(6/6-2)【阿羅漢への挑戦】157―66『仏陀再誕』を読む―成功への道―『八正道の再発見』「反省しなさい」と言われても、大人は素直に聴けない理由―『真説・八正道』時間の経過、経験の流れのなかで光を増していく―『漏尽通力』心の神秘

『仏陀再誕』

71 ヒットラーとスターリンが地獄で、ピストルで決闘した。弾丸が発射された後、二人とも、さらに深い井戸の底に落ちた。近所にはサダム・フセイン用の井戸がもう掘られていた。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

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■何を祈るべきか

「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―

このように祈ることが大事です。

【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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ここで、反省の王道である八正道について学びを深めてまいります。本日学ぶ『八正道の再発見』は経典『大川隆法初期重要講演集ベストセレクション②―人間完成への道』に収められています。経典をお持ちでない方は、とても大切な教えですのでお近くの支部や精舎、全国の書店にてお求めください。【税抜1800円】
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■『大川隆法初期重要講演集ベストセレクション②―人間完成への道』
第4章『八正道の再発見』
1 なぜ「反省」は必要なのか
〇「反省しなさい」と言われても、大人は素直に聞けない理由

今日は、「八正道の再発見」という題を付けてみたのですが、「再発見といっても、そもそも八正道とは何かを知らなければ再発見のしようがない」、そう思っている方もいらっしゃるでしょう。「一度、八正道の話をしてから、もう一回、再発見の話をしに来てください」と、そういうふうに思われる方も、なかにはいらっしゃるかもしれません。

今では、この「八正道」というのは、非常に古い「昔の話」になってしまいました。その八つをすべて言える人も数少ないのではないでしょうか。

まず、「八正道」と言うが、その前にあるのは何かというと、「反省」です。反省という教えがあって、そして、専門的な領域としての八正道というものがあるわけです。

したがって、「反省とは何か。どうしてそんなものがいるのか」、このへんから話は入っていかなければいけないわけなのです。

確かに、小学校のころには、「反省というのは大事ですよ」とか、そういうことは聞いたことがあるかもしれない。家庭のなかでご両親から、「反省しなさい」と教わったことはあるかもしれない。

しかし、それははるか昔の話であって、成人してからあとは、そんなことを言われたこともないでしょう。もし言われたとしても、おそらくはカチンときて言い返したのではないでしょうか。

職場の同僚から「おまえ、反省しろ!」と言われたら、「何を言うか」などという感じで怒ったり、あるいは大人になってからは、ご両親に言われたりすると、もっと反発するでしょう。「反省しなさい」などと言われると、「俺ももう一人前なのだから、何を言うんだ」、あるいは、「私だって、もう大人よ」という感じで、たぶん言い返されるのではないでしょうか。

このように、「反省」という言葉は、小さいときにはわりあい素直に入るのですけれども、成人してくると、なかなか素直にそれを聞くことができないのです。

「なぜだろうか」ということを、お考えになったことがありましょうか。

小さいときに「素直に反省しなさい」と言われて素直に反省できた理由というのは、言われている相手が「先生」であるとか、あるいは、「両親」であるとか、自分と明らかに立場が違いました。目上の方であって、抵抗のしようがありません。親と喧嘩はできないですし、先生と喧嘩をしたら卒業できないだけのことです。もう、それはよく分かっている。ゆえに、「立場が明らかに違うから素直に聞かざるをえない」、そういうところがあります。

大人になってから「反省しなさい」と言われたら、なぜ素直に聞けないのだろうか。それを、いま一度、考えていただきたいと思うのです。

そうしてみると、その言葉を素直に聞けない理由の一つに、「自分自身、自分はもうかなり出来上がった一人前の人間なんだ」という自負と裏返しの部分が、おそらくあるはずです。「俺は一人前なんだ」という自負と裏返しの部分が、おそらくあるはずです。「俺は一人前なんだ。ネクタイを締めて背広を着ているではないか。見たらわかるだろう」、こういう気持です。「ちゃんと月給をとっているんだ。給料をもらっているんだ。一人前なんだ」と、こういう気持ち、これがあります。

〇大人になっていく過程で「偉大なもの」を見失っていないか
これ自体が悪いかと言えは、それは「悪い」とは私は思いません。人間が大人になっていくという過程は、やはり完成に向かって進んでいく過程なのですから、それだけの自身が出てきて、もちろんのことです。当然のことです。

しかし、ここに、何かが違っている面があるわけです。何かを置き忘れている、置き去りにしているところがあるのです。それは、いったい何でしょうか。そう考えてみると、だんだんわかってくることがあるのです。

