(6/3-1)154『解脱の言葉「仏説・八正道」』を読む ⑥四諦・八正道―苦しみの原因は欲望にある【常に仏陀とともにあり】―真実の自分とは

『解脱の言葉「仏説・八正道」』

2 自分の自我が傷つくことを恐れている人は、まだ愛に目覚めていない。

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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映画『ドラゴン・ハート』が公開中です。
109シネマズでの上映時間は
①11:05〜13:15
②13:40〜15:50
 《(金)以外は日本語字幕版》
③18:40〜20:50
明和109シネマズの
映画『ドラゴン・ハート』に一人でも多くの方をお連れして、天国への道を伝えるために地獄の知識をしっかりと学んでまいりましょう。
今、この映画を観たことが将来の救いの手になることになります。愛する人にこの映画を届けてまいりましょう。そして、一人でも多く方を幸福の科学に入会・三帰へと導いてまいりましょう。

7月7日は主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

7/6(日)~13(日)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/6(日)と7/7(月)は、両日とも13 
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
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さて、ここからは、常に主と共にあるために、教典『大悟の法』から第5章の「常に仏陀と共に歩め」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。主の御生誕祭に向けて、さらに神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■常に仏陀と共に歩め
1真実の自分とは
○人間の心の性質

みなさんは、「心の力」「心の価値」ということについて、言葉としては聞いたことがあっても、それが現実にはどういうものなのかを、実感としては分かっていないのではないでしょうか。

仏教においても、二千五百年前に仏陀が悟ったことは、結局、心の法則であったのです。仏陀は心の法則を悟り、その心の法則を使うことによって、どのような世界が展開するかということについての経験を得て、智慧を手に入れたのです。

心の法則というものは、霊的世界まで考えて初めて、その実相がわかるものなので、言葉だけでは少し分かりにくいところがあります。

地上に生きている人間は、魂が肉体に宿った存在であって、外から目に見える部分ではなく、そのなかにある、目には見えない部分こそが、真実の自分なのです。

その真実の自分というものは、悟りの目が開けたものから見れば、外見上は、肉体と同じような等身大の形状を持った霊存在なのですが、そういう物体的な存在であり、形を取って表われるものであると同時に、法則として存在するものでもあるという面を持っています。

つまり、人間の心は、「一定の形をとろうとすれば、そのように現れることもできるし、また、法則として、あるいは作用として働こうとすれば、そのように働くこともできる」という性質を持っているのです。

たとえば、強い酸性を帯びた溶液があるとします。これをただビーカーに入れておいても、溶液という立体がそこにあるだけで、別に何の作用もありません。ところが、この溶液を、ある種の物質にかけると、反応が起き、その物質がジューッと泡立てて溶けることがあります。同様に、アルカリ性の溶液の場合も化学反応が起きます。

そのように、一見、ただの水のようでありながら、一定の条件を与えられると、急に物質をどろどろに溶かすような仕事をはじめる液体があります。あるいは、ある種の薬品を加えると、急に固まったりする液体があります。

また、片栗粉を水に溶かして熱を加えていくと、不思議なことに、どんどん固まっていき、固形状になります。しかし、それがほんとうの姿かというと、そうではなく、熱が冷めると、また元の液体に近い状態になります。

人間の実体も、それとよく似たところがあり、一定の形状を取ろうとすれば取ることができますが、形を取らずに、性質あるいは作用としてのみ存在することもできるのです。

人間は、肉体に宿っているあいだは、熱せられて固まった片栗粉の溶液のような姿をとっているわけですが、やがて死を迎えて肉体を去ると、元の”液体状”の存在に戻るのです。

【大川隆法『大悟の法』第五章「常に仏陀と共に歩め」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』はこのように続きます。
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我に 今こそ 確信あり
人生 まさに 四苦 八苦
欲望の 瀑流(ぼうる)の 中を
泳ぐなり
されど 不動の 境地あり
この悟りこそ 真理なり
正しき 悟りは 八正道
苦・集・滅・道 沈思して
四諦の 道を 究むべし
解脱の 道を 進むべし

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Now I am firmly convinced
That life is nothing but the Four Pains
The Eight Pains
It is like swimming
Across a violent river of desire
But you can achieve a steadfast state of mind
This enlightenment is the Truth
The right way to enlightenment
Is the Eightfold Path
Contemplate and pursue
The Four Noble Truths
Suffering, its cause, its extinction
And the Path
And walk the path to emancipation

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〇苦しみの原因は欲望にある
苦しみの原因は何であるかというと、結局、「欲望の瀑流(ぼうる)」です。欲望の本流のなかで、この世的に生きやすい自分を求めていることが、実は、いろいろな苦しみをつくっている原因である、ということを知らなければいけないのです。欲望こそが、苦しみの原因なのです。

そうであるならば、欲望を去ることにこそ、実は平安の境地があります。

では、欲望を去るためには、どうすればよいのでしょうか。大事なことは、実相世界の目でもって、自分の人生を見つめなおすことです。それによって、欲望の炎を沈めていくことができます。

