(4/30)120【幸福実現党立党記念日】『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を読む ⑦悟りこそ悩みを断ち切る刃なり―幸福実現党宣言③

幸福実現党

幸福実現党の目指すもの

この国の政治に一本、精神的主柱を立てたい。

これが私のかねてからの願いである。

精神的主柱がなければ、国家は漂流し、

無国の民は、不幸のどん底へと突き落とされる。

この国の国民の未来を照らす光となりたい。

暗黒の夜に、不安におののいている世界の人々への、

灯台の光となりたい。

国を豊かにし、邪悪なるものに負けない、

不滅の正義をうち立てたい。

人々を真なる幸福の科学の実現へと導いていきたい。

この国に生まれ、この時代に生まれてよかったと、

人々が心の底から喜べるような世界を創りたい。

ユートピア創りの戦いは、まだ始まったばかりである。

しかし、この戦いに終わりはない。

果てしない未来へ、はるかなる無限遠点を目指して、

私たちの戦いは続いていくだろう。

大川隆法

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本日430日は幸福実現党の立党記念日です2009430日、大川隆法総裁先生がこの国の国難を救うべく、幸福実現党宣言をなされて、「幸福実現党」を立党しました。主に心よりの感謝を捧げます。11時より幸福実現党の日成果奉納式典がございます。

五月研修の個別オーダー対応を承ります。第二礼拝室での研修ビデオ上映となりますので、ご希望の方は支部までお問い合わせください。

聖なる日に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そこで、本日は先日に引き続き、幸福実現党立党の精神を振り返るべく、皆さまとともに主の経典『幸福実現党宣言』についてともに考える機会を持ちたいと考えています。まず、経典の「あとがき」に続いて、第一章「幸福実現党宣言」の五節から最後までの要約を以下ご紹介いたします。そののち、「正心法語」の「智慧の言葉『仏陀の悟り』」を解説します。

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『幸福実現党宣言』あとがき

この世での現実の人々の幸福を実現しようとする時、宗教は政治と協力し、補完し合う関係になければならないと思います。

陰で政治家を応援するだけでは間接的な成果しか得られず、また責任を十分に果たすことができないため、幸福の科学グループの総責任者として、このたび、『幸福実現党』を創唱し、幸福の科学の考えを現実の国民生活にも反映させ、国家の未来を拓いていきたいと考えます。

他宗教の信者の皆さまや、地上にも正義を実現し、理想的社会を創りたいと願っているすべての人々のためにも、『幸福実現党』は開かれた国民政党へと成長していく予定です。神仏の心を心として現実の政治にあたるのは、日本の国の美風でもあります。この国を世界の良きリーダーへと導いていきたいと強く願います。

二〇〇九年 五月 吉日   

国師 大川隆法

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5憲法九条の問題点

の多い憲法九条

いちばん問題が多いのは第九条の「戦争放棄」です。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

この条文を素直に読んだら、どうなるでしょうか。

「平和を希求する」という平和主義は結構です。しかし、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」というのであれば、「ソマリア沖の海賊を、海上自衛隊が行って追い払う」ということは、「武力による威嚇」以外の何ものでもありません。すでに破っています。(※1991年以降、ソマリアには中央政府が存在せず、一部地域を除き、治安が不安定の状態が続いている。これに伴い、ソマリランドとプントランドが面するアデン湾は海賊行為が多発するようになった。この海域に日本商船・石油タンカー等が数多く通っています)

「憲法をいじらずに、自衛隊法やその他の法律の法でやれるようにする」という、ずるい手法をたくさん使っているので、もう少し正直であるべきです。憲法の規定で駄目なのであれば、憲法を変えるべきだと私は思います。

