4 妖怪は、根本的にうぬぼれており、自分をどう変えるかではなく、自分がどう変わったように見えるかに関心がある。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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はじめに、主の心原点に立ち返るべく、1989年の9月9日に説かれました『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』の教えを振り返ります。経典お持ちでない方は、必ずご拝受ください【税抜1500円】
本書は一種の人生論です。いや、むしろ人生論の解説書ともいうべき趣のある書物であると言ってよいでしょう。本書の表題である、「人を愛し、人を生かし、人を許せ」という短い言葉は、私の人生に大きな転機をもたらしました。(「まえがき」より)
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■人を愛し、人を生かし、人を許せ。
二 「人を愛する」とは
1 与える愛で人生が変わる
「人を愛する」ということは、言うのは簡単ですが、実践するのは実には難しいことです。
「毎日の生活のなかで、人を愛するとはどういうことか」と問いかけられたとき、みなさんがすぐに思いつくのは何でしょうか。電車のなかで席を譲ったり、小さな子供が転んだのを助け起こしたりするぐらいのことではないでしょうか。
この問いに答えるのは難しいことなのです。「人を愛するとは、こういうことです」と羅列して書いてある本もありません。それは自分自身で発見していかねばならないのです。
たとえは、あなたが結婚している女性だとしましょう。あなたは「私は夫を愛している。一生懸命に愛を注いできた」と思っているでしょうが、その愛は、私が語っている愛と一致しているかを考えてみると、違うところもあるのではないでしょうか。
あなたは「これだけ夫に尽くしたならば、当然、それだけの見返りが来るはずだ」と考えてはいませんでしたか。
あるいは、「与える愛だ」と思いつつ、相手を縛ってはいませんでしたか。愛という名の言葉で、相手の行動や思いに枠をかけていただけではありませんか。
この二つの観点から見たとき、あなたの愛に問題はないでしょうか。これは、言われてみないと分からないことなのです。
子供に対する親の愛も同じです。愛していると称して、その実、心配することだけを習慣にしている人がいます。「うちの子は事故を起こすのではないか」「試験で失敗するのではないか」「悪い子になるのではないか」など、いつも悪い予測ばかりを口にし、心配することをもって愛だと思っているのです。
しかも、その心配はほんとうに子供のためなのかを考えると、必ずしもそうではないはずです。子供のためといいながら、実は自分のために心配しているのではないでしょうか。そうした事態が起きると自分が困ると考えているのではないでしょうか。
たとえば受験生を子に持つ人であれば、「子供が受験に失敗すると困る」と心配しているでしょうが、本当にその子の将来を考えて、そう思っているのでしょうか。
「自分がまわりに対してあまり格好がよくない」「その後の一年間、自分も余分に苦しまなければならない」などの理由で、困りと思っていることも多いのではないでしょうか。
「もっと単純に相手のことを考えて、愛を発揮したことがあるだろうか」と考えていくと、「愛を与える」という、幸福の科学の原点となる考え方であっても、極めて難しいことが分かると思います。実際、それは難しいことなのです。そう簡単なことではありません。
それではどうすればよいのかというと「知る」ということが出発点になります。「愛を与えることは一つの修行目標であり、愛の思いを発することで、人生は変わりはじめる」ということを知るのが出発点なのです。
この考え方が正しいことを、私は身をもって体験しました。他の人から賞賛を受けたり、尊敬されたり、やさしくされたりすることを求めるのではなく、「多くの人たちに少しでも役立つことをしよう。他の人たちが喜ぶことをしよう。他の人が少しでも笑顔になることをしよう」と決意して生きはじめたとたん、人生が変わりはじめたのです。
「私はもう、他の人のほめ言葉や賞賛を欲しいとは思わない。人から感謝されたいとも思わない。ただひたすら、多くの人のために生きよう」と決意して、その第一歩、第二歩を記したところ、私の身の回りには、まったく違った光景が現れてきました。私の考え方に賛同してくれる人がたくさん出てきて、多くの人が私を助けてくれたのです。
自分のために生きようとすれば、他の人は助けてくれません。ところが、他の人のために生きようとすれば、他の人が助けてくれるのです。まことに不思議なことなのですが、これは一つの法則だと言ってよいでしょう。
【大川隆法『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』第1章「人を愛し、人を生かし、人を許せ」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『新・心の探究』より反省の原点である「心の浄化」について学びます。心を清浄にして妖怪性から脱却しましょう。
