(6/17-1)168『解脱の言葉「仏説・八正道」』を読む ⑳正定―六次元以上の世界との交流―変化していくことこそ、人生や世界の本質と悟れるか(諸行無常)

『解脱の言葉「仏説・八正道」』

16 成功の時は、誰しも天使のように見える。失敗しても天使に見える人を目指せ。

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】

おはようございます。
本日6月17日七の日です。皆様誠におめでとうございます。
この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。
『精舎霊域護持植福』など各種植福を本日承っています。
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「七」は勝利の日 「七」は目覚めの日 「七はあなたの生誕の日」
私たちは 主エル・カンターレ御降臨という
奇跡の時代に 仏弟子として 主と共に歩ませて
いただけますことを 心より感謝いたします

そして 主への報恩として 
日本に 全世界に エル・カンターレ信仰を弘め
地球ユートピアを実現してまいります

私たちは これからも 仏弟子の使命である 伝道に邁進し
必ずや 「七の月」の「七の日」を
主の勝利の記念日とすることを お誓いいたします
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約40分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

伊勢支部にて映画『ドラゴン・ハート』を14:00~映画上映会を開催いたします。
是非この機会に入会・三帰へと導いてまいりましょう。

7月7日は主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

7/6(日)~13(日)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/6(日)と7/7(月)は、両日とも13 
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『大川隆法 
東京ドーム講演集』から第10章の「未来への選択」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、一九九五年に、未来は、仏教の縁起の理法の寄る辺に従い、私たちの心と行動を変えることによって、世界を変えることができること。宗教は公器であり、正しい宗教である「幸福の科学」の教えが世界に広がることによって、人類は真なる幸福を得ることができることを、全世界に伝えるべく、獅子吼されました。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1800円】
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■未来への選択
1智慧を得て、苦しみに打ち勝つ
○変化していくことこそ、人生や世界の本質と悟れるか(諸行無常)

では、最初の旗印である諸行無常とは何でしょうか。それは、「この地上における、在りとしあらゆるものは移ろいゆく」という教えであります。すべては、ゆく川の流れにも似て、一時(ひととき)も同じところに住(じゅう)することはありません。

この世の中のすべての出来事には、原因があり、結果があります。そして、時々刻々、毎日毎日、毎時間、毎分毎秒、時の流れとともに、新しい原因行為が始まり、新しい結果が生まれます。

川の流れを誰も押しとどめることができないように、あなたがた一人ひとりの人生も、また、あなたがた全員がかたちづくっているところの社会も、国も、世界も、日々、新しい原因行為によってつくり変えられ、変化し、流れていきます。

ちょうど春夏秋冬があるように、春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来るように、花が芽吹き、咲き、咲き誇り、枯れ、そして、冬がやって来るように、あなたがたの人生にも春夏秋冬があり、大きな流れとしては、誕生があり、成長があり、老いがあり、死があります。誰もその時間の流れを止めることはできません。

小さな赤ん坊が子供となり、やがて大人となり、社会に出、結婚をして独立し、子をもうけ、やがて老い、孫ができ、病となり、この世を去っていきます。このプロセスは、万人に対してあてはまるのであって、だれ一人、ここから逃れることはできません。

これが、「諸行無常」という言葉の意味です。

このように、移ろいゆき、流れていく人生のなかにおいて、あなたがたは何をとどめようとしているのか。何をつかもうといているのか。川のなかの杭に、必死になってしがみつこうとしているのではないでしょうか。

それを「執着」と呼びます。しかし、それは、はかないことです。虚しいことです。

むしろ、流れていくことこそ、人生の本質であり、世界の本質であるのです。

【大川隆法『大川隆法 東京ドーム講演集』第10章「未来への選択」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』はこのように終わります。
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そして 第八に 『正定』なり
正見から
正念までを 振り返り
深き禅定に はいるなり
禅定 しだいに 完成し
この世の 一切の 束縛から
解き放たれた 魂は
自由自在の 境地なり
自由は 解脱の 心なり
平和は 涅槃の 境地なり
かくて 
八正道を 究めては
迷界より
悟界に渡す
船となせ
仏陀の 悟りを 船となし
彼岸に 向けて 進むべし

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Lastly, the eighth step is ‘right meditation’
Follow all the steps
From right view through to right will
And enter a deep meditative state
As you complete your meditation
Your soul is released
From all the bondage of this world
And attains total freedom
Freedom is emancipation from bondage
And peace is the state of mind, nirvana
So, follow the Eightfold Path
And make is a boat that carries you
From this world of delusion
To the world of enlightenment
Journeying on the boat
Of Buddha’s enlightenment
Steer in the direction of the other shore

