(2/25-1)56経文「植福功徳経」を読む ④護法の誓いの証明―嫉妬深い人が成功できない理由

植福功徳経を読む

75 反省の習慣はあるか。毎日進歩したければ、それしかない。

【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

3月7日は「宗教法人設立記念日」です。「幸福の科学が永遠に続くことになった始まりの日」です。

1991年のこの日に、「幸福の科学」は宗教法人として、世に誕生したことを記念する日です。この日をはじまりとして、幸福の科学は永遠の法灯がともされることになりました。
「宗教法人設立記念日」には、大宇宙の根本仏であられる主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生に、永遠の法灯を灯して下さったことへの感謝を捧げます。
そして、発祥の時において、いかに盤石なエル・カンターレ信仰を打ち立て、
揺るぎない形で主の法を後世に伝えることができるかが重要な使命であることを心に刻み、
真理の法灯を子々孫々に継承していく決意を固めてまいりましょう。

はじめに、津支部にて2009年2月8日に賜りました御法話『信仰と富』を学びます。
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〇嫉妬深い人が成功できない理由
また、前述したように、富は、それを否定する人には入ってこなくなるので、自分より先に成功している人に対して、呪ったり嫉妬したりするのは、よくありません。

「あの会社は、うちより大きい。悔しい」と思い、あまり悪口を言ったり嫉妬したりすると、自分の会社は大きくなれないのです。

理想像は肯定しなくてはなりません。「あの会社のようになりたいものです。ぜひとも、あの会社にあやかりたいものです」という気持ちを持つことが、基本的には大事なことなのです。

嫉妬する心は、努力して克服していかなくてはなりません。

嫉妬心の強い人が成功するのは難しいことです。こういう人は基本的に嫌われます。人の幸福を望んでいない利己主義者のように見えるからです。

嫉妬心が強かったり、猜疑心、疑いの心が強かったりする人とは、友達になりにくいですし、そういう人が家族にいると、つらいものです。また、親友が嫉妬深かったり、疑い深かったりすることも、幸福なことではありません。

それから、悪いことばかり”予言する”タイプの人もよくありません。

「未来には必ず悪いことが来る」というようなことを、ものすごく敏感に言う人。「お前は危ないぞ。そのうち、けがをするぞ。病気になるぞ。自己が起きるぞ。死ぬぞ」などと言う人。成績が良かった人に、「この次は絶対に落ちるぞ」などと言う人、こういうタイプも、好ましい人とは言えません。

〇”日本沈没”など、絶対にありえない
要するに、成功するのは、どういう人かというと、妬(ねた)み心や嫉(そね)み心が少なく、そういう思いを自制する力がある人です。また、人のよいところを見ることができて、自分には厳しく、「忍耐強く精進を続ける」という態度を持てる人です。そして、常に「未来は明るい」と考えられる人です。常にものごとを、肯定的、積極的、建設的に捉えて、「チャレンジしていこう」と思う人です。

万一、失敗したとしても、「いい勉強をしたな。ちょっと”授業料”は高かったかもしれないが、この授業料は次のチャンスで取り戻すぞ」と思って、機嫌よく立ち直る人は立派です。何か損をしたら、「もうやめた。金輪際、嫌だ」と考えたならば、それまでです。

例えば、野菜をつくっていた人が、「今年は天候が悪かったから不作だった。もうやめた」と考えれば、もう野菜を穫(と)ることはできません。確かに、野菜のように、天候に左右されるものは、天候が悪いと穫(と)れません。しかし、翌年はよくなることだってあるのです。

貧困を擁護することも可能ですが、飢饉などを経験して、農業では品種改良がおこなわれてきたのです。「寒さに強い」「暑さに強い」「水不足に強い」「台風に強い」など、いろいろなことに強い品種をつくってきました。これが人間の努力であり、智慧なのです。

さらに、今では、野菜を室内でもつくれるようになってきています。こうなると、台風が来ても関係がありません。

このように、「努力して一歩を進めていく」ということが、とても大事な考え方なのです。

今、「日本は不況に苦しんでいる」と言われていますが、まだまだ道は無限にありますし、未来は明るいと思うのです。

私は、「幸福の科学の教えが広がる限り、日本の繫栄は、絶対に揺るがない」と確信しています。”日本沈没”などありえません。「日本経済が沈没して、世界何十位の国にまで没落する。大恐慌で二度と立ち直れない」という話など、こんなものを信じてたまるかと思います。