ソマリア沖の海賊を追い払うことについては、国際社会は別に誰も反対していないので、憲法上、それができるようにしたほうがよいでしょう。

さらに、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と書いてあります。

では、自衛隊はいったい何なのかということです。英語では、セルフ・ディフェンス・フォースですが、「『セルフ・ディフェンス・フォース』だから、『フォース』(軍隊)ではない」というのならば、「白馬は馬にあらず」と同じです。「自衛隊であるから軍隊ではない」というわけですが、「まあ、よく考えるな」という感じです。

「自衛のためのものであるから、軍隊ではない」と言っても、他の国の軍隊も、みな自衛のために持っているものであって、国連で、「侵略のための軍隊を持っている国は、手を挙げください」と言ったら、手を上げる国はたぶんないでしょう。・・・

自衛隊は、明らかに「陸海空軍その他の戦力」です。外国から見れば、自衛隊は、陸軍、海軍、空軍と認められていて、それ以外の解釈をしているところなどありません。他の国で日本国憲法を読んでいる人はほとんどいないので、こんな憲法があるということ自体が不思議だろうと思います。

前文及び第九十八条には、「この憲法に反する法律は無効である」という趣旨の内容が書いてあるので、そうすると、自衛隊法は無効になってしまいます。だから、憲法を変えなければ駄目なのです。「陸海空軍を持ってはいけない」というのに持っているのですから、自衛隊法は形式的には、違憲です。

しかし、国を守るために、現実に自衛隊が必要なのであれば、憲法を変えるべきです。憲法を変えないのに、いざというときだけ「守ってくれ」というのは、ずるい言い方だと思います。

〇解釈改憲を改め、自衛隊法の根拠の明記を

「国の交戦権は、これはを認めない。」というのは、完全にかつてのアメリカがインディアンを征伐したときのような文章の書き方です。「インディアンは、もう二度と弓をもってはならない。なぜなら、騎兵隊を射殺すことができるから」というのと同じ論理です。

これは、人間としての尊厳を認めていないということです。アメリカは、戦争中、「日本人はサルだ」と言っていて、動物扱いでしたので、その延長線上にあるのだと思いますが、失礼な話です。

したがって、あえて文言を変えるとしたら、「平和主義を基調とする」ということはかまわないと思いますが、「侵略的戦争は、これを放棄し、防衛の身に専念する」ということであれば、よいのではないかと私は考えます。

「そのための戦力は、固有の権利として、これを保有する」ということはっきり規定して、自衛隊法の根拠を明確にすべきです。嘘をつくのはよくないとか思います。

第九条を解釈改憲し、第二項で「前項の目的を達するために」という文言があるので、「陸海空軍は、前項の目的を達するために持たないのであって、前項の目的を達するためではない場合には、持ってもかまわないのだ」という解釈が行われています。

この「前項の目的を達するために、」という文言は、いわゆる「芦田修正」によって入れられたものですが、そういう悪さをしてあるのです。よく考え出すものだと思います。

「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」ということだから、「そういう武力行使を目的とする陸海空軍は持たないけれども、そういう目的でない陸海空軍ならあってもかまわない」ということで、「国民の生存を守る自衛のためだけの軍隊ならかまわないのだ」という解釈改憲で乗り切ってきたのです。

「もう、嘘はやめましょう。すっきりさせませんか」ということです。私は、そういう嘘八百はあまり好きではありません。軍隊は必要なのです。これだけの大国になったら、軍隊くらい持つのは当たり前です。

「侵略はしません。その代わり、こちらが侵略されたときには、国民を守るために、きちんと戦います」というあたりのところで、中道の線を引くべきだと思います。

そのように憲法を変えるべきです。

6「信教の自由」に関する問題点

〇第二十条は宗教への迫害材料になっている

しかし、大きなところとして、当会が言わなければいけないのは、やはり「信教の自由」のところです。

第十九条に「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」という条文があって、さらに、駄目押しのように、第二十条で、「信教の自由は、何人に対してもこれを保証する。いかなる宗教団体も、国からの特権を受け、又は政治上の権力を行使してならない。」(第一項)、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」(第二項)、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」(第三項)とあります。

