28 よく転ぶ者は、よく立ち上がる者でもある。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
伊勢支部にて映画『ドラゴン・ハート』を14:00~映画上映会を開催いたします。
是非この機会に入会・三帰へと導いてまいりましょう。
7月7日は主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
7/6(日)~13(日)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/6(日)と7/7(月)は、両日とも13
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『大川隆法
東京ドーム講演集』から第10章の「未来への選択」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、一九九五年に、未来は、仏教の縁起の理法の寄る辺に従い、私たちの心と行動を変えることによって、世界を変えることができること。宗教は公器であり、正しい宗教である「幸福の科学」の教えが世界に広がることによって、人類は真なる幸福を得ることができることを、全世界に伝えるべく、獅子吼されました。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1800円】
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■未来への選択
4正しい宗教が未来を変え、人類を幸福にする
○真なる宗教は公器であり、不毛な宗教議論は不要である
そして、その法を全世界に述べ伝えるべく、
集い来たりたる諸菩薩が、あなたがたではないでしょうか。
菩薩とは、自らもまた仏に至る道を歩みつつ、
かつまた、
「数限りない多くの人々を幸福にしよう」と願ってやまない人々の存在です。
あなたがたも菩薩になることができます。
人は、生まれによって決定されるものではありません。
人は、その思いと行いによって、
「いかなる人間であり、いかなる人生を送ったか」
ということが決められるのです。
この世のなかにおいて、
あなたがたがこの宗教的真理のなかを生きるとき、
あなたがたは、この世の中にあって、
すでにこの世の中の存在ではありません。
実在界の諸如来、諸菩薩と一体になって、
この地球を救おうとしている存在であるのです。
下生した菩薩であり、「地涌(じゆ)の菩薩」であるのです。
さあ、私が説く法は、
形骸化された、漢文となった。人々に理解できない教えではありません。
今、現代語で、あなたがたに分かる形での教えを、
現在進行形で説いています。
あなたがたこそ、世界を変えていく力であります。
一人ひとりの力は小さくとも、結集した力は大きな大きなものとなります。
世界を変えていきましょう。
「幸福の革命」を起こしていきましょう。
幸福の革命を起こして、いったい誰がそれを否定するというのでしょうか。
一人でも多くの人を幸福にする、
そのための実践、慈悲の実践行こそ、真なる宗教の使命であり、
宗教が公(おおやけ)のものであることの証明であると思うのであります。
「来年以降、(説法当時1995年)不毛な宗教議論は決してさせまい」と私は考えています。
みなさん、宗教は公のものです。
公器です。
それは、人類を幸福にする結果によって実証されるのです。
われら、今、立ち上がらん。
われら、今、勇気を持って、
獅子吼せん。
伝道せん。
全世界に、全地球に―、この真理を宣べ伝えん。
共に希望の二十一世紀をつくっていきましょう。
【大川隆法『大川隆法 東京ドーム講演集』第10章「未来への選択」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第六の経文である『無限の言葉「仏説・伝道経」』についてです。
『無限の言葉「仏説・伝道経」』は、仏陀の伝道宣言にあたる経文です。私たちが日々、主の教えを学び、主への信仰を深めているのは、伝道のためであるといっても過言ではありません。この経文を毎日読誦することで、私たちの使命が伝道であることを確認することができます。主の願いは、主の言葉、教えが日本中に、そして世界中に広がることです。
それでは本日の『無限の言葉「仏説・伝道経」』の解説は以下の通りです。
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●伝道の心得-④慈悲
「それ 伝道は 大悲なり」