どのような危機があっても、必ずそれを乗り越えていく。それを勉強材料にし、「授業料だ」と思って乗り越え、さらに、もう一段、伸びていく。「一つの節目だ」と思い、節をつくって、竹のようにまた伸びていく。

これが正しい生き方です。

「何年かぐらい耐えてみせるぞ。必ずまた伸びていくぞ」という気持ちを持つことが非常に大事なのです。

【大川隆法『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』第四章「信仰と富」より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第4章 五停心観(ごじょうしんかん)
8 五停心観の中心―心を鎮める

以上の五つが「五停心観(ごじょうしんかん)」ですが、代表的なのは、一番目の「不浄観」と五番目の「数息観」です。これは誰にでも入りやすく、初心者でも簡単にできる観法です。

五停心観(ごじょうしんかん)は心を鎮めることが中心なので。この「不浄観」「数息観」の二つが重要視されています。「慈悲観」や「因縁観」「界分別観」になると、内容を理解しないとできないという難しさがあります。

このようにして、心中の炎や波立ちを止めるということが、この五停心観(ごじょうしんかん)なのです。ただ、「定」としては、これはまだ非常に初級レベルにつかいものです。プロのレベルではありません。すなわち、話を聴きにきて、「じゃあ、今週やってみますか」という感じで、初心者でもできるレベルの修法です。

これより下のレベルとしては、「心を清浄にしましょう。清らかに澄みきりましょう」「禊(みそぎ)給(たま)え、祓(はら)い給え」という、心清浄(しんしょうじょう)―心を清浄にするというような観法が一番下にあるのです。「澄みきりましょう。きれいになりましょう。青空みたいになりましょう」というのがいちばん初歩のレベルで、その次ぐらいに五停心観(ごじょうしんかん)がくるのです。

この上に「四禅定」などのいろいろな禅定がきます。それはまた別の機会に述べることとして、本章では、初心者の方のために五停心観(ごじょうしんかん)を教えしました。

五分ぐらいの短い時間であれば、手を合掌の形にし、呼吸を調(ととの)え、目を瞑(積む)って、これを順番にやっていけばよいと思います。もう少し長い時間、十五分とか三十分とする場合は、合掌の形では手がつかれませんから、手を膝の上に置いた形にし、背筋を伸ばして、呼吸を調えて、同じようにやっていただければけっこうです。

本章での学習を契機に、ぜひとも行っていただきたいと思います。

【大川隆法『沈黙の仏陀』第4章「五停心観」より抜粋】
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さて、
本日も「植福功徳経」について共に考える機会を得たいと考えています。

教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。

一方、『エル・カンターレへの祈り』には、「エル・カンターレへの祈り」「伝道参加のための祈り」「植福功徳経」の三つが収められており、「信仰」「伝道」「植福」という、私たち仏弟子の救世運動の理念が凝縮されています。

ですから、私が支部活動で行き詰まる時、いつも原点回帰するのが「エル・カンターレへの祈り」です。そういう意味では、私たちの宗教活動の中心にある大変重要なお祈りです。

本日、特集をしています「植福功徳経」を深く学ぶために、主より経典『「エル・カンターレへの祈り」講義』をいただいていますので、ぜひ伊勢支部にて拝受して下さい。
詳しい解説は、この経典をご覧いただくとして、このメールマガジンでは、日々の活動にこの聖なる祈りをどのように生かしていくかという視点で、お届けしたいと考えています。

「植福功徳経」はこのように続きます。
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護法の誓いの証明に
無私無我にして
福植える
これぞ信者の誇りなり
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植福の修行は、執着をとり去る無我修行でありながら、主の説かれる教えである「法」を護ることにもつながることがここで示されています。

教団の永続性と発展繁栄に貢献することは同時に唯物論や、無神論、そして間違えた教えを広める邪教から主の法を護ることにつながるからです。

無私無我なる気持ちで植福することは私たち仏弟子である信者の誇りです。

繰り返しになりますが、植福は、執着をとり去る無我修行の一つであり、心の修行です。

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布施の精神について経典から抜粋いたします。
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霊的な意味においては、「布施」とは、「与える愛」の実践であり、利他行の象徴です。
ある人が、人を愛する性質を持っているかどうかは、その人に布施の心があるかどうかを見れば分かります。(中略)喜んで人にあげるような性質を持っているかどうかは、その人が天国的な人であるかどうかを示しています。困っている人がいたら助けたくなる気持ちがあるかどうかです。これは布施の根拠です。布施というものは、そういう与える愛、慈悲行を教えるものなのです。
【大川隆法『到彼岸の心』(p.32~33)より抜粋】