この二十条のつくり方が、かなり混乱を読んでいると思います。

「信教の自由は、何人に対してもこれを保証する。」というだけなら、それでよいのです。

とかろが、そのあとに、付帯条項で、「してはならない」という文言がたくさんついているために、結局、「宗教活動はしてはならない」といっているように読めるのです。

国や公共団体に関しては、「一切、宗教活動にふれてはならない」というタブーのようになっていて、事実上、「宗教については、国や公共団体は何もしないから、宗教だけで勝手にやってくれ」といっているように見えなくはないのです。

これを善意に解釈し、「宗教間の自由競争に任せるのだ。言論の自由と同じで、宗教が勝手に競争すればよいのであって、国は関与しないのだ」と捉える見方もあろうかと思いますが、この書き方から見るかぎり、やはり、迫害の材料になっていると言わざるをえません。

例えば、「第二十三条を見たらよいのです。「学問の自由」に関して、「学問の自由は、これを保障する。」という一行で終わっています。これと同じでよいのです。「信教の自由は、何人に対しても、これを保障する。」ということだけで終わればよいのです。あとは要りません。・・・

「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」というのは、もとは国家神道のことを意図してつくったものではあるのですが、条文を正確に読むならば、今の天皇制自体も、これに当たるわけです。

天皇自体は、日本神道の最高の祭司、神官であり、儀式を行っています。

たとえば、天皇家では、先の天皇がなくなったら、「殯(もがり)」といって、その亡くなった天皇の遺体を棺桶に入れて祀り、次の天皇はその隣で一緒に寝たりしなければいけないのです。これは明らかに宗教行為です。弥生時代か縄文時代から続いているような儀式ですが、そういうことをやっています。

天皇家は、こうした政治には関係のない宗教行為をいくつか行っています。これは、れっきとした宗教行為です。したがって、現実に特権を受けています。

〇第八十九条は宗教の範囲を制約して縛るもの

また、憲法の後ろのほうには、「宗教団体や私立学校などには、資金援助をしてはならない」という趣旨の条文がありますが、(第八十九条)、国は私学助成金を出しています。これは文部科学省が私立学校などを支配するために必要なのでやっているのです。

おそらく、当会が政党をつくるに際して、ここのところを追求してくる人もいるかもしれませんが、私は次のように考えています。

これは、逆に言うと、この憲法の条文が宗教の範囲を制約して縛っているように見えます。すなわち、「神、仏は、教えのなかで、政治については説いてはならない」といっているようにも読めるのです。

しかし、日本神道という宗教を見るかぎり、長らく政治とは一体であったと思います。もちろん、天皇が教祖だったと思いますが、ほかの宗教でも、そういうことはたくさんあります。

したがって、憲法によって、「宗教家は、政治に関する発言はできない。あるいは、神は、政治思想や政治行為について、何も発信してはならない」と、神の口封じをしているということであれば、これはやはり、少しおかしいのではないかと思います。

神が政治や経済について発言したならば、それを受けて行動するのが信者として当然のことであって、「信教の自由」を保障している以上、当然、それは起きうることであるのです。

その神が、政治に関心のない神であれば、政治以外の話をしていても、それはかまわないし、そういう宗教があってもよいけれども、政治や経済や国際情勢について発言する神も、世の中にはいるわけです。

「信教の自由」の下に言うならば、政治的な宗教も、政治的でない宗教も、当然、ありうるのです。

アメリカにも、かたちだけは政教分離規定がありますが、現実にはアメリカの大統領は、『聖書』に向かって宣誓をしています。オバマ大統領の就任式でも、宗教家が出てきて前に立ち、オバマ氏は古い『聖書』に向かって宣誓をしていました。やはり、きちんとそういうことをやっています。

さらに、アメリカでは、キリスト教の右派と左派とが宗教の戦いをしています。

オバマ氏が所属していた宗教は、どちらかといえば左派のほうであり、「日本に原爆を落としたのはけしからん」といっている方の宗教です。オバマ氏は、その宗派に二十年ぐらいいたはずです。逆に、右派のほうは、「アメリカの言うことを聞かない所は、どんどん攻撃せよ」というようなことを言っています。