「伝道というのは、忍耐でもあり、勇気でもあり、叡智でもあるけれども、それは無慈悲な折伏(しゃくぶく)行為ではないのです。伝道というのは慈悲なのです。仏の大悲、大きな慈悲なのです」ということです。
この「仏の慈悲」というのは、よく雲と雨にたとえられます。『法華経』にも出できます。インドは暑い国ですから、雨が降るのも、ひとつの慈悲なのです。バーッと雲が集まってきて、密雲(みつうん)―密度の濃い雲になり、そしてザーッと雨が降ってきます。それとともに温度が下がり、涼しくなって清涼感が出て、植物もみんな喜びます。植物も喜びますし、動物も喉を潤すことができます。人間も清々しい気持ちになります。このように、慈悲というのは、よく雨にたとえられるのです。
「仏の 慈悲の 法雲が
法雨と なりて 降り注ぐ」
伝道というのは、そのようなことなのです。これを支えるために、幸福の科学では、仏法真理の書籍を出版して、それらを流布していますし、あるいは、講演会やセミナーを、衛星中継まで使って開催しています。それらのビデオやカセット・テープも発刊しています。講師による直接の説法もあります。いろいろなかたちで慈雨を降らせています。これが伝道なのです。慈悲の雨なのです。
ですから、「信じない自由もある」というような言い方をされることがあるかもしれませんが、これは慈悲の雨を降らせているのです。「干天(かんてん)の慈雨」なのです。大地がひび割れて穀物が実らない。稲は枯れ、草木も枯れようとしている。山は火事になり、動植物はみんな困っている。このようなときに降る「干天の慈雨」なのです。仏法真理が見失われて久しいときに、雲となって慈雨を降らせているのです。
雲が雨を降らすときというのは、すごいものです。地上の広い範囲にザーッと雨を降らせていきます。西から東へザーッと雨を降らせていって、地を潤していきます。大変広い範囲です。日本列島全部に降らせていきます。そのぐらいやらなければ潤いません。そのように、日本全国、全世界を潤していく必要があります。「これは慈悲なのだ」ということを知っておいてください。幸福の科学は、自分たちの欲得のためにやっているのではない。折伏行為を重ねる団体の中には、自分たちの欲得のためにやっているところもありますが、私たちはそうではない。私たちは慈悲の念いでやっているのです。
「満山の 樹木 喜びて
生き物たちは 憩うなり」
満山の樹木や生き物たちまで、この慈悲の念いの射程に入っています。不殺生の心、すべてのものに仏性を見てとっていく心―そうした、この世の尊さもまた知っている心なのです。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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Yes. Missionary work is great compassion
The rain of Dharma falls
From the clouds of Buddha’s mercy
All the trees in the mountains rejoice
And all creatures sing their praises
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伝道の心得の第四番目は「慈悲」でした。
主より、数々の教え、御法話が、経典(書籍・本)・CD・DVDなどに形を変えて私たちの乾いた心に、潤いを与えていただいています。主の経典は3500書を越えて、近年は小説などによって、新しい啓蒙書・教養書として発刊されています。これらすべてが、世界中の人々の心を潤す慈悲の雨です。主は、地球上のすべての国に住む、世界中の人々を救うために教えを説いていただいています。そしてこの教えは、時代を超えて、千年後、三千年後にいたるまで、遅れてくる仏弟子のためにも説かれる尊い教えです。
時空を超えて、ただただ無明の闇に苦しむ人々を救い助けるために教えを説く主の言葉を、私たちは、私たちの隣人を救い助けるために伝え続けなければならないと改めて感じました。伝道とは神・仏の慈悲です。私も肝に銘じてまいります。
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最後に大乗経典『法華経』の薬草喩品(やくそうゆほん)より、法雨の例えをご紹介いたします。
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○『法華経』薬草喩品
仏陀は次のようにお説きになる。
