10 仕事の「イロハ」も分からず学歴自慢する人は、窓際予備軍となる。
11 新しい部署に移ると、後輩や、格下の者に、教えを乞わなくてはならなくなる。
12 入社三年目までの人には、二十年選手の教えや言葉は、まず通じない。
【箴言集『人生への言葉』より】
おはようございます。
本日3月17日七の日です。
この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。
『精舎霊域護持植福』など各種植福を本日承っています。
本日は名古屋正心館の百歳会が三重県本部主催により蒲原は終日不在となります。支部は、在家開館日となります。
どうぞよろしくお願いいたします。
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「七」は勝利の日 「七」は目覚めの日 「七はあなたの生誕の日」
私たちは 主エル・カンターレ御降臨という
奇跡の時代に 仏弟子として 主と共に歩ませて
いただけますことを 心より感謝いたします
そして 主への報恩として
日本に 全世界に エル・カンターレ信仰を弘め
地球ユートピアを実現してまいります
私たちは これからも 仏弟子の使命である 伝道に邁進し
必ずや 「七の月」の「七の日」を
主の勝利の記念日とすることを お誓いいたします
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
3月23日は「大悟祭」です。大悟祭とは、1981年3月23日に、大川隆法総裁先生が、霊的覚醒を経て、自らが、根本仏にして地球神であるエル・カンターレであるという大いなる悟りを得られたことをお祝いする日です。
3/23(日)~25
(火)を大悟祭期間とし、大宇宙の根本仏であり、宇宙のマスターでもあられる主エル・カンターレ大川隆法総裁先生の「大悟の瞬間」(1981 年 3 月
23 日)に思いを馳せ、人類救済の原点である主の大悟への心からの感謝を捧げます。
そして、主が「エル・カンターレの法」をお説きくださる未来を心から願い、主の心と一体となる念いを込めて、「復活の祈り」を捧げさせていただきます。
さて、ここからは1991年3月24日に説かれました大悟祭御法話『発展思考』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。
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■『発展思考』
3人間にとって本当の「知る権利」とは何か
〇ジャーナリズムのなかにある大きな落とし穴
先ほどの民主主義の話でも同じです。民主主義のもとになっているのは各人の「参加する意識」であり、各人の参加する意識を確保するためには、「知る権利」というものが保障されなくてはならない。知る権利が保障されなければ意見の決定ができないから、したがって、「知る権利」を保証する者の立場が上がる。こうして、マスメディアの存在感が高まり、ジャーナリズムの尊敬が高まる。そして、彼らが民主主義の旗手のように活動を開始します。
しかし、このなかにも大きな大きな”落とし穴”があります。本来のものを、本来の約束事を、これを無視してやっていることは、大きな大きな反作用を生むことになります。
神が立てられた真理というものは、子供である人間は変えることができないのです。それが「宇宙の根本の始まりのルール」だからです。
ルールを無視したら、定理、公理というものを無視したら、数学は成り立たないのと同じで、この宇宙の根本ルールというものを無視したら、数学は成り立たないのと同じで、この宇宙の根本のルールというものを無視しては、人間の健全な営み、社会の発展ということはないのです。それは「発展だ」と錯誤しているだけであって、やっていることは”崩壊”なのです。混乱に陥れていることをもって「社会が進化した」とか「発展した」とか思っているのです。これは大変な大変なことです。
だから、今、マスコミ関係者で、死んだ方で天国に行く人が非常に少なくなっています。どんどん、どんどん、地獄へ行っています。生きている世界が、”地獄の阿修羅界”だからです。
阿修羅界の世界というものはどういう世界か。「闘争」と「破壊」むの世界です。
人を見れば、その不正を暴くという心はよいにしても、「陥れる」―人を陥れる、「裁く」―立場、権限、正しさが分からないのに人を裁こうとする、「追求する」―「不正」と称して、実は人々を傷つけるようなことを次から次へとやっている。
そして、問題提起をすることをもって「ジャーナリズムの本質だ」と言って吹聴しておりますが、それが地獄への道なのです。
その地獄への道に生きている人が、どうして民主主義の基礎をつくれましょうか。どうして多くの人々の健全な判断の基礎を提供することができましょうか。大変なことであります。
健全な人々の思想を曇らせて、自分に一人なら結構だけれども、多くの人々を地獄に連れていくことだけはやめていただきたいのです。
神が最初に立てられた理(ことわり)は、人間は変えることができないのです。
これを変えることができるのは、神だけなのです。
神ご自身がそのルールを変えないかぎり、
人間はそのなかで最高の人生を選び取っていかねばならないのです。
それが、
「神の立てられた法則」を自分たちの都合や考えで変えられると思うことは、
