(6/7-1)158『解脱の言葉「仏説・八正道」』を読む ⑩正思―心の三毒の点検【貪】―心の自由性

『解脱の言葉「仏説・八正道」』

6 感謝は、努力を続ける者にのみ許される喜びである。

【大川隆法 箴言集『人格をつくる言葉』より抜粋】

おはようございます。
本日6月7日七の日です。皆様誠におめでとうございます。
この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。
『精舎霊域護持植福』など各種植福を本日承っています。
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「七」は勝利の日 「七」は目覚めの日 「七はあなたの生誕の日」
私たちは 主エル・カンターレ御降臨という
奇跡の時代に 仏弟子として 主と共に歩ませて
いただけますことを 心より感謝いたします

そして 主への報恩として 
日本に 全世界に エル・カンターレ信仰を弘め
地球ユートピアを実現してまいります

私たちは これからも 仏弟子の使命である 伝道に邁進し
必ずや 「七の月」の「七の日」を
主の勝利の記念日とすることを お誓いいたします
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

映画『ドラゴン・ハート』が公開中です。
109シネマズでの上映時間は
①16:40〜18:50

伊勢支部でも14:00~映画上映会を開催いたします。
是非この機会に入会・三帰へと導いてまいりましょう。

今、この映画を観たことが将来の救いの手になることになります。愛する人にこの映画を届けてまいりましょう。そして、一人でも多く方を幸福の科学に入会・三帰へと導いてまいりましょう。

7月7日は主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

7/6(日)~13(日)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/6(日)と7/7(月)は、両日とも13 
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
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さて、ここからは、常に主と共にあるために、教典『大悟の法』から第5章の「常に仏陀と共に歩め」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。主の御生誕祭に向けて、さらに神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■常に仏陀と共に歩め
3心の自由性
○悟った人の特徴

かつて、中国仏教形成の第一人者といわれる天台智顗(てんだいちぎ・五三八-五九七)も説いていたことですが、人間は、さまざまな心の状態を出すことができます。(一念三千)。

たとえば、人間の性格について、「穏やかな人である」「寛容な人である」「知的な人である」「熱心な人である」など、いろいろな定義の仕方があり、それぞれの人について、いちばん特徴的な性格というものがあります。

しかし、「ある人には備わっているが、別の人には完全に欠けている」という性格はないのです。その量の多少や傾向性の違いはあっても、どのような人も、さまざまな素質を同時に兼ね備えています。

おとなしい人だからといって、絶対に怒らないかといえば、そんなことはありません。おとなしい人でも、どんどん問い詰められたりすれば、怒り出すことはあります。また、怒りっぽい人だからといって、いつも怒っているかといえば、そんなことはありません。穏やかで優しいときも、やはりあります。

そのように、表れ方にでこぼこはあり、優劣はありますが、「十界互具・じっかいごぐ」(拙書『太陽の法』第2章参照※人の心は、その波長によって常に十の世界(十界)につながっていて、そして、それぞれの世界も常に十の世界とつながりを持つとする教え・「地獄」「餓鬼」「畜生」「阿修羅」「人」「天」「声聞」「縁覚」「菩薩」「仏」十の世界)といわれるように、すべての人のなかに、仏の世界、如来の世界、菩薩の世界、あるいは地獄の世界など、さまざまな世界に通じるような、心の働きがあるのです。そういう心の可能性があり、どのように、”チャンネル”を合わせていくかという点に自由性が与えられているわけです。

この自由性が与えられていることを知り、それを見事に自分の手中に置いて、コントロールすることのできる境地が、悟った人の特徴です。

したがって、「いま、自分の心はこういう状態にある。こういう原因によって、こういう結果になっているのだ。そして、今後、このように考えれば、こうなるであろう」ということが自己認識できるようになること、さらに、「自分の心の作用が、他の人にどのような影響を与えているか。世界にどのような影響を与えているか。また、霊界にどのような影響を与えているか。あるいは、自分や世界の未来にどのような影響を与えていくか」というところまで認識していくことが大事です。

本当の意味で、心の法則をつかみ、心の自由性を獲得することが、悟りたる者であることの第一条件なのです。

○想念は磁石のように世界に影響を与える

幸福の科学の書籍には、成功の法則もいろいろ書いてあります。成功、あるいは発展、繁栄というものも、仏神が創った宇宙の要素の一つであり、宇宙のなかに遍満し、いたるところにある要素です。

