(7/14-2)【阿羅漢への挑戦】195―13『永遠の仏陀』を読む―無償のなかの悦び―「光明思想とは何か」光明転回の方法―『真説・八正道』正しく人を見るための判断基準―『釈迦の本心』正見

『永遠の仏陀』を読む

12 妖怪は、相手の恐怖心を見て悦び、優越感にひたる。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■何を祈るべきか

「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―

このように祈ることが大事です。

【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
ここで、反省主義の落とし穴にはまらぬように、幸福の科学の基本の教えでもある光明思想について学びを深めてまいります。「人生を、さらに積極的に有意義に過ごし、ユートピアを実現するための具体的力とは何か(あとがき)」について明確に教えていただきます。また、光明思想とは仏教の「縁起の理法」のことであり、仏教の幸福論である。主より教えていただいています。経典『幸福の科学とは何か』をお持ちでない方は、是非買い求めください。【税抜1600円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『幸福の科学とは何か』第6章「光明思想とは何か」
3 光明転回の方法

幸福の科学で、よく私が話している考え方の一つに、「光明転回」というものがあります。これは、「光のほうに向かって、くるっと心を向けていく」という方法です。

物事には何であっても積極的方面と消極的方面があります。

たとえば、「勉強がよくできる」ということを取ってみれば、それは素晴らしいことでしょうが、その「勉強ができる」ということにも、プラスの値打ちが出る場合と、マイナスの値打ちが出る場合とがあります。

プラスの値打ちが出る場合としては、「よい学校を出て、よい就職をし、とんとん拍子に出世して、多くの人々のために働ける」という面があるかもしれません。しかし、同じく、「勉強ができる」という面に対して、「鼻持ちならない」「気障(きざ)である」「学歴主義」「数字万能主義」「結果主義」というレッテルが貼られることもあるでしょう。

どのようなものでも、物事は、このように両面からとらえられるのなのです。

女性が非常に美人であるときにも、同じようなことが言えましょう。「美人であるから幸福だ」ということもあれば、「美人であるから災いを呼びやすい」ということもあります。どちらもあります。

逆に、不美人であればどうかというと、「不美人であるから生まれつき不幸である」という考え方もあれば、「だからこそ、よい主婦として努力していけるのだ」という考え方もあります。

物事には必ず両面があります。それが、この光明転回の基礎理論です。

本書の読者のなかには、何か一つの悩み事に関し、日夜、自分の心が、あちらに傾き、こちらに傾きして、どうしたらよいのかが分からない人もいるのではないでしょうか。

そういう人は、それについて、つらつらと考えて空想を続けていくと、「自分ほど不幸な人は世のなかにはいない」と思う方なのではないでしょうか。

しかし、私は多くの人の悩み事に接してきましたが、「自分ほど不幸な人間はいない」といっている人ほど、意外と単純な悩みにとらわれていて、それは、本当に単純な悩みであることが多いのです。また、未来の出来事について取り越し苦労をしていたり、過去の出来事について持ち越し苦労をしていたりする人も数多いと言えましょう。

こういう人々に私は「一転語」を与えたいと思います。

すなわち、「あなたは、『自分が悩みだと思っていること、自分にとってひじ用に失敗だと思っていることのなかに、教訓が潜んでいる』ということを知っているか」と問いたいのです。

たとえば、エジソンは、その生涯において無数の失敗を重ねた人ですが、この人は大変な光明思想家であり、自分が失敗しても、その失敗を決して無駄とは考えなかったようです。「この方法では成功しないことを確かめた」と考え、他の方法を探していく、それがエジソン流の生き方であったそうです。

この考え方は、実は、「人生のいろいろな出来事のなかから、自分の心の糧を選び取っていく」ということを意味するのです。こうしてみると、「人生には、ある意味で失敗はない」といってもよいのではないかと思います。

人間は、もともと天上界から生まれ変わってきているものです。人間は決して地獄から生まれ変わってくることがありません。生まれ変わる前には、誰もが、天上界において、大変幸福な生活をしていました。

その人間が、天上界に住むことをやめて、赤ん坊に生まれ変わり、もう一度、ゼロからスタートし直したのです。

その意味は、いったい、どこにあるかというと、この地上において二つの理想を実現するためであると言えましょう。

その二つの理想とは何でしょうか。第一の理想は、「地上生活において、天上界で味わえないような、魂の学習をなす」ということです。第二の理想は、「地上をユートピアと化していく。ここを理想郷とする」ということです。

この二つの努力目標をもって、人間は、あの世とこの世との間を転生輪廻しているのです。

そこで、まず、光明転回について考えてみると、それは、第一の理想である「個人の魂の進歩のための学習」にかかわると言ってもよいでしよう。

個人の魂学習という観点から見れば、順風のときよりも、むしろ、苦境のとき、挫折のときに、魂の糧は多いのかもしれません。

なぜなら、挫折や失敗のときにこそ、人間は、カルマといわれる、自らの魂の悪しき傾向性を、すなわち、「いったい何がいけなかったのか。何を間違ったのか」ということを、はっきり見せつけられることになるからです。