これはサタンが考えていることなのです。
悪魔が考えていることなのです。
彼らは神が創られた法則に承服しないのです。
「自分たちが生きたいがままの、やりたいがままの人生を生きてきて、何が悪い」
と開き直っているのです。
そして、「それを悪いとするなら、神のほうが間違っている」
と言っているのです。
これが地獄に巣くっているサタンたちの本質です。
「最初の約束事を忘れている」という、ただこの一点なのです。
偉くなりすぎているのです。
自分というものが分からなくなって、
本当に偉くなりすぎている。
その傲慢の罪がそこに現れてきているのです。
【大川隆法 初期重要講演集ベストセレクション⑦『許す愛』第2章「発展思考」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。たくさんの仏法真理を主よりいただいていますが、数多の経典は「正心法語」を正しく理解するためにあるといっても、けっして過言ではありません。
「仏説・正心法語」は仏の光であり、仏の生命であり、私たちの力であり、仏弟子の生きていく寄る辺です。
七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。理屈抜きで、毎日、正心法語を読むと元気になるからです。
経文にも、「ああ 七色が 相集い 仏の御国を 照らし出す」とあるように、「仏説・正心法語」は本来、七つの経文が合わさって一つの法身を表現しています
正心法語は法華経・般若心経の一万倍の力があると教えていただいていますが、私たちサンガは正心法語の威力を十分に使いこなせていないのではないかと思います。
私も含めて皆様の中で、今日からさかのぼって一日のうち、正心法語の全編読んだ人がどれだけいるでしょうか。読経の習慣化が法力を生むことを私たちは主から教えていただき知りながら、なかなか実践できずにいます。実にもったいないことです。
私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。
このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれていますので、伊勢支部にてぜひご拝受ください。「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。
それでは、「真理の言葉 正心法語」から始めましょう。「正心法語」はこのように続きます。
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小舟は あくまで 小舟にして
船頭 なくば 座礁せん
船頭 即ち 心なり
心 もし過てば
小舟は 岩に 砕かれん
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本日の引用部分は英語版の「正心法語」-The True Words Spoken By Buddha-では、このようになっています。
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Each of you sails down as a small boat,
So. you need a boatman.
If it were not for your own boatman,
You surely go aground.
If your Mind makes a Mistake,
The boat breaks into pieces by a large Rock.
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本日の引用箇所も重要なので、経典『信仰論』から引用させていただきます。
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「船頭」とは、魂の中心である「心」のことを言っています。そして、肉体のほうは「小舟」です。・・・この小舟だけが急流のなかで流れているのであれば、すでに述べた常楽我浄の世界に入ってしまいます。【常楽我浄とは、四顛倒(してんどう)といわれる、霊を否定して、この世の存在や肉体のみが実在すると考える間違えた人生観-「あの世を否定して、人生が常なるものであるとする考え」「人生とは肉体中心の快楽であるとする考え」「人生とは自我我欲であるとする考え」「肉体は清く汚れないものであるとする考え」】
しかし、人間には心というものがあります。心は魂の中心部分であり、それが船頭にあたるものです。その船頭が上手に人生の大河を漕ぎ渡っていくことによって、小舟は岩に砕かれることなく、人生を大過なく過ごすことができます。・・・
当会の基本的な考え方として、「運命というものがすでに決まっていて、すべてそのとおりになるのだ」という運命論はとらないことを明言しているのです。また、「仏神がこのように決めたのだから、そこからは逃れられない。運命は仏神の決めたものだ」という予定説もとりません。
幸福の科学では、「人間、自分の思いと行いについて責任をとらなければならない存在である」ということを明言しています。ここのところをよく知っておいてください。・・・
