12 ほめられた時のみ信じ、否定されると、すぐに恨む、というのは真(まこと)の平凡人である。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
7月7日は主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
7/6(日)~13(日)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/6(日)と7/7(月)は、両日とも13
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
さて、ここからは、常に主と共にあるために、教典『大悟の法』から第5章の「常に仏陀と共に歩め」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。主の御生誕祭に向けて、さらに神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
■常に仏陀と共に歩め
5伝道とは智慧を押し広げること
これまで述べてきたように、仏教には自由と平和という二つの特徴があり、悟りのなかには、その両方が入っています。この自由と平和を含めた悟りのことを智慧といいます。
この智慧は個人のものではありません。真実の智慧には普遍性があり、それは人類の共通財であって、公共のものなのです。
仏陀は、自分の悟りを自分ひとりのものとはせず、悟りの果実としての智慧を、他の人にも分け与えようとしました。「このようにすれば、悟りを得ることができる。あなたがたも、修行をすれば、仏神と一体の状態になれるのだ。その状態を目指しなさい」と、自らが得た知恵のあり方を教えました。
この智慧を押し広げていくことを伝道と呼んだのです。
そして、智慧を押し広げることは、同時に慈悲であり、多くの人々の苦しみや悲しみを取り除く行為です。それは、また愛の実践でもあります。慈悲にして愛、愛にして行動の原理が伝道です。これが大事なのです。
仏陀は、智慧を個人のものとせず、人類の共通財産、共通の宝として、他の人と共有しようとしました。これが伝道への熱意になったのです。
真理というものは、より多くの人に理解してもらう必要があります。なぜなら、真理は多くの人を幸福にするからです。
自分は幸福になる方法を知っているのに、それを他の人に教えないということは、やはり情けないことだと思います。
真理を知らない人は、ちょうど、「自分の家の庭を掘れば、そこから温泉がわいてくるのに、それを知らずに、洗面器を持ち、何百メートルもの長い距離を歩いて、風呂屋に通っている」という人にも似ています。多くの人々が、現にそのような状態にあるのです。
そのため、「庭の下には温泉があるのですよ。その掘り方を教えてあげましょう」と言っているわけです。
これが智慧と慈悲の関係です。
伝道、教化、布教といわれるものは、智慧の部分を押し広げていくことです。
それが仏弟子の仕事であると言ってよいのです。
【大川隆法『大悟の法』第五章「常に仏陀と共に歩め」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』はこのように続きます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第五には 『正命』をこそ
反省せよ
正命とは
正思なる 意業と
正語なる 語業と
正業なる 身業の
三業を 統合したる 境地なり
すなわち
心を 正し
言葉を 正し
行いを 正した
生活なり
調和の とれた 生活なり
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
The fifth step is ‘right living’
Right living can be attained
By integrating three actions
Mental, for right thought
Verbal, for right speech
And physical, for right acts
By improving your thoughts
Words and conduct
You can attain this well-balanced way of life’
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
「なる」というのは、「である」ということですから、要するに、「正思である意業、正語である語業、正業である身業」―この三つを統合したる境地が正命だということです。すなわち、「思い・言葉・行為」―この三つともを見事に調和した一日であったかどうかという反省が、正命です。
もちろん、正命とは、正しい生活態度、正しい生活方法、正しい生活様式ということなのですが、点検の仕方としては、正思・正語・正業を一つひとつ点検し、そのあと、それらを統合して、全部がバランスの取れた一日であったかを考えるとよいと思います。