この繁栄の想念を常に発信し、形成していくと、それは、ちょうど磁石のようになって、まわりの世界に影響を与えていきます。

砂鉄を紙の上にまいて磁石を近づけると、砂鉄が磁石に引きつけられ、見事な波紋を描きます。それと同じように、繁栄という方向に向かって、ある人が”電磁波”を出しはじめると、その電磁波に合わせて、成功の要素になるものが集まってくるのです。アイデア、協力者、お金など、さまざまな成功の要素が、その力によって、ぐっと引き寄せられてきます。

このように、心の作用というものは、実態を持っているものなのです。どのような心を持つかによって、自分自身が変わり、その変わった自分は、一種の磁石のような作用を持ち、一つの創造性を持ちます。その創造性は、自分自身の現在および未来を変えていき、さらに、他の人の未来をも変えうる力を持ちます。そして、それは自分と他の人を変えるのみならず、同時に世界をも変え、宇宙にも影響を与えていくのです。

【大川隆法『大悟の法』第五章「常に仏陀と共に歩め」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』はこのように続きます。
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第二の 道は 『正思』なり
冷静に 己の 内を 見つめては
心の 実相 掴むなり
まず 煩悩の 火を鎮め
執着の 思いを 除き はじむべし
執着とは 
心の 中の こだわりなり
貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の 三毒なり
貪とは むさぼりの 心なり
瞋とは 怒りの 心なり
癡とは 愚かな 心なり
自分の 保身に こだわりて
他人を 害し
結局は
自己をも 滅ぼす 所業なり
獅子 身中の虫 己心の魔
仏性の敵 そこにあり 
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The second step is ‘right thought’
Look within yourself calmly
And find the truth of mind
First, soothe the flames of worldly desire
And remove your attachment
Attachment is what sticks to your mind
It originates from the Three Poisons
Greed, anger and foolishness
If you are too concerned
About defending your own interests
You will harm others
And will eventually damage yourself
This is a thorn in your mind
Here is the enemy of Buddha-nature

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①貪(とん)
苦しみの原因の中心は何かというと、「貪・瞋・癡」のなかの、特に、「貪」です。貪りの心、抑えることができない欲望、「欲しい、欲しい」という思い―これが、ほとんどの苦しみのもとなのです。「自分がなぜ苦しいか」ということを反省してみれば、ほとんどの原因、この「貪」―貪欲のところにあります。身分不相応な処遇、身分不相応な相手、努力以上の結果を求めたりしていると、そこに苦しみが生まれてくるのです。

ですから、それを冷静に見る目が大事です。冷静に見ることによって、「貪」は消えていくことがあります。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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つづいて、経典「八正道の心」より抜粋をご紹介いたします。
この経典は、もともと会内経典でしたが、HSU開学を前に、一般書として書店でも頒布されている大変ありがたい経典です。お持ちでない方は是非拝受ください。【税抜き1500円】
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〇貪(とん)
八正道の本来の順序では、正見の次は正思になっているので、正語の前に正思を説明します。

正思の反省の内容は、私の著書にも書いてありますが、「貪・瞋・癡」という「心の三毒」であり、さらに「慢・疑・悪見」まで入れると「六大煩悩」になります。【※大乗経典では、「貪・瞋・癡・慢・疑」を「心の五毒」と呼ぶこともあります。これに関する心の浄化に関して、当会の会内経典に『五蓋反省法』があります。是非拝受ください。】要するに、煩悩の反省です。煩悩とは、心の迷い、迷妄、心の曇りなど、悪しき精神作用の総称です。

何のために反省行をするかというと、そういう、心が出したスモッグのようなものを取り除くためなのです。

宗教的な勉強が少し進んだ人は、正思において、煩悩のところを反省すればよいわけです。

まず、貪欲(とんよく)です。「あなたは欲が深くなかったか」ということです。

これは、自分のことはなかなか分からないのですが、ほかの人を見ると、よく分かります。「あの人は欲が深いな。欲張っているな」というのは、ほかの人が見れば、よく分かるものであり、まず外れません。自分については、そう簡単には分からないのですが、他人については、見れば分かるのです。