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■『新・心の探究』第4章「心の浄化」
1心の浄化とは
さて、第4章では心の浄化について話をしていきたいと思います。この心の浄化とは、一般的に反省という言葉でも語られていることですが、心の問題を語るさいに、浄化ということを抜きにして語ることは不可能であると思います。いろいろな宗教においても、この浄化ということがいろいろなかたちで語られています。あるところでは反省といい、あるところでは懺悔(ざんげ)といい、あるところでは禊祓(みそぎばら)いといい、またこの浄化という言葉そのものにも近い、お清めという言葉を使っているところもあります。
そのニュアンスはさまざまに違うところがありますが、いずれも言わんとするところは、人間の心というのは、ともすれば穢(けが)れやすく、また曇りやすいものである、よって、ときおり窓ガラスをふくように心の表面についた汚れを落とす必要があるという意味です。
これは、確かに言われてみればそのとおりであります。一言で心の浄化とは言うけれども、ちょうど私たちの一日というものは、排気ガスを出して、埃っぽい街のなかを走り回っている車のようなもので、一日走ると、さまざまな埃がかかったり、あるいは雨に打たれたり、落ち葉をかぶったり、そのような形でいろいろな汚れというものが表面についてくるわけです。そして車が洗車をしなければいけないのと同様に、洗心というものをしなければ、心は永遠に美しくなることはないわけです。
ちょうどみなさんが新車を買われても、その新車を一度も洗車することなく使っていれば、だんだん塵や垢がたまってきて、まるで中古車のように見えますが、同じように人間の心というものも、なかなかそういうわけにいきませんし、埃がうず高く積もった上にペンキを塗ろうとしても、それが実現されることも難しいと言わざるをえません。
【大川隆法『新・心の探究』第4章「心の浄化」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第1章「序論」
3 反省の出発点とは
〇信仰から「正しき心の探究」は始まる
みなさんは、今、「幸福の原理」として、「愛・知・反省・発展」という四つの基準があることを勉強しているはずです。したがって、その基準から言うならば、今、語ろうとしている「反省」というものは、「幸福の原理」のなかの一つということになるわけです。
しかし、「その奥に、その基底に、もっと深いものがあるのではないか。もっとしっかりとした土台が必要なのではないか」ということを考えなければならないのです。
ここで、みなさんに強調しておきたいことがあります。それは、いったい何かというと、「愛・知・反省・発展という四つの考え方は、それぞれを独自に、バラバラに探究すればよいものではない。また、それぞれが海の上に点在する氷山のように、バラバラに浮かんでいるものでもない」ということです。
さすれば、この「幸福の原理」は、どのような土台の上にあるのでしょうか。そうした土台をなすものがあるはずです。その土台をなすものが、実は「信仰」と言われているものなのです。
「信仰」というと、みなさんは、どこか遠いところにある神仏を拝んだり、他力を頼んだりするイメージが強いかもしれません。
しかし、「信仰の原点」はいったいどこにあるかというと、「みなさんが神仏によって創られた」という創造の秘密にあるのです。「みなさんが神仏によって創られた」ということを信じるか、そして、「神仏によって創られたみなさんが、永遠の生命のなかを無限の転生輪廻を繰り返しながら魂修行をしている」という説を信じるかということです。まずこれを問われているわけです。
これを信じるとき、そこに「信仰」が始まります。この信仰がない場合には、何も始まらないのです。信仰という土台の上に、「愛」も「知」も「反省」も「発展」もあるわけです。「正しき心の探究」もそうです。すべてに、信仰という土台があるのです。
したがって、信仰心というものを安易なものに思ってはなりません。あるいは、手垢のついたものとして考えてはならないのです。そうではなく、もっと深い根源的なものです。
【大川隆法『真説・八正道』第一章「序論」34p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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■『永遠の仏陀』
第一章 目覚めよ
〇心の窓を開く
師というものは、弟子を観て法を説く、
弟子たちは、死から数多くの教えを学ぶために、
謙虚に心を開かねばならぬ。
謙虚に心の窓を開くことなくば、
仏法真理の光は、射してくることはない。
射してこないことは、光の罪ではない。
戸を閉ざしている己自身の迷いが、その罪なのである。
その迷いを取り去らねばならぬ。
生れ落ちてよりのち、
思想や教育、信条、家庭環境によってつくられたる、
その迷いを取り去らねば、
仏の声が素直にあなたがたの心に射しこむことはあるまい。
心を開き、素直な態度にて、教えを学ぶことだ。
そうすることによって、
あなたがたは初めて、
みずからの魂が、いかなる方向に求めているのかということを、
