98 過去の栄光にひたっている人は、未来の扉は開けない。
【箴言集『人生への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
3月7日は「宗教法人設立記念日」でした。皆様誠におめでとうございます。34年前の1991年3月7日に「幸福の科学が永遠に続くことになった始まりの日」です。「復活の祈り」と合わせて本日まで、伊勢支部にて10時と19時より「宗教法人設立記念式典」を開催します。皆様、主への感謝と報恩の誓いを捧げてまいりましょう。そして、発祥の時において、いかに盤石なエル・カンターレ信仰を打ち立て、揺るぎない形で主の法を後世に伝えることができるかが重要な使命であることを心に刻み、真理の法灯を子々孫々に継承していく決意を固めてまいりましょう。
本日13時~復活の祈り終了後、聖地・四国正心館の保田講師による「『永遠の仏陀』講義」をとりおこないます。
参加奉納目安は3000円です。経典をお持ちでない方も是非ご参加ください。
おすすめの精舎限定経典&御法話CDは『真理の法灯は永遠に』が一万円目安と『信仰を守る勇気を』経典とCD各5000円目安です。是非お求めください。
もうあと三十年以上戦い続けられるか。
体を鍛え、頭を鍛え、心を鍛え続ける。
無神論国家を信仰国家に変え、
世界に真実と愛と平和を取り戻す。
弟子たちが成長し、組織が一層大ならんとすることを欲す。
されど「自助論」の限界まで、私は戦いをやめない。
その頃、コロナ禍の時代など、
はるか昔の話になっていることだろう。
(『真理の法灯は永遠に』あとがき より)
始めに、2017年3月7日に説かれました「魔境からの脱出」を引用して振り返ります。
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6実績に見合った努力を続ける
〇「自分の能力の伸び」と「発展スピード」を調整せよ
だた、新しい企業がたくさん出てきているなら、潰れている企業もたくさんあるわけです。
街を歩いていると、「えっ、この店が?」と思うようなところが潰れて、新しい店に入れ替わっていることがよくあるでしょう。そんなときには、「世間はなかなか厳しいな」と感じるのですが、そこそこいい店だと思うところが潰れたりしています。
しかし、厳しいことですが、やはり、競争に敗れたと言わざるをえません。「自分の店が一生懸命やっていたところ、繁盛していたのに、たまたま運悪く、近所に似たような店ができた」というだけで潰れてしまうのです。決して、手を抜いたわけでもなく、悪い仕事をしたわけでもないでしょう。ただ、新しい店ができて、そちらのほうに客が流れたのです。その際にも、「どのくらい持ち堪(こた)えられるか」という計算があって,
持ち堪えられない場合には潰れてしまうわけです。そういうことが、消費者の選択によって起きてきます。
ところが、その新しくできた店にしても、最初の二年ぐらいは客が来るのですが、それを過ぎると来なくなります。そして、その間を持ち堪えることができれば店を続けられるのですが、持ち堪えられずに傾いていった場合には、また、「新しい店が建って、古いところが潰れる」ということになるのです。
例えば、「一年目には雑誌などでよく取り上げてもらったようなこところでも、二年目から客が減り始めて、三年目にはなくなっている」といったことが起きるので、世間は実に厳しいと思います。人気があっても続かないこともあれば、長くやっていても人気が出ないこともあるわけです。
その意味で、「自分たちの能力や人気の分限をどの程度に見て、店をやるか」というのは難しいテーマなのかもしれません。
ただ、そうしたバランスを崩して失敗した場合、それがこの世的な失敗であっても、いろいろなものに影響してくることはあるでしょう。これは、なかなか逃れられないのです。やはらり、この世的な仕事で失敗し、自分の能力では解決できないときには、悪霊などの憑依を受けても取れなくなります。なぜならば、自分の心が常に悩みで占められているからです。
それは、前述したような、修行が進んで、うまくいっていた人であっても同様です。宗教であっても続けているうちに、来る人の数がだんだん増えてくることもあるでしょう。ときには、寺院の拡張をするような機会もあるわけです。ただ、大きなお寺から見れば笑い話かもしれませんが、小さなお寺だと、「寺院の一部が旧くなってきたので、修復費用を一億円集める」というだけでも命懸けの大仕事になってきます。やはり、そのお金が集まるか、集まらないかということで、過労で倒れてしまう住職や神主はいるのです。
あるいは、一億と言わず、五千万でも一千万でも、そういうことはあるかもしれません。例えば、「台風で寺院の屋根が飛んでしまったので修理をしたいが、そのためには五千万円を集めなくてはいけない」となったら、住職は一生懸命に勧進して、いろいろなところに行ってはお願いして回るでしょう。ところが、あまり営業の経験がないためにくたびれ果て、病気で寝込んでしまうこともあるわけです。また、無理をしたとしても、今度は家族から不幸が出たりして、できなくなるかもしれません。
要するに、宗教的な仕事であっても、この世的な能力が影響する場合には、そういうこともあるのです。
したがって、この世的な人間としての生き筋のなかで、「仕事能力」や「智慧」、「経験」といったところは、貯金のように少しずつ貯めていくことが大切でしょう。「ソフトづくり」と言っては何ですが、その後、より大きな負担がかかったときにも簡単に解決がついていくような「技能」とか、「判断力」とかいうものを磨いていかなくてはならないのです。
〇時間を節約し、質のよい「アイデアの引き出し」を創り続けるには