それは、「偉大なるもの」というものを見失っているのです。

かつては、「自分より偉い人」「立派な人」、こういうものを素直に受け入れることができたのに、成人してくると肩が張ってきまして、だんだん、素直に人の意見が聞けない。それはなぜかというと、「偉大な人、自分より偉いということを認めたくない」という気持があるからです。

もちろん、私たちがよく習っているように、人間そのものはその本質において平等であることは確かです。そして、その平等の意識が現代の民主主義社会をつくっている大きなエネルギーであることも事実です。それゆえに、一つの開き直りが、ここにあるのです。

どういう開き直りであるかというと、「俺は一人前だ。一人ひとりの人間には個性があるのだ。別々の人格なのだ。そうした、個性を尊重するということは大事なことなのだ」と。

そして、「各個性は、平等に基づいて同質の顕現・権利というものを与えられているのだ。ゆえに、お互いに侵すべからざるものなのだ」、こういう考えがあるわけです。こういう考えの基礎に民主主義があるわけなのです。まあ、ここまではよしとしよう。

けれども、「だから、人の言うことをきく必要がない」とおもったら、ここのところに、論理の飛躍があるのです。「彼は彼、われはわれ、われ関せず」、そういうことで、「自分のことは自分のこと。関係ない」という考えになる。このあたりに、おかしなところが何かあるのです。

なぜ、それはおかしいのだろうか。

それは、よく「世間」とか「他の人の存在」とかいうものを見ないで、「自分はもうできあがっているのだ」という気持ちなのです。もう対等になってしまう。みんなが対等になって、お互いにしのぎを削っている。「俺も侍、彼も侍」、そういうチャンバラをやっているような気持ちでいる。そういう腕の違いというのが十分に分からないのです。

【大川隆法『大川隆法初期重要講演集ベストセレクション②―人間完成への道』第4章「八正道の再発見」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第7章「正精進」
2悟りの維持の難しさ【正精進】
〇時間の経過、経験の流れのなかで光を増していく

悟りといっても、このようにレベルの差がありますが、あなたなりの悟りが本当のものとなっていくためには、「経験」という名の試練を通っていかねばなりません。「火のなかを通され、水のなかを通された鋼鉄」のようになっていかねばならないのです。

この経験を通し、その試練を乗り切り、人生の最終点まで走っていったときに初めて、「悟りを手に入れた」と言ってよいのだと思います。

ある程度の心境にあなたがなったとして、では、経済的な破綻が来たら、あなたはどうなるか。肉親の一人が亡くなったら、どうなるか。エリートのポストから左遷されたら、どうなるか。離婚という状況になったら、どうなるか。

いろいろな場面があるでしょうが、そのときこそ、「試されている」と思ってください。そうしたときに不動の心を持って精進していける者は本物ですが、簡単にもろく崩れていく者の場合には、「その悟りは蜃気楼であった」と思わざるをえません。

したがって、私は、この「正しき精進」に関しては、「時間の経過、経験の流れのなかで光を増していく」ということの重要性を特に説いておきたいと思います。

毎年毎年の心境があるでしょうし、毎年毎年、仏法真理の学びがあるでしょうが、「それを実生活において実践し、その悟りの堅固さを試してみる」という姿勢を、とどうしても持っていただきたいと思うのです。

学生であれば、今、「悟った」と思っても、社会人となったら、どうなるか分かりせん。社会人となり、若手の社員から責任の重い中堅となったら、どうなるか。管理職となったら、その悟りが持つかどうか。

女性であれば、若い女性が結婚したら、どうなるか。その悟りを維持できるか。あるいは、まったく変わってくるか。結婚している女性であれば、ご主人の立場や職業、収入、こういうものが変わったときに、どうなるか。

こういうことが問われるのです。

【大川隆法『真説・八正道』第7章「正精進」234pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第5章 忍耐と成功 
○成功への道

さて、さらに私は、あなたがたに言っておくとしよう。
あなたがたは、成功というものに惹かれているにちがいない。
日々、成功というものに惹かれているにちがいない。
日々、成功とは何かを考え続けているにちがいない。
しかし、成功とは、
あなたがたが考えているものとは、
遥かに隔(へだ)たったものであるのかもしれない。
あるいは、成功とは、
実はすぐあなたがたの間近にあるものであるかもしれない。
その成功の意味について、定かな定義があるわけではないであろう。
しかし、私はあなたがたに言っておこう。
真に成功したと言えるためには、
どうしても外してはならないものがあると思える。