ただ生活環境や人間関係等のなかには選べないものもあります。それは大きな意味での運命といえるかもしれません。また、時代環境も、自分で変えることは困難です。そうしたものはあります。しかし、そのなかで、「あくまでも自主的に生きていきなさい」ということです。
結局、これが反省の根本なのです。自分の人生に責任をとれるからこそ、反省というもがあるのであり、天国・地獄という裁きがあることも妥当なのです。もし責任が取れないのならば、そうした裁きがあることは不当です。
この点はしっかりと押さえておいてください。世の中には、「神や仏がいるのならば、自分がこんなに不幸なのはおかしい」などという人もいますが、その考えは正しくありません。人生は自分の責任で渡っていくものなのです。
【大川隆法『信仰論』より抜粋】
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本日の論点は、経典『地獄の法』にとても関連深い箇所です。ところで、支部長の私は、日ごろ霊症問題で悩んでいる方へ、憑依現象の説明をするのに、肉体を自動車にたとえてお話をよくします。肉体は車にあたり、運転手に当たるのが霊であり、魂であり、心の部分です。
私たちは普段の生活の中で、自らの判断の基にハンドルを切り、ドライブ(生活)をしています。正しい霊的人生観の下で運転しているならば、快適なドライブをすることができます。私たちは自分のほんとうに望んでいる目的地へと向かうことができるでしょう。
ところで、車には助手席や後部座席がありますね。霊症問題では、自分の車(肉体)の助手席やバックシートに誰を乗せるのかが問題になってきます。
普段から、正心法語を全編読誦して、主の教えを学び、心の過ちや悪を反省し、神仏とつながる時間を瞑想で持ち、主のため、世のため、人のために祈る習慣がある人は、自家用車の助手席に、私たちの守護霊や天使・菩薩が座っているので、ちゃんと神仏の望まれる目的地に向かってナビゲーションしてくれます。私たちはその声に従って正しく運転をすればよいのです。また、宗教的修行がさらに進めば、守護霊よりも霊格の高い指導霊が私たちを導いてくださることもあります。行先はこの世における天国世界です。指導霊のナビに従うことができれば、さらに高次な世界に行くことができるようになります。これは大変ありがたいことです。
一方、信仰心なく、人間はこの世かぎりで、あの世も神仏もないと、勘違いしている人、もしくは、信仰心はあるけれども霊体質で、本当は人の10倍くらい宗教的精進を重ねないと、悪霊の侵入を防ぐことができないような方が、普段の宗教的精進を怠ると、肉体にたとえた自分の車の助手席やバックシートに、悪霊や悪魔を乗せてしまうことになります。これがいわゆる霊症の状態です。悪霊や悪魔は運転手にささやき、働きかけて、私たちを破滅の方向にナビをします。その行先は決まって地獄といわれる場所です。助手席に乗せた悪霊・悪魔の種類によっていろんな地獄へ私たちを連れて行こうとするのです。
これが問題なのは、誰のナビによって人生が導かれているのかを、私たちは知ることなしにドライブをしているという点です。これを知るためには、自らの心の中を知る必要があります。主が反省を強くお勧めするのは、反省の修法によって、助手席に誰が要るのかがわかるということです。
また、さらに最悪な状態になれば、運転手と助手席の人間が入れ替わることがあるということです。こうなれば完全憑依となります。
だから、まずは、自分の車(肉体」のハンドルは、自分がしっかりと持つことが大事であり、心を浄化して助手席に守護霊や天使や菩薩に座っていただけるだけの心境を維持することがとても大切です。
私は、憑依現象をこのように説明しているのです。
自分は肉体である、心なんか脳の作用でしかない。なんていう方には、この憑依現象がまったく理解できません。それはそうですね。自分は自動車と同じで、脳が運転しているとしか考えていないのですから。ただ、病気の原因の八割くらいまで、何らかの憑依現象であると私たちは主から教えていただいていますので、本日の論点は、超重要です。
このことを、真理の言葉『正心法語』では、肉体は霊の影であり、人生の大河を流れる小舟に象徴しています。心とは何なのか、正しく知ることがとても大切なことなのです。
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■「経文を解説できるほどの理解力がつくと、祈願や悪霊払いなどができます!」
仏法真理の学習が進み、ある程度の悟りを得た、講師レベルぐらいの人が『仏説・正心法語』を読んでいるところを霊視すると、金色の光の珠のようなものが口からパーッと出ているのが見えます。そうした人がこの経文を読誦すると抜群の効果がありますし、各種の祈願や悪霊払いなどができるのも当然のことです。経文に対する理解力が備わり、解説できる段階まで行くと、そうした力が身についてきます。
【大川隆法『信仰論』p.117~118より抜粋】
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仏に三身ありと言われており、仏のお姿には「応身」「報身」「法身」の三種類あります。そのなかの最も尊いのが「法身です。これは、肉体存在や目に見えるものではなく、宇宙を統治する法則としての存在です。たとえば、「原因・結果の法則」「波長同通の法則」「生々流転の法則」など、仏教で言えば「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の「三法印」も仏の法身です。また幸福の科学の基本教義である「愛」「知」「反省」「発展」の四正道もエル・カンターレの法身仏にあたります。