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〇六次元以上の世界との交流
釈尊は初期に、禅定の指導において、ある程度のレベルまで行った人に対し、「これで、もう、あの世の欲界には生まれ変わらない」と言っています。

欲界とは、「地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上」の六道をいいます。欲界には天上界の一部も入っていますが、天上界といっても低いレベルの天上界であり、欲界の多くは地獄界であると見てもよいでしょう。

欲界、六道は、非常に人間的な世界です。この六道に生まれ変わる人は、心のコントロールができずに翻弄される人です。

自分で心をコントロールし、心の波立ちを抑えて禅定に入ること自体が、すでに六道の世界に通じなくなるということを意味しています。この世に生きながら、六道の上の世界に通じることができるということです。

これは、現代的に言えば、六次元光明界以上の精神世界に通じるような心になるということです。禅定に入って心を調和させることによって、そういう精神世界に通じるようになるのです。

そういう人は、死後、六道輪廻の世界には入りません。さまざまな、この世的な欲望に振り回されるような、人間的な世界には入らないのです。

インドでは、この世に生まれることだけではなく、あの世へ行くことも、「生まれる」「生まれ変わる」と言います。「あの世の畜生道に生まれる」「阿修羅道に生まれる」などという言い方をするのです。

インドでは、「死後、四十九日で行き先が変わる」と言われていますが、あの世に生まれ変わることと、この世に生まれ変わることが、混同されています。そのため、死んで四十九日たつと、この世に生まれ変わるようにも思えるし、あの世に生まれ変わるようにも思えるのです。

禅定の意味は、欲望の世界から離れて、心を調和させ、統一することにあります。そうすることによって、心は、あの世の六道の世界に通じなくなり、当然、地獄界には、心が通じなくなって、この世にいながら、六次元以上の世界に通じるようになってきます。死後は、当然、その六次元以上の世界に行くことになりますが、この世に生きているうちに、その世界に通じるようになるのです。

〇修行の段階
この世に生きているあいだに、欲望の世界である欲界には通じないで精神世界に通じるような心をつくること、「阿羅漢の状態になる」といいます。

また、「死後、六道の世界に行かない」という段階のことを、「不還・ふげん」といいます。これは阿羅漢より一つ下の段階です。

さらに、不還の一つ下は「一来・いちらい」という段階があって、これは、「もう一回、この世に生まれ変わらなければ、悟りの世界には行けない」という段階です。

そして、一来の一つ下にあるのが、「預流・よる」という段階です。
修業においては、まず、初心者レベルとして、「預流」という段階があります。これは、「流れに預かる」ということで、「信仰の流れに入って、他の修行者たちと同じような修行ができるようになる。俗界とは違う世界に入る」という段階です。

預流においては、初心者であるとはいっても、「修行者としての初心者」ということであり、俗界の人とは違います。そういう、「信仰に基づいて修行をしている」という預流の段階があります。

その上が「一来」です。これは、「今回は解脱することはできないけれども、今世でこれだけ努力して、宗教の修業を積んだので、もう一回、生まれ変わったら、次は、きちんと悟りの世界へ入れる」という段階です。

さらに、その上が、「不還」です。それは「還らず」ということで、「死後に、六道の世界に行かない。六道輪廻の世界ではなく、その上の世界、いわゆる天界の方に還れる」という段階です。

インドでは、六道輪廻というのは、洗濯機のなかで回されるような、非常に忙しく生まれ変わるものと考えられていたので、「そういう生まれ変わりは嫌だ」と言われていたのです。

ただ、この不還は、「この世に還ってこない」という捉え方をするのではなく、「欲望の世界である欲界には、もう還らない」という意味に取るべきでしょう。

その上の段階が「阿羅漢」です。阿羅漢は、「死んでから、その世界へ行く」ということではなく、「生きたままで、そういう精神世界と交流する」という境地です。実際にあの世の世界のことが見えたり聞こえたりする人もいるし、いろいろな神通力がついてくる段階なのです。

スウェーデンボルグは、「あの世の人と会えるということは、その間、その人は死んでいるのだ。死んでいるから死んだ人が見え、死んだ人と話ができるのだ」と言っています。そういう意味では、私は、しょっちゅう、「死んでいる」ことになるでしょう。

