98 おそらく今は、河童が生息しているとすれば、高知県の四万十川ぐらいだろう。近くの徳島県の穴吹川に、妖怪「小豆洗い」の発祥地があるが、おそらく、平家の落人(おちうど)たちが隠れていたので、人が近づかぬよう、妖怪話を流していたのだろう。私の生まれた川島町では、聖地エル・カンターレ生誕館のすぐ下の山道を、夜、平家の落人の幽霊が、首無し馬に乗って歩くので、「夜行(やぎょう)さん」と呼ばれていた。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
〇大乗仏教の中心は六波羅蜜多―④精進波羅蜜多
釈迦の教えの四番目の柱は、利自即利他の教えです。これは、いわゆる六つの完成といわれる六波羅蜜多(サス・パーラミター)の思想です。波羅蜜(パーラミター)とは、内在する叡智という意味であり、多とは、その叡智があふれ出てくるさまをいいます。
四 精進波羅蜜多(ヴィールヤ・パーラミター)
いわゆる努力の完成です。この努力、精進とは、もちろん、修行者として真理を体得するための磨きであり、日々の積み重ねにあります。
【大川隆法『黄金の法』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
○精進波羅蜜多
「精進波羅蜜多」は、別名「努力の完成」とも言われます。
これは「努力する」という徳を説いているのです。
努力に関しては、八正道にも「正精進」という項目があり、意味するところは同じですが、精進波羅蜜多の場合は、具体的な行動目標を明確に打ち出して実践することであり、より実践に重きがかかっていると言えます。すなわち、不言実行ではなく、自分の努力目標を設定し、それに向けて実践行を行っていくのです。
たとえば、布施や禅定、説法について一定の目標を持ち、それを実行に移して、その成果を他の人にも確認してもらうということを、日々、努力していくことです。また、学びについても、どれだけの学びをしたかという蓄積を確認していくことです。こうした具体的努力のことを「精進波羅蜜多」といい、釈迦の弟子たちはこれを実践していたのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第3章「六波羅蜜多の思想」から抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
はじめに、主のマインド・セットである人生観に迫るべく『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』より第二章の「独立する精神の軌跡」を共に学びます。この経典は現在、会内経典にて頒布されている『若き日のエル・カンターレ』【※旧題「平凡からの出発」】の講義としていただいたものです。会内経典『若き日のエル・カンターレ』は1万円目安で、全国の支部や精舎にて拝受可能です。是非拝受ください。これから共に学ぶ『人を愛し、人を生かし、人を許せ』は全国の書店、支部や精舎にて購入いただけますので、ぜひこの機会にお求めください。とても重要な教えが詰まっています。【税抜1500円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』第2部「独立する精神の軌跡」
四 未知なる神
5 新たな視点の獲得
商社マン時代、私はアメリカ合衆国で一年ほど生活しました。
私にとって、これは大きなチャンスだったと思います。それも、学生としてではなく、社会人となって、実社会をある程度は知ったうえで行ったことが、非常に大きな経験を生んだと思います。
立脚点を変えると、物事が違って見えることがあります。それまでの自分の環境や教育だけを通して考えていると、考え違いすることがよくあるのにですが、まったく違う立場から見ると、違ったように見えることはいくらでもあるのです。海外に出たことによって、私は実体験としてこれが分かりました。
現在、日米論が盛んです。私はアメリカにいて日本を見たあと、日本に帰ってきてアメリカを見るという経験をしました。こうして両方から見てみると、片方から見て議論をしているだけの人には分からない部分が、ずいぶん見えました。実際はどうなのかということが分かるのです。
日本ではよく「本音と建て前」と言いますが、アメリカにも本音と建て前はあるのです。それを知っているかどうかで見方が違ってきます。
たとえば、アメリカの議員は「日本たたき」をやっていても、本気ではない部分が相当あります。「日本たたきをすればするほど、票が増える」と思ってやっている人がかなりいます。