そして、何よりも「光とは何か」を教える『仏説・正心法語』こそが、私たちの主、エル・カンターレの法身そのものなのです。
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最後に、経典から抜粋いたします。
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仏神は光です。
光は、あるときは粒子として顕われ、あるときは波として顕われます。
光が粒子として顕われたとき、そこに物質が出現します。
光が波として顕われたとき、それは想念、念いの作用としてのみ存在します。
仏神の心というものは、
凝集されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心というものは、
凝縮されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心が、
凝集された粒子というかたちではなく、波として顕われたときには、
想念の波動として、念いとして、宇宙を飛び交う電波としてのみ存在します。
これが大宇宙の秘密なのです。
【大川隆法 『不滅の法』序章「心のなかの宇宙」より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第7章 魔とは何か
3 「己心の魔」と「悪魔」の存在
では、真実は何であるかというと、「真実は両方である」というのが結論です。
すなわち、「色・受・想・行・識」という肉体生活に基づいて、心と肉体の調和が妨げられることによって、魔が立ち現われてくるような現象に見舞われることも真実ですが、いわゆる三次元世界を超えた霊界において、魔と言われる霊的存在がいることも事実なのです。この両方が、実際はほんとうにあるのです。
主体性を持って生きている人間としての自分の原因があって、魔を引き込むという現象を、「己心の魔」といいます。己の心のなかに住んでいる魔です。
要するに、自分自身の心と肉体の不調和という、魔に同通する原因が己自身の心のなかにあることも真実ですが、それに呼応するかたちで、まるでカンテラで相照らすかのように、外部から、すなわち四次元の霊界(地獄界と言ってもよい)から、迷いを増幅させ、悟りを開こうとしている者を迷わせ、狂わせようとする現実の勢力があることも事実なのです。私はこれを発見しました。
また、通常の人間であれば、心が迷ったり苦しんだりしたときに、不成仏の死者の霊、悪霊が取りついてきて、その人の身体をもっと悪くさせるとか、あるいは信者仏閣巡りをしていて、狐、狸等の動物霊に憑依されるというような現象はよくありますが、仏道修行をしている人、「悟りを開こう。宗教的指導者になろう」と心がけている者のところには、「悪魔」と言われる、それ相応のものが現われてくるという現象が現実にあります。
彼らも、自分たちの標的にすべき相手をよく知っているのです。ある意味で、天上界の諸霊よりよく知っていることがあります。天上の諸霊は、比較的ゆっくりと見守っているのですが、悪魔の側からすると、「この人が悟りを開くとたいへんなことになる」ということがわかるわけです。そこで、「悟りを補開く前に、何とかして妨害しなければいけない」と、躍起になって妨害に来ることがあります。
それはちょうど、朝の日の出前のようなものです。陽が昇ってしまうと、周りが明るくなってしまい、ゴキブリのように夜中にごそごそと動いていたものは、もはや現れることができないのです。陰に潜んでしまわなければいけないので、光が出る前に何とかして光りを止めようとする本当を、彼らは持っているわけなのです。
また、そのような地獄の悪魔、あるいは悪霊と言われる者たちも、生き物である以上、何らかのエネルギー源があって活動しているわけです。そのエネルギー源とは、地上の人間が持っている悪想念です。地上の人間はさまざまな悪想念を持っています。憎しみや怒り、貪欲、愚痴、不平不満といった悪想念こそじつは彼らのエネルギー源であり、ガソリンなのです。この悪想念が供給されているかぎり、彼らはそれを身体のなかに取り込んで、ますます狂暴化して生きていけるのです。
ですから、地上の人間が穏やかに明るく光りに満ちていくと、悪尊年の供給源がなくなり、彼ら自身も弱ってくるのです。
そのような悪想念の供給源を確保するためには、地上の人間一人ひとりがみんな悩んでくれるのがいちばんよいのですが、それだけの多くの人を悩ませるためには、「悩みのもとになる人をつくりだそう」ということを考えるわけです。ですから、その人を狂わせ迷わせることによって周りの人を巻き込めるような、効率的な人のところに攻め込んでいくわけです。これが、宗教指導者や軍事的指導者、政治的指導者などに魔が入り込んできて、混乱を引き起こす理由なのです。そのようなことが現実にあります。
【大川隆法『沈黙の仏陀』第6章「解脱の意味」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(3/17-1)76真理の言葉『正心法語』を読む ⑰船頭即ち心なり―人間にとって本当の「知る権利」とは何か