そして、欲望の炎を鎮める作業として、八正道という方法論が提示されているわけです。八正道は、宗教といわず、一種の哲学・思想と考えても、心のあり方を、ここまで分析しながら考えるということは、なかなか高度な考え方だと思います。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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それでは、さらに「苦・集・滅・道」の四諦について、経典『悟りの挑戦(上)』より抜粋して解説を加えます。
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●苦の原因―集
(お釈迦様の初めての説法―初転法輪―で)釈迦の五人の弟子たち(相手を如来と認めたら、そのときにはもう弟子になる)は、「なるほど、『人生は苦しみである』というのが一つの真実であることはよくわかった。では、いったいどうしたらいいのだ?苦のままだったらもう救われようがないではないか」と訊きました。

釈迦はこう答えます。「いや、道はある。その道を私は発見した。人生は苦である。しかしながら、この苦には必ず原因がある。原因があって、そういう状態が起きているのだ。その苦しみの原因を発見することが大事である」。

これが「集(じゅう)」です。そういう原因を集めてくるということです。あるいはそれを一点に絞る、何が問題なのかということを知る、これを集といいます。

これを病気でたとえると、最初の「苦」が病気の状態、「ああ、これは風邪ですね」という病状が苦であるとすると、「集」がその原因です。「あなたは混みあった電車のなかで、ごほごほいっている風邪の人と会ったでしょう」、あるいは「寒いのにコートも着ないで雪のなかを歩いたでしょう」、これが原因を探ることです。苦しみの原因を探り、その原因を当てることが集です。「これは風邪の状態だ」「あなたはいま苦しんでいるのですよ。魂が苦しんでいるのですよ」というのが苦であり、「実は、その原因はあなたがこういうことをしたからですよ」「コートを着ないで寒い中を歩いたからですよ」「あなたは風邪をひいた人と接触して、何時間も一緒にいたでしょう。それで風邪が移ったのですよ」、これが集です。原因の・
・見です。

たとえば、求不得苦(ぐふとっく)、求めても得られないことの苦しみについて、なぜ苦しみの原因があるかということを考えてみるわけです。「会社のなかで出世できない」ということで苦しむならば、なぜ自分は出世できないのだろうかと考えてみるのです。同期の人は出世できているのに自分はできないので苦しむけれども、それに対して単に不平不満を言うのではなく、「なぜなのだろうか」と研究し、この原因を探るのです。

そうしてみると、上役に対して反抗的な態度をとっている自分だったりすることもあります。あるいは、「根本的に言って勉強不足であった。学生時代にマージャン以外やったことはなかった」というのであれば、会社に入ってから仕事がよくできるわけもないのです。会社に入ってから勉強するならば、ねじりはちまきで勉強しなければいけないのに、そういうことは考えもしなかった。そして出世が遅れる段になって、「なぜ遅れるのだろう。おかしい」などと言っている。それは言っている本人のほうが悪いのであって、もっと早く考えなければいけないことなのです。

あるいは、身体が悪くなってから、「ああ、運動などまったくしなかった。学生時代はラグビーをやっていて身体が強かったので大丈夫と思っていたけれども、十年も経ったらもうよぼよぼの肉体になっていた。身体を鍛えなかったら病気になった」ということならば、それは本人が悪いわけです。

このように、苦しみを認めたら、苦しみの原因を追究するのです。

●八正道によって苦を滅する
次に「滅」です。その苦しみを滅したらどうなるかを考える、あるいは苦しみを滅しよう、消そうと思う、この思いです。

たとえば、病気が治ったらどうなるかというようなことを考えるわけです。健康になったらどうなるか、経済状態がよくなったらどうなるか、出世したらどうなるか、いろいろありましょう。

あるいは、家族と仲良くなったらどうなるか。「今は妻と喧嘩状態、交戦状態だけれども、これが円満になった時の状態を想像してみるのです。そして、「ああ、やはり、夫婦が調和して仲が良かったな。やはりあの状態に戻さなければいけないな」と考えます。これは「滅」です。滅を願うことです。

では、「滅」の状態に入るためには、要するにその病気を治してしまうためにはどうするか、その方法があるだろう―これが「道」です。これは道しるべ、進むべき方法です。この「道」というのが有名な「八正道」です。・・・(中略)

●限りなき完成への道
「苦・集・滅・道」のことを「四諦」といい、そして最後の「道」が八正道のことです。これを「四諦・八正道」というのです。

これが、初転法輪のときに釈迦が説いた最初の教えなのです。これが最初の悟り、出発点ですが、最初だからといって重要性が低いわけでは決してありません。みなさんにとって、今でも重要性を帯びた考え方だと思います。