善いかな、善いかな、汝たちは仏陀の功徳を真実のままに説いた。しかし仏陀の功徳は限りないから、汝たちがいくら長いあいだ説いても、仏陀の功徳を説きつくすことはできない。仏陀は法の王であり、すべての法を正しく説き、すべての人を仏陀と同じように一切智の境地に到達させる。また仏陀はすべての生き物たちの性格を承知して、すぐれた方便の極致に達している。
たとえば、この三千大世界にはさまざまの草木があり、色も種類も名前も相異なっていて平地にも谷間にも成長している。時に黒雲が現れて三千大世界をおおい、到る所に同時に雨を降らせる。すると小さい根と茎と枝と葉と花弁とをもつ植物(※下根)も、中位の根と茎と枝と葉と花弁もつ植物(※中根)も、大きな根と茎と枝と葉と花弁とをもつ植物(※上根)も皆すべてその大雲から降ってくる雨を受けて、それぞれの力と環境に従って水を吸い、同じ雲から降った一味の水(※仏乗一乗)によって成長し花を咲かせ実を実らせ、それぞれの別の名を持つことになる。同じ地上に生えて同じ水によってうるおわされた草木もさまざまに成長する。
仏陀がこの世に出現するのもそれと同じことである。大雲が現れるように、仏陀はこの世に現れて神々や人間やアスラの棲む世界にその声を鳴り響かせる。またたとえば大雲がすべての三千大世界をおおうように、仏陀はこの世界の前で宣言をする。「私は仏陀である。自分はすでに彼岸に渡り、人びとを彼岸に渡らせる。自分はすでに解脱し、人びとを解脱させる。自分はすでに安らかとなり、人びとを安らかにさせる。自分はすでにネハンに入り、人びとをネハンに入らせる。私はこの世、後の世を正しく知り、一切智者である。一切見者である。皆は私のもとに来て法を聞くがよい。私は道を説く者、道を示す者、道を知る者、道を説き聞かせる者、道を詳しく知る者である」
それで多くの生きものたちが仏陀の法を聞くためにやって来る。すると仏陀は、彼らの性格や努力などの差異を知ったうえでそれぞれの法門を説く。それは多くのさまざまな、喜ばしい、有りがたい、ためになり、幸福をもたらす法話であって、それを聞いて、人びとはこの世において安楽であり、死後には良い所に生まれ変わり、そこで多くの快楽を受け、かつ法を聞くことができる。そしてこの法を聞いてから多くの障礙(しょうげ)を離れ、能力に応じ、環境に応じ、勢力に応じて一切智者の法に入ることができるようになる。
たとえば、大雲がすべての大千世界をおおって等しく雨を降らせ、ありとあらゆる植物を十分にうるおして、能力に応じ、環境に応じそれらの植物が水を吸収してそれぞれ各自の種類の大きさに成長する。それと同様にして仏陀が説く法はすべて一味の法(※仏乗一乗)である。すなわち、解脱の味、離欲の味、滅尽の味をもち、遂には一切智者の智に到らしめる。
仏陀の説く法を聞き、保ち、実践する生き物たちは、自分で自分のことを知らず、気づかず、さとらない。なぜかと言うと生きものたちが何物であり、どのようであり、どういうものであり、また何を考え、どのように考え、何によって考えるのか、また何を実践し、どのように実践し何によって実践するのか、また何を獲得し、どのように獲得し、何によって獲得するのか、ということを知っているのはただ仏陀のみである。ただ仏陀のみは、それらの生きものがそれぞれの土地にあって、上中下のさまざまな植物のごとくであることははっきりとあからさまに知っている。
私はこの一味の法を知り、生きものたちを守るために、一切智者をむやみに解き明かすことはしない。汝たちは仏陀の独自の教えを悟ることができずに驚いている。なぜかと言うと仏陀の独自な教えはさとりがたいものであるから。・・・(中略)
「諸(もろもろ)の声聞(しょうもん)は皆、滅度(めつど)せるに非(あら)ず
汝らの行ずるところはこれ菩薩道なり
漸漸(ぜんぜん)に修学して悉(ことごと)く当(まさに)に成仏すべし」
【渡辺照宏 『法華経物語』大法輪閣 より抜粋】
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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第5章「チャネリングの秘密」
○悪霊現象の見分け方、
ただこれは、基本的には、ほとんどが悪霊現象です。ですから、その言葉の内容をよくく見なければいけません。注意すべきことは二点あります。
一点は何かというと、その霊降ろしをしている人自身です。その人の欲望の実現のためにやっていないかどうか。あるいは、霊の言葉がその人の欲望をそそる方向にばかり行っていないかどうか。そういうことを特に気をつけなければいけないと思います。
もう一点は、その霊言によるアドバイスの内容です。相談に来た人たちを、ますます欲望の深みに陥れるようなことを語っていないかどうか。そうしたことを気をつけなければいけません。