「あなたは、その程度の仕事能力で、そんなに出世したいのですか。その程度の仕事で、今以上の給料をもらいたいのですか」ということは、すぐに分かるでしょう。

また、「あなたは、その顔とその心で、そういう人と結婚したいのですか」「あなたは、その勉強量で、そんな一流の学校に行きたいのですか」などということも、他人のことであれば、すぐに分かります。

他人のことはよく分かるのですが、自分のことは分からないものなのです。

したがって、反省するためには、自我の立場を離れなければいけません。私は、よく「無我」を説いていますが、自我というものがピシッとあって、「これが自分だ」と思ってつかんでいると、まず反省はできません。自我の立場が強いと、他人しか見えず、自分は見えないのです。

自我の立場から離れるということが無我なのです。自我の立場から離れて、自分を外から見るようになると、自分の間違っているところが分かるわけです。

欲は、誰にでもあります。悪いことばかりではなく、正しいことについても欲はあります。

例えば、高校野球の監督やコーチが、「甲子園に出て優勝したい」と思っているとします。しかし、自分のチームがどのくらい強いか分からないまま、優勝する可能性の無いようなチームを朝から晩までしごきまくったならば、選手はみんな体を壊して入院してしまうでしょう。

これは、欲が過ぎたために失敗したことになるわけですが、本人には、それが分かりません。そういうものなのです。

この欲のところを見るためには、自分を客観的な目で見なければいけないし、人々の反応もよく見なければいけません。自分の欲が過ぎているかどうかを知るためには、他の人の反応をよく見ればよいのです。それは他の人にはよく分かるものなのです。あまり他の人からの反発や批判が多くなってきたら、「自分が何か間違っているのではないか」と考えなければいけないことがあります。

これが「貪」です。

【大川隆法 『八正道の心』より抜粋】
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さらに、経典「悟りの挑戦」より抜粋をご紹介いたします。お持ちでない方は是非お求めください。
『悟りの挑戦』が仏陀自身による仏教解説であることがわかることだろう。―『あとがき』
【税込み1800円】
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〇「貪」=貪りの気持ち
この心の三毒を簡単に説明してみます。
まず、「貪」はむさぼりの気持ちです。たとえば、野良犬がごみ箱に鼻先を突っ込んで、食べ物をあさっている状態を想像してみてください。非常に浅ましく貪欲な感じがします。当の本人は気づいていないのですが、傍目には「なぜそれほどまでに欲が深いのか」「なぜそれほどまでガツガツするのか、浅ましい感じを出すのか」というように見えるのです。

では、その浅ましさの対象とはいったい何でしょう。まず、食欲です。たとえば、みんなが礼儀作法を心得て食事をしているところに、お腹を空かせた人が一人入ってきて、ガツガツと食べはじめたら、ちょっとたまらない気がします。とてもではないけれども、食事がおいしく食べられなくなります。

あるいは、性欲というものもあるでしょう。自分を抑えることができず、とにかく異性を見るともう人間ではなくなってしまうような強い欲望を持っている人がいます。欲望を自己のコントロールのもとにおけない人です。

この欲には限りがありません。出世欲から始まって、物欲など、さまざまな欲があります。とにかく手に入れたくて仕方がないという気持です。これが「貪」です。

要するに、「貪」というのは「奪う愛」にあたるわけです。この「貪」の反対は何かというと、当会で言えば、「与える愛」です。あるいは「布施」という考え方です。これは、ある意味では、「貪というものを捨て去りなさい」という教えであるわけです。

これは、他人を観察してみると、よく分かってきます。第三者の目で見るとよく分かりますが、自分自身では、そう簡単に分からないという特徴を持っています。分不相応な欲望や願いを持っているかどうかということは、自分自身にはなかなか分からないことですが、他人を見るとよく分かるのです。ですから、常に世の中のことをよく観察して、自己を客観視できるようになるための努力が必要になります。

【大川隆法『悟りの挑戦(上)』第二章「無明からの脱出」より抜粋】
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貪欲の反対が与える愛であることを本日学びました。
経典にはこのようにあります。

『要するに、「貪」というのは「奪う愛」にあたるわけです。この「貪」の反対は何かというと、当会で言えば、「与える愛」です。あるいは「布施」という考え方です。これは、ある意味では、「貪というものを捨て去りなさい」という教えであるわけです』