「すなわち
心を 正し
言葉を 正し
行ないを 正した
生活なり
調和の とれた 生活なり」
ということです。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
つづいて、経典「八正道の心」より抜粋をご紹介いたします。
この経典は、もともと会内経典でしたが、HSU開学を前に、一般書として書店でも頒布されている大変ありがたい経典です。お持ちでない方は是非拝受ください。【税抜き1500円】
主におかれましては、正命についてこのように教えていただいています。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
〇八正道の第五―「正命」
・規則正しい生活
これは、「正しい生活」ということです。現代的に言うと、一般的には、「規則正しい生活」と考えてよいでしょう。真理に則った生活です。
当会で言えば、「『仏説・正心法語』を読誦したり、反省をしたりしながら、規則正しく、きっちりと、社会人としての務めを果たしているか。だらしない生活をしていないか」ということです。お寺の生活で言えば、片付け物や掃除など、しなければならないことがいろいろあるでしょう。こういう規則正しい生活というのが、だいたい基本です。
昔のもののなかには、正業のところで述べた、職業にかかわることまで、この正命に含めているものもあります。
職業のなかでも、よく言われているのは、特に宗教に関係したものについてです。「邪命説法」といって、「間違った宗教で、ご飯を食べたりすることはいけない」ということが言われています。
間違った宗教の中に入られているものに、どういうものがあるかというと、例えば易や占いです。「駅や占いなどで生計を立ててはいけない」ということだったのです。・・・みなさんのなかには易者や占い師もいるかもしれませんが、心の教えもしっかり学んでください。
また、現代の霊感商法ではありませんが、「宗教で人を騙してご飯を食べることはよくない」ということが言われています。宗教の世界でも、食料を手に入れるために、いろいろと噓をつく人も出てくるので、「そういうかたちで生計を立ててはいけない」ということが言われていたのです。
【大川隆法 『八正道の心』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
昨日ご紹介した大乗仏教に十善戒も、八正道の正命の立場から、自らの心をコントロールすることを目指したものでした。正思から「無貪」(むどん)・「無瞋」(むじん)・「不邪見」の三つの項目。正語から「不妄語」「不悪口」「不両舌」「不綺語」の四つの項目。そして、正業から「不殺生」・「不偸盗」・「不邪婬」の三項目の全十項目が挙げられています。
このように、大乗の十善戒をしっかり守ることが、正思なる意業と、正語なる語業、正業なる身業の三業を、統合したる境地となり、一日一生で主と共に生きる、神仏と共に生きる正しい生活―正命―となります。
○大乗の十善戒
①「無貪」(むどん)―むさぼるように欲しがらない。逆に与えること、布施の心が大切。
②「無瞋」(むじん)―心の怒りを鎮めること。相手を裁くのではなく、理解し、許すことが大切。
③「不邪見」(ふじゃけん)―正しい信仰をもち、物の見方が偏らないこと。正しく見ること、観察すること。
④「不妄語」(ふもうご)―嘘をつかない、人をだまさない。素直で正しい言葉を使うこと。
⑤「不悪口」(ふあっく)―人の悪口を言わない。人のあら捜しをしない。祝福・感謝の言葉を使うこと
⑥「不両舌」(ふりょうぜつ)―他人を仲たがいさせるような言葉を使わないこと。
⑦「不綺語」(ふきご)―過ぎたお世辞、心にもないお世辞を言わないこと。
⑧「不殺生」(ふせっしょう)―殺さないこと、傷つけないこと。生命を大切にすること。
⑨「不偸盗」(ふちゅうとう)―盗まないこと。許されていないものを取らないこと。
⑩「不邪婬」(ふじゃいん)―ふしだらな不倫をしないこと。家庭ユートピアを大切にすること。
当会には、「一日一生」の考え方がとても強く出ていますが、この一日一生の考え方に、正命や、大乗の十善戒の考え方を取り入れると、一日を充実させるうえで、大変役に立つのではないかと思います。
幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。それが、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つからなる仏へ道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『宗教の挑戦』
第3章「信仰は美しい」
〇素晴らしき信仰の道
このように、いったん発心を起こすことは簡単だと思うのです。神仏の道を求めようとする。信仰は素晴らしいと思う。信仰は美しいと思う。そして、そのようにありたいという思い、それは人間の一生のうちに何度か訪れることかもしれません。若いとき、中年のとき、あるいは晩年のとき、いずれの時かはわからないけれども、そのような気持ちが起きることがあります。そのときに、いま述べたたとえどおりの困難が、必ず現れてきます。