特に、本当に困っている人につけ込んで、どんどんその人を破滅に追い込んだり、またその人からお金を巻き上げてゆくようなタイプのものは、ほとんど悪霊現象と思って間違いありません。これは要注意です。
こうしたときには、脅迫まがいの手段を使ってお金を巻き上げるというようなことがよくあります。自覚してそうしたことをしている場合もあれば、本人は自覚しないでしていることもあります。素人はこうしたものに騙されないように気をつけなければいけません。
また、霊能者自身の問題として、その人がこの世的に非常に強いコンプレックスを持っている場合は、やはり気をつけなければいけないと思います。
もちろん、コンプレックスそのものがいけないというわけではありません。宗教家になるためには、いろいろな苦労を経、挫折を経ることが必要であり、そこから神仏の道を求めるというのは一般的で普通のケースですから、それ自体が悪いわけではないのです。しかし、その部分が充分に昇華されていないで、自分のコンプレックス、劣等感の、いわゆる補償作用、埋め合わせ作用として、そうした霊能力を誇示し、使いたいという方向に行きすぎると、やはりそこに魔物が入ってきます。そしてそれを抑える手段はないわけです。
特に、悪霊に入られた霊能者の特徴としては、たとえば、大酒を飲む、突如大声でどなり散らしたりする、あるいは夜が眠れない、また、急に異性にものすごく強い情欲を示して、次から次へと変わった行動をとる、このようなことがあります。
それから、悪霊に唆(そそか)されている人の場合には、特に奇怪な行動をとることがありますので、それを見とよくわかります。
たとえば、常識的にはちょっと考えられないようなことをします。血を飲んだり、自分の血を人に飲ませたり、髪の毛を食べさせたり、そうした肉体的に変なことをし始める霊能者には、たいてい動物霊系統の悪霊が来ているのです。
あるいは、奇妙きてれつな行をやりはじめたりすることがあります。針を身体に通して見たり、カエルを丸ごと呑み込んでみたり、蛇を飲んでみたり、水槽の中で息を止めて五分間も潜ってみたりとか、人ができないような変なことをし始めます。
とにかく、超能力信仰的になり、超人願望でいろいろなことをし始めると、「ちょっと危ない」と気をつけなければいけません。ほとんどが、その教祖のコンプレックスの補償作用(コンペンセーション)としての願望に悪霊が入り込んできて、その自我を拡大して満足させているのです。気をつけなければいけません。
【大川隆法『宗教の挑戦』第5章「チャネリングの秘密」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■御生誕祭の宗教的意義について
〇御生誕祭は、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生のご降臨への感謝と、報恩としての伝道の誓いを捧げる、幸福の科学における二大祭典の一つです。
主のご降誕に対し、心からの感謝を捧げ、主への信仰を深める日
――根本仏にして地球神エル・カンターレの御降臨は、慈悲であり奇跡そのものです――
〇御生誕祭は、主と魂の契りを結ぶ霊的な場です。そして、主への報恩として、弟子としての使命を果たす誓いを捧げる場でもあります。誓いを立てることで、信仰は本物となります。
〇主エル・カンターレ大川隆法総裁先生は、1956年7月7日朝7時頃にご生誕されました。「7」という数字は、天上界において、「勝利」と「完成」を意味します。ご生誕の「777」の数字には、悪魔を象徴する「666」にすべての面で凌駕する「勝利の宣言」が込められています。主は、この世の一切の悪なる勢力に勝利し、地球ユートピアを建設されるために、ご降臨されたのです。
〇主エル・カンターレのご本体の御降臨は、3億年前のアルファ様、1億5千万年前のエローヒム様に続き、地球の歴史上3度目に当たります。地球神であり、根本仏でもあられる主は、天上界では光そのものであり、本来、肉体を持たれてはならないご存在です。
・今世は、大川隆法総裁先生というお姿を通して、エル・カンターレのお姿をかいま見ることができる、歴史上ほんの一瞬の、稀な機会なのです。
〇本仏が下生される時代は、人類にとって危機の時代であり、同時に、新時代の幕開けとなる希望の時代です。主のご降臨そのものが、人類に対する最大のご慈悲なのです。
〇御生誕祭は、主がご降臨された奇跡の時代に、主と共に生まれ、主と共に救世活動ができることへの感謝を捧げ、エル・カンターレ信仰を深める大切な日なのです。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(6/30-1)181『無限の言葉「仏説・伝道経」』について考える ⑬伝道の心得 四 慈悲