①常に穏やかに
成功の条件として、
心が乱れるような成功であれば、これは成功とは言わない。
心は、常に穏やかで落ち着いていなければならない。
心は、常に平静で、とらわれがないものでなければならない。
成功することによって、とらわれが増えてゆくならば、
その成功は真なる成功ではない。
私は、そう思う。
成功することによって、
心ますます穏やかとなり、
心ますます平静となり、
心は常に豊かさを含み、
多くの人々のことを考えることができる時に、
成功は本物となる。
私は、そのように思う。

②妬みをかうな
成功の途上において、
さまざまな葛藤をつくり、とらわれをつくり、
恨みをかい、妬みをかうようであっては、
真の成功であるとは言えない。
ゆえに、成功のための第二の条件として、私は言っておこう。
人びとの妬みをかってはならない。
いまだかつて、人びとの妬みをかって大成功した人はいない。
一見、成功したかに見えても、妬みをかった者は、
多くやがて没落の淵に沈んでいるようだ。
そう、人びとから妬みをかうということは、
あなたがたの成功が、
実は他の人びとの頭の上を押しつけた成功であるということなのだ。
他の人びとの肩の上に乗った成功であるということなのだ。
他の人びとに重荷を押し付けて、
そして後の成功であったということなのだ。

もし、あなたがたの成功が、
他の人びとの荷物を持ち、他の人びとの生活を楽にし、
他の人びとを幸せにしてゆくためのものであるならば、
あなたがたの成功は、
決して他の人びとの妬みをかうことはないであろう。
しかし、万一もし、あなたがたの成功を妬む者が、
一人でもあるとするならば、
まだまだ徳が足りないと思わねばならない。
まだまだ徳が足りないのだ。
徳が足りないということはいかなることか。
それは、あなたの成功によって、
損をしたと思っている人がいるということだ。
あるいは、あなたの成功を
不当なものであると思っている人がいるということだ。
あるいは、あなたの成功を
承認しがたいと思っている人がいるということだ。
そのような成功であってはならない。
真なる成功は、自然しぜんに、まわりの人によって、
押し上げられてゆくような成功でなければならない。
真なる成功は、
自ら意図するものでなく、
自然しぜんにその結果が出てくるようなものでなくてはならない。
真なる成功は、
ほんとうに多くの人々に感謝されるものでなくてはならない。
多くの人びとから感謝されることなくして、
真なる成功というものはないと思わねばならない。
私は、そのように思う。

③悟りの香りを
成功の第三の条件についても述べておくことにしよう。
心の平静と人の妬みをかわない態度が大事であると述べてきたが、
それ以外にも、成功のためには大切な心構えというものがある。
それが何であるかというならば、
あなたがたの魂の輝きが増してゆかねばならないということなのだ。
魂の輝きが増してゆくということの意味が分かるであろうか。
それは、悟りの香りが漂わねばならないということなのだ。
悟りの匂いが漂わねばならないということなのだ。
悟りの香りとは、魂の光とは、いったい何であるか。
それが、あなたがたにはわかるであろうか。
私はあなたがたに言っておく。
悟りの香りとは、得ようとして得られるものではない。
奪おうとして奪えるものではない。
決してそのようなものではない。
悟りの香りは奪わずして得、
得んと欲せずして得るものである。
ちょうどあの蝶が、
手に入れようとて網を持って追いかければ、
空高く逃げ延びてゆくが、
何もせずにじっとしていると、
自然と降りてきて、肩の上にとまりて憩うようなものである。
このように、悟りとは、
本人の意図には反して、ごく自然しぜんに、現われてくるものである。
そして、芳醇(ほうじゅん)な香りによって、
その人とその人のまわりとを潤してゆくのだ。

そのことの意味を、私は違った角度から話をしてみよう。

【大川隆法『仏陀再誕』第5章「忍耐と成功」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力』
第2章 霊的現象論
1心の神秘

本章では、いわゆる「霊道現象」に関して話をしていきたいと思います。

最初に「心の神秘」ということについて語ってみたいと思います。

人間の心は非常に神秘的な存在です。心に関しては、長い間、いろいろなかたちで言われてきましたし、それについて考えられたことも数多くあるでしょうが、「心の正体はいったい何なのか」ということを突き詰めて説き明かした方は、そう多くはいないであろうと思います。

読者のみなさんのなかで、「あなたの心とはいったい何か。心を定義せよ」と言われて、即座に答えが出る人はいないのではないでしょうか。禅宗のお坊さんのように、「心とは何ぞや」と問われて、誰もまったく予期しない言葉で答えても、そういうことで解決がつくものでもないと思います。

心は古くから人々の耳になじんできた言葉ではありますが、残念ながら、「その正体はいったい何か」ということが分からないでいたわけです。

これは、たとえてみれば、「人間は、自分の住みかの裏に宝の蔵を持っていて、その鍵を渡されているにもかかわらず、その鍵がいったい何の鍵か、深く考えもしないで生活している人に似ている」と言えるでしょう。