さらに、経営者、あるいは創作等をしている者にとっては、ある時までヒットが出たり、当たりがあったりすることがあっても、それ以降、アイデアが涸れてくることがあります。これは、経営者であれば、倒産の危機を意味するでしょう。例えば、作家の場合だと「ネタ切れ」になるわけで、かなり厳しいものがあるはずです。
最近、作家の村上春樹さんが、七年ぶりに二部以上の本を出したというので読んでみたのですが、(※「騎士団長殺し」)フィクションのためのフィクションを書いているだけで、どれも似たようなものに感じました。また、真理価値は限りなくゼロに近いでしょう。「暇つぶし」というか、「本人が暇だから書いているんだろうな」とは思うのですが、「読んだ時間が惜しい。その時間を返せ!」という気になったのです。二部合わせて千ページもかかれていたので、何年間か暇だったのでしょうが、彼は、次の大作を書くまでの間、食べていけるのかもしれません。ただし、私は本を読むのが早いので、まだ短く済んだとはいえ、それでも時間の無駄だったと思いました。
実は、そう思いながらも、総裁補佐(大川紫央)に「読んでみたらどうだ」と言って渡したのですが、一日置いたままにされ、「読む時間が惜しい」ということで返却されてしまいました。あるいは、そういう時間の節約の仕方もあるのかもしれません。この世的には、そうした作品に値打ちを感じる人もいるのでしょうが、「真理を含んでおらず、勉強にもならない、暇つぶしだけのエンターテイメントなど、時間の無駄だ」という考え方もあるわけです。
私にしても、仕事がはかどらなくなってきたら、つまらない本を読むのはやめますし、テレビ番組についてもくだらないものは見ないようにします。また、週刊誌等も、いろいろと面白そうな”活字が躍って”いたところで、「これは、悪いものが入るだろう」と思えば、見出しを見るだけで買いはしません。そうやって、時間の無駄を減らすようにはしているのです。
やはり、”毒物”というか、時間を蝕(むしば)むような”異物”、あるいは”虫”のようなものを入れないことも大事でしょう。そういう意味で、自分の時間を守らなくてはならないのです。
経営者などの場合、アイデアが連続して出てくるようでなければいけないので、絶えずネタを仕込んでいくわけですが、その種のなかに腐ったものが入っていないかどうか、よく見る必要があります。そういうなかで、”アイデア箱としての引き出し”を数多くつくる努力を常々しておくべきなのです。新しい者や古いもの、あるいは、ほかのだれもが見落としているようなものについて、「アイデアの引き出し」をつくり続けなければなりません。
例えば、経営の判断をするにしても、アイデアを使えば必ず消費されることになるので、つくり続けていく努力をしないかぎり、材料が尽きてなっていくのです。もちろん、マンガであろうが、映画であろうが、小説であろうが、あるいは、宗教の説法であろうが、教典であろうが、同じであって、勉強を続けて、「アイデアの引き出し」を常につくり続けていく努力をし、感性を磨き続けないかぎり、必ず、途中で涸れ始めます。
【大川隆法『悪魔からの防衛術』第二章「魔境からの脱出」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。たくさんの仏法真理を主よりいただいていますが、数多の経典は「正心法語」を正しく理解するためにあるといっても、けっして過言ではありません。
「仏説・正心法語」は仏の光であり、仏の生命であり、私たちの力であり、仏弟子の生きていく寄る辺です。
七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。理屈抜きで、毎日、正心法語を読むと元気になるからです。
経文にも、「ああ 七色が 相集い 仏の御国を 照らし出す」とあるように、「仏説・正心法語」は本来、七つの経文が合わさって一つの法身を表現しています。私が全編読誦を強くお勧めするのには理由があります。
正心法語は法華経・般若心経の一万倍の力があると教えていただいていますが、私たちサンガは正心法語の威力を十分に使いこなせていないのではないかと思います。
私も含めて皆様の中で、今日からさかのぼって一日のうち、正心法語の全編読んだ人がどれだけいるでしょうか。読経の習慣化が法力を生むことを私たちは主から教えていただき知りながら、なかなか実践できずにいます。実にもったいないことです。
私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。
このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれていますので、伊勢支部にてぜひご拝受ください。「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。
それでは、「真理の言葉 正心法語」から始めましょう。「正心法語」はこのように続きます。
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赤色は 法戦 正義色
紫色 礼節 秩序色
青色は 思考の 理性色
緑色は 調和 自然色
銀色は 進歩の 科学色
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本日の引用部分は英語版の「正心法語」-The True Words Spoken By Buddha-では、このようになっています。
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Red is the Color of Justice.