阿羅漢になると、「死んでから、「成仏」できる」ということではなくて、生きているうちに、死んだのと同じ状態になるのです。

「生きているけれども、死んだ状態になる」ということは、「不死を得た」ということであり、ある意味では、「死なない」ということと同じになります。

要するに、肉体は死ぬとしても、心は生き通しの自分になっているわけです。心はもう死ななくなったのです。こういう不死を得た状態が阿羅漢です。

客観的に見ると、阿羅漢の人は後光が出ています。また、いろいろな霊的感覚を持つようになり、守護霊と、かなり同通できるようになります。

修行者たちは、この阿羅漢の境地を目指して禅定の修業をしていたのです。

この阿羅漢の上が仏ですが、「仏に段階をつけてはいけないだろう」ということで、仏には段階をつけません。

したがって、仏教では、「悟りの世界には、五十三段階ある」ということになります。仏教では、「悟りの世界には五十三段階ある」ということになります。これが「東海道五十三次」のもとになったとも言われています。五十二段目までは菩薩の位です。五十三段目が仏であって、「ここから先は分からないので、仏は仏にしておきましょう」ということになっています。

「菩薩に五十二段階あって、これだけの修業を達成したら、こういう菩薩になれる」と言う考え方が、後世、何百年もかかって、いろいろとできているわけです。

このように、悟りの世界には、菩薩に五十二段階、仏に一段階、合計で五十三段階あることになっています。しかも、これは阿羅漢の上にあるものです。

阿羅漢の上に五十三段階もあるというのであれば、「みんなが仏になれる」という思想は、どういうことでしょうか。それは、非常に単純な考えであり、百点満点で二十点か三十点程度を合格と考えているということでしょう。

そういう意味では、一乗仏、「みんなが仏になれる」という思想には、少し甘いものがあります。

仏教の伝統的な考え方では、それほど細かい見方をするのです。

【大川隆法 『八正道の心』より抜粋】
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主からは禅定に関しては、「四禅定」を教えていただいています。第一禅の「せせらぎの瞑想」から第二禅の「風と雲の瞑想」へ、第三禅の「満月瞑想」から第四禅の「守護霊と指導霊との対話」を経て、主と一体となるイニシエーション(秘義)を深い瞑想に入ることで、天上界からの光―力を受け取ることができます。このような瞑想の習慣を毎日、たとえ短くても持つことが「自分は肉体存在ではなく、霊的な存在なのだ」という霊的人生観を持つうえでとても大切です。『イニシエーション』『四禅定』は全国の精舎にて拝受できますので、是非お求めください。

「四禅定」は欲界・色界・無色界の三界のうちの色界禅と言われています。欲界からの脱却ということであれば、禅定の初歩ともいわれる「四念処」や「五停心観」があります。これに付属する教えとしては「五蓋反省法」などありますので、共に「正しい禅定」に取り組んでまいりましょう。

八正道の最後の道が「正定」―正しい禅定―でしたが、正しい禅定をすることができるための準備段階として、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」の七つの道があるとのことでした。「正定」がとても難しく感じるのは、「正見」から「正定」までの八つの段階がつながっていて、「正定」に至る七つの道、それぞれに個別の難しさと、深い学びが必要であるからです。

これは、考えてみればある意味当然のことで、2600年以上昔に、釈尊である仏陀が菩提樹の木の下で大悟―大いなる悟り―されたときに得た悟りが「四諦・八正道」です。この時に釈尊は、過去世を見通す宿命明(しゅくみょうみょう)と、未来の衆生の死と生を見通す天眼明(てんげんみょう)と、仏教の真実によって煩悩を断滅する漏尽命(ろじんみょう)の「三明」(さんみょう)を得たといわれています。【経典『釈迦の本心』参照】

お釈迦様の大悟の内容が、このようにまとめられているものを毎日拝読できること自体が、私たちにとっては奇跡ではないかと私は思っています。とても尊い教えのエッセンスですから、この地上に命ある限り、ともに、大切に読誦して学びを進めたいと思います。理解は毎日読誦する中でついてくることも多々あります。毎日の実践が大切です。ともに頑張りましょう。

幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。それが、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つからなる仏へ道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。

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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第4章「霊界案内」
〇食べなくても死なない不思議

それから、これもよく知られていることですが、あの世では飲み食いをしなくても構わない、ということがあります。

何日も食べなくても、何年も食べなくとも、死ぬようなことはまったくないわけです。もちろん死んでからあの世へ行くわけですから、もう一度死ぬというわけにはゆきませんが、食物をとらなくても構わない、飲み物を飲まなくても構わないという特徴があるのです。

死後まもない霊にとっては、これは不思議なことです。生きているときには、三度三度ご飯を食べているので、あの世に還っても、しばらくすると何だかひもじいような気がして、何かを食べなければいけないという気持を起こすことがあるのです。

そこで、地上に近いところでまだ浮遊しているような霊ですと、お昼時になるとおなかが空いてきたりして、人の家に上がって、一緒にご飯を食べようとしたりすることもあります。しかし、どうしても食べることができなくて残念がっています。