このように、アメリカでは、現実には宗教が活発に政治活動をしています。自分たちの代表を大統領なり議員なりにしようという運動をしているのです。そういう意味では、今、メガチャーチが非常に大きな権力を行使しています。

政治的制度としてではなく、圧力団体としては、いかなるかたちの存在もありうるので、宗教が一定の圧力団体として意見を言うことは当たり前のことです。自分たちの団体の利害にかかわることを、政治的に発言できないのはおかしいということです。

宗教と政治は、原理的には、やや違う点はあると思うので、別組織をつくりながらやっていくのがよいと思います。ただ、「政治は、宗教的なるものを、一切、反映してはならない」というならば、それは唯物論国家と言わざるをえず、基本的に間違っていると思います。

さらに、宗教教育はやはり大事であると私は思うので、第八十九条の文言はカットすべきだと思います。

7腐敗や堕落から世を救う機能を果たしたい。

例えば、憲法の「第四章 国会」のトップには、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」とかいてあります。(第四十一条)。しかし、これは嘘です。単なる「美称」と言ったとしても、実際には、国会は、国の唯一の立法機関などではありません。実際に法律をつくっているのは、ほとんど官僚です。それから内閣でもつくっています。現実には憲法の言うとおりになっていません。

こういう、明らかに嘘だと思うところは直していったほうがよいでしょう。また、参議院の在り方についても、再検討の余地はあると思います。今、参議院は「政争の具」として使われています。「良識の府」として機能しないのであれば、再検討の余地があると言えます。・・・

また、「信教の自由」と「政教分離」のところは、会の外から、かなり言われると思いますが、宗教政党そのものは欧米にもあります。ほとんどはキリスト教系の政党ですが、宗教政党自体は現実に世の中には存在しています。

その宗教が、実際に有力であり、国民の多くが信じている様な宗教であれば、宗教政党があっても別におかしくはありません。宗教は良識の代表なので、そういう政党があることによって、世の中を腐敗や堕落から救う機能も果たせると考えています。

8宗教と政治は補完し合うべきである

幸福の科学が政党を創ることは、「世の中をよくしていきたい」という運動の一翼です。

今後、全世界に、幸福の科学の支部も増えていきますが、最終的には、こうした政策的なものも、いろいろなところで実現していけるようにしなければいけないと思います。・・・

現実には、宗教の仕事と政治の仕事は別物ではなく、重なっているところがあります。

政治が働かなければ、マザーテレサのような人が一生懸命に難民救済をするわけですが、ある意味で、それは政治の仕事でもあるわけです。精神的な仕事というよりは、具体的な活動をやっているわけなので、宗教は政治と重なっているのです。

そういう意味で、両者を完全に分けることはできず、補完し合う関係だと私は思っています。

したがって、政治でできるようになれば、宗教が具体的な救済活動をしなくてもよいところはあるでしょう。その場合には、宗教はもっと精神的な高みを目指していくべきだと考えます。

以上が「幸福実現党宣言」です。

【大川隆法 『幸福実現党宣言』を要約】

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

さて『正心法語』のなかで、「菩提心の言葉『修行の誓い』」を読んで、三宝帰依の精神を確認して、仏道修行の誓いを主に捧げたのち、読む経文が『智慧の言葉「仏陀の悟り」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、2600年前の仏陀の悟りか何であったかを学ぶことができます。

私は、個人的に『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を、伝道の中心に据えています。主エル・カンターレの名を知らず、無明の闇に苦しむ人に仏法真理を伝道するときに伝えるべき内容がここに集約されているからです。また生きている方のみならず、お亡くなりになった方への伝道という意味においても、葬儀での法話で、お亡くなりになった方への引導を渡すときに、この経文を題材に法話をしています。