Purple is the Color of Obedience.
Blue is the Color of Thinking.
Green is the Color of Harmony.
Silver is the Color of Progress.
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光は霊天上界から降り注ぐエネルギーであり、力です。無色透明な光は、あらゆる色の光が一つの束になったものです。その天国世界では太陽の霊体である霊太陽から降り注ぐ光が、地上に降り注いでいます。
赤色は、仏の戦い「法戦」の色です。「法戦」とは、法を確立するための戦い、法を護るための戦い、伝道や政治活動における戦いもございます。赤色光線は、正義、指導者の光線、であり、奇跡の光線とも言われています。九次元大霊では、赤色光線はモーセ(モーリア)が担当しています。
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魔に打ち勝つものは、最後は勇気です。勇気がなければ魔に負けてしまう。勇気の剣でもって、魔を打ち倒していきなさい。切り倒していきなさい。
あなたがたは、勇気があり、この地上にユートピア建設のために出た、選ばれた戦士たちであるということを知りなさい。勇気という勲章が胸に輝いていることが、あなたがたがユートピア建設のための戦士であるということの証明でもあるのです。
勇気、黄金の勇気、力強い勇気、これは神から贈られた剣であります。この神剣を取りて、この剣を取りて、迷妄を断ち、悪を断ち、正義のために道を切り拓いていきなさい。
【大川隆法霊言全集第25巻』p.168より抜粋】
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紫色は、秩序を重んじる色です。礼節を大切にすること、日本神道系や仏教系にも多く流れている霊流です。紫色光線は、道徳、学問、礼節、秩序の光線です。九次元大霊では、紫色は孔子(セラビム)が担当しています。上下関係における統制を司っています。
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あなたがたの使命というものは、いま知りうるすべてを、今まででしたらベールの彼方に隠されていたことを、明らかにするという使命なのです。
これが、まず第一点です。
第二点としては、やはりいま、あなたがたの魂は、『日本を中心にして、霊的な王国、神の王国を地上につくる』という目的で、この地上に生まれてきているわけですから、『この地上をいかにして最終ユートピアにするか』ということに努力してほしいと思うのです。
人類の歴史はまだもちろん続くわけですけれども、この日本という国を中心としたユートピアをつくっておけば、これが理想の国として遺るわけです。その後、これを理想として、さまざまな生き方、あるいは、さまざまな国の経営というものがなされていきますから、そういうことを考えて、この日本という国で、最終ユートピア、霊と物質とが融合した、融和した理念世界を築くということを、やっていただきたいと思うのです。
【大川隆法 霊言全集第十五巻より抜粋】
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青色は、「深く考える」ことを意味する哲学的な色彩を意味します。ギリシャ哲学発祥の西洋哲学も仏の慈悲の霊流に流れています。考えることは力です。青色光線は哲学、思想、司っており、九次元大霊で担当する霊人は二人、ゼウスとマヌです。
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〇啓蒙とは“服を脱ぐこと”
啓蒙というのは、“服を脱ぐこと”なのではないか。人は、精神的にも肉体的にも様々な
衣装を着て、真実が見えないようにしている。啓蒙とは、「その服の部分を脱いで、胸襟
を開き、真実を語り合おうとする態度」のことかな。
〇脱ぐべき“服”とは何か
あなたの頭のなかに入っているものが“服”だよ。あなたが教育を受けて「これが常識だ」と思っていることも、二千年後から見れば、あなたを覆っている服にしかすぎない。二千年後になれば、あなたたちの持っている知識は、腰に巻いている“鹿の皮”のようなものになる。
【カントの霊言言—現代の「啓蒙とは何か」を語る—より抜粋】
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緑色は、精神統一、瞑想、心の平静を象徴する色です。大自然の色、調和の色である緑色を担当する九次元大霊は二人、マヌとゾロアスター
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〇タオ(道)”とは
・君らはよく働くな。そんなに働かないほうが幸福だよ。君らは不幸なんだよ。みんな時計をしているじゃない?
