あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチやスウェーデンボルグのような方を考えることもあるでしょう。また、プラトンやソクラテスといった方を考えることもあるでしょう。
いずれにせよ。私たちが大切にしなければならない指標とは、いったい何でしょうか。それは、霊的能力が伸びていくことを実感できたとしても、その伸びを実感すればするほどに、この世的にも世の中の人々のためになるような業績・実績を残していかねばならないということなのです。
この部分で、バランスが取れないと、やはり安定を欠くようになっていくわけです。霊的能力の発展が確認できればできるほど、この世において愛を還元していく、自分の幸せを還元していくことが大事になります。
それゆえに、進んだ修行者であればあるほど、自らが生かされていることへの感謝、またそのような恵まれた能力を与えられたことに対する感謝をもって、これを世に、人々に還元していく方法を取っていかなければならないのです。
これが、ある面では、ダ・ヴィンチのような芸術となる場合もあるでしょうし、スウェーデンボルグのような現実でのさまざまな発明・発見や霊界ものの書物を含めて百五十冊も書くこととなったり、プラトンのような哲学体系になったりしたかもしれません。彼らに共通しているものは、自分自身の霊的能力を伸ばし、自己満足に耽るのではなく、それで得たものを知的遺産、霊的遺産として後世の人々に遺そうとして努力したということです。また、同時代人に対する教育という効果やそのほかの効果によって、自分の得たものを流布していこうとした点、彼らにも享受できる機会を与えようと努力した点が発見されるのです。
すなわち、ここに、単に滝行をしたり千日回峰行をしたりして「悟りを得た」と自称している天狗たちとの違いがあります。悟れば悟るほどに、霊的能力を伸ばせば伸ばすほどに、より多く愛が無限に湧き出て、多くの人々に還元せざるを得なくなるような自分となっていかなければならないのです。
この部分が欠けている人であるならば、霊的能力の発展そのものをも疑っていく必要があります。それは、違った方向に曲がっていくこともありうるからです。
霊的能力の発展は、他の人によってはなかなか確認することができません。これは自分だけの自己確認であります。
それゆえに、この「愛の還元」の部分、「現実生活への適用」の部分をこそ、あなたがたは、日々点検し、確認していかなければならないのです。これは、人間の目で確認できることなのです。
どれだけ多くの人を幸せにしたか。彼らによき感化を与えて教育したか。また、人生に迷っている人に対して一転語を与え、救うことができたか。
そうしたことを考えてほしいと思います。そこに修行の本道があるのです。(完)
【大川隆法 『漏尽通力』第7章「漏尽通力」講義 より抜粋】
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あとがき
本書は霊能力の全体像を説き、悟りに至る道を歩むものへの手引書とするために編まれたものです。
第1章の「霊的人生観」、第2章の「霊的現象論」は、本書のガイダンス的な部分であり、初心者にもよく分かるように書かれています。第3章の「霊能力の諸相」、第4章「漏尽通力」は、本書の核の部分であり、真理学習者にとっては上級用の内容を含んでいると考えます。第5章「仏法真理と学習」、第6章「心の平静と祈り」は漏尽通力の実践面への展開であり、一般人にも分かる内容となっていると思います。
とまれ、釈迦仏教の神髄の一つを、現時代において公開できたことは、私にとって大いなる喜びであります。
一九八八年 三月
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め

