(7/11-1)【基礎教学通信】192【7月11日】『正義の言葉「仏説・降魔経」を読む9悪魔の軍隊 六 恐怖―「仏陀再誕」人類の運命を賭けた聖なる戦いのために―『宗教の挑戦』世界宗教の思想的条件

正義の言葉『仏説・降魔教』

39 人が裁きたくなったら、「汝らのうち、罪なき者のみ石にて打つがよい。」とつぶやくがよい。

【※キリスト教の聖書のエピソード・イエスを試すために、律法学者たちやファリサイ派の人々が、「姦通の現場で捕らえられた女」を連れて来た。律法では石打ちの死刑に値する。当時の石打ちの死刑の仕方は、罪人を顔と頭だけ出して穴に埋めて、罪なき人が罪人に石を投げて死ぬまで続けるというもの。見せしめの意味があると考えらますがかなり残酷な方法です。イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言った。これを聞いた者は全員、自分が罪を犯したことがあると知っているので、誰も女に石を投げることができず引き下がった。また、イエスも女の罪を許した。―ヨハネによる福音書8:2-11参照―】

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。
7月7日は主の御生誕日でした。1956年7月7日午前7時ごろ、主は一切の衆生救済と地球を越えて銀河系を超えた宇宙の法を説くべく、徳島は川島の地にご生誕されました。
この日は、人類史上最大の奇跡として後世に語り継がれます。私たちは、2000年、3000年後には神話として残るであろう歴史的事実に立ち会っているのです。
伊勢支部では12(日)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。

この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。皆様万難を排してご参集ください。
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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『大川隆法 
初期重要講演集⑥悟りに到る道』から第2章の「仏陀再誕」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、一九九〇年十月二十八日に、一九九一年七月の「エル・カンターレ宣言」に先立ちて、縁生の弟子達へ、仏弟子の本懐である伝道に邁進せよと激励された、再誕の仏陀の獅子吼です。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1800円】
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■『大川隆法初期重要講演集⑥悟りに到る道』第2章「仏陀再誕」
4人類の運命を賭けた聖なる戦いのために
○救世の法が説かれるときになすべきこととは

これだけの真理が説かれていても、まだ、日本の、日本人の多くは眠りのなかにあります。その事実を知りません。今、この極東の小さな国において、人類の運命を賭けて、一つの聖なる戦いが始まっているということを、多くの日本人はまだ気づくこともなく、泰平のまどろみのなかにあります。

しかし、その時代認識があったなら、今、日本人としてやらねばならぬことがいったい何であるかが分かる。それはやがて、何十年か何百年か、その年数は知らぬが、今、日本人として生まれた人は、己がこの事実に気づかず、この聖なる使命に参画しなかったことを、魂の奥に、深い悔恨と共に必ず刻印することになるのです。

釈迦が生まれたときのインドに、同じく生を享けた者は多かろうが、
その事実を知らずに去った者の哀れなることよ。
イエスの生まれしイスラエルに、生命を持った者は多かったであろうが、
その事実に気づかずに、泡沫(うたかた)のごとき生命を終えた者の哀れなることよ。
いや、むしろ、気づかぬままではなく、
嘲笑(あざわら)い、嘲笑(ちょうしょう)し、批判し、非難し、地上を去った者の悲しさよ。
その悲しさは、決して取り返しのつくものではない。
どれほど反省しても取り去ることができない、魂の烙印となっているのだ。

今、あなたがたの前に、イエス以上の者が現れているのだ。
今、あなたがたの前に、二千六百年前に、
インドにゴーダマ・ブッダとして呼ばれた者以上の者が現れているのだ。
その事実を知るか知らぬかは、認めるか認めぬかは、
一人ひとりの魂の賭けでもあろうが、
しかし、その賭けは外れた場合に大いなる後悔を伴うものであることだけは、
私はこの場で言っておく。

わが声、今回発せられて、すでに四年。【当時1990年・立宗1986年】
幸福の科学に集いたる者、その数およそ十万、
日本人残れるは一億二千万、世界五十一億、二億の民が、
あとその事実を知らずにいる。
救世の法が説かれるということは、
すべてのものを投げ捨ててでも集わねばならぬということなのだ。
幾転生を繰り返し、幾十転生を繰り返し、
幾百転生を繰り返し、幾千転生を繰り返し、
まだ、そのことが分からぬか。
まだ、そのささやかなる真実が分からないのか。