これによって、自分は、今世において、いったい何を修行に出たのか」ということが明らかに分かるようになります。

大きな失敗や挫折のかなに、実は、その人自身のカルマが潜んでいるのです。

みなさんは、自分の過去の失敗体験、挫折体験というものを、もう一度、思い起こしてみてください。

そうすると、そのなかに、「なぜ、こうなったか」という反省が生まれてきます。そこに、実は、自分の至らざるところ、自分の性格の間違ったところ、自分の思いが引きずりがちであるところが何かあるはずなのです。

これに気づくことは、今世において、ある意味で最高の魂学習をしているのだと言ってもよいのです。

すなわち、あらゆる失敗や挫折において、そこから何らかの教訓を学べないことはないのです。必ず、そこに何らかの教訓があります。

順風のときには、人は、ついつい、それを自分の力だと思って過信していきますが、逆境のときにこそ、初めて、自分の器を知り、自分の魂の傾向性を知り、自分の粗が見えることがありうるのです。

実は、私も、こういう光明転回の方法を取り入れることによって、人生が変わりはじめた人間の一人です。

物事を暗い方面からのみとらえたときには、「どうしても、やりきれない」ということがありましょう。しかしながら、もし、それをよいほうで捉えたら、いったい、どうなるでしょうか。そうすると、そこに無限の可能性が広がってくるのです。

私は、みなさんに数多くの書物を提供し、仏法真理の学習材料としていただいていますが、この道に入るまでの間には、私にも、さまざまな紆余曲折があり、さまざまな悩みがありました。

その大部分は、「自分がやろうとしている、この仕事は、おそらく、世の多く人びとには理解されないであろう。あるいは、誤解されるのが落ちであろう」という思いでした。

そして、スタート時点においては、確かに、そのとおりでした。多くの人は、私のやっている仕事を、なかなか理解はしてくれませんでした。

しかし、私は、ある意味での開き直りというものをやってみました。

「こうした仏法真理を説くことは、他の人にはできないことだ。小説を書いたりする作家活動をしている人は数多くいるかもしれない。評論家やエッセイストも数多くいるかもしれない。しかし、仏法真理を、その実体験に基づいて語ることのできる人は、そう多くはいるはずがない」という考えの下に、私は仏法真理の実践に励みました。そして、数多くの書物を書き続けてきました。

そうしたところ、私に対する悪意や非難は、だんだんと影を潜め、次第しだいに、「そういう仕事をしてくれてよかった」という声が大きくなっていきました。

これも、マイナスを転じてプラスとなす一つの方法であろうと思います。

自分にとって非常に辛いと思われる現実、あるいはそういう未来図を、自分の手で灰色からバラ色に切り替えていく方法、それが実は光明転回なのです。

どうか、目の前にある課題を考え直して、そのなかに自分にとっての成功の目がないかどうか、それを考えていただきたいと思います。

【大川隆法『幸福の科学とは何か』第6章「光明思想とは何か」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『真説・八正道』第2章「正見」
5正しく人を見るための判断基準

では、「他人を見る」「自分を見る」ということの正しさは、いったい、どこに力点を置いて捉えなければいけないのでしょうか。どういうところに注意してみなければならないのでしょうか。

①映像を客観的に捉える
他の人を見る際の判断基準を述べると、第一段階においては、「目に映った他人の姿」を情報として客観的に捉えることが大事です。

第一段階においては、主観で交え、それを判定しようとしてはなりません。まず客観的に見ることです。どういう人となりであるか。どういう行為であるか。どういう表現の仕方であるか。どんな表情であるか。これをまず客観的に捉える必要があります。

このときには、できるだけ「無私」であることが大事です。私心を入れないで、まず観察をする。これが観察の第一段階です。

【大川隆法『真説・八正道』第2章「正見」59p】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『永遠の仏陀』
第2章 真実の人となれ
〇無償のなかの悦び

いま、りんごの実のたとえを示した。
そう、その言葉を、もう一度、
深く、心のなかで味わってもらいたいのだ。
人生は、このリンゴの木が、
他の人々に食べられるために、
味のよいりんごをつくっていることに似ているかもしれない。
りんごをつくった農家の人は、
その対価としての金銭を受け取るかもしれない。
けれども、その実そのものをならせた、肝心のリンゴの木は、
何一つ、金銭を受け取るわけではない。
何一つ、褒美をもらうわけではない。
「よく、こんなに実らせたね」という、
感謝の言葉を受けることもない。
しかし、彼らは、彼らの人生を歩み続けているのだ。
りんごの木として、生命(いのち)のあるかぎり、
毎年、毎年、見事なりんごの実をたわわに実らせてこそ、
悦びがあるということを知っているのだ。
彼らは、他の者からほめられないからといって、
その翌年に実を実らせないということはない。
彼らは、たとえ虫に喰われようとも、
風に吹かれようとも、
嵐に打たれようとも、
自分の力の範囲で、最高度のものをつくろうと、
日々、努力しているではないか。