自分には、玄関の鍵、それから台所の鍵、こういう二つの鍵があるけれども、これ以外にもう一つの鍵を持っている。ところが、三番目の鍵は何の鍵か分からない。分からないけれども、分からないままで放置している。そして、玄関の鍵と台所の鍵だけを使っている。「もう一つの鍵はいったい何だろうか」ということを深く考えもしないで、そのままでいる。

たまたま裏庭には一つの建物が建っている。蔵のようなものが建ってるけれども、自分の両親が早く死んだために、自分には、その鍵はいったい何の鍵か分からない。そのため、鍵を一本持っていても、何の鍵か分からない。

こういうかたちで、鍵と蔵はあるけれども、鍵と蔵とのかかわりが分からないし、それを研究しないでいる。

これが大多数の人間の姿です。

ところが、人生の、ある時期において、ある日曜日でもいいですが、たまたま、気分のいい日があって、「ちょっと裏の蔵を見てみたい」という気になる。もしかして、自分が持っている鍵は合鍵なのではないか。こういう気がして差し込んでみると、意外や意外、その蔵が開く。「なかから何が出てくるだろうか」と思い、真っ暗のなかを手探りで歩いていく。

そうすると、そのなかから、なんと、金銀財宝、あるいは宝石の山、こういうものが出てきたわけです。びっくりします。

十年も前から、あるいは二十年も三十年も前から、そういう蔵があることだけは知っていたけれども、まさか、なかにそういうものがあるとは思わなかった。単なる物置か廃屋であると考えていた。

しかし、実は、そのなかには無尽蔵な宝が隠されていた。二十年、三十年、その秘密について知ることもなく、汗水たらして働いていた。

こういう自分を発見するにいたるのです。

たとえ話をしたわけですか、こうしたことは実によくあります。本当は、そういう鍵を持っているにもかかわらず、それが裏の庭に建っている蔵の鍵だと気がつかずに、何十年も過ぎてしまった人は数多くいるのです。

心は、まさしく、この宝の蔵のようなものです。本当は、その秘密を知り、その宝を手に入れれば、無限の力が湧いてくるのですが、それを深く探究しない者にとっては、蔵の扉が開かないのです。

この「心の神秘」というものを探究していくと、「人間の心のなかに、どれだけ大きな力が潜んでいるか」を知ることになります。

この大きな「心の秘密」には二つの意味合いがあると思います。
第一は、「人間は自分の思うことを自分でコントロールできる」という秘密です。思いというものはコントロールできるのです。

ところが、大多数の人は、このことに気がつきません。思いというものを、なすがままに放置しているのが現状です。それはまるで浜辺に寄せては引いていく波のようなものです。思いは、そのようにたとえられるでしょう。

しかし、実際に念いというものを突き詰めて考えていくと、川の流れのごとく、上から下へ、どんどん、どんどんと流れ、押し寄せていく場合があります。心というものは、方向性を与えれれば力が出てくるのです。

単に浜辺に寄せている波だけであれば、それによる水力発電は難しいと思いますが、勢いよく流れ落ちる川であれば、そこにダムをつくると水力発電ができます。このように、一定の方向性があり、力があれば、それを有用なものに使っていくことができるのです。

同じように、心というものも、その「思いのコントロール」ということを探究していくと、意外な力が出てきます。それはある意味では、「自己実現」というようなものであるでしょう。一定の方向に向けて思いを集中し、持続していくと、ある結果が出るのです。こういう、「想念、念いの力」というものが一つあります。

もう一つの「心の秘密」は、「心のなかには深い部分がある」ということです。

この深い部分を心理学では、「深層心理」ともいいます。宗教的には、これを「守護・指導霊の世界」、あるいは「霊の世界」といってもいいのです。そうした世界とつながっているのが心の部分です。

この部分について、大多数の人は、うっすらと感づいたり、本能的に感じたりすることはありますが、「完全にそれをつかみ切る」ということができないでいるのではないでしょうか。

ですから、この無尽蔵の宝庫を知ることによって、無限の世界を探究することができ、そこに分け入っていくことができるようになっているわけです。

これが「心の神秘」に関する二つの内容です。第一は、「思いのコントロールによって、偉大な力を発揮できる」ということ、第二は、「思いの底を打ち抜いたときに、無限の世界、深層心理の世界、あるいは霊界と通ずることができるのだ」ということです。

【大川隆法 『漏尽通力』第2章「霊的現象論」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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35 体の悪い部分に、「長年ご苦労様でした。」と言ってみよう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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エル・カンターレ・大好き

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