日本でも、与党を追及すれば、票が伸びる野党があるように、そうした部分がアメリカにもあるわけです。州のレベルでは日本企業を関係していながら、同じ人が上院では日本たたきをするなどという矛盾が数多くあるのです。
また、日本に対するアメリカの意見でも、必ずしも認められないものがそうとうあります。
たとえば、アメリカにおける日本製品は、韓国や台湾、東南アジアなどの製品によってかなり駆逐されており、韓国や台湾の製品ばかりのところもたくさんあるのを見てきました。日本製品はどんどん駆逐されているのです。
レベルの高い部分でないと、日本製品は生きていけなくなってきています。そうすると今度は、アメリカのレベルの高い部分が、日本に追い上げられて苦しくなってきます。現在、アメリカの高度なテクニックのところが苦しくなってきているのです。
こうしたことを実際に見てくると、「アメリカは韓国や台湾などの製品をどうするつもりなのか」ということが気になります。それは日本製品より安いから売れているのですが、アメリカはそれらを排除するしかないのかということが、やはり気になるのです。
これは、アメリカに住んで、デパートへ行ったり、いろいろなものを買ったりすることを実体験した者の率直な感想です。
そうした見方を持っているだけで、日本とアメリカの関係だけではなく、他の国とはどうなのだということが分かるようになります。この視点を持つだけでも、違った見方ができるのです。
真実を立体的につかむためには、いろいろなところに身を置いてみないと、なかなか分かりません。
みなさんは「富士山は円錐(えんすい)型だ」と思っているかもしれませんが、実際には円錐形ではなく、右側にポッコッと肩が出ています。それは、ある角度から出ないと見えません。
このように、いろいろな角度から見ていかないと、真実はなかなか分からないのです。土地の面積を測るために三角測量をするように、いろいろなところから測っていかないと、真実というものは分からないのです。
人間は自分自身を八正道に照らして点検しなければいけませんが、さまざまな経験をし、いろいろな考え方を知ったうえで自分を見ると、それまで悩んでいたことが、「こんなことだったのか」と見えることがあります。
その意味では、新しい知識や経験は、お金を払ってでも吸収したほうがよいのです。
知識の面では、これまで自分が関心を示さなかったところ、まったく無視していたところ、勉強しなかったところに、努力して少しでも手を伸ばしていくべきです。やがて新たな視点が得られ、大きな道が開けてくるでしょう。
経験の面では、自分なりの行動パターンに縛られることなく、それを破ってみることです。これまでのパターンからいけばやらないようなことをすると、違ったことが分かるようになります。
たとえば、これまで付き合ってきた人だけではなく、ときには違う人と付き合ってみると、違ったことが見えてくるのです。
【大川隆法『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』第2部「独立する精神の軌跡」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
今日の一日を振り返り、反省を実践するために『真説・八正道』から禅定について学びます。
お持ちでない方は、ぜひご拝受ください。【税抜き1700円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『真説・八正道』
第9章 正定
4 神仏と一体となる
○正定とは、限りなく神仏と一体になろうとする行為
次に、「正定」の具体的方法に入っていきたいと思います。「幸福の科学の信者として、具体的にどうすればよいのか。どうすれば、正定に入れるのか」ということです。
まず、心構えとして言っておきたいことは、「これは、限りなく神仏と一体になろうとする行為なのだ」ということです。よいですか。
「正定とは、自分独りが孤立される世界を目指すのではない。正定とは、限りなく神仏と一体の境地を目指すことである。限りなく神仏と一体の境地を目指すということは、実は如来の境地を目指しているのだ」ということです。これが、正定の目標としてあるものなのです。
○坐り方や手の合わせ方は、精神統一がしやすいスタイルで
では、「神仏と一体になる」ということを念頭に置いて、具体的にはどうすればよいのでしょうか。
私は、坐り方とか、手の合わせ方とかについてあまり難しいことは言いたくありません。というのは、かたちをあまりに重視すると、そちらのほうにとらわれてしまい、中身のほうがおろそかになってくるからです。問題は、やはり心の問題であり、かたちはその支えににしかすぎないのです。補助にしかすぎないので、その人にとって取りにくいような姿勢やスタイルを要求して、そのことばかりが気になってしまっては、元も子もないわけです。