仏壇にお膳を供える、小さなお椀にご飯を持ってお供えをすることがよくありますが、これにはそうした理由もあるのです。もちろん、霊は食べることはできないのですが、そのようにお供えをしてくれると、気分だけは伝わるのです。「ああ、これは自分に『食べてくれ』と言ってくれているのだなあ」と、地上からの供養の念だけを相手は受け取って、少し満腹したような気がするのです。

ですから、死んだばかりでまだ地上に未練がある霊の場合は、家族などが食事をしていて、なんとなく死んだ人の話などをみんなでし始めたりするようなときには、近くにきて、一緒にご飯を食べたがっているようなことが多いと言えましょう。地上の記憶が抜けるまでには、しばらく時間がかかりますから、これはどうしようもありません。しかし、これは本人のまったくの思い違い、空想にしか過ぎず、実際は食べなくても構わないわけです。

ところが、生きているときに食い意地の張っている人で、どうしても「食べ物こそ人生のすべてだ、幸福だ」と思っている人ですと、あの世の世界というのは耐えられないわけです。食べ物が手に入らないわけですから、「これは大変だ。何とかして地上に舞い戻って、ご飯を腹いっぱい食べたい」と思います。こうした人が、大食漢の人に憑依して、一緒に食べたりするようになるわけです。

“物の怪”に憑かれたようによく食べるということがあります。「どうしたの?いつも一膳飯しか食べないのに、五杯も六杯も食べて大丈夫か」と周りが思うくらいガツガツと食べるような人がいます。そういうときに、その人の顔をジーッとみんなで見つめたりしますと、「うん?どうしたのかな?何かがおかしいのかな?」という感じで、キョトンとした不思議な顔をすることがあります。このように、空腹の霊などに取り憑かれますと、見事に二人前、三人前、食べる方もいます。

雑踏などに出ると、そうした霊にふっと憑依されることがあります。あるいは野原や山のなかで、たとえば探索中や登山中に死んだような人の霊などに遭遇すると、取り憑かれてしまい、やたらとお腹が空くというようなこともあります。

ですから、いつもと違ってガツガツと食べているときには、これは自分が食べているのか、そうでないのか、よく考える必要があります。

また、飲食店、あるいは夜の風俗営業の店などにも、「ご飯を食べたい」、あるいは「お酒を飲みたい」という亡者たちの霊がたくさんいます。ですから、普段はおとなしいのに、お酒が入ると人格が変わって、「私は底なしだ」と言って何杯も飲み続けているような人もいますが、こういう人も、本人が飲んでいるのか、あの世の霊が飲んでいるのか、あるいはあの世のうわばみか何かが来て飲んでいるのか、よく自問自答しないといけないことがあります。

このように、霊になると飲み食いをしなくてもよくなるということが、大きな特徴の一つになります。

【大川隆法『宗教の挑戦』第4章「霊界案内」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■御生誕祭の宗教的意義について
〇御生誕祭は、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生のご降臨への感謝と、報恩としての伝道の誓いを捧げる、幸福の科学における二大祭典の一つです。

主のご降誕に対し、心からの感謝を捧げ、主への信仰を深める日
――根本仏にして地球神エル・カンターレの御降臨は、慈悲であり奇跡そのものです――

〇御生誕祭は、主と魂の契りを結ぶ霊的な場です。そして、主への報恩として、弟子としての使命を果たす誓いを捧げる場でもあります。誓いを立てることで、信仰は本物となります。

〇主エル・カンターレ大川隆法総裁先生は、1956年7月7日朝7時頃にご生誕されました。「7」という数字は、天上界において、「勝利」と「完成」を意味します。ご生誕の「777」の数字には、悪魔を象徴する「666」にすべての面で凌駕する「勝利の宣言」が込められています。主は、この世の一切の悪なる勢力に勝利し、地球ユートピアを建設されるために、ご降臨されたのです。

〇主エル・カンターレのご本体の御降臨は、3億年前のアルファ様、1億5千万年前のエローヒム様に続き、地球の歴史上3度目に当たります。地球神であり、根本仏でもあられる主は、天上界では光そのものであり、本来、肉体を持たれてはならないご存在です。
・今世は、大川隆法総裁先生というお姿を通して、エル・カンターレのお姿をかいま見ることができる、歴史上ほんの一瞬の、稀な機会なのです。

〇本仏が下生される時代は、人類にとって危機の時代であり、同時に、新時代の幕開けとなる希望の時代です。主のご降臨そのものが、人類に対する最大のご慈悲なのです。

〇御生誕祭は、主がご降臨された奇跡の時代に、主と共に生まれ、主と共に救世活動ができることへの感謝を捧げ、エル・カンターレ信仰を深める大切な日なのです。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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