もう一度復習しましょう。菩提樹下で悟って、初転法輪、初めて法輪を転じたときに、釈迦が語ったことは何だったのでしょうか。

修業においては、
中道―極端を離れる、両極端を否定する、
そういう中道的な態度が大事だ。
そして、その思想の内容としては、
苦・集・滅・道の四諦である。
人生の苦、迷いの生存、迷った人生、
間違った人生観に基づくこの世の苦しみということを、
まず見抜かなければいけない。
そして、その原因を知らなければいけない。
さらに、『それを滅しよう、消し去ろう。
そして幸福になろう』と願わなければいけない。
そのために八正道があるのだ。
八つの目標、目印があるのだ。
そういう方法があるのだ。
これを毎日行じていくことだ。
さすれば、その道は自分を整える道であろう。
すなわち、八正道はまた中道でもあろう。
中道のなかに入って自己を発展させていく道であろう。
それが八正道の道であろう。

そういうことです。限りなき完成への道を、まず最初に説いたのです。そして、それはまた終わりなき道でもあったと思います。これが「四諦・八正道」ということです。

本章は初転法輪に関しての大切な話ですから、どうか心の中に留めておいてください。

【大川隆法 『悟りの挑戦』(上巻)第一章「仏教的精神とは何か」より抜粋】
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「悲しみや苦しみの原因は、実は真理の目が開けていないところにあるのだ」ということでしたが、肉体をもっている以上「生・老・病・死」の四つの苦しみから逃れることができません。この「霊的人生観」をまず確立して、「人間とは肉体ではなくて霊である」「自分とは、霊であり、現在考えていることそのもの」であるという事実を、府に落として納得することが悟りの第一歩となります。

苦しみの原因は欲望に対する心の執着にあります。その執着を去るために、お釈迦様によって編み出されたのが「八正道」でした。仏の求める正しさは中道であり、中道とは八正道によって発見することができます。

幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。それが、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つからなる仏へ道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。

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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第2章「無常の風」
〇真実の自己を求める

それでは次に、この真実を求める自己とは何であるかについて、考えてみたいと思います。

真実を求める自己―それは言葉の響きとしてはお分かりになる方も多いし、それを否定する方は数少ないことでしょう。しかしながら、真実というものがいったい何であるのか、自己というものが一体何であるのか、明確に答えられる人はいないかもしれません。

まず、真実とは何でしょうか。それは、流れてゆく時間のなかで、また変化してゆく環境のなかで、そのなかに今ある自分―その存在理由を説明することです。

なぜ自分がここにいるのか、なぜ今、生きているのか。何のために生きているのか。自分の人生というものの意味はいったい何であるのか。他のものとの係(かかわ)り合いのなかで、自分とはいったい何であるのか。自分と世界との係り合いは、いったいどのようなものであるのか。世界の真実の姿は何であるのか。そのなかに置かれる自分のほんとうのあり方は、いったいどのようなものであるべきなのか。

こうした態度が、真実を求める自己の姿と言ってもよいでしょう。

さまざまな職業のなかで、それぞれの方がこれを求めているのでしょうが、明確に答え切って、この世を去る方は、数少ないことと思います。かつての偉大な宗教家や哲学者は、これに答えを与えたかもしれません。しかしながら、現代に生きている宗教家や哲学者に、この問いに明確に答えられる人がいるかどうか、私ははなはだ疑問に思うのです。

哲学もソクラテス、ブラントン以来、まったく進歩していないのではないかと思われる向きがあります。特に、最近の記号理論学を中心にした哲学の流れを見てみると本当に情けないかぎりで、哲学は限りなく自殺に向かっているのではないでしょうか。

また、「神は死んだ」と言ったニーチェ以来の、さまざまな西洋哲学の流れを見るにつけても、その実存主義的な流れ(人間は偶然に投げ出さたれ存在であるとする考え)は、自己のあり方を問うという姿勢自体はよしとしても、残念ながらその答えを見つけることができない哀れさが、きっと天界遥かにプラトンの哄笑(こうしょう・大口をあけて笑うこと。どっと大声で笑うこと)を誘っているに違いない、と私は思うのです。

このように現代においても、自らが一人の哲学者となり、また一人の宗教家となって、「いかなるか、これ真実の自己」というものを求めることが大事なのです。

他の言葉では、これは「悟り」と言われるものかもしれません。ただ、悟りという言葉で呼ぶと、仏教系統の宗教家特有のものだと思われがちです。

しかし、悟りはそうした特殊な世界に生きている人だけのものではないと私は思います。主婦には主婦の悟りが、学生には学生の悟りが、サラリーマンにはサラリーマンの悟りが、政治家には政治家の、軍人には軍人の、医者には医者の悟りがあるように思います。

それは、今その仕事に携わっている自分―その年齢で、その立場で、その家庭環境で、その世界のなかで位置をしめている自分とはいったい何者なのか、今何をしているのか、何のためにやっているのか、これを知り尽くすことです。それが大事です。

そのときに、随所において、自分自身の主、主人公となることが可能となってくるのです。

【大川隆法『宗教の挑戦』第2章「無常の風」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に霊的真実と
主エル・カンターレの御存在を弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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