ですから、人によっては多少の違いはあるでしょうが、背筋を伸ばすことぐらいだけは言っておきたいと思います。
あとは、呼吸がスーッと落ちてくるような姿勢です。息を吸い込めば、呼吸がスーッと極楽にお腹に下りてきて、また自然に出ていくような姿勢です。
脚のほうは、正座でもよいのですが、長く持たないのであれば、胡坐(あぐら)をかいてもよいし、女性は、横に脚を出しても結構です。
だだ、「猫背のような格好をつくると、精神統一は非常にしにくい」ということだけは言っておきたいと思います。
手のかたちについては、幾通りも流派があり、それぞれの意味があります。ただ、いちばんポピュラーなのは、やはり合掌のスタイルです。合掌のスタイルというのは、アンテナのかたちでもありますが、霊が非常に感応してきやすいスタイルなのです。というのは、手からも、かなり霊的な光が出ているのです。手は、霊的な光が非常に出てくるところで、「手当て」と言って、手を当てて病気を治したりしますけれども、特に右手のほうが強く、霊流が出るところがあるのです。手は、霊的な電気がいつも出ているところなのです。
したがって、合掌をすることによって、ここに一つの「磁場」ができます。合掌をして指先を上に向けることによって、放送電波を出していることと同じになるのです。これによって一つの誘い水が出てくるので、この誘い水に感応してくるわけです。これが最もポピュラーなスタイルです。
手の位置はどうするか。これも流派によって違います。口のところまで上げるところもありますが、その難点は、長持ちしないことです。あまり長続きしないという難点があるので、私はやはり、胸の前で十分だろうと思います。
これは、交霊、霊との交流を中心とするやり方ですが、単なる反省だけであるならば、手を挙げているということだけでも少し難点があると思います。やはり、出が上がっているということに意識が行ってしまうので、十分に考えが進まないのです。
そういう場合には、これ以外の方法として、合掌を解いていただいても結構です。合掌を解き、「膝の上に軽く置く」というかたちでもよいでしょう。ヨガをやっている人のなかには、手のひらを上にする人もいますが、普通の人は上にするとボケーッとして頭が抜けてしまうので、下にしても結構です。あまり無理をしない形でよいと思います。
結局は、「自分が精神統一をしやすいスタイルをつくる」ということです。本当はかたちはないのです。寝ていても、本当は大丈夫です。逆立ちしていても、本当は大丈夫です。お風呂のなかでも、本当は大丈夫なのです。ただ、やはり外見を整えないと、なかなかそういう気持ちになれないので、そうした仕切りをつくるわけです。「日常性から遊離した」という仕切りをつくるために、そういう方法をとるわけです。
【大川隆法『真説・八正道』第9章「正定」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『漏尽通力』
第七章 『漏尽通力』講義
1 漏尽通力とは
本書『漏尽通力』は、一つのテーマに絞り込んで話をしたものです。そのテーマとは、釈迦の神通力のなかでも最大の力と言われたものの一つである漏尽通力です。これを紹介したわけです。
この漏尽通力というテーマに関しては、いまだ、これほど徹底した文献が出たことはありません。また、これを考えるに際しての補強資料となるべきものも、地上には見当たりません。すべて、私自身の経験と霊的体験に基づいてつくられた書物であると言ってよいでしょう。
本書の副題には「現代的霊能力の極致」という題を付けてみましたが、霊能力がさまざまなかたちで百花繚乱(ひゃっかりょうらん)の様相を呈している現在、まさしく、今、求められているものこそ、釈迦の時代における漏尽通力の現代的展開であると、私は思うのです。
まず、何ゆえに、今、この漏尽通力ということが必要とされるのでしょうか。そのことを述べておきます。
前章までに語られているように、霊能力のなかには、「霊視」や「霊言」、「霊聴」、あるいは「他心通力」、「予知能力」、「幽体離脱能力」など、さまざまなものがあるわけですが、漏尽通力とは、実は、そうした霊能力を足場にして、さらにその上に屋根をつくるための力でもあるのです。すなわち、さまざまな霊能力は、それ自体は一つの”武器”として有用ではあるのですが、残念ながら、その剣の使い方を誤った際には両刃の剣となり、使う人自身を傷つけるだけでなく、周りにいる人をも傷つけることになります。