他の人びとの罵声(ばせい)、悪口、非難。そうした火の河が現われてくることもあれば、この世的な欲望を断ち切ることができないということもあるでしょう。昔の結婚しないお坊さんであるならば、水の河とは、たとえば女性と結婚したいという思いでもありましょうし、両親の期待に応えたいというおもいであるかもしれません。こういう水の河が現われてくることもあります。
さらには、自分の肉体生活に基づいたいろいろな煩悩が出てきます。いったん書物で読んで、「ああ、本物だ」と思っても、実際にその世界に踏み込もうとすると、「霊の世界というものを見たことがある人は、本当にいるのだろうか。『霊界はある』『あの世がある』『神仏がある』と言っている人は、もしかしたら嘘をついているのではないのだろうか。ペテン師なのではないだろうか」、そんな疑いが出てきます。
そして、毎日毎日の日常生活を守るほうにゆきたくなり、そこに六根煩悩が出てくる。こうしたことで、進退極まることがあるということです。
しかし、そのときに肚をくくることです。進んでも死ぬかもしれない。後戻りしても死ぬかもしれない。たぶん死ぬでしょう。その場で立ち止まっても、野獣や盗賊に襲われて、命を落とすことになるでしょう。いずにしても命を落とすことになるならば、心を決めることです。
一度、西の方向に向かって歩んでゆこうと思ったのだから、そのほうに向かって、たとえ火の河、水の河があろうとも、たとえその道は狭く細いものであろうとも、そして足元を何度も炎がかすめ、水が逆まいたとしても、まず発心したことを大事にして、一筋に歩いてゆこうと決意することです。
そのときに、あなたを助ける声が聞こえてくる。それは何であるか。一つは真理の書籍です。現代でも、「幸福の科学」からは素晴らしい書籍が数多く出ております。また、過去の書物、たとえば仏教の書物、キリスト教の書物、プラトンをはじめとするギリシャ哲学の書物、中国の古典、そうしたもののなかにも信仰の素晴らしさを教えたものが数多くあります。
「そうした過去の偉人たちが語ったことが、間違っているはずがない」という気持ち、これが東岸から聞こえてくる釈迦如来の声にも聞こえることでしょう。「そうだ、信じてゆけ。命を失うことはないぞ」という声です。
「あの世はないという人がいるが、そんなことはない。あの世はあるのだ。お前はこの世限りの人生を送ってはいけない。あの世があると信じて、ひたすらに精進するのだ」、そういう声が後ろから聞こえてくるわけです。
「そうだ。あの世はあるんだ。この世だけではない。がんばって精進しなくては」と願わなくてはいけません。
そして、力強く歩もうとすると、前からも声が聞こえてきます。これは阿弥陀如来の声と言われていますが、実在界の光の天使の声と言ってもよいでしよう。あるいは、姿を変えたあなた自身の守護霊や指導霊の声と言ってもよいでしょう。
あなたが発心をなして、修行の道を歩むときに、必ず霊天上界からあなたを導く声が聞こえてくるのです。「そうだ。この道を歩くのだ。私たちも、お前が見事に今世の修行を終えて、天国に還ってくるのを待っているのだよ。お前がその気で修行をするなら、私たちも声援を惜しまないよ。信じて来なさい。地上の人間は、あなたのことを悪く言うかもしれない、批判するかもしれないが、ただ天上界にいる私たちを信じてついてきなさい」という声が聞こえてくるはずです。
そして、その声を信じて、まっすぐに二河白道を歩いてゆくと、やがて火も水も消えて、素晴らしい世界に出て、あなたの本来の仲間たちと会うことができます。あなたは天国にいる光の天使たちと会うことができるのです。これが信仰の姿です。
素晴らしいと思いませんか。このような艱難・苦難が現われてくることこそ、美しさを醸(かも)しだすための非常によい条件になっていると私は思うのです。
そんなに平坦な道ではないほうがよい。そんなに楽な道ではないほうがよい。自分を十分に鍛えぬき、そして本来のものを手に入れるからこそ、それは宝物として素晴らしいのである。私はそのように思います。
信仰の道において、苦難・困難が出て、他の人から批判され、孤立無援の思いがしたときには、この二河白道のたとえ話を思い出し、これを信じて、ただまっしぐらに歩いていっていただきたいと思います。(完)
【大川隆法『宗教の挑戦』第3章「信仰は美しい」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■御生誕祭の宗教的意義について
〇御生誕祭は、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生のご降臨への感謝と、報恩としての伝道の誓いを捧げる、幸福の科学における二大祭典の一つです。
主のご降誕に対し、心からの感謝を捧げ、主への信仰を深める日
――根本仏にして地球神エル・カンターレの御降臨は、慈悲であり奇跡そのものです――