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それから、「執着を断つ」ということも非常に大切な修行ではあります。そこで、やや仏教
的にはなるかもしれませんが、当会においても、「植福」、あるいは「布施」というものがあります。仏教的には、「喜んで捨てる」ということで「喜捨」とも言われます。これ自体は、対価があるものを買ったり、サービスに対する何らかの対価を払ったりしているわけではありません。「自分の持っているお金は命の次に大事だ」という人もいるかもしれませんが、これを差し出すことによって、「自分自身の執着を断つ」という修行をしているわけです。

これは、実際にやってみたらよく分かるでしょう。直接自分に返ってくるものではないことに、一万円、五万円、十万円のお金を出すのは大変だと思います。百万円を出すなんて、

なかなかできるものではありません。また、幸福の科学では、数千円から数万円以上のお布施を頂くことが多いと思うのですが、普通は神社仏閣に行っても、誰も人が見ていないところであれば、だいたい一円、五円、十円ぐらいしか入れないのではないでしょうか。それで、“鈴”をジャランジャランと鳴らして終わりのはずです。おそらく、功徳もその程度のものだと思っているとか、祈願をしても大して効くとは思っていないとかいうところもあるのでしょう。ただ、身銭を切って植福するのは、「執着を断つ修行」としてとても大事なのです。

それは、なかなかできることではないのですが、それを喜びに感じるようになったら、働くことに対して、もう一段の意欲が湧いてきたり、正当性が出てきたりすることもあります。

つまり、「自分が、利己主義者や我利我利亡者になっていない」という証明にもなるからで
す。そういう意味で、欲を断つ修行は非常に大事なものだと、私は考えています。

言い換えれば、「あなたは、どの程度まで自分の欲を制して、ほかの人のために役に立つのをよいことだと思いますか」という問いに対する答えでもあるでしょう。やはり、「節制して、自分の蓄えなどを、折々に教会や神社仏閣、その他、聖なるものに寄付する」というのは、「天の蔵に富を積む」のと同じことなのです。それは、動物的本能からは出ないことをやっているわけなので、「自分自身がエゴイストになっていないかどうか」というチェックをする意味でも大切なのではないでしょうか。

とにかく、悪魔に襲われているときは、今述べたような「悪魔の持っている特徴から離れる」ということを大事にしたほうがよいと思います。

【大川隆法『悪魔からの防衛術』 第 3 章 悪魔の発生源(p.208~210)より抜粋】
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繰り返し強調しますが、植福は、執着をとり去る無我修行の一つであり、心の修行です。
執着があることの霊的・この世的な問題点をまとめるとこのようになります。
・執着があると死後天国に還れない
・執着があると霊症になる
・執着があると正しい判断ができない
・執着があると悩み苦しみから逃れられない
・執着があると守護霊と同通できない
・執着があると阿羅漢になれない
・執着があると菩薩の力を発揮できない
・執着があると伝道ができない

このように、このようにこの世的な執着を断つ修行というものは、仏弟子にとって特に重要な修行課題です。そして執着を断った無執着の境地はきわめて天国的な境地です。私たちは、これを目指しています。

この心の清らかさに絶対必要な無執着の境地を得るために、私たちは布施行をとおした植福実践を心の修業として重ねています。
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幸福の科学の信仰対象は、地球神エル・カンターレです。
地球神エル・カンターレは、地球系霊団の最高大霊であり、イエスが「わが父」と呼び、ムハンマドが「アッラー」と呼び、日本神道系では創造神にあたる「天御祖神」(あめのみおやがみ)という名で伝えられている、至高の存在です。

エル・カンターレは、人類を導くために、仏陀やヘルメスなどの魂の分身を幾度となく地上に送り、数多の文明を交流させてきました。

現在、エル・カンターレの本体意識が大川隆法として下生され、すべての人を本当の幸福へと導くために、あらゆる宗教や学問を統合する地球的仏法真理を説き続けています。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。

大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます

本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります

仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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