そのため、「これらの霊的能力をひとまとめにして統御する能力」というものが必要になってくるわけです。
したがって、漏尽通力という霊的能力は、その基礎に二つの内容を含んでいると言えます。
第一の能力は、さまざまなる霊能力をすべて十分に使いこなせるという「操縦能力」「切り替え能力」です。さまざまな霊能力を使い分けられ、またそれをどの程度の強さで、どのように使用するか、これらをまとめうる力です。
漏尽通力の第二の面とは、実は、地上に降りた人間にとって、本来の世界にある思想及び行動能力を三次元的に展開していくための最大の方法論であるということです。
今、幸福の科学では、私の説く仏法真理を中心に、さまざまな霊言・霊示集等を通して地上に仏国土ユートピアをつくることを目指していますが、地上に仏国土ユートピアをつくるためには、「霊的世界の法則性」と「地上界の法則性」の違いを違いとして認めた上で、これらに架橋(かきょう)するだけの理論が必要になります。この架橋理論が、実は漏尽通力に当たるわけです。
ここでは一般的には見慣れない「漏尽」という非常に古い言葉を使っていますが、これを別な言葉で言うとするならば「架橋能力」とも言うべきものなのです。すなわち、現代的には、実在界とこの現象界との間に橋を渡す「架橋能力」であると言い換えてもよいでしょう。
2 漏尽通力の現実への適用
「実在界と地上界との間に橋を架ける能力としての漏尽通力」という話をしました。
では、この漏尽通力の現実への適用面ではいかなる問題があるのか、また、いかなる課題があるのかということについて語っておきたいと思います。これを現実に適用する場合に起きる問題としては、次の三つが考えられます。
①霊的世界の感覚と肉体感覚との調和
第一は、「霊的世界の感覚と現実的な五感とをどう調和させるか」という問題です。
すなわち、例えば、霊視能力というものがあると、さまざまな霊の姿、霊姿(れいし)が見えます。また、霊姿のみならず、オーラが視えたり、いろいろな霊的雰囲気を感じ取る能力が得られます。こうした五感ならざる感覚が発達したときに、現実の肉体的感覚においてもかなりの不快感が出てくるのです。
さあ、これをいったいどのように断ち切るべきでしょうか。そこが大事になるわけですが、肝心な点としては、まず、「霊的知識をしっかりと持っている」ということが挙げられます。
さまざまな霊現象を見て心が動揺する理由は、それを異様なものと感じ取り、自分の経験の範疇(はんちゅう)にないことだと驚くところによるのです。
それゆえに、「霊的現象の説明が自分の心に納得のいく方法で理解できる」ということが、実は最初の段階にあるわけです。さまざまな霊の姿が見えたり、声が聞こえたりといったことがあったとしても、その現象を自分なりに説明し尽くせるかどうか、一瞬にして納得がいくような説明をしうるかどうかが大事なのです。
このような能力がなかったり、霊的知識がない人であるならば、たとえば「墓場で幽霊を見た」とか「夜中に自分の枕元に立った」といったことで非常に狼狽したりするのかもしれませんが、霊的世界の真相を知ってしまうと、幽霊を見たところで何も感じなくなります。不思議でも何でもないのです。
むしろ、彼らが今、何ゆえにそうした状態になっているかということが一瞬にして分かわけです。もう少し勉強するならば、どこが間違っているのか、心の誤りが一体どこにあるのかなどが分かるようになります。幽霊を見たとしても、一瞬にして、彼らの過ちが分かり、彼らに何を諭せばよいのかが分かってくるのです。したがって、そうした霊姿、霊的な姿が見えたとしても、何ら怖れることはないわけです。
それゆえに、漏尽通力を現実において適用する能力としては、第一に「霊的知識の充実、仏法真理知識の充実」ということを挙げておきたいと思います。
【大川隆法 『漏尽通力』第7章「漏尽通力」講義 より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
ここで、反省の基礎を学ぶべく経典『信仰告白の時代』より第3章『反省の原点』を学びます。経典をお持ちでない方はこの機会にぜひご拝受ください。【税込み1800円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『反省の原点』
5 宗教の本質
人間であるからには、間違ったことを思うことも当然あるでしょう。間違った行いをすることも当然あるでしょう。しかし、そのときに、みずからの魂の奥なる声に、よく耳を傾けてほしいのです。