イエスは言ったではないか、
彼の弟子となる者たちに、「その網を捨てて、我に従い来よ」と。【※マルコの福音書1-14】
「網を打って魚を獲っている時期か。今、人を漁(すなど)るべき時が来た」。
「人を漁(すなど)る」とは、人々の魂を救うということです。
人々の魂を救うべき時が来ているのに、
いつまでも、川のなかや池のなかや海のなかで、小さな魚を追いかけているか。
それが日々の糧になるからといって、何ほどのものがあろうか。
人類救済の時に救済せずして、それ以外のいかなる仕事があろうか。
この仕事がすべてであり、それ以外のものは余技(よぎ)なのです。
そのようなものは、あなたがたの天職ではないのです。

わずか数十年、この地上で魂がまとっているところの肉体を食べさせ、
自分の周りに住んでいるところの数人の人間を満足させるためだけに、
一生を使っていいと、本当に思っているのですか。
それならば、現代の日本に生まれるな。
あなたがた以外に生まれたかった人は山のようにいるのです。
その人たちを押しのけて、あなたがたは生まれてきたのです。
その事実を何とする。誰に詫びる。
そんな気持ちで生きるのならば、
この日本に生まれたいと言っていた多くの魂たちに、
変わってやればよかった。
それが人間として取るべき道であった。
にもかかわらず、
「自分のほうが大きな仕事ができるから」と、
「自分のほうがお役に立ちますから」と言って、
あなたがたの多くは、先を争って出てこられたのです。

【『大川隆法初期重要講演集⑥悟りに到る道』第2章「仏陀再誕」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第七番目、最後の経文である『仏説・降魔経』についてです。

『正義の言葉「仏説・降魔経」』は、『仏説・正心法語』の最後を飾るお経であり、今までにない経文だと言われています。悪魔との対決についても、「幸福の科学」の基本教義として、明確に根本経典の中に入っています。それでは、引き続き経典『仏陀の証明』より主の御解説をご紹介いたします。

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●悪魔の軍隊 ⑥恐怖
恐ろしい、怖いという恐怖心が膨らんでくると、夜に人の足音が聞こえただけでも、「鬼か」と思ったりします。恐怖心に襲われると、「自分は迫害される」と思ったりもします。「自分は殺される」などと思うと、なんでもかんでも疑心暗鬼になってしまい、そうした恐怖に囚われたところを、今度はまた魔に襲われるのです。

たとえば、身内に何か不幸があったとしましょう。しかし、身内が病気になったり、身内に死ぬ人が出たりするというのは、どこにも起こることです。どの家庭でも、十年や二十年に一人ぐらいは人が死ぬものです。病気にだって罹ります。また、事業においても、よいことも悪いことも、いろいろあります。

しかし、迷信深い人は、悪いことが何かあると、すぐ疑ってかかり、恐怖に取り憑かれます。そして、宗教巡りをしたり、神社仏閣巡りをしたり、占いをしたりと、いろいろなことに凝り、財産を巻き上げられるなど、まんまとその罠にはまっていくのです。

この恐怖も悪魔が使います。特に邪教団など、この恐怖心をよく使います。
「あなた、大変なことになりますよ」と脅して、金を巻き上げるのです。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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☆悪魔の十の軍隊☆
①欲望
②嫌悪
③飢渇
④妄執
⑤ものうさ・睡眠
⑥恐怖
⑦疑惑
⑧「みせかけ」と「強情」
⑨誤って得られた利得・名声・尊敬・名誉
⑩自己をほめたたえ、他人を軽蔑する

悪魔の軍隊の六番目は「恐怖」です。この恐怖心の虜になると、人は理性を失い、恐怖の身に反応する感情に心が支配されて、人は考える力である知性や、霊的直観能力である悟性の働きを失ってしまいます。

恐怖心は、人間の考える力を奪います。恐怖心という闇に囲まれて、人間は自らの光を見失う時がありますが、これが魔境です。光に勝てる闇は絶対にありません。だから、恐怖心に対しては、理性と悟性で対処しましょう。考える力が理性と悟性に力を与えます。

まず、感情的になって判断できない状況から脱出しましょう。恐怖の根っこの部分をしっかりと見ることが大切です。怖がっている原因がしっかり理解できれば、恐怖心のほとんどはなくなってしまいます。これも原因あっての結果で因果の理法です。原因がハッキリしたら勇気を出して、目の前の状況から逃げないことです。主の仏法真理に沿って考えることで、問題としっかり立ち向かうことで、恐怖心は見る見るうちに小さくなってしまいます。

恐怖心に関して、私はこのようなたとえ話を聞いたことがあります。
ある街を恐ろしい怪物が襲いかかりました。おぞましい声と口から炎を吹きながら、町の中心へと近づいてきます。恐怖を目にした街の住人は、訳も分からず怖がり、町の中心にあるお城に避難します。