貪欲は、奪う愛の典型ともいえます。
幸福の科学の教えの中でとても重要なのは「愛」の教えですが、
貪欲の対局にあるのは、愛ということになります。
「人から何を与えられるか」「人から何を引き出せるか」「奪うことができるか」というようなことが、常に頭から離れないでいると、自分中心の考え方にはまってしまい。自分を不幸にしてしまいます。

そうではなく、不幸である自分をやめるために、周りや環境から何かを引き出すのではなく、自分の持つ善きものを、周りに与えてみましょう。「どうしたら自分が幸せになるか」に心を奪われるのではなく、「どうしたら自分の周りの人を幸福にできるか」「環境に対して自分ができること」を考え、「今の自分に与えることは何かないか」と考えてみましょう。なんとなく、いつも人の幸福を願い、人のことを思っている人がほんとうに幸福な人です。

仏説願文「先祖供養経」では、
「地上で 物に 執われて
物質欲
金銭欲
色欲
酒欲
賭博欲
出世欲に
名誉欲
欲また欲の世界なり」
とあり、人が成仏できなくする執着としての欲に限りがありません。
肉体への執着、この世への執着を捨て去るために、三宝帰依と精進による仏道修行が必要です。執着の反対は「与える愛の実践」です。

愛の力で、心の三毒、貪欲を打ち消してまいりましょう。愛は最高の解毒剤です。そして愛はこの世においても、あの世においても最大の力であると教えていただいています。与えきり愛の力で、人から奪おうとする貪欲を打ち消しましょう。この意味において「植福」や「布施行」は、心の修行として執着を断ち切り、愛を循環させるための重要な修行であることが分かります。

幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。それが、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つからなる仏へ道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。

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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第3章「信仰は美しい」
〇美を感じる生き方

私はここで言いたいのです。

信仰は人間特有のものと考えてもよいでしょう。しかし、人間のなかにも信仰を持たない人が数多くいます。「あの世の世界など信じない。霊の世界など信じない。人間は死んだらそれで終わりだ。神も仏もない。高級霊などあるわけはない」と考えている方が数多くいるわけですが、彼らはその猿より劣る存在なのではないか、と私は思うことがあります。

人間は猿より優れているのだろうか。ある面ではそうかもしれないが、もしかすると、他の面では間違っているのではないか。猿よりも劣っている人もいるのではないか。「信仰なんて何になる。神なんか信じない。私は唯物論者だ」と言っているような人のなかには、もしかしたら、残念ながら猿以下の人生を生きている方がいるかもしれません。

少なくとも、都会の喧騒のなかで、自分がいったいいかなる立場に置かれていて、何を目的に生きているのかも知らずに、刹那(せつな)刹那を衝動的に生きている人間には、インド洋に沈む夕日を眺める猿のような、信仰心に満ち日を感じる生き方はできないかもしれないのです。

岩の上に登って、沈んでゆく夕日を小一時間も眺めている猿と、兜町(※かぶとちょう・東京の大手金融機関の本拠地が集まるところ)で株の上がり下がりに一喜一憂しながら売った買ったと一日中叫んでいる人間と、いったいどちらが人間に似ていて、どちらが猿に似ているかを考えたときに、ふと不思議な感慨に打たれるのは、私一人ではないのではないでしょうか。

信仰というものは、穏やかな透明感のある心を取り戻さなければ、その素晴らしさがなかなか分からないものなのです。

忙しい都会人は、休日には山や海に行ってのびのびとする方がよいと言われますが、それはこのことをも意味しているのでしょう。張りつめた神経を伸ばさなくては、大自然と一体となる感じを味わい、その奥にある悠久の時間というものを感じることはなかなか難しいのかもしれません。

みなさんは、現在ただいまの自分のものの見方、考え方、あるいは生き方が、ごく当然のことのように思われているかもしれません。かし、立ち止まってもう一度考えていただきたいのです。「あなたのその姿は、本当の姿ですか。本来の姿ですか。他人があなたの心の内を覗いたら、いったいどのように見えるでしょうか。それは非常に難しい心ではないでしょうか。人間として、あってはいけないような思いで、一日を過ごしてはいませんか」

そのようなことを、私はみなさんに問いかけてみたいのです。

【大川隆法『宗教の挑戦』第3章「信仰は美しい」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に霊的真実と
主エル・カンターレの御存在を弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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