時計をドブに捨てるところから幸福は始まるんだよ。
・タオというのは、「どこにでもあるようで、どこにもないもの」「目には見えないけれど、あらゆるところにあるもの」「すべてでもあり、一なるもの」でもある。
・タオは人であることを忘れること。タオは神に代わるもの。タオは真理。老子即タオ、タオ即老子。地球の表面全部がタオ。この世もあの世もなく、ただタオがある。タオは何もかも包み込むもの。タオはどこかから始まり、どこまで続くか誰も知らない。
【大川隆法「老子の幸福論」より抜粋】
〇あくせくする心を払い除け・無為自然の道
「本来、宝の塔のような存在、智慧がぎっしり詰まった宝塔を、人間は自分自身のなかに埋めているのです。これが、長いあいだ、波風や砂や、さまざまなものに当たって、埋まってしまっているのです。要は、これを掘り起こすということ、自然のままの姿を取り戻すということなのです」と述べています。
【大川隆法霊言全集15集p.178より抜粋】
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銀色は、科学技術による利便性の向上よって人を救済する力や、社会を発展させる力を象徴します。銀色光線は九次元大霊ニュートンが指導しています。
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ニュートンの言いたいことは何かと言いますと、現在、通常は宗教と科学とは別のものであるというふうな考え方されていますし、むしろ対立するものであるかのように言われることもあるけれども、それはまちがいであるということを言っているのですね。それは科学の本質というものを十分に知らないからそんなことを言うのですよとおっしゃっているわけです。
じゃあ、科学の本質っていったい何ですかというと、実は宗教といっしょで幸福論なのですよと、科学も。一種の幸福論で、どうやって人びとが幸福になるかということを教えているのですと。ただ、その教え方、あるいは教える方法が若干ちがっているだけですよと。私たちはどちらかというと主観的な幸福っていうのではなくて、客観的な幸福、すなわちどの人も同じように自己確認できるところの幸福というものを示してみたいと思っているのですと、まあこういうふうに言っているわけなのですね。幸福の客観性とでも言いましょうか、そういうものを求めてきたのが、この銀色の光線なのであるということを言っているわけですね。
【大川隆法『「ニュートン霊示集」講義』より抜粋】
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このように、七の色の光は地球神エル・カンターレの力が光としてわかれた姿であり、その根本仏の慈悲の中で、それぞれの個性をもった高級霊たちが働いています。抜粋した高級霊のコメントを見るだけでも、個性の違いが際立っていると思います。このように、根本仏のエネルギーである光には、さまざまな色の教えや心の法則性が隠されているのです。
主は光です。エル・カンターレの力は、透明な光として具現化されています。
その根源は、天国世界では、霊太陽として存在して、三次元世界では、太陽として存在しています。主の光は七色が相集って一つの透明な光となっています。
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仏に三身ありと言われており、仏のお姿には「応身」「報身」「法身」の三種類あります。そのなかの最も尊いのが「法身です。これは、肉体存在や目に見えるものではなく、宇宙を統治する法則としての存在です。たとえば、「原因・結果の法則」「波長同通の法則」「生々流転の法則」など、仏教で言えば「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の「三法印」も仏の法身です。また幸福の科学の基本教義である「愛」「知」「反省」「発展」の四正道もエル・カンターレの法身仏にあたります。
そして、何よりも「光とは何か」を教える『仏説・正心法語』こそが、私たちの主、エル・カンターレの法身そのものなのです。
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最後に、経典から抜粋いたします。
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仏神は光です。
光は、あるときは粒子として顕われ、あるときは波として顕われます。
光が粒子として顕われたとき、そこに物質が出現します。
光が波として顕われたとき、それは想念、念いの作用としてのみ存在します。
仏神の心というものは、
凝集されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心というものは、
凝縮されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心が、
凝集された粒子というかたちではなく、波として顕われたときには、
想念の波動として、念いとして、宇宙を飛び交う電波としてのみ存在します。