そうであるならば、おまえたちにも言っておきたい。
「一生懸命に生きているのに、他の人がほめてくれない」と言うな。
りんごの木であっても、称讃など求めていないであろう。
ましてや、おまえたちは、人間として、
りんごの木以上の存在ではないか。
そうであるならば、
他の人の称讃を求めるな。
他の人から褒美をもらうことを求めるな。
たとえ認められなくとも、その使命を果たしてゆくのだ。
りんごが、その時期を過(あやま)たずに、その実をつけるように、
毎年、毎年、人間としての、その使命を果たすために、
一年、一年に、その実りを収穫してゆかねばならないのだ。
あのような木であっても、
一年に一度は、たわわな実りをつけるのだ。
ましてや、優れた存在である人間であるならば、
毎年、毎年、たわわな実りをもたらさねばならない。

そして、それがたとえ、他の人によって、もぎ取られ、
一円の価値を生むこともなく、食べられるとしても、
その人たちの悦びを、わが悦びとしなさい。
他の人々が自分の実を食べて悦んでいる姿を見て、
それを自分の悦びとしなさい。
無償のなかに、真の悦びを感じなさい。
一年のうちに、どれだけ多く、
他の人々を喜ばせるだけの果実を、実らせることができたか。
それが、
あなたがたが優秀な木であるかどうかを示しているのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第2章「真実の人となれ」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『釈迦の本心』
第2章 八正道の発見
3正見

それでは、八正道の最初の項目である「正しく見る」「正しい見解」ということについて、深く考えてみましょう。これは、先入観を排除し、白紙の状態にものごとを置いて、智慧の眼で見るということでもあります。

人間の営みは、結局、「見る」という行為を中心にして起きているように思います。もし目が見えなければ、罪を犯す機会がそれだけ少ないとも言えましょう。欲望というものは、たいていは目によって生じます。異性など他人の姿を見たり、金銀財宝や豪華な食事を見たりすることによって、しだいに欲望がつのってくるのです。

したがって、大切なのは、目を通じて入ってくる情報を、いかにさばいていくか、ふるいに分けていくかということです。人間の感情が波立つ原因の多くは、目を通して得られる情報にあるのです。

そこで、一日が終わるときには、呼吸を整え、心を調律し、自らの内に深く深く入っていく必要があります。そして、「みずからが仏と一体になった」「大いなる光のパイプからエネルギーが流れ込んでくる」と感じられるようになった段階で、その日一日を生きてきた自分をまったくの他人だと考え、その他人が見てきたことを、第三者の眼で批判的に検討してみるのです。

この「見る」ということは、結局、「見たことをどう認識するか」ということにかかわってきます。

ある人がある行為をしたとき、それに対する見方は人それぞれです。たとえば、会社のなかで、若手の社員が「こういう方針でやっていきませんか」と新しい提案をしたとします。しかし、この行為に対する認識は、人によって分かれることになります。

その人の上司が、その提案を肯定的にとらえようとすれば、「彼はたいへんやる気があり、進取の気性に富んでいる。非常に将来性がある」と見ることもできるでしょう。

しかし、否定的に見れば、「彼はまだ入社してまもないのに、大言壮語(たいげんそうご)し、自分の分を知らずにいる。日々の事務仕事がきちんとできてこその、大きなプランであり、理想である。彼はまだまだ謙虚にならねばならん。うぬぼれがすぎる。彼にもっと自覚を促す必要がある」と感じる人もいるでしょう。

ここが見方のわかれるところなのです。

この二つの見方のうち、どちらがより真実に近い見方なのかを考えてみる必要があります。そして、前者の見方が正しいならば、自分はなぜ後者の見方をしたのか、この若手社員に対してなぜ不愉快な見方をしたのか、その根本原因をたぐっていく必要があるのです。

その結果、自分が若手社員のとき、いろいろな人に批判された反動だったり、自分自身は積極的な提言ができないタイプであることへの自己嫌悪だったりすることに気づくことがあります。そうした原因を見いだしたならば、それを取り除いていく必要があるのです。

正見には、ここまでの作業プロセスが入っていると考えるべきです。

もちろん、仏教的には、「苦」「集」「滅」「道」の四諦のプロセスで観察するとか、縁起の理法を通して、ものごとを「原因」「結果」の連鎖でとらえるといった専門的な解説も可能です。

【大川隆法『釈迦の本心』第2章「八正道の発見」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
■□■□■□■□
88 自分に何らかの才能が有ることを知った喜び。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/

タイトルとURLをコピーしました