知ることができるのだ。
この魂の悦びは、何物にもかえがたいものだ。
仏法真理を知った悦びは、
どのような金銀財宝にもかえることができないほど
尊いものであるのだ。
たとえ、目の前に、山のごとく金銀財宝を積まれたとしても、
そのようなものに、目を奪われてはならぬ。
たとえ、いかなる地位にあなたを就けようと言われたとしても、
そのような言葉に、心揺れてはならぬ。
たとえ、世間の人々があなたがたをあざ笑うとしても、
そのようなことで心揺れてはならぬ。
私はあなたがたに、繰り返し繰り返し説いているはずだ。
あなたがたにとって、いちばん大切なものは、
魂を高めるということなのだ。
魂の糧になるものを選び取るということなのだ。
魂の悦びをもって、人生最大の悦びとせねばならんのだ。
魂の糧となり、魂の栄養分となるもの以外に対して、
心奪われてはならないのだ。
あなたがたは、名声から遠ざかっているがよい。
あなたがたは、
さまざまなる、この世的な評価から遠ざかっているがよい。
そのようなことに心を奪われて、
真実の教えを聞かないならば、
河原に生えた葦のごとく、
無常の風のなかで震えている以外の人生はないということを、
知らねばならない。
生命(いのち)ある人間であるならば、
尊き人間であるならば、
法を知ることの悦びを、すべてのものの上に置け。
【大川隆法『永遠の仏陀』第一章「目覚めよ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第一章 菩提樹下の悟り
5 村娘
ゴータマはやがて、ガヤーの近くにある象頭山(ぞうずせん・ガヤーシーサ)の洞窟を出ました。丘の麓(ふもと)を下りていくと、そう遠くない距離にナイランジャナー河があります。川のほとりの、ウルヴェーラの森があるセーナーニ村で、心機一転して新しい修行の日々を送りました。
現在、スジャーター村とも呼ばれているその村は、土地は美しく、林は清らかで、さわやかな風が渡り、流れは澄んでおり、修行に最適の環境でした。河で沐浴をしていると、やせた体が流れに足を取られることさえありました。
そうしたある日、河の向こうから、村娘の歌声が聞こえてきたのです。その歌は、懐かしい人間世界の歌のようでもあり、また、ある意味では、天上の世界の歌のようでもありました。
それはインドに昔から伝わる民謡の一つでしたが、当時の楽器で、現在で言うならば琵琶にあたるようなものについての歌でした。
「琵琶の弦は、強く締めれば切れてしまう。弱く締めれば音色が悪い。
琵琶の弦は、中ほどに締めると音色がよい。
弦に合わせて、踊れや踊れ。弦に合わせて、躍ろや踊ろ―」
そのときにゴータマが感じたことは、わが身とその村娘との対比でした。その村娘は、修行にやつれたゴータマにとっては、まるで天女のように見えました。美しい目の輝き、亜麻色(あまいろ)の髪、生命力にあふれた身体―。その全身からは、村娘という身分に似つかわしくない、素晴らしい香りが漂っていました。
それに引き比べ、わが身は骨と皮ばかり、目は落ちくぼみ、あばらは浮き出し、誰が見ても、いつ死んでもおかしくないような肉体でした。「三十五で、もう人生を終えてしまうのか」というような姿だったのです。
その村娘はゴータマの姿を見ると、橋を渡り、駆け寄ってきました。そしてスジャーターと名乗ると、ひと椀のミルク粥を差し出しました。
その粥をひと口すすったとき、なんともいえない熱い涙が、ゴータマの両ほおを伝って流れ落ちていきました。そのミルク粥は、当時の食べ物としては決して高価なものではありませんでしたが、木の実や草の根を食べていたゴータマにとっては、天上のものとも思われるようなおいしさをふくんでいたのです。
そのときに流した涙の意味は、生命の喜びを捨てて苦行に生きている自分の姿の恥ずかしさ、虚しさだったと思います。
「修行することが、骸骨のような肉体となり、この地上の生命を断ってしまうということならば、それはいったい、いかほどの美をふくんでいるのか。いかほどの値打ちをふくんでいるのか。
このスジャーターという村娘は何の悟りも得ていないだろう。法を学んだことも、修行をしたこともないだろう。そのスジャーターが、なぜこれほど光り輝いているのか。まるで天から来た者のように輝いているではないか」
その違いは、結局、生きていこうとする者と、死んでいこうとする者とのちがいもあったと言えましょう。
思わず知らず、両眼からあふれ、ほおをぬらした涙―。ゴータマは「自分にはまだ、流す涙があったのか」と驚く半面、「生命を捨て、死につこうとする心は、いかに惨めでわびしいことか」ということを知りました。
この村娘との出会いが、ゴータマに次なるきっかけを与えることになったのです。それき、三十六歳になる前、三十五歳と数か月のころのことでした。
【大川隆法『釈迦の本心』第一章「菩提樹下の悟り」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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96 貧者の一灯。貧しくとも神仏に感謝できることの喜び。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