〇御生誕祭は、主と魂の契りを結ぶ霊的な場です。そして、主への報恩として、弟子としての使命を果たす誓いを捧げる場でもあります。誓いを立てることで、信仰は本物となります。
〇主エル・カンターレ大川隆法総裁先生は、1956年7月7日朝7時頃にご生誕されました。「7」という数字は、天上界において、「勝利」と「完成」を意味します。ご生誕の「777」の数字には、悪魔を象徴する「666」にすべての面で凌駕する「勝利の宣言」が込められています。主は、この世の一切の悪なる勢力に勝利し、地球ユートピアを建設されるために、ご降臨されたのです。
〇主エル・カンターレのご本体の御降臨は、3億年前のアルファ様、1億5千万年前のエローヒム様に続き、地球の歴史上3度目に当たります。地球神であり、根本仏でもあられる主は、天上界では光そのものであり、本来、肉体を持たれてはならないご存在です。
・今世は、大川隆法総裁先生というお姿を通して、エル・カンターレのお姿をかいま見ることができる、歴史上ほんの一瞬の、稀な機会なのです。
〇本仏が下生される時代は、人類にとって危機の時代であり、同時に、新時代の幕開けとなる希望の時代です。主のご降臨そのものが、人類に対する最大のご慈悲なのです。
〇御生誕祭は、主がご降臨された奇跡の時代に、主と共に生まれ、主と共に救世活動ができることへの感謝を捧げ、エル・カンターレ信仰を深める大切な日なのです。
■御生誕祭の霊的意義に関連する聞慧■
〇勝利の宣言
私は、昭和三十一年の七月七日、朝、潮満つるころ、七時ごろに生まれました。その数字の示すとおり、「777」という数字がならびます。《中略》「7」という数字は、天上界において、これは勝利を意味する数字であるのです。これは、ひとつには、勝利を意味し、もうひとつには、完成を意味する数字であります。《中略》この「7」の数字の意味は、もうひとつ、別の説明が可能であります。「777」の下には、「666」という数字があります。《中略》ルシフェルをあらわす文字が、数字が、「666」なのであります。これが、彼らの暗号であります。「777」とは、この6に、すべての面において、凌駕するということを意味しているのであります。すなわち、この今生において、私が生まれてくるときに、勝利へ・
・
�
�
�宣言をこめて生まれてきたということであります。何に対しての勝利であるか。《中略》私たちは、神のつくられた、この地上において、いっさいの悪なる勢力を一掃しなくてはならないのであります。
【大川隆法『勝利の宣言』p.11~p.14より抜粋】
〇現成の仏陀の声
私はさらに言葉を継いであなた方に言おう。私は、多くの書物に書かれているように、仏陀の魂の、その生命体の生まれ変わりではあるが、あなた方の前に大川隆法として立っているこの存在は、通常、地上には生まれることのない存在であることを。あなた方は、真の意味において今、我が名で呼ばれているところのこの魂を見ることは、今後、地上においても、天上界においてもあり得ない。それを言っておこう。通常、「法身」という名で呼ばれているのが、私の本当の姿であって、もはや人間の姿をとって出ることはない。そう思って、「幸福の科学」という名を借りての地上における今回のこの真理の活動の意味を知ってほしい。
【大川隆法『悟りの極致とは何か』p.123~124より抜粋】
〇いまはエル・カンターレの姿を見られる稀な機会
「主は、どういう存在か」ということですが、本来、エル・カンターレという存在を、あなたがたに見せることはできません。いまは、「私の姿を通して、かろうじてエル・カンターレの姿を見ることができる」という、歴史上ごく稀な珍しい機会であり、普通は、想像することしかできないのです。というのも、私は、あの世に還ったら、顔や手足などはなくなり、光そのものになるからです。《中略》いま、あなたがたは、エル・カンターレの姿を垣間見ることができますが、歴史の流れから見ると、これは、ほんとうに一瞬の出来事です。《中略》その一瞬に、あなたがたは、永遠なるものの影を見て取り、心に深くとどめておかなければならないのです。
【大川隆法『君よ、涙の谷を渡れ』p.68~70)より抜粋】
〇一回目の名は「アルファ」、二回目の名は「エローヒム」
「エル・カンターレという魂は六人の分身を持っている」というような言い方をしていますが、実は、エル・カンターレの本体としての下生は、今回が三回目に当たります。一回目の下生は、もう今から三億年以上前のことになります。そのときは「アルファ」という名で呼ばれていました。《中略》二度目に生まれたのは、今から一億五千万年ほど前に当たります。このときに呼ばれた名前は「エローヒム」で、一般的には、これを簡略化し、「エル」という名で呼ばれています。《中略》「エローヒム」という名で呼ばれているのが二回目の下生のときです。
【大川隆法『エル・カンターレ信仰とは何か』p.25~26より抜粋】
■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き
■
文責:蒲原宏史
(6/13-1)164『解脱の言葉「仏説・八正道」』を読む ⑯正命―思い・言葉・行為の調和―伝道とは智慧を押し広げること