さて、本日は、『仏説・正心法語』第三の経文である『智慧の言葉「仏陀の悟り」』について共に考えを深めてまいります。

私たちは、この経文を毎日読むことによって、私たちが日々つかむべき『霊的人生観』を知り、自分が肉体存在ではなく、「霊」であるという原点に立ち返ることができます。

『智慧の言葉「仏陀の悟り」はこのように続きます。

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仏陀は語る

『人間よ 

生・老・病・死は真理なり

されど 悟りの 力こそ

悩みを 断ち切る 刃なり

無我の 心を 持つならば

肉体は これ 我ならず

煩悩は これ 我ならず

空の 心を 持つならば

霊こそ 全ての 根源(もと)にして

この世は 仮の 世界なり

仏陀(われ)を 信ずる 心こそ

救いの 道の 王道なり』

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生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死ぬ苦しみ―これらは真理です。しかし、悟りの力こそ、悩みを断ち切る刃なのです。「四苦はほんとうに苦しみであるが、悟りによって、人はその悩みを断ち切ることができるのだ」ということです。

この悟りのもとになるものが智慧です。「智慧の力によって、この世的な苦しみを断ち切っていきなさい」と言っているわけです。

その智慧を得るために、人生のヒントになるようないろいろな教えが、今、幸福の科学によって説かれているのです。この教えを知っていたならば、苦しまずに済むことがたくさんあるのですが、知らなかったために苦しみが起きています。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】

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「人生とは苦しみである」そして、「人生の四苦の苦しみから自らを救うことができる」、その力が「悟りの力」です。

「魔とは、迷いである」と言われています。その迷いを断ち切るのが、智慧の利剣としての「降魔の剣」です。祭具である降魔の剣は、この悟りの力を象徴するものです。

七の日参り来世成仏祈願経では、

「あなた(主)は 悟りの力で この世の悪を打ち砕かれ 悩める人を救い出される」と説かれています。悟りの力が降魔の剣や、戦車の大八車となって、あらゆる魔を断ち切り、この世の悪を打ち砕く原理になっています。

「悩みを断ち切る刃」である「悟りの力」は、主の経典を受持して、読誦することから生まれます。

幸福の科学の行動理念は「愛と悟りとユートピア建設」です。悟りを獲得することで智慧を得て、その智慧によって、自分の迷いや、悩み苦しみを断ち切り、自分の周りに入る方々の迷い、悩み苦しみを断ち切ることができます。だから幸福の科学の会員は、隣人を救い助けるための悟りの力を得るために様々な心の修業に取り組んでいます。

例えば、3000書突破記念の経典『自分を鍛える道』においても、その「まえがき」にて主の経典は現代の「大蔵経」であることが改めて示されました。「大蔵経」とは、人を救い助けるための教え、菩薩や天使の教科書であると考えていいでしょう。

第一章「沈黙の声を聞く」ことを種(因)として、智慧(悟り)を得る。第二章「自分を鍛える道」によって、それを育てて(縁)、知的生活の神髄を得る。そして最終章「霊能力と正しい人生」(果)を得ることで新時代の人間学を得る。その報いとして、教学で培った法力によって、隣人を助ける原理や、救世運動を展開する原理が、美しい因縁果報の流れでこの一書にも込められています。

私たちは、主の経典を読むことで、自らの苦しみを安らぎの世界へと変え、仏陀によって救われた経験と、自らを救った仏法真理とが合一されて智慧となります。その智慧が悟りとなり、私たちの隣人を救い助ける法力となります。悟りとはまさに悩みを断ち切る刃なのです。

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③生きているのではない。生かされているのだ。

【大川隆法 『人生への言葉』より】

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。

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〇「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について

『地獄の法』の年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。

本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  

奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。

この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】

また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。

神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】

「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

「地獄の法」の年、「天変地異調伏」と「一大霊場づくり」に、多くの皆様にご参加賜れればと存じます。

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