そこで勇者が一人表れて、勇者は王から託された勇気の鉞(まさかり)を手に取って怪物を退治すると城門から飛び出して、怪物に向かって歩いていきました。その怪物も大きな叫び声あげつつ一歩ずつ城に近づいてきます。

はじめは遠くに巨大な姿をしたその怪物は勇者が一歩足を進めれば、怪物も一歩近づいてきます。不思議なことに、遠くにいたとき、怪物は超巨大な姿に見えていたのにもかかわらず、勇者が一歩一歩、怪物に近づくごとに、その姿がみるみる小さくなっていきました。最後に勇者がその怪物と向かい合わせになるぐらいに近づいたときには、小さな虫のような大きさにまでなっていたということです。その怪物の名前は「恐怖」であった。というのがこの話の落ちです。
私たちの心にある「恐怖心」はこんな存在です。私たちが何の考えなしに、それを恐れるが故に恐怖自体が巨大化してしまっているのです。

悪魔は明るく、積極的に、建設的に考える人間が嫌いです。常に考える人になるためには、神仏から来る光を常に供給している必要があります。

恐怖心は闇です。深い深い暗闇です。この闇を打ち破るのは光です。光とは仏法真理ですから、やはり、「仏説・正心法語」を読誦したり、人のために祈り、主の教えを毎日少しずつ学び続けて、反省を重ねることが大切です。光によって、闇は必ずうち払うことができます。ともに精進を重ねてまいりましょう。

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心の指針12 『信仰心と希望』
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他人への不信感をあらわにし、
時に怒りに身を任せ、
暗黒の未来を、心に描く。

智慧の不足は、
十分に怖れるがよい。
仕事の詰めの甘さは、
反省を必要とする。
能力の過信は、
常に誡めなくてはならない。

しかし、信仰心だけは
手放してはならない。
信仰は、
あなたに勇気を与える。

信仰は、
あなたに、
やる気と、未来への希望を与える。

心が疲れてしまったら、
「主よ、あなたを信じます」
と、繰り返して、言葉に出しなさい。
必ず、希望は叶う。
希望は、実現するしかないのである。

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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第6章「世界宗教への道」
○世界宗教の思想的条件

さらに、世界宗教となるための条件には、教義的な側面が大きく二つ必要ではないかと私は考えています。

その第一点は、個人というものを一つの出発点に持たなければならないということです。

その人間の救い―その人がいかにして不幸から幸福に至るか、苦悩から救われるかという個人の問題を解決できないものであっては、逆の意味において普遍性がないと言えると思うのです。たとえ、世界ユートピアとか、世界はみな兄弟といようなことをいくら打ち上げても、あるいは地上天国を創るんだということで、いくら美術館を建てたり、花園を造ったり、公園を造ったりしたところで、やはり個人というものの救済がなければ、その宗教そのものに普遍性はないと思います。

ですから、宗教の世界においては、個別的なるものがかえって普遍性を得るという不思議な傾向があります。世界宗教になったもので、個人の救いを考えていない宗教は、いまだありません。キリスト教にしても仏教にしても、すべて個人の救いというものを非常に大事にしています。

これからユートピア思想が広がってゆくにつけても、個人の悩みの解決を無視した思想論、大局論が出てくる惧(おそ)れが十分あると思います。しかし、やはり原点は個人です。神が人間を創られ、人間を通じて理想社会を建設しようと考えられておられる以上、個人を対象とすることを外した教えは、究極のもの、普遍性のあるもの、世界性を持つものにはなりえないと思います。ですから、まず個人の救いというものを考えなければなりません。

そして二番目には、世界論として、どうしても解決しておかねばならないものがあると思います。

その世界論とは、「神仏が全知全能の存在であって、この地上界に人間を在らしめ、動植物を在らしめているとするならば、この地上に、なぜ悪があるのか。この地上になぜ不完全なるものがあるのか、なぜ苦しみがあるのか。なぜ悪霊や悪魔と言われる存在が出てきたりするのか」ということについての理論です。

悪の存在について、これを解決する理論を持っていない宗教は、世界宗教たりえないと私は考えます。個人の救済の問題を一番目にあげましたが、二番目は、この地上の矛盾、腐敗、悪、苦しみというものに対して明確な考え方を提示できなくては、世界宗教にはもはやなりえないと言えます。

神の全能性・完璧性と、地上生活の不整合・不統一、この矛盾するものをいかに統合するか、ここにこそ宗教はその精力を注ぐべきです。そして、これに成功したものが世界宗教になり、成功しなかったものは民族宗教あるいは地域宗教のレベルに止まるのである。このように私は考えます。

【大川隆法『宗教の挑戦』第6章「世界宗教への道」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。

エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。

【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。

■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】

■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える

■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする

信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え

戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。

これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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