青少年に関わる問題として、先ほどの情欲の問題についていえば、人間には全員、羞恥心(しゅうちしん)というものがあるはずです。一万人の人がいれば、一万人全員が、恥ずかしいという気持を持っているはずです。
なぜ羞恥心があるのでしょうか。それは、仏が人間に対して「畜生道に堕ちるな」という警告のために与えている感情なのです。これがあるから、罪の意識というものが起きてくるのです。
このように、人間は間違いを犯す存在ではありますが、それを悔い改め、考え直すチャンスは、いたるところにあります。まず、自分の心のなかに、それを感じとるものがあります。悪いことをすれば、うしろめたさを必ず感じるでしょう。他人を騙して商売をしたあとは、夜、苦しくて眠れないでしょう。そのとおりです。嘘はつけないようになっているのです。他人は騙せても、自分自身は騙せません。自分自身の良心は騙せないのです。自分自身の良心が通じている「仏の心」は、決して騙すことができないのです。
それが、人間として当然感じるべきことです。間違った思いが出たり、間違った行いをしたりすることもあるでしょう。しかし、そのときには、良心というもの、心の奥なるよき心というものと、よく相談していただきたいのです。そして、踏みとどまることが大事です。
反省というもの、そのような時のためにあるものなのです。人間は、この世で自由自在に生きているようでありながら、実は、六根に惑わされ、感性のままに流されていきます。それが、多くの人のありふれた普通の姿なのです。
悪を想い、悪をなしたのであるならば、反省によって、悔い改めによって、まずそれを断つことです。みずからのなした悪しき行いについて、深く反省をすることです。自分自身の良心に対して自分自身の真心に対して、自分自身の心の奥なる守護霊に対して、そして仏に対して、「申し訳なかった」と詫びることです。そして、「今後、悪はなすまい、思うまい」と誓うことです。さらには、「善をなそう、善きことをなそう」と思い、実際に善をなしていくことです。
宗教の本質は、難しいところにはありません。「悪を押し止(とど)め、善を推し進める」―これが宗教のすべてなのです。
それを、薄っぺらな道徳だと思う人もいるかもしれません。しかし、紙の上の活字だけで、そうした言葉が飛び交っているのではなく、みなさんが生きている真実の世界は、そのような世界なのです。
善悪は、この世を去った世界において、その姿を明確に現わすようになります。善を思い、善を行じて生きる人との違いは、生きているあいだにも現われてくるでしょうが、地上における現われ方は、まだ個人個人に差があるでしょう。しかし、地上を去った世界においては、その人間の人となり、思いと行いは、寸分の違いもなく、確実に測られることになります。そして、ほんとうの意味での「完全な自由」というものが、どれほどまでに恐ろしいものであるかということを、みなさんは知るようになっていきます。
すべては、本来の世界における魂の尊さ、高貴さというものを忘れ去り、六根という六つの感覚器官から発生する感情を自分自身だと思い、また、その対象によって迷わされてきた結果なのです。
人間である以上、地上では肉体を去った生活はできません。いくら断食をして食欲を断とうとしたところで、死んでしまえば、肉体を持つ人間としての修行は、それで終わってしまいます。過去には、異性に惑わされないよう目をえぐり取った修業者もいますが、そんなことをしたところで、煩悩そのものがおさまるわけではありません。
生きている人間であるかぎり、どのようなことをしても、その生命に付随して欲望というものが必ず出てきます。生きていこう、伸びていこうといる思いに付随して、欲望は出てきます。
しかし、欲望というものは、氾濫する河にも似て、田や畑を水びたしにしてしまうものなのです。したがって、川の水そのものをなくしてしまうことはできませんが、堤(つつみ)、堤防をつくって、川の水を反乱させないで流していくことが大事なのです。川の水を氾濫させてはいけないのです。よくそれを防ぐことです。そして、まっすぐに流してこそ、人のためとなり、世のためとなっていきます。まっすぐに流した川であってこそ、人びとのためになり、世の中の役に立っていくのです。
そのように、「己を調える」ということが、限りなく大切なことなのです。
【大川隆法『信仰告白の時代』第3章『反省の原点』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
■□■□■□■□
11 余命を悟ったら、一日一日をどう使おうかと思ってみよう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き