これが大宇宙の秘密なのです。
【大川隆法 『不滅の法』序章「心のなかの宇宙」より抜粋】
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■「くり返し唱えると、悪霊の影響から逃れ、楽になります!」
・経文を暗記していれば、心のなかで経文を唱えることができます。たとえば、仕事でだれかと面談をしているとき、相手に悪霊が憑いていると、その悪霊の波動を受けて、自分も霊的に調子が悪くなることがあります。しかし、そのような場合でも、心のなかで経文をくり返し唱えているうちに光が入ってきて、悪霊の影響から逃れ、スッと楽になることがあります。
【大川隆法『信仰論』p.116より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第5章 智慧とは何か
2 信解脱―疑の克服
解脱とは「心の自由を手にすること」と説明しましたが、真実の宗教の立場からみて、それでは「心の自由を得る」とはいったいどういうことなのか、その内容を吟味(ぎんみ)してみたいと思います。
まず最初に挙げるべきものとして、「信解脱」というものがあります。これは「信仰心による解脱」ということです。この信解脱は、「疑」の克服がその中心であると一般的に言われています。
疑とは何であるかというと、正しい真理、仏法、あるいは法を説く仏陀、如来に対する疑です。そういう三次元的な、この世的な疑問や疑いを解くこと、疑いを否定して、そして信じること、これが疑の克服に当たるわけです。
そうしてみると、ここではまず、次のようなことが言えると思うのです。
正しい宗教を信じない人、真実の仏陀の教えを信じない人にも二種類あって、一つは宗教心のまったくない人です。宗教心がまったくなく、宗教そのものを信じない。そういう教えなるものがあるということを信じない。あるいは、あの世とか、神仏とか、霊とかをまったく信じない方です。かなり頑迷ですし、魂的に見れば、そうとう曇りがかかっており、また発展が遅れている方であることは間違いありません。こうした無神論的あるいは唯物論的な考えを持っている人に、その疑問を解いてもらうということもありましょう。
もう一つは、神仏を信じ、宗教を信じているにもかかわらず、間違った宗教にどっぷり浸かっている人、要するに、”悪霊型宗教”に染まっている人たちです。「邪見(じゃけん)」といって、間違った教えを信奉していたり、「戒禁取見(かいごんじゅけん)」といって、間違った修行方法や戒律などを守っている人が、地上にはまだ数多くいます。
こういう人たちが、自分たちの間違いに気がついて、真実の仏陀の教えに帰依し、この教えについていこう、そして自分自身を高めていこうという境地が固まってきたとき、これを「信解脱」と言います。要するに、信仰心による解脱です。
つまり、この世的な疑いや、間違った宗教による悪しき見解を振り払うことができ、そして神仏に向かって真っすぐに進んでいく道に入ったということです。これを、「預流(よる)」とも言いますが、悟りの段階としては第一段階です。出しい信仰の流れのなかに入ったというのが、この信解脱です。
この際に、「では、単に信じればよいのか」というような考えもあるかと思いますが、ただ信じるというだけでは、やはり弱いかもしれません。というのは、宗教ではどこも「信じなさい」ということを言うので、宗教心のある人でも、他人に勧められて、「これはいい」と思って信じたけれども、しばらくすると他の宗教が出てきて目移りを得るということは、いくらでもあるからです。ですから、この信解脱においても、ある程度の智慧、知識的な理解が必要になると思います。要するに、正しい教えであると自分が納得できる程度の、最低限の真理の理解は必要なのではないかと思います。
たとえば、当会では、「正会員になるためには、書物を十冊以上読んでください」と言っています。(※1993年時点)それは「仏陀が再誕している」「わあ素晴らしい。信じる」というだけで信解脱したかというと、まだまだ十分ではないこともあるからです。信解脱したと言えるためには、ある程度、「ああ、ほんとうだ」と自分で理解して信じていただかなければいけません。基本書を十冊ぐらいきっちりと呼んでから、「これは正しい教えだ。講演会も聞いてみたが、信じることができる。この教えについていこう。集っているみんなも素晴らしい」と思って入ってくる人は、ある程度、考え方がしっかりしています。この程度の智慧、「慧」による下支えは、信解脱にも必要ではないかと私は思っています。
これは、第二章の「戒律とは何か」の説明で言えば、どちらかというと「三帰五戒」の段階が中心ではないかと思います。戒律を守って生きていこうとする、あるいは幸福の科学のルールを守って生きていこうとする決心ができた段階です。この段階で、悪魔とか悪霊などの誘惑から、かなり脱することが可能となっています。
【大川隆法『沈黙の仏陀』第6章「解脱の意味」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(3/9-1)68真理の言葉『正心法語』を読む ⑨七色は慈悲の光線―実績に見合った努力を続ける
